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私のマラソン記 幻の第42回青梅マラソンに参加して(2008.02.03)

ジョンソン・エンド・ジョンソン株式会社  石橋 剛

 その日の東京は朝から記録的な大雪だった。
普通であればその時点でインターネットを調べるなり、大会事務局に電話するなり、今の自分が置かれた状況を確認するのが定石だった。
しかし何故か私は何の疑いもなく青梅マラソンのスタート地点である「河辺(かべ)駅」に向かっていた。
植田先生とは前日に連絡を取り合い、スタートの一時間くらい前(10時半頃)に河辺駅で待ち合わせすることになっていた。
私の自宅から河辺駅までは乗り換え3回、約1時間半程の道程になるのだが、雪の影響で大幅にダイヤが狂い、10時過ぎにやっと立川駅に着いた。
直通快速電車が運休となり、立川始発・青梅行きの各駅停車に乗り込んだ。車内にはジャージ姿やジョギングシューズを履いた「いかにも」な多数の同志達が落ち着かない表情で吊り革を握っていた。

その時、ポケットの携帯電話が鳴った。
「石橋君?おはよう。今どの辺?」
植田先生だ。昨晩から近くに泊まっていらっしゃったようで、さすがにもう現地に着いたみたいだ。
「植田先生、おはようございます。この雪で電車が遅れてしまって、今ようやく立川です。」
恐縮しつつ答えると、植田先生の落胆の声。
「残念ながら今日の大会、中止らしいよ。駅のアナウンスで初めて知ったよ。参ったねぇ。」
思えばそれは想像には難くないことだった。これだけの雪。立川駅の周辺を見渡すと一面の銀世界。
「そりゃそうだわ」と思いつつ周囲のランナー達の数十分後の様子を哀れみながら植田先生との会話を続けた。
「あらら、そうですか・・・。それじゃあ、残念ですがどこかでお昼でも取りますか?」
そんな軟弱な私の提案は瞬く間に一蹴された。
「何いってんの、せっかくここまで来たんだから走っていこうよ!!」
・・・最初、私には先生がおっしゃっていることが良く理解できなかった。
しかしそのご提案は、「マラソンとは大会事務局が運営するもので、つつがなく開催された場合だけのもの」、もしくは「マラソンとはきちんと公式記録が残ったもの」という私の概念を大きく覆すものであった。
そして間違いなく私の人生の一ページに残るであろうビッグ・イベントの始まりでもあった。

約30分後、私は河辺駅に着いた。ホームに出た途端に場内アナウンス。
「本日の青梅マラソンは雪のため中止になりました。つきましては・・・。」
思わず立ち止まる無数のランナー。無理もない。おそらく殆どの人たちが遠くから足を運んだのだろうから。
階段を上がって改札を出ると植田先生の姿が見えた。
「全く、参ったねー、予想外だよ。で、どこに荷物置こうか?」
植田先生は既に走る気満々だった。
正直言って私はここまではまさか本気で走るとはまだ確信が得られていなかった。しかし、その植田先生の意気込みに触れた瞬間、「ヨシ、こうなったらチャレンジしてみよう!」と心が固まった。

植田先生の情報によるとこの近くに天然温泉のスーパー銭湯ができたらしい。そこに荷物を置くことにした。
続々とホームから上がってくるランナーを必死にさばく駅員さんに聞くと、その銭湯は駅の目の前だった。
スーパー銭湯の玄関前でランニングウェアに着替え、荷物を預けた。
まずは駅前から(本来の)スタート地点である体育館へ軽くジョギングしながら移動した。
雪は全くやむ気配を見せない。「もしも雨が降ったら」という事態に備えて一応買っておいた100円ショップのレインコートがとてつもなく頼もしく思えた。
体育館で本来であれば胸と背中につけるであろうゼッケンと記念のTシャツを受け取り、それをそのまま館内のベンチに置いて私たちはスタートラインへ向かった。
スタート地点の華々しいアーチはまだ撤去されていなかった。しかし、その周りには誰もいなかった。
植田先生がGPS付き時計に現在地を登録し、号砲なき二人だけの青梅マラソンが始まった。

