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私のマラソン記 ホノルルマラソン

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1,完走、私のマラソン記
2,完走記念品
3,ホノルルマラソンについて
4,コース案内
5,思い出の写真   


初めてのフルマラソン記
 1999年の12月のことでした。『来年は2000年、何か一生の記念に残る想い出作りをしたい!』と思いを奔らせたことが、なんとフルマラソンに挑戦!
これまで20Km以上の距離を走ったことのない私が・・・。人生を感じさせるようなフルマラソン42.195Kmは私にとって一つの魅力であり大きな目標でした。また、12月に開催されるホノルルマラソンは2000年をしめくくる絶好の機会だとも思いました。
開業医のつらいところで長期間の休暇をとることは思うほか難しく、ましてや海外旅行にはなかなかいくことが出来ません。
しかし、今回ばかりは患者さんやスタッフに悪いなあと思いながらも、思いきって代診をお願いし、家族と一緒にハワイへ向かうことにしました。
12月7日(木)の午前の診療を終えた後、福岡空港午後6時15分発の飛行機でハワイへと・・・。所要時間は約6時間で到着しましたが、現地時間は木曜日の午前6時でした。
少し時差ぼけの状態でしたが、昼食を食べてからバスでマラソンコースの下見をしました。ワイキキ・ビーチやダイヤモンド・ヘッドを走り抜けるコースはとても気持ちいいだろうなと思いましたが、本当にこんな距離を走れるだろうかという不安感も襲ってきました。
ずっと外の景色を眺めていくうちに時差の関係か睡眠不足だったので、コースの後半はバスの中でコックリコックリと居眠りをしてしまいました。
ところで、ホノルルに行くまでの約1年間のトレーニングですが、なるべく暇をみつけては走るように心がけていました。時間がとれた時は1~2時間、距離にして10~20Kmを走りました。
1~3月の頃は自宅と診療所の片道2Kmの距離を朝晩走りました。4~7月の間は学会の準備などでほとんど走る時間がとれませんでした。学会終了後の8~11月は学会で発表した内容の論文や出版社から依頼された論文の執筆に追われました。
また、全国各地での講演の依頼が多い年でもありました。とくに、マラソンの出発前の11月は、東京都2回、福岡県2回、香川県1回の講演や会議があったため、その準備などに追われてトレーニングをする時間がまったくと言っていいほどとれません。
さらに悪いことに、12月に入って風邪をひいてしまい、ぶっつけ本番で臨まなければなりませんでした。

 ーこんな状態でフルマラソン挑戦ですー

さて、マラソン当日ですが、午前3時30分にホテルに集合してバスでスタート地点へと、スタート地点のアラモアナ公園には既に相当の数の人がいて、マラソン大会というより何かのお祭りのような感じがしました。ただ着ている服が浴衣ではなくランニングウェアですが・・・ 目標4時間台のプラカードのところに並びました。本当に完走できるだろうか? 5時間を切ることができるかどうか? などと考えているうちにカウントダウンが始まり、花火が上がりました。
私のゼッケン番号は26628でしたが、3万台の数字をつけている人もいましたので、いかに多くの人が参加しているのかがわかります。
スタートの合図があって、スタートゲートの下に着くまで何分かかったでしょうか?
これまで走ったことのない42.195Kmを完走するために前半はとにかくスローぺ一スで走ることにしました。でも、あまりにも人が多いためなかなか自分のぺ一スで走ることができません。とくに給水所は人でごった返し、立ち止まらなけれぱならない状況でした。
太陽が昇るまではそう暑さを感じることもなく、快適に走ることができましたが、約20Kmを過ぎたあたりよりだんだんと体が重くなり、さらに太陽が昇って気温が上がってきたため、十分な水分の補給も必要になってきました。
25Kmを過ぎた頃、急に疲れが足を襲ってきて、ガソリンが切れた車のように走れなくなりました。
ウエストポーチの中に高カロリー食を入れていたので、立ち止まってはそれを口に入れて数100mの距離を歩きました。運良く直ぐ近くに給水所があったので、しっかり水分補給をし、ゆっくりと走り出したのですが、思うように自分のぺ一スを掴むことができません。
その様な憂鬱な状態が続いていたときです。フッとリズム良く走る若い女性が視線に飛び込んできました。何とかその女性について行こうとしているうちに徐々に自分のぺ一スを取り戻すことができました。
そして、35Kmを過ぎてからは自分でも信じられないようなハイペースで走ることができ、前を行くランナーをごぼう抜きでゴールまでつっ走ることができました。タイムは5時間7分でした。ゴールには妻と娘たちが待っていました。
目標の5時間を切ることはできませんでしたが、自分では完走できたという満足感で一杯です。
休憩所で少し休んだ後、ワイキキのビーチで2時間程娘たちと遊び、その後2時間以上ショッピングを楽しみました。
フルマラソンを走った後にこんなに体力が残っているとは自分でも信じられません。今度はトライアスロンにでも挑戦しようかと馬鹿げたことを考えています。
でも、もし来年も時間がとれるようであれば、またホノルルマラソンに挑戦したいと思います。今度はもっとハイペースで走り、4時間を切りたいと思います。そのためにはもう少しトレーニングをしなければいけないのですが、今年も十分な時間がとれそうにありません。でも何とか・・・。   (喜一記)


2,完走記念品
【 完走者のみに贈られる記念品 】


FINISHER記念Tシャツ

FINISHER記念メダル


3,ホノルルマラソンについて
7歳以上の、初心者ランナーから世界的トップランナーまでが一同に集い壮大なシーサイド・コースを走り抜ける世界最大規模のホノルル市民マラソンは、1973年(昭和48年)から始まりました。今日でこそ数万人のランナーが参加する規模ですが、第1回では162人だったそうです。そして、日本人ランナーが初めて参加したのは第4回大会(1976年)で一人の日本人ランナーでした。 この歴史あるホノルルマラソンに私もフルマラソンに初チャレンジ。家族・スタッフの応援を背に完走できることができました。


4,コース案内

 ゴールを目指し楽しく走ったこのコース

●ホノルルマラソンゴール


●ホノルルマラソンコース概略図


 

5,思い出の写真