第51回日本CL学会総会成功祈願150kmウルトラマラソン 佐々木 隆史
チームサバイバル ぶっこ
3月28日、初めて植田先生の元に山口県新担当としてご挨拶にお伺いした際、今回のマラソンについてお話を頂きました。植田先生が150キロを走り、参加者が交替しながら伴走(20㎞)と運営サポートするという計画でした。運動経験は高校1年生1学期までのバスケットが最後で、それ以降、自堕落な生活を20年以上。運動はゴルフ程度といった私がマラソンなど想像もつきませんでした。しかし、「この太ってしまった体を鍛える為に何かをしないと」と考えていた事もあり、参加を決意しました。
本番までに少しでも練習をと、自宅近所のランニングから始めました。しかし、自分でも信じられない出来事でした。元々、短距離走に比べ、長距離走は苦手でしたが、練習初日は僅か500m程度でスネと足首が痛くなり、心臓と肺が悲鳴を上げ、3㎞を散歩して帰る結果となりました。
その後、ペースは無視し3㎞を完走する事から始めましたが、悪天候や出張続きで練習もままならず、本番2日前にようやく6㎞を早いペースで完走。ただ結局一度も本番の20㎞はおろか10㎞さえも経験せず当日を迎えてしまいました。
6月14日、いよいよ運命の二日間の始まりです。目覚めとともに不安いっぱいで、集合時間まで気晴らしにと、息子のサッカーの練習試合を見に行きました。しかし、マラソンの事が頭から離れません。
約束の集合時間です。続々と新下関駅に集合するメンバー。私は皆様の迷惑にならないかだけが心配でした。
19:00新下関駅スタート。第一走者区間にはエイドは設けず、一気にリレーポイント:海峡ゆめタワーまで走ります。伴走車3台の中で先頭を運転する私の車が早くもルート間違いを犯します。第一走者グループを車道から通り過ぎ際に応援する事も無く、直接海峡ゆめタワーの下へ。走者、伴走車役割も替わり、第二走者区間です。下関海峡ゆめタワーからJR門司駅手前までの約10㎞、先を走っている伴走車3台は急遽赤間神宮での写真撮影の為、Uターン。その後、関門トンネル人道で視覚障害のある陸上選手:中野さんとの合流を見届けて、伴走車3台は次の写真ポイント:門司港レトロへ向かいます。しかし、モグラさんが関門トンネル内での写真撮影後に下関に引き返したとの情報が入りました。1台が再度、下関に引き返します。一方、第二走者グループのペースが速く、門司港レトロでの写真撮影に到着できず、かろうじてJR門司港駅で合流し、エイドと写真撮影。その後、次のリレーポイント:JR門司駅手前まで先回りです。若干の道間違いはあるものの到着。伴走車3台はドタバタです。ついに第三走者の私の順番が来ました。伴走車でのトラブル続きが自然と緊張感を解してくれ、落ち着いた心理状態でした。JR門司駅手前から小倉城までの約9㎞、海岸の産業道路でフラットなコースの為、予定よりやや早いペースでしたが無事完走出来ました。マラソンとは黙々と走るものだと勝手に想像していましたが、植田先生はマラソン中にもよく話をされていたのには驚きました。とにかく、次走者へバトンタッチができ、達成感というより不安からの開放感でいっぱいでした。第四区間は小倉城からスペースワールドまでの9㎞。ただし、この区間には上り坂があり、北九州では一番辛い区間です。この頃には伴走車や各人の役割分担が明確になり、またナビの使い方も慣れてきてスムーズになりました。一方、植田先生は相変わらず予定より随分速いペースです。第五区間はスペースワールドからJR折尾駅まで。雨が降り始め寒く感じます。JR折尾駅からは田園地帯や海岸地帯を暗闇の中、懐中電灯を照らしながら走破。宗像大社、宮地嶽神社等に立ち寄りながら着々と進みます。途中、道間違いで引き戻したりしても、植田先生のペースは一向に落ちません。