当たり前の話だが、公式にはマラソンは中止なので交通規制はされていない。歩道には10cm程の雪が積もっており、とても走れた状態ではない。かといって車道は車が行き交い危険極まりないので、私たちはその中間あたり、つまり車道の端を選んで走った。それもひたすら右車線を走った。(こういう場合は安全のため、あえて右車線を走るものだそうです。)とは言え、雪が無いわけではなく、ザラメ状のみぞれ雪は常に足にまとわりついた。
余談だが、今回私はこんな悪天候にも関わらず、私はなぜか割と新しいマラソンシューズを持ってきており、最初のうちは雪や泥が跳ねて靴が汚れることを躊躇していた。しかしそんな感覚はものの10分で消え去った。右車線を走っているので当然常に対向車が向かってくる。それはもうすさまじいくらいの水しぶきや雪しぶきを浴びまくった。私はまだしも、常に私の前を行く植田先生は尚更だったと思う。
とにかく私たちは走った。

 青梅マラソンの名に相応しい青梅駅は4km地点あたり。歩道のガードレールに横長の懸垂幕が見える。
『マイペースで走ろう、青梅マラソン』
天候次第では約2万人が見たであろうその垂れ幕を横目に見ながら私たちは青梅の街並みをあとにした。
「石橋君、そろそろ5kmだよ。」
植田先生がGPSで途中経過を教えてくれる。自分の時計を見ると32分。少しペースが遅い。先生もそれを察してか少しペースを上げられた。
相変わらず雪は降り続いていた。車は次から次へとやってきた。10km地点あたりまでは正直、対向車との戦いだった。

しかし時には癒された出来事にも遭遇できた。私たちと同じく、雪道を駆け抜けるランナーとすれ違ったのだ。
こんな場所ですれ違うくらい(彼は既に復路)だから相当前にスタートしたに違いない。
おそらくこの人たちも「せっかくここまで来たんだから、そりゃ誰がなんと言おうと走るでしょ?」とばかりに、当然のように自主参加している人たちなんだ。嬉しくなった。すれ違いざまには自然にお互いに手が上がる。なんだかものすごく気持ち良い。
またもや余談だが、そんな感じで結果的にゴールまでに実に約20名のランナー達たちとすれ違った。
他にも同じ感覚の人達がいるもんだ。2万人中の20人。これを私は勝手に「1000分の1の奇跡。」と呼んでいる。

 10kmを過ぎた頃からいかにも「山道」という景色に変わり、車も明らかに減ってきた。逆に雪は溶けずに多いままの状態だったが、比較的安心して走れるようになった。
しかし油断は禁物。とあるカーブでは車がゆっくりとスリップしながら向かってくる場面に出くわした。私達は慌ててよけた。幸い事なきを得たが、私は右車線を走る意味がこの時改めてわかった気がした。
ふと左を見るとガードレールの向こうにはパウダースノーをかぶった風合いの山々が映り、そしてその下には気温の低さのせいか、うっすら湯気に覆われた渓流が見えた。絶景だった。そこの近辺は少しペースをあげて、キロ5分前後で走っていた。

緩やかな登りが続く。グチョグチョのマラソンシューズのこともいつのまにか気にしなくなり、ひたすら濡れた路面を駆け上る私達の目に吉報が飛び込んだ。
『青梅マラソン30kmコース折り返し地点』
「おー、ついに半分来たか!」私はえらくテンションが上がった。
普通のマラソンではない、本来中止の大会なのになんとかここまで来て、そしてこの表示を見ている。体は疲れ果てていたが、気分は高揚していた。なんとか残りを走りきろう!という気合が湧いてきた。

 折り返して約5kmを過ぎたところで、今回初めてのエイドステーション(コンビニ)に立ち寄った。そこで初めて自分の体の異変に気づいた。防寒用のグローブを脱ごうとしたら指がうまく動かない。凍えそうな手でなんとかグローブを脱いで握り締めるとビシャビシャと冷たい水が滴り落ちた。これはマズイ。
そんな焦りはあったが、あまり悠長にもしていられない。植田先生はオニギリとエネルギーゼリーを、私はオニギリのみを頬張り、水分を補給し、お手洗いを済ませ、早々に有料エイドステーションに別れを告げた。

