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私のマラソン記 第9回北丹沢12時間山岳耐久レース体験談

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第9回北丹沢12時間山岳耐久レース体験談

はじめに
 北丹沢12時間山岳耐久レースに昨年、今年と2年続けて参加したのでその報告をします。
 丹沢はご承知の方もおられると思いますが、少し説明します。
丹沢山地(たんざわさんち)は神奈川県北西部に広がる山地です。東西約40キロメートル、南北約20キロメートルに及び、神奈川県の面積の約6分の1を占めます。最高峰の蛭ヶ岳でも標高1,673mと標高では中級程度ですが、無数の尾根と谷沢が成す地形の複雑さが特徴です。また、登山口からの標高差が大きい山が多く、地形が非常に複雑なこと、東京都心部から行きやすく、登山者が多いことなどから、遭難者が多いことでも知られます。
一般的に中央部の蛭ヶ岳を境に、交通アクセス便利で開けている東丹沢、山深く交通アクセスのやや不便な西丹沢の2つに区分されます。また、塔ノ岳以南を表丹沢や南丹沢、丹沢主稜以北を北丹沢や裏丹沢と呼ぶこともあります。
この北丹沢を走る大会があることをある雑誌で知りました。早速インターネットでこの大会の参加者の体験談を調べてみました。そこにはびっくりするような内容が記されていました。私の印象に残ったものをピックアップして以下に記します(ご本人の了解は得ておりません。高低図も示します)。



・ 追い越しもなかなか出来ない山道で、山に登っては下ってを3回ほど繰り返し、スタート地点の海抜400mから単純に積算すると高低差2,500mの山を登り下りしたことになります。
・ 大きな峠は三つ。そのうち二つが1400m以上まで駆け上がり最大標高差1100m。平均斜度15%、最大斜度45%。随所でこれが出現する。下りも同じだ。壁が崖に変わるだけ。足場はぬかるみすべるすべる。落石も多々。道無きガレ場多数。ロープ伝い多数。完全に山だ。
・ 山岳レースとはいえ、終始走りとおしてゴールできるのだろうと甘く見ていました。ところが、実は、そのほとんどが正に登山。這うようにして登らなければならないような急斜面も多くありました。しかも、砂利あり、岩あり、泥あり、川あり、何でもあり。
・ 北丹沢12時間耐久レースは43キロという距離もさることながら、降り続く雨と視界の悪い霧、ぬかるんだ山道(すべったり、手をつかって登ったりでドロドロ)、1000メートル近い標高差の峠を3回登り返す、関門通過時間が厳しいなどいままでにないアドベンチャーレースでした。
・ ロードを走りすぐに山道に入り、人ひとりが限界のような登山道で渋滞が発生。抜かす事もできないので集団が一列になって黙々と登る姿は異様でこれからどうなってしまうのだろうと胸騒ぎがした。
・ コースが山道で人一人がやっと通れる幅しかなく、前がつかえ動けない。
・ 一列縦隊で後続人のプレッシャーと、前を行く人との間隔を開けない心使いが無理を生む。途中休む場所も無い。途中でうずくまる人多数有り。無理も無い。一つの峠越えに連続1時間以上掛かるのだ。
・ 「途中の先頭選手」から「コースが見当たらない!」っと叫び声が!!一瞬何が起きたか分からなかったが、私の前方の20人位がコースを間違えて下ってしまいその場で集団遭難状態に陥ってしまった。一列になって遭難している姿は異常で、後ろからも続々と選手が来て身動きがとれなくなった。
・ しばらくすると後続の選手が正しい道を発見し、その後ろの方の選手から正しいコースに復帰するしかないので、順位がまるで逆になるというスーパー逆転劇があった。
・ 山登りは予想以上に過酷で、あきらめたくなる時が何度もありました。
・ 一つ目の山越え鐘撞山(1314m)は、時折手を使わないといけない程の斜度があり、それが延々と6k続き、地獄のような責め苦です。