ただし、雨の影響で植田先生の足の皮は剥げ、痛々しくテーピングをされました。二回目の順番がやってきました。雨は降り続いていますが、すでに夜は明けています。JR古賀駅の先から和白を右折し志賀島方向の奈多までの約12㎞。途中、植田先生の累計走行距離が100㎞を達成。植田先生も「ようやくゴールが見えて来た」と、俄然、モチベーションUPとともにスピードもUP。何とか植田先生にくらいついて走り、無事、次走者へバトンタッチ。私自身、興奮状態だったのか、自分でも信じられない力を発揮することができました。今回、私に課せられた課題21㎞を達成し安堵するも、まだまだフルマラソンの距離を残しながらゴールが見えたという植田先生の底知れぬ体力と気力に感服いたしました。
その後、海の中道~志賀島一周~ゴール地点の福岡国際会議場までの区間は割り振られた走者だけでなく、我も我もと挑戦。その中でも120㎞を越えてからの植田先生のハイペースには驚かされました。私は土地勘がある事から伴走車に徹しましたが、今思えばもう少し、どれだけ走れたか試してみたい気もします。ゴール地点の国際会議場前では、横断幕をかかげ、ゴールを迎えます(許可を取っていなかったので注意を受けてしまいましたが)。植田先生を先頭に最終区間走者群が近づいて来ました。そして、ついに、植田先生、その後続々とランナーがゴールです。
14:50。予定より4時間以上も早い到着時間です。植田先生、参加者全員、満足感一杯の輝かしい笑顔です。
全くの初心者ではありましたが、一歩足を踏み出した事によって多くの喜びと経験を手にすることが出来ました。人生の貴重な教訓となりました。
今回、この様な機会を与えてくださいました植田先生、達成に向け一丸となって協力し合ったチームの皆様に心から御礼申し上げます。
最後になりましたが、第51回日本コンタクトレンズ学会総会が成功する事を心からお祈り申し上げます。
3月28日、初めて植田先生の元に山口県新担当としてご挨拶にお伺いした際、今回のマラソンについてお話を頂きました。植田先生が150キロを走り、参加者が交替しながら伴走(20㎞)と運営サポートするという計画でした。運動経験は高校1年生1学期までのバスケットが最後で、それ以降、自堕落な生活を20年以上。運動はゴルフ程度といった私がマラソンなど想像もつきませんでした。しかし、「この太ってしまった体を鍛える為に何かをしないと」と考えていた事もあり、参加を決意しました。
本番までに少しでも練習をと、自宅近所のランニングから始めました。しかし、自分でも信じられない出来事でした。元々、短距離走に比べ、長距離走は苦手でしたが、練習初日は僅か500m程度でスネと足首が痛くなり、心臓と肺が悲鳴を上げ、3㎞を散歩して帰る結果となりました。
その後、ペースは無視し3㎞を完走する事から始めましたが、悪天候や出張続きで練習もままならず、本番2日前にようやく6㎞を早いペースで完走。ただ結局一度も本番の20㎞はおろか10㎞さえも経験せず当日を迎えてしまいました。
6月14日、いよいよ運命の二日間の始まりです。目覚めとともに不安いっぱいで、集合時間まで気晴らしにと、息子のサッカーの練習試合を見に行きました。しかし、マラソンの事が頭から離れません。
約束の集合時間です。続々と新下関駅に集合するメンバー。私は皆様の迷惑にならないかだけが心配でした。
