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私のマラソン記 第22回いぶすき菜の花マラソン

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13,000人を越す国内最大級の市民マラソン
●第22回 いぶすき菜の花マラソン

日時:2003.1.12 sun
     スタート AM9:00

  場所:指宿市営陸上競技場スタート
 マラソンコース(指宿市、山川町、開聞町)

●いぶすき菜の花マラソンコース

第22回 いぶすき菜の花マラソンの思い出
昨年に続き今年も「いぶすき菜の花マラソン」に参加することとした。それは、昨年一緒に走った方々の「きつかったけどまた機会があればフルマラソンに挑戦したい!」というのを聞き、呼び掛けた私は大変嬉しい気持ちで胸がいっばいになっていた。その気持ちを大切にするため、今年(2003年)も皆でまた走ろうと声をかけたところ、8名から参加の返事があった。私を含めた8名がフルを、1名がハーフにエントリーした。昨年同様、東京から鹿児島に飛行機で直行したが、指宿市内にホテルがとれなかったので、鹿児島市内のホテルに宿泊し、翌朝5時に起床して指宿市に向かった。今回は天候にも恵まれ、とても爽快な気分で走ることができた。私は練習不足のため昨年よりも10分程度遅いタイムであったが、一歩も歩くことなく最後まで完走することができたので満足している。他のメンバーはどうかというと、やはり前回と同様いろいろとあったようである。レース後の宴会で話が盛り上がったが、その内容をまた少し紹介したい。