・ なんども、青空がのぞき、ここが頂上か!?と思うも、上がってみると、さらに登りが延びているという事が何度も続き、精神的にくじけそうになりました。あたりには、苦しみのあまり、木にすがりつき立ち止まる人、両足がつってしまいのたうち回る人、サウナのような湿度の中、まるで、地獄の山を登っているのかと、思うほどでした。
・ 登りが尋常では無い。
・ 登山は登りは速く歩くだけで、心拍数が急上昇。下りは走るので足腰に負担。胃が揺するので胃の弱い人は気持ち悪くなる。
・ とにかく前の選手についていく事だけに全力を注がないと後ろの選手にも迷惑がかかるし、落石させると危険なのでコース取りも慎重に行わなければならない。少しでも遅れれば「渋滞の先頭」になってしまう。小休止したくても休む場所もない。「喰らいつく」まさにそんな感じだった。
・ 途中のガレバ区間では落石なども頻発。もろくなった地面をすべったり、鎖場のロープに頼ったり、とにかくワイルドな区間です。
・ 上に目をやると推定6mは越すであろうコンクリートの垂直の壁を選手がしがみつきながら登っている。黄色いコの字型の金具に手と足を絡ませて必死に登った。崖を踏み外せば転落の危険があるような極悪路で、本当のロードが見えた時、縄を伝って崖を滑り降りるような格好を取らざるを得なかった。顔は泥の迷彩色と化していた。
・ トレイルラン用のランニング靴は、大雨でぬかるんだ山道には通用しなかった。いくつかの場所で、四つん這いになって這い上がった。
・ 15kmからの下りは熊笹が腰の高さにまで生い茂る獣道をジグザグに下った。とても滑るので引田天功も真っ青なほど瞬間移動炸裂これぞ本場のイリュージョン(爆)。靴の中は悪路の泥水を吸ってドロドロ。
・ ちょっと踏み外せば奈落のそこに落ちてしまうような区間も出現。ちょっと足の置き位置を誤るだけで簡単に捻挫しかねない。
○21 下りも次から次へと人が降りてくる中を自分も同じスピードでくだらないといけない
○22 下りも強烈だ。足場が悪かったり、傾斜が急なため、一歩一歩を踏ん張る必要性がある。大腿四頭筋(太もも前面の膝上内側部~太もも前面)が酷使され時間の経過と共に悲鳴をあげてくる。下りが長い。
○23 「何が起こるか分からない。」それが自然を相手にするアドベンチャーレースの醍醐味
○24 登り終えたら18.4kmの神ノ川ヒュッテ(580m)まで急坂を股に負担がかかるブレーキをかけながら駆け下ります。2年前の山岳耐久レースの下りで転んで手を7針縫った経験があるので手袋をはめての慎重な下山です。
○25 足の爪は5枚死んでいて 後日すべて剥がれ落ちた。
○26 強制リタイアが4割近くもあったとは驚きですね。コース上の案内もわかりにくくて他の人たちと確認しあって進む箇所も多々ありました。
○27 第一関門で160名、第二関門で100名もの脱落者を出す
○28 ゼッケンを剥がされ収容車に乗せられ会場に帰る為のバスが来る場所に着くと信じられない光景が広がっていた。私が最下位くらいに思っていたら各関門で足切りされた選手の長蛇の列が出来ていた。早速並んでみたが後ろにも続々とリタイアさせられた選手が並び、主催者側もこんなにリタイアを出すと予期していなかったのかバスの数が全然足らない状態だった。
○29 1時間以上寒さに震えながら待っていた。バスはここと会場を何往復もしてやっと私にも乗れる順番が来た。
○30 ルールは2リットル以上の水を持っていること。
○31 水の補給は、スタート前に1リットル、レース中に3リットル採ったことになります。
○32 給水は持参3000ml+補給2000mlの計5000mlは必要。糖質はパワージェル等を150kcal/hrペースで確保すれば完璧だろう。
○33 エイドは2箇所で、3時間~4時間スパン。水はたっぷりだが、バナナ1本のみ。この種のレースは、給水とエネルギー補給は自己責任だ。その意味で途中で撃沈している人は経験不足の若い人が多い。筋力面もさることながら、給水計画、糖質補給計画を甘く見ている。
○34 糖質補給。炭水化物を取らないと山は登れない。筋肉のエネルギー代謝は糖質中心になる。給水不足と糖質不足がダブルパンチで襲った結果、登りのフラフラ感がより助長されたのだろうと解釈。

