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日本眼科医会の常任理事を務めて(2010.5.29)

 日本眼科医会の医療対策委員会の委員として3期6年を務めた以外に大した実績もない私を、医療対策部の常任理事として登用していただいたことは光栄でした。三宅前会長の強いリーダーシップのもと、吉田前副会長をはじめ、担当役員ならびに担当事務員のおかげで会務を遂行することができました。理事会での前向きで建設的な議論は、私にとって貴重な経験でした。多くのことを勉強させていただいた実のある4年間でした。
 思い起こせば、平成17年11月の第2回医療対策委員会(於:東京都日本眼科医会事務所)が終わったときのことです。吉田前副会長から会長室に来るように促されました。何事かと思い会長室に行くと、医療対策部の次期常任理事として執行部に入ってもらいたいということを三宅前会長から言われました。執行部がどういう状況なのか、役員ならびに事務員は具体的にどのような仕事をしているのかわからないので、「常任理事ではなく理事としてまず勉強させていただきたい。それに常任理事は責任が重たい上に、多忙であることもあり、自分にとっては荷が重すぎる」と申し上げましたが、「実務を行う常任理事として参加してほしい。コンタクトレンズ(以下CL)についてはいろいろと問題があり、学術的な面も考慮して対応してもらいたい。」とうながされたので、しばらく考えさせていただくことにしました。
私の診療所では医師は私一人です。土曜日は午前・午後ともに診療をしています。出張のたびに休診にするわけにもいかないので、山口大学眼科学教室の西田前教授にご相談したところ、「山口大学眼科学教室の同門としても大変名誉あることなので、君が中央でがんばるのならば教室としても応援しよう。君が出張するときは教室から代わりに診察する眼科医を派遣しよう」という力強いお言葉をいただきました。このお言葉に後押しされ、常任理事を引き受けることにしました。任期中に当院の代診をしていただいた多くの医局の先生方には感謝しております。この場をお借りして御礼申し上げます。
 任期中の会務について述べます。私が務めた役職、関わった委員会等を表1に示します。平成17年4月の薬事法の改正への対応には苦慮しました。とくに高度管理医療機器の継続的研修を実施するにあたってのマニュアルを短期間で作成するのは、慣れない作業で大変でした。診療報酬改定に伴うCL検査料の設定、CLに関する個別指導、CL処方せんの法制化、度なしカラーCLの規制、CLのインターネット販売・通信販売の規制、オルソケラトロジーレンズの取り扱いなど、CLに関しては次から次へと問題が起こりました。理事会、定例代議員会、医療対策委員会、支部長会議等ではCL問題についての多くの議題があがりました。定例代議員会ブロック代表質問数(質問総数と医療対策部)を表2に示します。長時間にわたって討論されましたが、地域性、CL診療の状況、併設するCL販売店の状況、各眼科医の立場(開業医、勤務医)などが異なるため、意見の集約を図るのは困難でした。三宅前会長のご発案で、グランドビューを作成することになりました(日本の眼科4月号に付録)が、今後、これをたたき台として建設的な議論がなされることを望みます。CLに関しては一生懸命やっても状況が悪くなるばかりで、あまり関わりたくないと思っておられる会員も多いと推察しますが、しっかりとした対応をしなければ眼科医にとってとんでもないことになってしまいます。例えば、厚生労働省の担当官はCLに関する保険診療を対象外とする(自由診療とする)ことを当初考えていましたし、その後導入されたCL検査料の点数を大幅に下げることなどについても検討されていました。これまで眼科医にとってはいい時代でしたが、今や現状を維持するだけでも大変であることを分かっていただきたいと思います。行政やマスメディアへはエビデンスに基づいた行動が求められます。そのために医療対策部では多くの調査を行ってきましたが、会員へのアンケート調査の回収率が低いことについて行政から指摘されることもありました。CL問題の解決にあたってはより一層の理解と協力が求められます。
 また、眼鏡技術者の公的資格化の問題が表面化してきました。これに対して三宅前会長は情報開示に努めました。理事会だけでなく、屈折矯正に関するワーキンググループや眼科医療研究会議でも対応を図りましたが、今後の成り行きが注目されます。
 医療対策部はCLや眼鏡以外の問題にも対処していますが、これらに関する難問が山積しているため、他の問題が目につかないかもしれません。例えば後発医薬品やスイッチOTC薬、レーシック手術、医療機器の立ち会い等への対応など、眼科用剤や眼科医療機器に関するものなどがあげられます。
