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私のマラソン記 第21回いぶすき菜の花マラソン

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    チームUEDA参加者談より

T.K氏
 フルマラソンのお誘いを頂いた時は、42.195km走るということは全く未知の世界でしたし、日頃の運動不足も痛感していましたので、本当に完走できるかどうか自信がありませんでした。ただし、もし完走できたら日頃味わえない充実感や感動があるのかなと思いました。
前半20kmぐらいまでは快調だったのですが、その後は寄り道(エイドステーション)だけを支えに歩き通したのが正直なところでした。途中何度も挫折したのですが、観客の応援!(子供達の応援はパワーになりました。)おいしい食べ物!(特におにぎり、梅干は最高でした。)、仲間達の励まし!(Bさん、I君、U君ありがとう!。)など走るだけではなく、様々なドラマがあり大変良い思い出になりました。
ゴールした時は疲労だけが残りましたが、打ち上げの際に皆さんと今回のマラソンを振り返ると段々と充実感や感動が沸いてきて、またチャレンジしたいなと思いました。
T.I氏
 「初めてのフルマラソンに完走(完歩?)して一週間がたち、ようやく筋肉痛が取れてまいりました。肌を刺すような冷たい雨や、力が湧き出る沿道の声援は、はっきり言ってヤミツキです。
皆様、またスタートラインでお会いしましょう!お疲れ様でした。」
N.T氏
 先日のマラソンは本当によい経験となりました。ありがとうございました。
まず、私の感想はやはり完走をただ一人できなかった、と言う悔しさでいっぱいです。
ただ、その悔しさを打ち消してくれるくらい、チーム植田のかたがたの感動を分けていただくことができました。
一人ではなく仲間で走ることの面白さを実感できました。
次の機会は私も感動を与える側になれるようがんばります。ありがとうございました。
K.T氏
 今振り返るととても楽しい一日を過ごすことができました。初のフルマラソンでしたので何も深く考えずただひたすら前に一秒でも早く進むことだけを考えての6時間40分でした。
この約7時間、自分の息と周囲のみなさんの掛け声の中だけで過ごしました。菜の花が綺麗だったかどうか思い出せません。不思議な単純な時間でしたが、自分という固体を自身で感じるとともに、自分自身との対話もすることができたように思えます。
また機会をみてチャレンジしたいと思いますが、その時は恐らく初マラソンとは違った何かを見つけることができると思います。
    帰りの車の中でのひとこま
Y氏:
 いや~、フルマラソン最後の10kmは死ぬほど辛かったけど終わってみると最高に楽しかったですよ。ところで噂通り、植田先生はアツイ人でしたねー。
M氏:
 うんー...。
Y氏:
 私なんか最後に握手してお別れの挨拶した時、「今度、フルマラソンご一緒する時は先生に負けませんからね」なんて、先生の人柄にのまれて思わず言っちゃいましたよ。後から考えるととんでもない人に喧嘩を売ったなって感じで背筋が凍るおもいですよ。
M氏:
 先生は口先だけで言っているかどうか直ぐ見抜く人だから、多分君の言った事なんか戯言ぐらいにか思っていないでしょ。 でも、本気にさせるぐらいやってみたら?
Y氏:
 よーし!やっちゃいましょうか? そんな会話をしていたら後部座席で寝ていたO氏が突然目をさまし、・・・
O氏:
 何かやる気だしているみたいだけど、何の話しですか?仕事それともマラソン?
M氏:
 両方やるんだよ!!