【I氏】
 穏やかな陽気に恵まれた1月12日、生涯二度目のフルマラソンであり、且つ二度目の「菜の花マラソン」に参加させて頂きました。この大会は知る人ぞ知る市民マラソンで、今回も約13,000人の参加者が全国津々浦々+海外から集まりました。最高で標高100mのアップダウンを繰り返すこのコースはフルマラソンの経験がある方でも驚かれるそうです。
昨年は初めてのマラソン参加ということもあり知らないことだらけでした。特に服装。普段イメージするマラソンランナーというとTVで見るようなランニングシャツ+短パンの颯爽とした姿。「そうか、冬場とはいえ走る続けるとものすごく暑いんだろう。スタート時は寒そうだけど我慢して半袖短パンで挑むのが通だな。」・・・大きな勘違いでした。ど素人の私がそんな暑くなるようなぺ一スで走り続けられるわけがありません。無理がたたって歩き出した25km付近からもう寒いのなんの。スタート時にいっぱしのランナー気取りだった私も、もはや「寒風の中、超薄着で歩く単なる歩行者」でした。おまけに雨まで降ってきてしまい、今度は「雨の中、ずぶ濡れになりながら超薄着で歩く歩行者」という、もはやわけのわからない状態になってしまいました。ふと周りを見渡すと他のランナーの方はウェストポーチやバッグから何やら取り出しています。見てみると家庭用45リットルサイズのゴミ袋です。そのゴミ袋の底と両端の一部を切り取って逆さにかぶり、即席雨ガッパにしているのです。私は自分の甘さと準備不足を痛感しながらただ雨に打たれるだけでした。「このままでは倒れるかも、棄権しようかな・・・。」と考え始めたその時でした。隣を走るランナーの方が「これ使ってください。」とその即席雨ガッパを差し出してくれたのです。なんでも一緒に走っていたお連れさんの分らしいのですが、そのお連れさんは残念ながら既に棄権したとのこと。何度もお礼を言ってそのゴミ袋をかぶった私は文字通りゴミのような状態でなんとか42.195kmを走破・・・いや「歩破」いたしました。しかし当然のことながら「完走した」という実感は殆ど得られなかったというのが正直な感想でした。
そういう意味でも今年は「まずは完走、走り通すこと」という大きな目標を胸にスタートラインについたのです。服装は当然、長袖長パンツ。また、去年は「走っている時に邪魔になる」という小ざかしい理由で持たなかったウェストポーチもしっかり腰に巻かれています。ポーチの中には、植田先生お勧めのMDウォークマン、バンテリン、もしもの時の1,000円札、予備のワンデーアキュビュー、そして晴天にもかかわらずゴミ袋の雨ガッパ。準備万端です。
 号砲とともに13,000人のランナーが先頭から順番に動き出しました。自己申告タイム順に並ぶので我々がスタートラインを超えたのは8分後でした。「ハイペースは禁物」。一応昨年以上のタイムを目指していましたが、逆に昨年よりゆっくり走り始めた私は、しかし昨年より多くの発見もできました。大会名の由来でもある黄色に染まった満開の菜の花畑、水面輝く池田湖、勇壮な姿の開聞岳、そして尽きることのない沿道からの応援。そのどれもが昨年見る景色とは全く違うものに見えました。「気持ちいいなー。天気も良いし、ゆっくり行こう。」好みの音楽を聴きながら15km付近の下り坂に差し掛かったその時でした。ものすごい勢いで私の上司であるTさんが私を追い抜いて駆け抜けていきました。どんどん坂を下っていくTさんのスピードは坂を下り終えても一向に減速する気配がありません。瞬く間にその後ろ姿を見失ってしまいました。このTさんに昨年わずかですが先着している私の心中は正直おだやかではありませんでした。「あれだけのスパートをしたら絶対バテるはず。いや、しかしもしもこのまま逃げ切ったら・・・。とりあえず追いかけよう。」
私の気分は観光ジョギングムードから一転しました。しかし、ムリをすると昨年のように足が壊れます。そう、ちょうどこの辺です。25km地点。昨年、前半飛ばしに飛ばし、ここでドリンクを取る為に一旦止まった瞬間から足がぱったりと動かなくなりました。一瞬悪夢がよみがえりましたが、冒頭に書いたような状態にならないためにも今年はセーブしながら走っていることもあってなんとか持ちこたえそうです。