 これらを読むうちにだんだんと自分が参加しているような感覚に陥り、この大会に出場したいと思うようになりました。コースをイメージして、トレーニングすることにしました。日本眼科医会の常任理事としての仕事に加えて、学会活動やその他の雑用で、以前のように運動する時間はとれなくなりましたが、なるべく坂道を走るようにしました。診療後に食事をとって、その他の仕事を終えるのが深夜の0時過ぎでしたから、それから2~3・の水を入れたバックを背負って1時間ぐらい走りました。大会で必要とされる荷物も上記の体験談を参考に準備しました。直前はこれらの荷物を背負って坂道を登ったり降りたりして、約5kgの重みにも慣れるようにしました。
山道は舗装された道路とはまったくといっていいほど違うので、2時間ぐらい時間があるときは近くの竜王山(標高614m)に行きました。竜王山は階段が整備されていて坂道が少ないのですが、それでも石がゴロゴロしています。上りの急な階段が続くところでは、見上げるとため息が出ます。坂道は走れますが、階段はリズムよく早歩きで登ります。下りは坂道だけでなく階段も駆け降ります。坂の勾配は変化に富み、階段の段差も違っているので、同じ歩幅で進めません。草に覆われた坂道は滑りやすく、石を踏むと足首をくじきそうになることもたびたびです。どこに足を降ろしていいかを確認しながら進みます。道が急に曲がったりするため平衡感覚も養われます。目を含めた体全体を使って走るという意味においては、アスファルトの上とは大きな違いです。
この大会に出場するにあたって、竜王山を数回登り、山道でのバランスのとり方などを自分なりにマスターし、不安と期待を胸に抱いて大会に臨みました。

さて、昨年のこの大会は大雨で大変だったのですが、この日の状況を参加者がインターネットで体験談を記しています。私の印象に残ったものをピックアップして以下に記します(ご本人の了解は得ていません)。

・ こんなにもきついレースは最近体験したことがない。4日後の今でも階段降りるのが辛いし普通に歩くことも辛い。100・のウルトラを完走した時も、宮古島のトライアスロンを完走した時もこれほどの疲労感はなかった。それだけ「北丹沢」のレースは大変だったと言える。
・ これでもかどうだ参ったかと続く斜度のきつい登山道、標高差1140mこれが3山も続く、上を見上げれば遥か高く遠いところまで下を見ればこれまた延々とランナーの行列、「ゴーォッ」強い風と共に吹き付ける大粒の雨、登りは濁流・下りは泥んこで滑る滑る、とかなり厳しいコンディションの中『第8回北丹沢12時間山岳耐久レース43.86km』は、7/2(日)開催されました。地盤軟弱ぐちゃぐちゃドロイルランになるとは・・・・・・。 それからは時間との勝負、泥んこで滑る転ぶつんのめる腕・脚・顔や頭まで泥まみれで走りに走りました。
・ レースと言っても、ずっと走っているわけではない。決して走り続けられるコースではないのだ。走れるのは、下りの山道と、繋ぎの舗装道路、整備された林道の部分。上りは、ひたすら歩くのだ。一歩一歩、太ももを上げて、踏みしめて、そしてアキレス腱が痛いほど蹴伸びして、逆の足を前に出す。階段を、ずっと一段飛ばしで上る感じだ。ふくらはぎがきつい。ここを鍛えておく必要があると、改めて思った。どうしてもきついときは、上げた太ももの膝あたりに手をついて体重をかけるように押して体を上に上げる。木段部分は、この方法で上り、足への負担を軽くした。ゆるやかな上りは走れたりもするが、息をつく間程度で、それでも、息を整えながら、小走りに走る。
ガレ場では、落石も起きたりして、誰かが大声で「落石だ!」と叫んでいたりもして、ちょっとスリリングな経験もした。
山道に入るのに、最初の下りで驚いた。走るコースは、そのまま雨水が流れるコースとなって、濁流状態となっていたのだ。おまけに足を踏ん張ると滑ってしまう。
足元はどろどろのぐしゃぐしゃで、滑ってなかなか上れないところもあった。そのうちに、雨足はどんどん、強くなり、いつしか、台風のような(ちょっと大袈裟?)暴風雨になっていた。周りの木々が轟々と音をたてて揺れていた。それでも、行くしかないと前に進んだ。また、あるところでは、道を譲って先を行った女性が、両手両足を使って這うように慎重に進んで行くところがあって、その横が崖のようになっていて、私は、ここで滑って落ちたらどうなるんだろうと、躊躇してしまった。