チームUEDA参加者の思い出


【T氏】
 2002年1月、初めてのフルマラソンに参加いたしました。期待はなく不安だらけの初マラソン。それもそのはず、11月に参加した大阪淀川ハーフマラソンではまともに完走することができなかったんです。ゴール後動けなかった。ましてフルマラソンなんて・・・。
スタート後しばらくは集団の中、周囲の地元の方々の暖かい声援、少年野球メンバーとのハイタッチ、菜の花も見ることができ、何とか気持ちよく走り出せました。ところが15km地点から、確か湖の周辺に差し掛かったところです、ここから色々なドラマというか、試練が待ち受けていました。まずは、後ろから「Tさんじゃないですか?!」と中年女性の声が。「はいそうですけど。」、「○○の母です。いつも○○がお世話になっています!!」実は会社の部下のお母様だったんです。私が参加するということを聞かれていて、パンフレットでゼッケンをご確認されていたようです。今日は完走するつもりなんですとのことなので、お先にいっていただくようお伝えすると、物の見事にあっというまに視界からいなくなりました。なんで部下のお母様にこんなにあっけなく抜かれていくんだろう。辛い。がっくり。気を取り直して走っていると、今度はニタニタとした笑い声と顔で後方から会社の部下が、こちらは冷たいもので、ほとんど何にも声をかけずあっというまに通り過ぎていった!何て冷たい奴だ!!普段の私の接し方に問題があるんでしょう。後で話を聞くと、私の視界にあると思われる区間は思いっきり飛ばしてしまったみたいで、その後大きく疲れて砕けたようです。でも本当に彼は冷酷だったようです。私を追い抜かした後、ゴール手前でカニ歩きをしている同僚に追いついて、(何故カニ歩きをしているかというと、まっすぐ足を出せない程壊れていたからです。)普通に歩ける彼はあっさりとカニ歩きを追い越してゴールしたようです。普通は手を貸して、一緒にゴールしますよね。
さて、私はというと、完全に疲れきったところで救急サービスエリアが視界に。足にスプレーをしようと思い立ち寄ると、なんとスプレーは既になくなっていました。横にはスポーツドリンクのデザインの紙コップが並んでいたので、飲もうとしたら中はただの水。既にスポーツドリンクは無くなったあとでした。マラソンの厳しさを味わいさせられました。20km地点からはほとんどまともに走れませんでした。下りがきたら少し走って、すぐ歩く。そして沿道に何かあれば、水、飴、バナナ、必ず立ち寄りました。後で聞くと私が食べた以外にいろいろな食べ物があったようです。おにぎり、おしるこ・・・でもタイムの遅い私が通過するころはもうなかったようです。寂しい。どうでしょう、25kmを越えたころからでしょうか、雨が降ってきました。ほとんど歩いていたので体も冷えていて、その上雨、泣きっ面にハチ状態で、何か悲しくなってきました。おまけに時間が遅いので交通規制が解除され車が横を通り過ぎ、たまに水をかけられました。悲しいので歌でも歌っていくか!!でも出てくるのは悲しい歌。尾崎豊の I Love You をいつのまにか口ずさんでおり、ますます暗くなっていく。雨か涙がわからなくなっていくー。そんな中、丁度温泉街にさしかかったころです。旅館の女将だと思われるかたから、「これどうぞ、」と暖かい声が。黒いごみ袋を頭と腕にあたる部分に穴をあけて私に着せてくれたんです。ただのごみ袋ですが、非常に嬉しかったです。雨を防ぎ少し寒さも和らぎました。でも寒いことには違いありません。人の温もりで心を暖められたんです。地元の方々の暖かいサポートのお陰でひたすら歩き、何とか6時間40分をもってゴール!!波乱万丈な私の初マラソンでした。

【U氏】
 私の初マラソンを振り返ると、5km過ぎで"ランナーズハイ"に突入し(?)、10km過ぎまでは調子良かったのですが、はりきり過ぎて、その後はスタミナ切れ・疲労で足が前に出ず、結局ゴールまで足をひきずりながらの自分との戦い。特にラストの4km、4kmという距離がこんなに長く感じたこととはありませんでした。
歩行中・ゴール直後は、「もう二度とこんな苦しい思いは・・・」と思ったのが正直なところなのですが、時間が経った今となっては、完歩できたことに、この上ない満足を覚えています。自分の自信に繋がるとても良い経験となりました。
3ヶ月たってもまだ関節の痛みはひいておらず、特に足首はくるぶしの下辺りが腫れあがっている状態なのですが、またいつか機会があれば参加してみたいなと、次回参加時にはある程度練習をした状態で臨みたいなと思っております。もともと長距離走が苦手なこんな自分が、このように思うことに少しびっくりもしていますが・・・。