また昨年はこれも素人の浅はかさなのですが「マラソンは走りつづけていないと、一度止まるともうおしまい。」と勝手に思い込み、登り坂だろうがなんだろうが走りまくって結局ひどい目にあってしまいました。今年は無理をせず、登り坂ではキツければ早歩き、そのかわり平地や下り坂では足が持つ限り必ず走る、を徹底いたしました。その結果順調に足は動くのですがTさんの背中は一向に見えません。
沿道に人だかりが見えます。横の看板には「あったか~いおしるこ、どうぞ」の文字。ボランティアの方々のご好意でいたる所にこのようなほどこしがあるのもこのマラソンの大きな魅力です。しかしTさんの姿を追いかける私はぐっとこらえて駆け抜けました。気を取り直してまたひたすら走る。またもや人だかりです。今度はトン汁!大きな鍋からカップに注がれたトン汁をみんな幸せそうにすすっています。これは厳しい。誘惑に負けそうでしたがTさんの背中を見るまでは、とまたもや走り抜けました。
おしるこやトン汁の誘惑には辛くも勝ったのですがどうしても我慢できなかったのが炭酸飲料です。無性に飲みたくなった私は自販機の前に立ち止まりました。目に入ったのは350mlのコーラ(120円)です。しかし手元にあるのは1,000円札。これでお釣りを取ると最大で16枚の硬貨に、うまくいっても8枚の硬貨を持ち歩くことになってしまいます。ふとコーラの横を見ると少し小ぶりの「お手頃ハンディ缶」ファンタグレープ(100円)があります。これなら最大でも硬貨9枚、うまくいけば5枚の硬貨ですみます。少しでもたくさん飲みたいのは山々ですが、私は迷わずファンタのボタンを押しました。出てきたお釣りは500円玉1枚に100円玉4枚。「やった、ツいてる!」ファンタを一気に飲み干し、そのお釣りをポーチに突っ込んで私は再び走り出しました。案の定ポーチの中では5枚の硬貨がジャラジャラと暴れています。しかし、350mlのコーラを選んだ末にこの3倍以上の硬貨がポーチの中にあったかもしれない恐ろしさを想像した私は自分の選択した運命にほくそえみました。大げさと思われるかもしれませんがこのときには本当に真剣だったのです。
途中一度だけ腰をおろしたのは右足小指のマメが2つつぶれたらしくどうしようもなくなった時です。ジョギングシューズを脱ぐと靴下が赤く染まっていました。ばんそう膏を貼って走り出した私の頭の中からはいつのまにかTさんのことは消えていました。「このまま走り通してゴールまで行きたい。」その思いだけでした。
35km地点。昨年も苦しめられた地獄の長い登り坂が見えます。しかしここさえ越えれば確かあとは平地です。無理せず早足で黙々と登りました。「へえー、海が見えたんだ。」坂の右側にはずっと海が続いていたのですが、昨年はそれさえ目に入っていなかったのです。「よし、登りきった。残りの力を振り絞ろう!」地元の高校の校門前に高校球児らしき一団が並んで右手をかざしています。自然に連続ハイタッチ。不思議と元気が沸きます。残り5kmはこの日一番のスピードで走りきりました。勿論、足はボロボロでしたがとにかく「最後まで走りきった(多少は歩いていますが)。」と自分自身に言いたかったのです。歩道を歩いているランナーの間をすり抜けながら必死に走り通して、どうにかこうにかゴールを迎えることができました。誰も見ていないことはわかっていましたが、自然と両手が上がっていました。タイムは6時間1分。はたから見れば全くなんてことはないタイムですし、昨年の記録からもたった16分程縮まったに過ぎませんが、私にとっては非常に満足のいく結果でした。
「あれ?ところでTさんは?」実はTさんは私を猛スピードで追い抜いた後、すぐに隠れて沿道脇から私がTさんを追いかけるのを見ていたそうです。Tさんがゴールしたのは私の・・・分後でした。Tさんいわく「おまえが常に目標を持って走り続けられるようにそう仕向けたんだ。良かっただろう?」とのこと。確かにそのおかげで最後まで走り通せたと思います。しかし、一説によると本音は「見えない敵を追いかけさせオーバーペースに引き込み、自滅させることが狙い」だったとも・・・。
何はともあれ、昨年と同じコースでありながら全く異なった42.195kmだったとしいうことは私にとって忘れられない素晴らしい経験となりました。