19:00新下関駅スタート。第一走者区間にはエイドは設けず、一気にリレーポイント:海峡ゆめタワーまで走ります。伴走車3台の中で先頭を運転する私の車が早くもルート間違いを犯します。第一走者グループを車道から通り過ぎ際に応援する事も無く、直接海峡ゆめタワーの下へ。走者、伴走車役割も替わり、第二走者区間です。下関海峡ゆめタワーからJR門司駅手前までの約10㎞、先を走っている伴走車3台は急遽赤間神宮での写真撮影の為、Uターン。その後、関門トンネル人道で視覚障害のある陸上選手:中野さんとの合流を見届けて、伴走車3台は次の写真ポイント:門司港レトロへ向かいます。しかし、モグラさんが関門トンネル内での写真撮影後に下関に引き返したとの情報が入りました。1台が再度、下関に引き返します。一方、第二走者グループのペースが速く、門司港レトロでの写真撮影に到着できず、かろうじてJR門司港駅で合流し、エイドと写真撮影。その後、次のリレーポイント:JR門司駅手前まで先回りです。若干の道間違いはあるものの到着。伴走車3台はドタバタです。ついに第三走者の私の順番が来ました。伴走車でのトラブル続きが自然と緊張感を解してくれ、落ち着いた心理状態でした。JR門司駅手前から小倉城までの約9㎞、海岸の産業道路でフラットなコースの為、予定よりやや早いペースでしたが無事完走出来ました。マラソンとは黙々と走るものだと勝手に想像していましたが、植田先生はマラソン中にもよく話をされていたのには驚きました。とにかく、次走者へバトンタッチができ、達成感というより不安からの開放感でいっぱいでした。第四区間は小倉城からスペースワールドまでの9㎞。ただし、この区間には上り坂があり、北九州では一番辛い区間です。この頃には伴走車や各人の役割分担が明確になり、またナビの使い方も慣れてきてスムーズになりました。一方、植田先生は相変わらず予定より随分速いペースです。第五区間はスペースワールドからJR折尾駅まで。雨が降り始め寒く感じます。JR折尾駅からは田園地帯や海岸地帯を暗闇の中、懐中電灯を照らしながら走破。宗像大社、宮地嶽神社等に立ち寄りながら着々と進みます。途中、道間違いで引き戻したりしても、植田先生のペースは一向に落ちません。ただし、雨の影響で植田先生の足の皮は剥げ、痛々しくテーピングをされました。二回目の順番がやってきました。雨は降り続いていますが、すでに夜は明けています。JR古賀駅の先から和白を右折し志賀島方向の奈多までの約12㎞。途中、植田先生の累計走行距離が100㎞を達成。植田先生も「ようやくゴールが見えて来た」と、俄然、モチベーションUPとともにスピードもUP。何とか植田先生にくらいついて走り、無事、次走者へバトンタッチ。私自身、興奮状態だったのか、自分でも信じられない力を発揮することができました。今回、私に課せられた課題21㎞を達成し安堵するも、まだまだフルマラソンの距離を残しながらゴールが見えたという植田先生の底知れぬ体力と気力に感服いたしました。
その後、海の中道~志賀島一周~ゴール地点の福岡国際会議場までの区間は割り振られた走者だけでなく、我も我もと挑戦。その中でも120㎞を越えてからの植田先生のハイペースには驚かされました。私は土地勘がある事から伴走車に徹しましたが、今思えばもう少し、どれだけ走れたか試してみたい気もします。ゴール地点の国際会議場前では、横断幕をかかげ、ゴールを迎えます(許可を取っていなかったので注意を受けてしまいましたが)。植田先生を先頭に最終区間走者群が近づいて来ました。そして、ついに、植田先生、その後続々とランナーがゴールです。
14:50。予定より4時間以上も早い到着時間です。植田先生、参加者全員、満足感一杯の輝かしい笑顔です。
全くの初心者ではありましたが、一歩足を踏み出した事によって多くの喜びと経験を手にすることが出来ました。人生の貴重な教訓となりました。
今回、この様な機会を与えてくださいました植田先生、達成に向け一丸となって協力し合ったチームの皆様に心から御礼申し上げます。
最後になりましたが、第51回日本コンタクトレンズ学会総会が成功する事を心からお祈り申し上げます。