・ 横からの突風に飛ばされないように身構え、泥々に流れる登山道を登り、多分堕ちたら帰ってこれないようガレ場を横に見ながら登って行きます。時折、雷様のおまけ付きです。
・ 泥々のコースを走り下りる。ぬかるんだ下りの手前で躊躇しているランナーに声を掛けて悪路に構わず飛び込み、接地した靴はヌルヌルと滑るが、スケートかスキーの用に滑って降りて行いきました。
・ 少嵐のような雨風で粘土質の土がどろどろツルツル状態。コース上が上から流れてくる雨水で川のような状態に、そして恐れていたシューズの機能違いがここで露呈、少しでも着地位置を踏み違えるとツルっと体が宙を舞い転倒、いつの間にかシャツもロングタイツも泥だらけ。少し大げさですが、『生きてゴールできて良かったー』って感じでした。

私がこの大会の様子を述べなくても、当日の大変さが伝わったと思います。山中の道はほとんど階段がないため、雨を含んだ土は滑ります。勾配のきつい坂道はアイスバーンのようで、両手両足を使わないと前に進めませんでした。とくに下り坂は何度もこけそうになって、どうなることかと思いました。でも、私は決してマゾヒストではないのですが、過酷な状況の方がやる気が出るようで、こんなところを通るのかという驚きが、むしろ楽しみに変わりました。
初めての参加だったので、完走を目指して無理をせず、走り(歩き)ました。余力があったので最後の8kmはラストスパートをして、気分良くゴールすることができました(タイム:9時間27分14秒)。
当日の写真があります(添付)。専門のカメラマンが撮影したものです。山中ではなく、平坦な砂利道を走っている写真です。このような場所じゃないとカメラマンも待機できないと思います。ちょうど雨が一時止んだときのものですが、シューズは泥だらけで、シャツにつけたゼッケンのナンバーもこすれてインクがとれています。私は両手にスティックを持っていたのでこれらを上手く使って坂道をクリアしましたが、スティックを持たない選手は大変だったと思います。
この大会に参加して完走できたことは、私にとって大きな自信に繋がりました。「来年も参加しよう。できればもっといいタイムが出せるようにトレーニングに励もう。」と心に誓いました。
ところが、この1年間は昨年よりもっと忙しくなりました。以前は週2~3回は練習する時間があったのが、今では週に1回もできなくなりました。5月のゴールデンウィークに静岡から新潟まで走る大会(約300km)に出場して、約257kmの地点でリタイアしましたが、その後の約2ヶ月間に練習したのは数回だけでした。竜王山には1回行きましたが、重たいバッグを背負って坂道を走ることは1回もしませんでした。会議、講演などで5月はゴールデンウィーク後に東京に5回、6月も東京に3回、大阪に1回、愛媛に1回行きました。土曜、日曜は毎週出張、木曜日も2週おきに出張でした。木曜日の午前の診療が終わってすぐに東京や大阪に向かって、仕事が終わりしだい下関に戻ります。東京であれば羽田空港21時45分発のスターフライヤーに乗ると北九州空港に23時25分に着きます。そこからタクシーで帰ると0時30分頃には新下関に戻れます。大阪の場合は最終の新幹線にも間に合わないので、1泊して新大阪6時00分発ののぞみに乗り、新山口からこだまに乗り換えると新下関に8時40分に着くので、午前9時からの診療に間に合います。金曜日は通常の診療をして、土曜日は診療が終わりしだい再び東京などに向かうという生活です。出張しない日は会議、講演の準備や、期日の迫った依頼原稿の執筆と、机に向かうことばかりです。出張以外は、診療所から一歩も外に出ないという日も続きました。
こうした私の状況を知る者は、今年の参加はやめたらいいのではと言ってくれるのですが、昨年の大会終了後に心に誓ったことをやり遂げたいという思いから、出場することにしました。タイムは縮められなくても、完走するという決意をもって大会に臨みました。