【S氏】
 私は中学生くらいの頃から、短距離走は50mを5秒台で走っておりましたので、学年でも早いほうでした。一方長距離はといいますと1,500m走を6分40秒くらいかかっておりましたので、学年でも遅いほうから数番目というありさまでした。体育の先生からも、お前はふざけとるんじゃないか!と怒られることもしょっちゅうでした。
そんな私ですので、当然のように最も嫌い(苦手)なスポーツが長距離走であり、そのなかでも特にだめだろうと考えていたものがマラソンでした。昨年は、こんな気持ちの延長で、参加し、そして完走ができませんでした。
そこで、小さな目標ですが、今回は3つの目標を立てて、参加させていただきました。1つ目はスタートから10kmまでは何が何でも走りつづける。(実は昨年スタートして1キロくらいで走れなくなり歩き出してしまいました。)2つ目はレースの間に黄色いたすきのメンバーと必ず出会う。そして夜の会話に参加できるようになる。〈昨年はダントツのビリで誰とも出会いませんでした。)3つ目は何が何でもゴールする。の3つを心に誓ってスタートしました。
スタートしてまずは一つ目の目標であった、10kmは何とか走りきることができました。次の「たすきのメンバーに出会う」、は15km地点くらいで座り込んでいるTさんとU君を追い抜くことで達成しました。これは多分食事の時に話しておりました、U君が靴を脱いでタバコを吸っていた時だと思います。それから25kmくらいまではものすごく順調にすすみました。
そして、とうとう最後の「完走」という目標を残すのみになりました。しかし30km手前くらいに来た時にはすでに体力は残ってなく、気力もぼろぼろになっており、どんどん周りの人に抜かれるだけになっていました。どうにも、歩くスピードでさえあげることができずに、「8時間は多分むりやな・・・でもゴールだけはしよう・・・」という考えが頭の大部分を占めていました。そうこうしている間に、かなり離れていたはずのTさんとU君が私に追いついてきました。2人は私より大分元気でスピードもかなり違っていました。とてもついていくことはできなかったのですが、U君が私について来いと、手で合図をしてくれました.不思議なもので、どうにもならなかった足が、また動くようになり、2人のぺ一スにあわせることができたのです。私がダウンしてからのぺ一スは本当にぼろぼろだったようで、8時間はかなり急がないときることができない状況でした。これはもちろんTさん、U君も同じです。実は3人で歩きながらも、私の弱い心は8時間が切れなくてもゴールしたら良いじやないかとも考えていました。しかし、このときはTさんが猛然とペースをあげ無言であきらめたらいけないということを教えてくれました。
今回の完走は私一人では間違いなくできてなく、このチーム全体で助けていただきました。私にとっては完走したことより、もっと大きい物を得ることができました。今回得たことは、社会生活を送るうえでも絶対大切なことだと確信しています。

