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私のマラソン記 日本山岳耐久レース(長谷川恒男CUP)の準備  (2010.9.29)

新大阪~天橋立140kmウルトラマラソンで走っているときに、森田さんと第18回日本山岳耐久レース(長谷川恒男CUP)の話をしました。この大会にすでにこれまで2回出場されている森田さんからアドバイスをもらいました。「あと1ヶ月ぐらい先ですね。山道の練習をしないといけないですね。実際に5kg以上の荷物を背負って、夜に走る練習をした方がいいですよ。」

私のスケジュール帳は月単位のものです。翌月はページを捲らないといけないので、予定が頭に入っていないことがあります。月末の仕事に追われていました。あと1ヶ月先だと思っていましたが、今日は9月29日。レースは10月10日ですから、なんと、あと11日しかないことに気づき、慌てました。森田さんがこの大会に出場した体験談を記していたので、それを読み返して必要な準備を始めたところ、明るいヘッドライトがあった方がいいなぁなどと考えて、ランナーズなどの雑誌を見てインターネットで様々な商品を調べました。いろいろなことが不安になり、森田さんに電話して、用意する物などについて細かく質問しました。

森田さんの過去の体験談を読むとしっかり山の練習をしないといけないと痛感させられます。


初めての体験「ハセツネカップ」  森田 悦朗  (平成19年11月2日)

とにかく過酷な大会でした。
全長71.5km、累計標高差5000mの登山道の内、半分以上を暗闇の山中を移動する大会、防寒具、雨具、水分、食料を携帯して、たとえ選手どうしでもあげたり貰ったりしてはいけない大会。
今思えばそもそも昨年植田先生から代走のお誘いがあった事から始まっていたんです。

・ハセツネカップ
日本山岳耐久レース長谷川垣男カップ通称『ハセツネ』、奥多摩主要峰全山を縦走する国内最高峰のトレイルランニングレース。昨年の今頃、植田先生からの代走の話に予定が調整できない事もあり、その時は丁重にお断りをしました。でもなぜか気になる大会に「来年はエントリーしましょう」と言ってしまいました。




・大会まで
それからの1年間、今回のレースに向けてしたたかに頑張ろうと毎月いろんなタイプのレースに出場して体を作り上げる予定でいどみました。5月までは順調に走り込み、フル3時間30分までになりましたが、その後走り込みが出来ず、ウルトラマラソン80km地点でリタイヤ、8月と9月は全く走れず体重も4kg増えてしまいました。 それでも多少の貯金があったのか20~30kmのクロスカントリーマラソンやトレイルランニングではそこそこ走れましたので今回の挑戦も24時間あるから何とかなるのではと甘い期待も持って会場に行きました。

・いざ大会会場へ
受付時間は10時からでしたが、事前に各スポンサーメーカーのブースで先着何名モニターとかサンプルが貰えると聞いていたので当然朝7時には会場入り。タイツ、Tシャツ、携帯食、サプリメント、バッグなどしっかりゲットして参加費を浮かす目標を余裕で達成!。
 メーカーの大盤振る舞いには今トレイルランニングがブームになっている事を実感しました。

  
    バックGET!!         ランシャツGET!!         TシャツGET!!

スタート時間の午後1時までは荷物置き場として開放されている小学校と中学校の体育館でごろごろ。 と言っても2000人近くの参加者を受け入れる体育館は難民キャンプ状態。周囲の人達と話をしてスタート時間を待ちました。


 選手に解放された体育館

・午後1時スタート
スタート時間が近づき、スタート地点で開会式に参加。2000人程の選手が食料、飲料水、防寒具などを入れたザックを担いで運動場に集合、通常のランニングレースと違った雰囲気に圧倒されながら皆の装備を観察、年齢層は結構高く、女性が多い事にも驚きです。 殆どの選手のザックからは飲料水補給用のチューブが肩から前に垂れ下がり異様な集団です。


