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私のマラソン記 怪我からの復帰、水泳、ウルトラマラソン、そして・・・

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怪我からの復帰、水泳、ウルトラマラソン、そして・・・

ホームページに私が怪我をしたことを書きましたが、その後は順調に回復しました。主治医(整形外科医)からは運動はしばらく制限されていましたが、リハビリを目的としてプールでの水中歩行を開始しました。水中歩行をしているのは年配の方が多く、若い私(46歳ですから十分・・・中年男ですが、周りの方から見ると明らかに若い)が黙々と歩いているのは不思議な光景だったようです。水中歩行をするのはプールの一番端のコースですが、それ以外のコースでは多くの方が泳いでいます。気持ち良さそうに泳いでいる様子を見ているうちに、私もできれば泳ぎたいなぁと思うようになりました。水泳の経験は高校の体育の授業が最後で、それ以降は子供が小さい時にプールに連れて行き、水遊びをした程度です。しかも、小学校2年生のときに、別府のスギノイパレスのプールで溺れかかったことがあり、泳ぎはあまり得意ではありませんでした。そうはいっても、中学生のときにはクロールで100mぐらいは泳げていましたので、人並みに泳げるだろうと考えていました。 主治医から水泳をしてもいいという許可が出たので、高校卒業後約30年ぶりに泳いでみました。まったく前に進みません!少し泳いだだけで足が攣りそうになります。歩いたり走ったりする筋肉と、バタ足をする筋肉は違うのがわかります。また、息つぎがヘタな(溺れかけたトラウマのせいだと思います)ため、苦しくて25mプールの半分も進めません。しかしその後は時間を見つけては練習し、今では2km以上を泳ぐことができるようになりました。 主治医からそろそろ走っていいですよという許可が出たのは、受傷後3ヵ月経ってのことでした。それまでジムでリハビリを兼ねて筋力トレーニングと水泳をしていた私にとって、やっと地面を走ることができるという想いでいっぱいでしたが、主治医にはなるべく無理をしないようにと何度も念を押されました。久しぶりに走ると体が重いのを実感します。ジムで少しは鍛えていたといっても、走力はかなり衰えていました。毎日少しずつ距離を延ばしましたが、以前のような感覚では走れません。でも、早く大会に出場したくて、いろいろと情報を見ましたが、暑い時季はあまり大会が開催されていないのです。結局、自分の休日との関係から、怪我からの復帰後の第1戦目は8月14日、15日の「第6回神戸夏休みチャレンジ24時間リレーマラソン大会」でした。24時間でどれぐらいの距離を走ったかを競うレースで、本来3~8人でチームを作って周回コースを交代で走ります。しかし、盆休みの猛暑の中、わざわざ神戸まで行って一緒に参加してくれる人がいますか?そんなのは私ぐらいです。結局1人で参加しました(大会によっては1人のみの参加がOKな場合があるのです)。この大会への出場を決めてから、ゆっくり長く走る練習をしました。炎天下の中、長時間走ることができるかを試してみるために、7月下旬にJR博多駅から小倉駅まで走ったこともあります。大会当日は最後まで走り通すことができるかという不安と緊張の中、ただひたすら1周1.775kmのコースを走り続けました。ウェアはすぐに汗でびっしょりになります。持参したテントの中で着替えて水分とエネルギーを十分に補給して、再びコースに出ます。昼の12時にスタートして、翌日の昼12時までの24時間のレースでしたが、翌朝5時頃、突然降りだした大雨で大会が中止になりました。当初、私の目標は140km走ることでしたが、5時の時点で101.175km走っていたので、公式記録はこの距離になりました。 この大会の後に感じたのは、リレーマラソンは1人よりも多くの仲間と参加した方が絶対にいい、ということです。それは苦楽をともに分かち合うことができ、思い出を共有することができるからです。それから間もなくの9月11日、12日に、私が住む山口県で「第1回周南24時間リレーマラソンin Yamaguchi」が開催されるのを知り、友人に一緒に参加しましょうと声をかけたところ、11名の希望者があり、私を含めた12人で2チームを編成して参加しました。この大会の内容については一緒に参加したF氏とH氏に私のこの記載とは別に報告してもらいます。

2004年9月11・12日
第1回周南24時間リレーマラソン
in Yamaguchi
その後は毎週のように各地で開かれるいろいろな大会に参加しました。とりわけ9月26日の大分県杵築市の「国東半島100kmマラソン」は忘れることのできない大会になりました。以前より『ランナーズ』や『クリール』といったマラソン雑誌で42.195kmより長い距離を走るウルトラマラソンがあることを知っていましたが、自分自身の限界にチャレンジしたいと思い、大会の案内をチェックしていました。しかしながら、私の診療所は日曜日は休診ですが、土曜日は夕方6時まで診療をしているので、それから移動するとなると、出場できる大会が限られています。杵築市なら診療が終わってすぐJRに乗れば間に合います。さっそく参加することに決めました。会場近くのホテルに着いたのは深夜でした。スタートが午前3時でしたので、ホテルでは数時間しか寝ることができませんでした。スタート時は真っ暗で外灯もない道を走らなければなりません。したがって、手に懐中電灯を持って走ります。片道50kmのコースを折り返しますが、丘を越え、山を越えとアップダウンの激しいコースです。途中、小雨が降り、ウェアやシューズは濡れ、重たくなります。たたでさえきついのに、ほんのわずかな重みが足の運びに影響します。そして、コースは雨で滑りやすくなります。でも、数kmおきに設置されたエイドでは、多くの方が私たちランナーを励ましてくださり、たくさん用意された飲み物や食べ物でもてなしてくれます。そこで再び走る力をもらいます。私は6km/時間のペースで走ることを心がけ、折り返し地点に着いたのはスタートして5時間15分後でした。汗と雨で濡れたウェアとシューズを代えて、十分に栄養補給をして復路に挑みましたが、「行きはよいよい、帰りはこわい」で、70km過ぎたころから足が上がらなくなりました。ペースがだんだんと遅くなり、80km過ぎたころにはちょっとずつ歩くようになりました。残り10km近くにある丘越えはつらく、上りはほとんど歩きました。下りは痛い足をなんとか前に出すという状態で、やっとの思いでゴールしました。往路が5時間15分だったのに対して、復路は7時間近くかかりました。翌日は両足がパンパンに腫れ、腫れがひくのに4~5日かかりました。しかし、100kmを走ったという満足感と自信はこれまでにないものでした。

2004年10月31日
第16回武内町日の出日の入り耐久リレーマラソン大会
記録 10時間 75.9km
10月31日に開催された「第16回武内町日の出日の入り耐久リレーマラソン大会」は、これまた1人で参加しました。朝7時から夕方5時までの10時間で75.9kmの距離を走りました。このように長い距離を経験すると、42.195km以下の大会では、完走するのはもう当然という状況になり、いかにタイムを縮めるかということが課題になります。しかしながら、年齢的に記録を更新するのはだんだんと難しくなり、最近の大会ではいずれも3時間30分台です。なんとか3時間30分を切ろうと毎回挑戦していますが、この壁を越えることができません。いつかは越えたいという願いは強いですが、楽しく走ることに意義を感じている私にとって、無理はしたくありません。そういった意味においては、ウルトラマラソンのように長い距離を、あまり時間を気にせず、ゆっくり走る方が、私には合っているのかもしれません。ウルトラマラソンの参加者には若い人が少なく、40歳以上の人が多いと聞きますが、それを実感します。ということは、やはり私はすでに・・・中年男なんですね!