【U氏】
 私にとっては2回目のチャレンジだったのですが、昨年の経験があるとはいえ、やはりプレッツシャーはそれなりのものがありました。周りからは、「太った太った」「そのお復すごいね」の言葉、これがプレッシャーを感じずにいれましょうか?
昨年のスタート前は、未知の世界が故、飛び込んでいくだけだったのですが、今年は昨年の苦しい苦しい思いが頭をよぎり、前日夜もなかなか寝付けなかった次第でした。とは言え、走るからには、何が何でもゴールしたいものです。時間内で。というわけで、自己申告のスタートは少し前の位置から走らせていただきました(戦略1)。また、戦略2として、坂は必ず歩く。これは何がなんでも遵守しました。(余計な体力は使わない、使われないと思い込んでいる為)
いざスタートしてみると、最初は息苦しさをすぐに感じたのですが、しばらくすると意外と前に足がでるのには自分でもびっくりでした。昨年よりもはやくランナーズハイに突入し、いつ調子が悪くなるか分からないので、「行けるとこまで行っとこう!」ということで、10km/1時間半のぺ一スで、15km地点までは、調子に乗って(私のぺ一スではありますが)、とばしておりました。とばし過ぎで疲れて、走りと歩きの繰り返しの中、後ろから上司のI氏が、お前、飛ばしすぎ~。」颯爽と昨年よりも早いポイントで、抜き去られました。このI氏が、また、坂もちょっとずつではありますが、走って登っていくんです。「歩いたら、次の足が出なくなる」とのことでしたが、これは本当ですが、走り続けるのを実際やってのけるのは上司ながらたいしたものです。
一方、私は、前半のハイペースが祟ったのでしょう。15km過ぎでぱったり足が止まりました。これじゃ最後まで持たないと思い直し、休憩を取ることにしまして、靴を脱ぎ、何を思ったのか、足も痛いことなのでタバコを吸えば多少は痛みもやわらぐかもということで、リラックスをし、少しヒマを感じたもので、携帯電話で、嫁さんに電話をしていたところ、後ろから、「ドン!」「おう、U君やないか」私の怖い上司のI氏のそのまた怖いその上の上司のT氏ではありませんか。「あれ?Tさん、先に行ったのでは?Iさんがすごい勢いで抜かれたって言ってましたよ。」「いや、俺トイレいっとったんねん。その間にIが先に行きよった。」「Iさん、多分追いかけていってると思いますよ。」「ええねん。走らせとき。」「はい。」でも、本当に助かったんです。あのとき、T氏が声を掛けてくれなければ、私、しばらくそこでリラックスしたまんまだったかもしれません。そのまま、しばらくT氏と併歩。T氏も病み上がり、というよりも病んでいるなかだったので、つらいであろうことは分かっていたのですが、ずっと付き合っていただきました。そんな苦しいなか、出来た詩があります。「なぜ走る こんなにしてまで なぜ走る」or「なぜ歩く こんなにしてまで なぜ歩く」
その後、エイド&休憩を兼ねてT氏と一緒に座り込んでいたところ、社内のS君が、すーっと通り過ぎていくではありませんか。あせって、ロードに戻り、歩いて追いかけるのですが、なかなか歩いては追いつけません。
自分は足を痛めていたため、T氏と別れ、再度応急措置をしたのですが、今度はT氏にも追いつけません。やっと追いついたと思ったら、T氏は用を足し終わったところでした。T氏が休憩をしないと追いつけなかったわけです。休むことの時間・距離のロスを思い知らされました。
T氏と再度、しばらく併歩。T氏も、私に気を使ってくれたのか、よほど疲れていたのか、壊れていたのか、歌を歌ってくれたんです。"壊れかけのレディオ"by徳永英明。昨年の"I LOVE YOU"に続く第2段です(奇遇にも、本日、営業中にラジオからこの曲がかかっておりました)。また、T氏はどこに行っても人気者です。沿道のボランティアのおじさんに、呼び止められました。おじさんA;「つけもん(漬物)、食べていかんね」T氏;「あ、いただきます」おじさんB;(Aに向かって)「帽子をとって兄貴に挨拶せんね」おじさんA;「がんばってください」T氏;「どうも」おじさんAは、T氏と同じスキンヘッドだったのです。
その直後、S君発見。かなりグロッキーだった模様。(ちょっと機嫌も悪かった。)
ここからは、ゴール手前まで、3人で併歩。途中、選手収容車が「大丈夫ですかー」のアナウンスとともに近づいてきました。S君が、「あいつ去年と同じ奴や」とのこと。「乗るか、ボケ」とまでは言いませんでしたが、それぐらいの気合は入っていたのでしょう。3人は時間と疲労・自分との戦いを続けていました。延々と続くアップダウンを終え、競技場前のストレートに差し掛かりました。残り4km。皆さん同感だと思いますが、これが異様に長く感じられます。見えそうで見えない競技場。近そうで遠いゴール。ただ、昨年と違ったのは、仲間がいたんです。1人じゃなかった分、辛さも幾分マイルドでした。そのまま、数分の時間差で3人とも見事ゴール!!!
私のゴールの瞬間、S君が目の前にいたのですが、少し目が潤んでいました。ご存知のようにS君は見事、昨年のリベンジを成し遂げた訳です。私もつい、もらってしまいそうでした。実はゴール前、S君が猛ダッシュを掛けたんです。後から聞いてみると、潤んだ目を見せない為だったとのこと。これまた泣かせますよね。
以上が、今回の私のストーリーです。長くて、時系列で、退屈な振り返りになってしまって申し訳ありません。ただ今回の、参加者全員がゴールという非常に喜ばしい結果が、嬉しいの一言です。
植田先生、今回も、楽しいマラソンご一緒させていただいて、どうもありがとうございました。そしてホテルでの懇親会、これがまたひとつの醐味ですよね(ワイン諸々、ごちそうさまでした)。
来年も、ご一緒できるのを楽しみにしております。

 参加者の多くは管理職で、毎日多忙な生活を送っており、十分な練習をすることができなかったはずである。42.195kmを走りきるということは、単に体力があればできるのではなく、強い精神力が求められる。日々節制をして練習を操り返すことによって十分な体力をつくりあげ、どんなにきつくても目標を達成する強い意思が必要である。彼らが仕事の上でも優秀な結果を残しているのは当然のように思う。彼らとは次回のレースでの再会を約束したが、具体的には3月21日に開催される下関内日健康マラソン(ハーフ)に参加することにした。ここでまたどんなドラマが展開されるか楽しみである。