土曜日の診療が終わって、新幹線で博多まで行き、福岡空港から羽田空港に行き、そこから大会会場の神奈川県相模原市の青根キャンプ場に向かいました。宿泊はバンガローですが、キャンプ場に着いたのは深夜2時前です。事務所でバンガローの鍵をもらうときに、バンガローの大体の位置を教えていただいたのですが、たくさんバンガローがあって、どれが私が泊まるバンガローなのかわかりません。外灯がなく、懐中電燈を持っていなかったので、頼りになるのは携帯電話の液晶の明かりだけです。バンガローの番号を一つ一つ確認しながら、20~30分かかってやっと見つけました。
バンガローは3帖程度の板張りの上にうすい絨毯が敷いてあるだけです。枕も毛布もありませんでした。事前に荷物の細かな確認をせずに、あった方がいいと考えられる物は持ってきたので、荷物の整理をしました。水2・、食料、携帯電話、貴重品、その他の備品をバッグに詰めました。それを手にして、「こんなに重くて大丈夫だろうか?(5kgをはるかに超えていると感じる)」、少し持っていく物を減らそうかと考えましたが、もし途中でそれがなかったら困ると思うと、少しくらい重たくても我慢しようと決心しました。
荷物の準備が終わって寝ようとしたのが2時半頃だったと思いますが、興奮していたためか、あるいは明日(今日)は早起きだから少しでも睡眠を取らなければならないという焦りがあるためか、体は休息を求めていても寝付かれません。それに堅い床の上に枕なしではリラックスできません。衣類を丸めて枕にして、羊が1匹、2匹、3匹...と数えるうちに、やっとウトウトするようになりました(おそらく3時頃)。
ところが、今度は体が冷えて眠れません。雨対策にと思って持参していたカッパを着ました。しばらくウトウトしていると周囲で人の声がするのに気づきました。大会参加者の声です。太陽の光が射しています。時計を見ると5時少し前です。皆さんすでにスタートの準備を始めています。私はまだ受付を済ませていないので、早速大会本部に向かいました。選手登録を済ませてバンガローに戻り、シャツにゼッケンを付けたり、足にワセリンを塗ったり、着替えたりなどの準備をしました。不要な荷物をまとめながら、持参した食べ物を口に入れました。トイレは長い行列ができていて、用を足すにも時間がかかりました。6時過ぎに不要な荷物を預かり所に持って行きましたが、ここでも長い行列ができていました。
荷物を預け終えた後に、レースで背負うバッグを取りにバンガローに戻りましたが、ここでバンガローの鍵がないことに気付きました。どこかに落としてしまったのです。自分が歩いてきたところをゆっくり見渡していると、雑草の中に落ちていた鍵を見つけました。急いでバンガローに戻り、バッグを背負って事務所に鍵を返却したのは、何とスタートの3分前でした。
スタート地点にはすでに長い長い列が出来ています。「すみません、すみません」と言って最後尾ではなく数列前の方に並びました。今年は昨年より参加者数が増えて、1,700人を超えたそうです。
7時に号砲が鳴りましたが、私がスタートラインを越えたのは何分も経ってからで、前の方はかなり先を走っていて、先頭はまったく見えませんでした。
スタートしてしばらくはアスファルトの上り坂です。1年ぶりに背負う5kg以上の荷物は思っていた以上に重く感じられました。人が多いのもあり、抜かすのはあきらめて、前半はゆっくり走ることにしました(これが大誤算でした)。
1kmぐらい進むと急な山道に入ります。山道では1列でしか進むことができません。当然のことながら、この山道入口では大渋滞になります。ここで30分以上待たされました。昨年はスタート時に集団の中盤やや後方にいましたが、こんなに待たなかったと思います。今年は最後尾に近い方だし、参加者の数も増えたから仕方がないのだろうと、この時点では気楽に考えていました。
