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第51回日本コンタクトレンズ学会総会成功祈願150kmウルトラマラソン 企画にあたって

 それは大橋理事長の一言から始まりました。
 昨年のスリーサム・イン東京の会長招宴の席で、「来年の学会会場は福岡だったよね。植田君のいる下関からどのくらい離れているの?」「100kmぐらいと思いますが・・・」「君はよく走っていると聞くけど、来年は下関から福岡の会場まで走って来たら?」「ハァ・・・?エ~!?ハイ!」
 会場招宴では次期日本コンタクトレンズ学会総会長の挨拶がありますが、壇上に立った私は皆様方の前で走ることを宣言しました。
 私一人が走っても面白くないので、下関から福岡までをリレーマラソンすることを考えました。チームを結成してタイムを競うものですが、この企画は西田教授からあっさり却下されました。100km近い距離のレース中に外傷、熱中症、心肺機能の負担によるトラブルなどがおこった場合の対応が主な理由です。そして「総会長としての責任をもつように!」という厳しい助言をいただきました。しかしながら、そうは言っても西田教授は「何とか植田君を走らせるのにいい企画はないかなぁ...」とあれこれ考えてくださいました。「ふ~ん、そうだ!この学会の成功を祈願して君が走ればいいんじゃない」という西田教授のご提案でこのチャレンジが決まりました。
 ところで、私は日本コンタクトレンズ学会誌のCLバトルロイヤルでは「鉄人ウエダ」というリングネームで出場しており、体力には自信があります。2000年に第43回日本コンタクトレンズ学会総会を西田教授が山口市で主催されましたが、この記念すべきミレニアムの年にプライベートでも何かしたいと思いついたのがマラソンでした。初めての大会出場がホノルルマラソンで、42.195kmを5時間7分47秒かかってなんとかゴールしました。 その後、年に1~2回ハーフやフルマラソンの大会に出場していたのですが、本格的に走り始めたのは2004年からです。大会に出るたびにタイムを更新することができました(フルマラソンのベスト記録は3時間26分38秒)が、年齢という壁に加えて練習時間がとれない事から自ずと限界に達しました。それから私の考え方が変わり、ゆっくり長く走ることを好むようになりました。フルマラソンより長い距離はウルトラマラソンと言います。私はこれまでウルトラマラソンには10を越す大会に出場しており、下関から福岡までの約100kmを走る自信がありましたので、さらに過酷な挑戦をしたいと考え、第51回の5と1から150kmを走ることにしました。余分に走る約50kmについては各地の名所を巡ることにしました。
 この企画をランニング仲間に話すと、伴走してくれるという事になりました。さらに、もっと多くの方々の伴走を呼びかけたいと考え、第51回日本コンタクトレンズ学会総会のホームページで参加の募集をしました。
 この企画にあたってはチームサバイバルとチームどんぶりこのメンバーが全面的に協力してくれました。山口県の周南市で毎年秋に周南24時間リレーマラソンが開催されます。字のごとくリレー形式で24時間走り、その距離を競う大会ですが、私の呼びかけに応じた眼科医、コンタクトレンズ関係者、医薬品関係者で結成したのがチームサバイバルです。そして、毎年1月に鹿児島県で開催される「いぶすき菜の花マラソン」に参加したことのある仲間(コンタクトレンズ関係者)にも参加を呼びかけました。彼らはチームどんぶりこを結成しました。
 このウルトラマラソンを学会の成功を祈願するだけでなく、目の不自由な方々へ何かメッセージを送れないかと考えました。下関市に有名な身体障害者ランナーがいることを山口新聞を読んで知りました。この方に連絡して、当日に伴走をお願いしたところ、快諾してくれました。私を含め伴走者は、胸と背中に「Run for Eye Care!」と記したテーマタグを付けて走ることにしました。そして、このチャレンジに参加した方々から寄付金を集めて、日本アイバンク協会、日本失明予防協会等に寄付することを考えました。
 当日の激走、そしてエイドの設営などの体験談を記しますので、ご笑覧ください。