写真には女性が写ってませんね。

そしていよいよ スタート!!号令と共に無謀な挑戦が始まりました。



・自分のペースがつかめない
スタートしてからの4kmは街中を駆け抜ける市道。メインの登山道に入るとシングルトラックも多く、大渋滞になるとの事前情報もあり、最初に少しでも前に行こうしましたが、自転車では走れない程のアップダウンの連続に心拍計がいきなりアラーム音で160オーバー、それでも頑張って登山道入り口の今熊神社では200番目あたりをキープしました。

 
      前を見ると人、人、人。            いきなり階段。

今考えればこの時のキツさはコースのアップダウンでは無く、日頃担いで走らない10kgのザックの影響だったと思います。そう、すべてはこの荷物が明暗を分けたと思います。登山道に入ると階段有り、バランスを取る為に手を使うところ有り、下りは転んでも走り、とにかく走れるところは走ると言う全身しびれる疲れの中、周りのペースに合わせて走りました。 ここでの走りは大失敗、普通のランニングと比較すると遅いペースなのでとりあえずは周りについて行ったのですが、後から聞いたらこの辺りは早歩きペースで十分との事、自分の周りは上位集団のペースだったみたいでした。

 
   後を見ても人、人、人。         走れるところでは走ります。

・富士山だ~
スタートしてから3時間程でコースは尾根を攻めていましたが、相変わらず同じようなアップダウンの連続に体は重く、コース脇によって後続の選手に先に行ってもらう事が増えだしました。また同様な選手も多く、休憩をして話をしては、また再スタートするというリズムになり、走るという意識から登山をすると言う意識に自分の気持ちが変わりつつありました。 そして見晴らしがよい尾根に着いた時、夕日に赤くなり始めた空のとなりに富士山が構えていました。 小休止~!。ザックから持参した大福を取り出し、スポーツ飲料を飲みながらほおばりました。いつも新幹線から観ている富士山を始めて北東方面から観ましたが美しいシルエットは絵葉書の様でした。
 『いつか富士登山マラソンにも出たい・・・・』、もう1人の自分が勝手な目標を建てていました。
しかし・・・やっぱり大福にはお茶だがね~。


                   やっぱ美し~い!!

さてここから第一関門までは順調に行けば2時間、その間に日が暮れるので少しでも明るいうちに距離をかせごうと走りました。幾度もつまずき、踏み外しては転び、都度怪我はしていないかと確認しながらの緊張した時間でした。
 
・第一関門クリア
選手が作る音以外何も聞こえない山中で前方から声が聞こえてきました。  『頑張ってくださ~い』『もう少しで~す』、チェックポイントだ!、そう思ったら不思議と力が涌いて来て滑り込むように計測テントに飛び込みました。日が暮れかかり薄暗い中、何とかライトを点灯する事無くチェックポイントである第一関門に到着出来ました。ボランティアに誘導されてブルーシートで休憩、通常のレースならここはエイドステーションですがハセツネは違います。食べ物も飲み物も何も振舞われません、でも無意識に目がそれを探していました。そしてボランティアから飲み物や食べ物をもらっている選手をみつけました。しかし彼らはここでリタイアする選手でした。レース中の選手にはルールにのっとり何も振舞われませんが、リタイアした選手にはとても手厚いサービスが待っています。さて自分はまた大福とスポーツドリンクです。日が暮れて気温も下がりスポーツドリンクも冷えて体にしみます。  ・・・熱いお茶が飲みたゃ~がね。
 そのまま仰向けになり数分間目を閉じていました。そして思いました、スタートして5時間弱、ここ23km地点での順位はまだ前の方、でもこのだるさ、気力が失われて行くような感覚、この状態でゴールまでは無理だ!無謀だ、そして危険だ!今回ゴールは諦めよう、コースの最高峰三頭山まで行けたら・・・・しよう。 20分程休憩して体と気持ちも落ち着きキャンプ用ライトに照らされた周りを見た時、この光景は戦場の前線キャンプのようだと思いました。