山道は前日の雨で濡れているため滑りますが、昨年ほどではありません。山道は一人が歩く程度の幅しかないので、追い越しができません。遅い人がいるとその後ろは詰まってしまいます。遅い人が道を譲ってくれるのを待つしかありません。とくに勾配の急な上り坂ではゆっくりでしか進めません。こうした場所では大渋滞になります。山中で数十分も立ち止まると体も冷えてきますし、タイムが悪くなるので焦ってきます。昨年に比べて今年は追い越しをする選手が出てきます。下り坂はすべってこけそうになるため、慎重に降りますが、向こう見ずの人は、前を行く人に「すみません」と声をかけてよけてもらうのです。暴走車がパッシングをして前の車を煽るのとは違います。お互いにスポーツマンとして、山を愛する者としての礼を忘れてはいません。暴走者が私を追い越していくのを許していましたが、このままでは第一関門の制限時間には間に合いそうもありません。私もこうした暴走者についていくことにしましたが、しばらくすると左足首をくじいてしまいました。山でのトレーニングを十分にしなかった者が、しかもスタート前にストレッチもしなかったのですから、当然といえる結果です。それでも痛みをこらえて走りましたが、ペースダウンせざるを得ませんでした。左足をかばって走っているうちに、だんだんと痛みを感じなくなってきたので、再びペースを上げて暴走者についていきます。しかしながら、上り坂は相変わらず渋滞しており、暴走することはできません。
周囲の人たちが時計を見て、「第一関門の制限時間に間に合わない!」と口にし始めました。後方からは「急がないと第一関門で足きりされますよ。急ぎましょう。」と大きな声が聞こえますが、集団のペースは一向に上がりません。
山頂を越えて下り坂になると、イライラしているのは私だけではないようで、ショートカットをする選手が出てきました。坂道は蛇行して下っているのですが、場所によっては障害物がなく、直線で降りられそうなところがあるのです。私の前を走っていた選手の姿が消えます。すると今度は横から他の選手が急に目の前に現れるのです。下手をするとぶつかってしまうと思うでしょうが、そうはならないのです。なぜかというと、ショートカットをする選手の多くは「オーッ、オーッ」とか「アーッ、アーッ」と叫びながら降りてくるので分かるのです。暴走車がクラクションを鳴らしながら運転しているようなものです。はじめはこれらの暴走者の走りを感心して見ていました。道ではないところを突き進むのですから、危険がいっぱいです。すべったりこけたりするのは覚悟の上でしょう。左足首を痛めた私にはできないなぁと思っていましたが、数人が続いてショートカットしているのを見ると、だんだんその気になってきます。第一関門で足きりされるのはまっぴらごめんですから、私もショートカットをすることにしました。ズルズル(草の上)、ゴツゴツ(石の上)で足のブレーキがほとんど効きません。左足首になるべく負担がかからないようにと体全体でバランスを取りながら進みます。だんだんと慣れてきて、快調に飛ばしていたときです。気を抜いた途端にズルッとすべり、それをこらえようとした瞬間、左足のふくらはぎが攣りました。その場で立ち止まりました。一歩も動けない状態ですが、他の出場者の邪魔にならないように足を引きずって脇によけました。痛くて膝を曲げることもできません。もうダメかもしれないと思いました。なんとかバッグを下におろして、インドメタシンのスプレーを取り出して、ふくらはぎにかけました。ストレッチをしばらくすると、痛みが和らいできたので、ゆっくり歩くことにしました。この間にショートカットをして追い抜いた選手から、「大丈夫ですか?」というやさしい言葉をかけられ、「ありがとうございます」と返事をするものの、ばつが悪く、今後はこのようなショートカットはやめようと反省しました。ストレッチをしながら歩いているうちに痛みが和らいできたので、再び走り始めました。
その後足の状態を確認しつつペースを上げて、第一関門まで精一杯がんばりました。しかしながら、制限時間を数分過ぎていたので、大会関係者からはここからバスに乗ってゴール地点に向かうように指示されました。ショックでした、しばらく呆然としていましたが、せっかく山口から来たのでなんとしてもコースを走りたいと思い、「大会参加者ではなくプライベートとしてこのコースを走りたい」と申し出て、了解を得ました。