 この2期4年間、私なりに鋭意努力しましたが、多くの会員にとっては満足のいく結果ではなかったかと思います。日本眼科医会の意向がそのまま行政に受け入れられるとよいのですが、難しいことばかりです。ときに無力さを感じることもしばしばです。小泉内閣による政策が現在の荒廃した医療状況をもたらしたといっても過言ではないと思います。鳩山内閣の医療政策によって眼科医療が良くなることを期待しておりましたが、改善どころか、さらに悪くなったように思います。 最後に、国民の目を守るために、日本眼科医会の活動は重要な役割を担っています。支部の眼科医会も県民のために尽力する必要があります。

追記
  東京への出張の状況を述べます。山口県の下関市から東京に出るとなると大変でした。日本眼科医会の常任理事会は年に7回、常任理事会・理事会は年に5回開催されます。したがって、常任理事は毎月いずれかの会に出席することになります。常任理事会が17時00分から、常任理事会・理事会が16時30分からです。最初の2年間は新幹線で新下関駅から博多駅に行き、それから地下鉄に乗り換えて福岡空港に行きました。当時の私のスケジュールを記します。土曜日の午前の診療は9時00分から13時00分までですが、これらの会議がある日は12時30分まで患者さんを受け付け、13時00分には診察を終えて、新下関駅にダッシュします。13時12分の新幹線に乗らないといけません。博多駅での地下鉄との接続は7~8分です。福岡空港でチェックインするのが搭乗時間のタイムアップの5~6分前です。羽田空港に到着してからは、浜松町までモノレールを利用しました。日本眼科医会の事務所は浜松町の駅から徒歩で10分程度のところにありますが、飛行機が定刻に到着したとしても16時30分には着けません。たいてい到着が遅れるので、事務所に着くのは16時45分~17時15分でした(遅刻常習犯でした)。会議は大体19時30分に終わりますが、その後に各種委員会が開催されることが多く、それらが終了するのが21時00分前です。翌日、会議がなければ日帰りをしました。羽田空港発の北九州空港行きのスターフライヤーの最終便が23時15分発です(北九州空港は人工島なので深夜の発着ができるのです)。北九州空港には日付けが変わった0時55分に到着します。それからバスで小倉駅まで向かい、タクシーで下関まで戻ります。北九州空港から下関市までタクシーに乗ると、深夜は1万4,000円以上(高速代含む)かかりますが、バスとタクシーを利用すると半額ぐらいです。下関にたどり着くのは深夜の3時前で、心身ともに疲労困憊でした。
 スターフライヤーは当初、便数が少なく、北九州空港から羽田空港に向かうのに都合のいい便がありませんでしたが、その後増便になったので、行きも帰りも利用するようになりました。時間の関係から帰りと同様に行きもバスとタクシーというわけにはいきませんので、自家用車で北九州空港に向かい、駐車場に車を停めて、帰りも運転して下関に戻るということが続きましたが、道路が渋滞すると出発時間に間に合わないのではないかとヒヤヒヤでした。しばらくして北九州空港と下関の間をつなぐ乗り合いタクシーがあることを知りました。この乗り合いタクシー代ですが、当初は片道2,000円でしたが、その後は3,000円になり(高速道路代を含む)、先程の1万4,000円と比べると雲泥の差です。タクシー会社は当然赤字だろうと思って尋ねたところ、スターフライヤーがサポートしているので大丈夫とのことでした。スターフライヤーと乗り合いタクシーが私の度重なる東京への日帰り出張を可能にしてくれたといっても過言ではありません。
 この4年間、日本眼科医会の会議(理事会、定例代議員会、支部長会議、各種委員会など)以外に、学会の会議や講演等で東京に出張することが多く、毎週のように東京と下関の間を往復しました。4年間の東京出張の回数(日本眼科医会関連の会議)を表3に記します。東京日帰り出張が週2回(木,土)だけでなく、週3回(木,金,土)というときもありました。東京に連泊したかったのですが、山口大学眼科学教室からの代診をしていただく先生の都合がつかなかったので、日帰りしました。東京出張は私にとって体力勝負でもありました。
 体力勝負だったといいながら一方で、東京出張を利用して、趣味のマラソンで体力勝負に自ら拍車をかけていました。スケジュールが合えば、土曜日に日本眼科医会の会議を終えて移動、宿泊をして、翌日曜日早朝から関東近郊のマラソン大会(北丹沢12時間山岳耐久レース、奥武蔵ウルトラマラソン、青梅マラソン大会など)に出場しました。大会名でお気づきかもしれませんが、12時間山の中を駆け抜ける大会や、フルマラソン(42.195km)よりはるかに長い距離を走る大会など、過酷を極める大会ばかりをねらって出場していました。本当の体力勝負はプライベートにあったといっても過言ではありません(笑)。