・孤独
気持ちを引き締めて第一関門を18時頃出発、ここからは真っ暗な登山道を持参のライトを頼りに進みます。自分の装備は前方を照らすヘッドライトとザックの肩紐にガムテープで固定したライト、そして足元と地図を照らす為のライトの3つを点けての体制です。時折追い抜いたり抜かれたりする選手達との遭遇や彼らのライトの動きと、自分のライトに照らされる所以外何も見えなくて無音の山中は気持ちの悪いものでした。周りに民家がある様な錯覚や切り株が動物に見える事もしばしばあり、携帯電話の電波が圏外とも相まって久々の孤独感を味わいました。

・寒い
スタートして7時間、20時を過ぎた辺りから霧が出始め、ライトの明かりで周り一面が白く観難くなってきました。 ここからはさらに400mの登り、5km程先にはコース最高峰三頭山1527mが待っています。足元を観るのがやっとの状態で前に進む(上に登る)自分はかなりの疲労を感じていました。 前方を行く選手のライトがぼやっと上方に観え、うしろを振り向くと下方にもぼやっとライトが揺れていました。 体の動きが遅くなるに伴って汗は引きましたが、気温の低下もあって寒く、そして全身が冷たく感じ始めました。 コース脇の場所を探して休憩、ヤッケを重ね着してザックを枕に少し眠りました、スタートして35kmあたりでした。 ここまでの間にコース脇で寝ている選手を沢山観てきて、その都度死んでいるんじゃ?とライトで照らして来ましたが、今自分もその仲間入りでした。

・三頭山
10分ほど寝たと思います、体のだるさはそのままに寝違いになった様な、痺れた様な足腰をさすって再スタートしました。 一歩一歩足を踏ん張り前に進みました。 実はこのあたり3時間程の記憶がありません、多分ゾンビの様になっていたんだと思います。 三頭山手前730mにある非難小屋にたどり着きました。そこには小屋にもたれて休憩している弱ったゾンビが沢山群がっていました。 異様な雰囲気に、ここでは休憩せずそのまま通過しました。それから1時間後ついに三頭山頂上にたどり着きました。 


    やっとたどり着いた頂上

第一関門の時と同じ少し手前から聞こえるボランティアの声『もう少しで~す』『頑張ってくださ~い』、自分には天使の声でした。 そしてここにいるボランティアの人たちに脱帽です。運営道具を持ってこの山に登り、トップ選手が通過する夕方から翌日の朝まで夜通しレースをサポートしてくれるのですから。 自分はここで腹ごしらえ、持参のおにぎり2個と大福、この為に持ってきた300mlのお茶。勿論すべて冷たかったですが3品のコラボレーションは最高でした。でも・・・大福食べても疲れて名古屋弁も出んがね~。しばしの休憩後、ボランティアの方々に挨拶をして、6km先の第二関門を目指し再スタートしました。

・第二関門目前
三頭山からは一気に400m下りますが、自分のライトの明かりだけでは足元が見づらくちょっとした段差に足を取られて幾度となく転倒、そのたびに手のひらをぶち、むくんで腫れ上がり熱くなりました。その為、転ばないようにと体全体に力が入り一気に疲労は増しました。
速い選手はピョンピョンと飛ぶようにこの下りを攻めて自分を抜いて行きますが自分にはとても無理でした。それは体力的な理由だけでなく地面が良く観えないという怖さがあるからでした。暗がりでの動体視力、コントラスト視力が低いのでしょうか、ちなみにこの週はオルソケラトロジーモニターを実践中で角膜形状に不正乱視成分が入っていたのかも知れません。勿論オルソケラトロジーを否定してはいませんが、すべてにおいて限界に挑戦するハセツネではビジョンクォリティにも高いレベルが要求されるのだと思いました。 夜間の登山道下りがこんなに危険なものなのかと実感しました。

・リタイア
三頭山から30分程で1.7kmを進み、鞘口峠に到着しました。そこはチェックポイントでも無いのにボランティアが2人待ち構えていました。彼らは選手ゼッケンを確認して4km先の第二関門までの説明をしていました。 『ここから500mはキツイ登りで足場が悪いので気をつけてくださ~い、第二関門まではあと2時間弱ですよ~』。今までも足場が悪かったのにさらに悪いのかと思い行く手を見上げると斜面にへばりつく選手たちの姿が・・・。
 後から来た1人の選手が『リタイアしたいんですけど・・』と力ない声で言いました。
ボランティアの人は『お疲れ様でした、無理しちゃだめですよ、大会は来年もあるんだからね』と優しく彼に話しかけていました。
 そしてその光景を眺めていた自分も『僕もリタイアお願いします』と、言っていました。