手続きを済ませ、ゼッケンを外して、コースに戻りました。当然のことながら最後尾からの追跡です。足きりされた悔しさから、足の痛みはどこかに飛んでいっています。目の前には選手は誰もいないので、自分のペースで進めます。しばらくすると選手たちに出会いました。第一関門をかろうじてクリアしたのだと思います。疲れているようでペースダウンしている選手や、座って休んでいる選手もいました。こうした選手たちにがんばってくださいと声をかけながら進みました。
私はもう選手ではないのですが、第2関門には制限時間内に着きたいと思い、ペースを上げました。この頃になると選手も集団ではなかったので抜くのも容易です。ところが、オーバーペースが祟ったのでしょう。下りから急な上りになると両方の大腿四頭筋に痛みを感じるようになりました。もう攣るのはごめんです。痛みがひどくなる前に立ち止まってインドメタシンのスプレーをかけて、ストレッチをして進みます。
第2関門には、制限時間をわずかに過ぎて着きました。大会関係者からは「これ以上進んではいけない」という指示を受けましたが、事情を話したところ、「大会としては責任を持てないがそれでもいいのであれば仕方がない」と言われました。
第2関門には制限時間をぎりぎりクリアした選手が3名休憩していましたが、彼らがちょうどコース上に戻ろうとしていたところだったので、私もついて行くことにしました。第2関門を過ぎれば途中の制限時間はありません。あとはゴールするのみです(ゴールの制限時間は12時間です)。目の前の選手に遅れなければ万が一のことがあっても助けてもらえるという安心もあってか、急に疲労を感じるようになりました。第2関門でまったく休憩せずに通過した私と彼らの足の運びは明らかに違っています。両足の筋肉が張って、足が上がりません。それでも無理をしていると、突然両足のふくらはぎと大腿四頭筋が攣ってしまいました。急いでインドメタシンのスプレーをかけました。痛みで全く足が動かせません。「リタイアした方がいいのでは...?!」と頭の中に不安がよぎりました。しばらくその場に立ちすくんで数分経過しました。状態を確認するように足をわずかに動かします。痛みが少し和らいできました。歩幅を少しずつ広げてストレッチをします。「足は動きそうだ」。屈伸運動をします。「歩けそうだ」。ゆっくり歩き始めましたが、まだ痛みはあります。「コースはこれから最後の山越え(1433m)だが、足はもつだろうか?」「なんとかなる」など自問自答を繰り返しながら、歩みを進めました。「ここまで来てリタイアしたくない」とにかく前に進もうと決心すると、痛みがかなり和らいできました。インドメタシンが効いてきたのかもしれません。しだいに歩けるようになってきました。しかしながら、ペースを上げることができません。しかも、どういうわけかおなかが空いてきました。明らかにエネルギー切れです。これまで必要に応じて歩きながらパワージェルなどを口にしていましたが、足の不調と制限時間に気を取られて、エネルギーの補給が遅れていました。急いであめ玉を口に入れましたが、全然ダメです。バッグの中に入っていたヤマザキのアンパン5個を次々に口にほうりこみました。すると、すぐに空腹感はなくなり、体も徐々に動くようになりました。これ以上足が痛くなるのはごめんだと思い、禁断の消炎鎮痛剤ボルタレンも服用しました。だんだんとペースを上げていきました。私の前を行く3名の選手は全く見えなくなっていましたが、やっと視界に捉えることができるようになりました。彼らの前方にはその他の選手たちもいます。目標が見えると元気も湧いてきます。「追いつき、追い越すぞ」と自分自身を奮い立たせました。そして、ついに彼らを捕らえました。その先にはまた選手が...。その選手も捕らえます。道が少し広くなった所では、座りこんでいる選手や横になっている選手もいます。彼らに声をかけて前に進みます。
張ってあるロープを手にしなければ渡れない橋や崖も無事に通過しました。下りから急な上りに変わるところ、あるいは上りから急な下りに変わるところでは、なるべく立ち止まってストレッチをして前に進むようにしましたが、それでも何度も足が攣りそうになりました。その度にインドメタシンのスプレーをして乗り越えました。