 たった5分程度の休憩だったはず。だのに体がとてつもなく冷えていた。
その時初めて気づいた。こんなに全身水浸しだったとは・・・。とにかく寒くて休憩直後は震えながら走っていた。
加えて、さっき絞ったグローブに覆われた指先がだんだん痛くなってきた。感覚もない。
走りながらやっとの思いでグローブを取ると指の先端がやや紫色に染まっていた。よくわからないが、なんだか怖くなった。この極寒の中、素手で走るのも恐怖だったが、私は本能でグローブをポケットにしまった。
結果としてこれが功を奏した。素手になった両手を肩をすぼめるようにして長袖の内側にしまい込み、親指をぎゅっと握り締めてり続けるうちに徐々に手の感覚が戻ってきた。
こうなったらもう安心。いつの間にか全身を襲う悪寒も私の執念に打ち消されていた。

 25km地点前後、あと5km。二時間ほど前に別れを告げた街並みと再会した。あと一息だ。ついさっき見たばかりの風景なはずだがどこか違う景色に見えた。
相変わらず雪はしんしんと降りつづけていたが、もう寒さは感じなかった。私達は間もなく目にするであろうゴールを目指して最後のスパートをかけた。
『アト1km』
おそらく撤去し忘れたのだろう。路上の小さな表示板が見えた。よし、もう少しだ!
そしてついに体育館が見えた。スタートする時に設置されていたゴールアーチはもう無かった。
けれど植田先生と私は間違いなくフィニッシュラインを越えた。無事、ゴールイン!
植田先生が時計を見る。
「2時間35分だよ、石橋君!よく頑張ったね。」
十分満足できる記録だった。しかし、それもこれも終始植田先生が先頭に立って見事にペースを刻んで下さったからこそ。本当にありがとうございました。

 体育館はもう完全に撤収されていた。私達のTシャツやゼッケンも無くなってしまっていた。
私はせっかくの記念品をあきらめきれず、そこら中の係員の方々に聞いてみたが無駄な抵抗のようだった。
代わりに植田先生が係員の方から「大会運営委員用キャップ」と「特製ポスター」をもらって下さった。
勿論、非売品。一生の記念だ。

私達は冷え切った体を温めるべく、スタート前に荷物を預けた天然温泉スーパー銭湯に向かった。このあとの予定まで時間が迫っていたこともあり、約30分足らずの入浴だったが本当に生き返った。
湯船につかりながら考えた。それ程広くはないこの温泉。もし予定通りマラソンが開催され、完走した人たちが順次この温泉に舞い込んできたら・・・おそらく数時間待ちは必至だったと思う。現にこの時点でもほぼ満員状態(ロッカー残りわずか)だった。ラッキーだ!
加えてこの後の電車の乗り継ぎもダイヤの乱れに逆に救われながらとても効率よく事が運んだ。立川から新宿までもちょうど特急列車に乗ることができ、実に快適に移動ができた。
そんなささやかな幸運を随所に感じながら、最後に私達は都内某所の天ぷら屋に赴き、祝杯をあげた。

 その後、山口に帰宅するべく空港に向かった植田先生とお別れし、帰宅するとニュースでは「東京で記録的大雪。青梅マラソンも中止」という報道とともに、一部ランナーの映像が映されていた。
「楽しみにしていたのに走れなくてとても残念ですー。」
おそらく普通であれば私もこの人と同じだっただろう。しかし今日は違った。
植田先生の掛け声とともに(非公式ながら)青梅マラソンのスタートラインに立ち、そして無事走りきることができて本当に良かったと心から思っています。
「思いがけない逆境に遭遇したとき、逃げずに立ち向かってみること。まずはとにかくやってみること。」
そんな大切な教訓を今回学んだ気がした。大げさでなく、これからの人生の糧となる貴重な経験だった。

 最後に、一言。
青梅のコースはアップダウンが多いと聞いていましたが・・・正直「いぶすきコース」の比じゃありませんでした。
改めて「自分は菜の花マラソンを完走している!」という経験に自信を深め、これからもいろんなレースにチャレンジしていきたい、と強く感じたことを皆様に報告し、締めの言葉に代えさせていただきます。

以上