10月21日0時30分、タイム11時間30分 38.02km地点でリタイア、体力&気力残量ゼロ。

リタイア地点から選手回収地点までは別の登山道で20分下山、回収地点「都民の森」が自分のゴールとなりました。リタイア手続きをしてホットレモンとチョコレートをもらい、仮設テントに入って15名ほどの先客に混じり、毛布に包まれ回収車の迎えが来るまで爆睡しました。 回収車に乗り、大会会場(スタート&ゴール地点)に着いたのが午前2時、会場ではすでにゴールしたエリート選手達や応援の人達で盛り上がっていました。自分も選手に振舞われる豚汁を食べながらゴールに飛び込んでくるエリート選手達を観て、自分との体力の差に圧倒されていました。

・ハセツネを振り返って
この大会は大会の主旨の通りランニングというより登山の部類に入ると思います。
ボランティアの人達は一般のマラソンレースに観られるような人達では無く、山岳会に所属する年配の人達ばかりでした。皆が山が好きで選手に対する気遣いにその道のプロを感じました。参加選手の多くはランナーでしたが、登山者も1~2割はいたと思います。彼らは服装からして走りませんでしたが同じリズムでしっかりと歩いていました。また、女性の参加者が多かったように思いました。

・ハセツネでゴールする為には
長時間荷物を担いで登山が出来る体力が必要です。24時間という制限時間は歩き通す事が出来ればゴールできると言う事を意味しています。自分が今回リタイアした最大の理由は10kgの荷物を担いで前半に走ったからだと思います。無謀にも目標タイムを15時間に設定してスタートしてしまいました。15時間でゴールするには途中走りますがレース時間が少ない分携帯する荷物も5kg程ですみます。時間が短かければ食料、水分も少なく、防寒服はウインドブレーカー一枚持てば十分でしょう。この理屈がわからずに、途中何かあったらとの不安から結果的に持ち物が多くなってしまいました。そして勿論練習不足。ゆっくりで良いから月250kmを半年は走らなければだめだと思います。
そう言えば6月のウルトラマラソンでもスタート11時間後に迎えた80km地点のエイドステーションでリタイアしました。今の自分には11時間あたりに持久力の限界点があるのかもしれないと思ってしまいました。今後の課題は持久力の限界点を伸ばす事。(単純~)
そして自分にとってのハセツネはいかにして夜のコースを観やすくするのか、その為に照明の工夫をする事だと思いました。今回の大会中、初めての死亡事故が起きたと後から知りました。山岳部の経験豊富なエリート選手だったそうですが、45km付近の尾根で足を踏み外して200mの滑落事故でした。暗くて周りが見えない分、恐怖は薄れるのかも知れませんが、それは視覚的情報が無い危険な状況です。自分は日頃から眼が疲れやすいので明るく安全な条件を作る事がより重要だと思いました。

今回ハセツネに参加して改めて感じた事があります。
・己を知り決して無理はしない事
・ムキにならず、でも諦めない事

来年は後半の写真が撮れるように今日から頑張ってみます!!

取りとめも無い文章に最後までお付き合いくださりありがとうございました。
文中の後半に写真が無いのはその時いかに余裕が無かったのかと御察しください。
毎日いろいろと忙しく、なかなか思うようにやりたい事が出来ないのですが、たまにこんな非日常的な挑戦も楽しんでいます。日々のメリハリにと、時々レースに参加している自分ですが、また何処かで皆さんとご一緒できる日を楽しみにしております。

最後に、皆様お体は大切にしてお元気で日々楽しくお過ごしくださいませ。
そしてハセツネに挑戦するチャンスを下さいました植田先生、ありがとうございました。

以上、お粗末さまでした。