結局、ゴールしたのは午後5時2分。制限時間は12時間ですが、ほぼ10時間で踏破したことになります。記録はなしですが、リタイアしなくてよかったと心から思いました(どういうわけか、大会事務局から完走証が送られてきました。タイムは10時間00分43秒。大会関係者の粋な計らいに感激です)。
帰りの飛行機の時間の関係(羽田空港午後9時45分発)から、6時過ぎには会場を離れなければなりません。体は汗だらけ、足は泥だらけでさっぱりしたい。会場には入浴設備がありますが、人が並んでいます。入浴をあきらめて預けていた荷物を取りに行って、洗面所の水道水で頭と顔を洗い、濡らしたタオルで体を拭きました。そして、その場で着替えて送迎バスに乗り込みました。
何度もすべってこけそうになりましたが、結局こけることはなく、怪我もしませんでした。バスの中で足の指を確認しました。右足の親指の爪が少し剥がれ、中指の爪は内出血で紫色に変色しました。左足をかばった右足に負担が及んだのでしょう。
藤野駅に着いて荷物を宅急便で送ろうと考え店を探しますが、日曜日は取り扱う店がなく重たい荷物を持って帰りました。帰りは幸いなことにJR、モノレールともに座ることが出来ました。
これは余談ですが、行きは大変でした。京急で羽田空港から品川駅まで、山手線で新宿駅まで行きました。京王線は寿司詰め状態で、「どうしてこんな時間帯で...」と思っていたら、車両の故障か何かでダイヤが遅れていたらしいのです。高尾駅からJRに乗り換えて藤野駅に向かい、そこからタクシーで会場の青根キャンプ場に向かう予定でしたが、藤野駅にはタクシーが常駐していないとのことで、手前の高尾駅からタクシーに乗りました。ところが、高尾駅では雨の影響でタクシーを待つ人が多く、30分近く待つ羽目になりました。タクシー代は1万円を超えました。「そんなに高いのー!」と驚きました。運転手に交渉して1万円を払いました。
とにかく、今回は人の多さにへきへきしました。山口などの地方は過疎化が進んでいるのに、都会は何という人の多さか...明らかに格差が生じています。
話は変わって、京王線の車中で若い女性たちの話し声が聞こえてきます。「私、背が低いから、背の高い人のちょうど脇のところに私の鼻がいくの。満員電車の中で脇の臭い人がいたら最悪。気分が悪くなる。」と言っていたのを思い出しました。レースが終わって入浴していない私は、まさに脇だけでなく、体全体が臭いのではないかと心配しました。帰りの電車が満員でないことを願っていたので、よかったです。
浜松町のモノレールのビル内のレストランで、カツ丼とハンバーグ丼を一気にかきこみました。これだけ食べても数時間後には空腹を感じました。飛行機の中では数分寝ましたが、記憶が鮮明のうちにと思って、移動中は今回のレースを振り返って反省点と課題を箇条書きにメモしました。細かなことはここに記しませんが、一番問題なのは練習不足。そして、昨年無事にゴールできたということで、今年は安易に考えていたこと。準備不足もあります。スタートはもっと早く並んで前方の位置をキープする。睡眠不足で走るのはいつものことなので仕方ないですが、その数日前から寝だめをしておくなどです。下関に戻ったのは深夜0時30分でした。ゆっくりお風呂に入って、また食事をして、寝たのは2時前でした。
この大会の1週間前は日本眼科医会の第2回定例代議員会(コンタクトレンズの諸問題で矢面に立つ)、1週間後は日本コンタクトレンズ学会総会で、こんなに忙しい時期にこんなことをするのは無謀だと誰もが思うでしょう。「どうして走るのか?」と人からよく聞かれます。走ることによって自分自身を確認しているのかもしれません。とくにこうした過酷なレースや長い距離のレースを自分の仕事を含めた生き方に例えています。完走することができれば、体力、気力ともに現状を維持できる、あるいは新しいことにも挑戦できるという、安心と自信が得られます。物事を前向きに考え、いろいろな困難があってもそれを乗り越えることができると思えるようになります。仕事をする上ではとくにモチベーションを高く継続することが求められますが、仕事以外においても挑戦し続けるものがあった方がいいと思います。私にとってはそれが走ることのようです。
この北丹沢12時間山岳耐久レースは、自分の生き方を見つめなおすいい機会でした。