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私のマラソン記 第30回いぶすき菜の花マラソン(2011.01.09)

植田喜一

 いぶすき菜の花マラソンは2002年(平成14年)の第21回大会から毎回参加していて、今回でちょうど10回目になります。
 これまでの体験談を感慨深く読み返してみました(当院のホームページに掲載されています)。
 12月は5日、12日、15日、16日、17日、19日の計6日しか練習をしていませんでした。12月は忘年会やクリスマス会などで外食することが多く、カロリーオーバーになります。さらに、お歳暮でいただいた好物をつい口に運んでしまいます。年末の寒波で外にも出たくありません。12月20日以降、まったく練習をしていない私に火をつけたのは、1月1日の実業団駅伝、1月2日、3日の学生箱根駅伝です。今年も興奮しました。私もこうしちゃおられません。防寒対策をして外に出ます。いぶすき菜の花マラソンのコースはアップダウンが多いので、練習では山に行くことにしました。1月1日に約24km、2日に約32km、3日に約32km、4日に約10km、5日に約8km、6日に約34kmと、この5日間で約140km走りましたが、走ると体重増加は如実にわかります。本当に重たいのです。ペースは上がりません。1月1日はなんとか走りましたが、翌2日は筋肉痛に加えて、前日の疲労が回復していなかったので、最後の約5kmを歩いてしまいました。それでも、連日追い込んだ練習をすることで、フルマラソンを走る足は徐々に出来てきました。
 ここ4年間、1月の第1週の土曜日は日本眼科医会の理事会と委員会があったため、これらが終わって羽田空港から北九州空港まで行き、そこから車で指宿へ向かうという行程でしたが、昨年の3月末で常任理事を辞したので東京に行かなくてもよくなりました。午後6時に診療を終えて、食事を摂り、新幹線で新下関駅から博多駅に行き、リレーつばめで新八代駅、そこでつばめに乗り換えて鹿児島中央駅に向かいました。つばめの車中で声をかけてくる男性がいます。なんと、田中君でした。田中君と真木君は、鹿児島に入ったけれど、所用で福岡まで行った帰りということでした。田中君はビールを飲んでおり、すでに顔は赤かったです。「おいおい、前日なのに明日は大丈夫?」と思いました。3人であれやこれや話しているうちに鹿児島中央駅に到着しました。2人はここで宿泊して、翌朝、指宿に行くということです。私は最終の指宿枕崎線で指宿へ向かいました。深夜0時04分に指宿駅に着き、そこからタクシーで白水館に行きました。白水館には高橋君、真木君、櫻井君が宿泊しています。彼らを起こさないように静かにベッドに入りましたが、彼らのいびきや寝返りの音がうるさくて熟睡できませんでした。しかし、例年であれば車中泊なので、贅沢なことは言っておれません。白水館でありがたく寝かせていただきました。
 気が付くと、窓の外が明るくなってきています。厚い雲で太陽が昇るところは見られませんでした。この天気だと少し寒いかもしれないと思って、半袖のシャツの上に長袖のシャツを重ね着し、その上にビニールのカッパを着ることにしました。
 メンバーと集まって写真を撮って(森田君と山岸君が間に合いませんでした)、スタート位置に並びますが、今年は2万人を超えるエントリーがあったようで、ランナーや応援の人でごった返しています。なるべく1ヶ所に集まってスタートしたのですが、それと同時に誰がどこにいるのかわからなくなりました。結局、ゴールするまでメンバーと会うことはできませんでした。
 コースと高低表を示します。





 割と前方でスタートできたので、自分のペースで走ることができました。スタートして4kmから12kmぐらいは登りです(標高差約100m)が、もっと勾配のきつい登りを練習している私にとってはたいしたことはありません。ただ、後半のことを考えてセーブして登ります。
 天気がいいと左手に見える池田湖、右手に見える開聞岳と道端の菜の花は絶景なのですが、あいにくの曇りで気分は盛り上がりません。それに肌寒く、体温も上がってこないので、ビニールのカッパを着たまま走ります。20kmを過ぎたあたりでお腹が急に痛くなりました。14~22.5kmのあたりは下りが続くのですが、下りの振動でお腹が痛くなったのだと思います。トイレを求めて見回しながら走りますが、ありません。ハーフ(約21km)の地点での通過タイムはだいたい2時間です。後半がんばらないと4時間が切れませんが、腹痛のためペースを上げることはできません。すると、右手にガソリンスタンドが見えてきました。休店ですが、トイレは使用できるだろうと期待して駆け込みました。ありがたく利用させていただいた後は、遅れを取り戻すため少しずつペースを上げました。
 22.5km~31kmは徐々に登っていきます(標高差約50m)。他のランナーがゆっくり走っているか歩いていますが、私はごぼう抜きです。30km過ぎの下りでもペースを上げて前を行くランナーを次々と抜き去ります。毎回、このアップダウンが最もアドレナリンが出るところです。34km~37kmの山川港をまわるロードは、だらだらと続くフラットな道、そしてなだらかに登る坂(標高差数10m)は好きではありませんが、この坂は最後の登りなのでがんばって走ります。砂むし会館からゴールまでの約4kmは時間との勝負です。何度も時計を見ます。向かい風で思うようにペースが上がりませんが、目標のサブフォー(4時間以内)をめざして、一生懸命走ります。
 トラックに入る前にビニールのカッパを脱いで、いよいよゴール。タイムは3時間57分57秒でした。
 ぜんざいを食べた後、白水館に戻ってシャワーを浴びて着替えを済ませて、メンバーの応援に行きました。コースとは逆方向に歩きながら進みます。携帯電話で連絡をしても、誰も応答しません。ゴールまで約1.5kmの地点で、突然「植田先生」と声をかけるランナーがいます。ちょうど櫻井君に電話をしていた時でしたが、その櫻井君でした。前日、「体調が悪いので走らないかもしれない」。当日、「走ったとしても10kmぐらい走ってみて、調子が悪ければそのままリタイアするかもしれない」と言っていたので、相当がんばったようです。金井君とは連絡がとれました。37km~38kmのところにいるようです。声がはずんでいるので、大丈夫のように思えます。彼とは約40kmのところで出会うことができました。手にしたどら焼きとパワージェルを渡して、声援を送りました。その後、田中君と会いました。田中君はかなりへばっていました。おそらく前日のビールがこたえたのだと思います。パワージェルとエアサロンパスを差し出すといらないと答え、苦しそうに足を運んでいました。ゴールから4kmすぎの地点まで行って、そこから戻りました。すれ違うランナーの1人1人の顔を見ながら歩いていきましたが、その他のメンバーとは会えませんでした。あとで聞くと、時間的に考えると山岸君、真木君とはすれ違ったようですが、お互いに気づきませんでした。
 白水館に戻ってしばらくすると、高橋君が帰ってきました。その後、森田君と田中君から電話があったので、それぞれ山岸君と金井君も一緒に白水館に来ていただくように言いました。そして、ついに、今回参加したメンバー全員で集合写真を撮ることができました。全員が完踏できたことを嬉しく思います。
 高橋君、真木君、櫻井君と私は、白水館にもう1泊して、夕食をおいしくいただいた後、カラオケでたくさん歌い、部屋でも盛り上がりました。
 ここ数年、白水館を利用させていただいていますが、スタート・ゴール地点に近いというロケーション、おいしい料理とすばらしいお風呂を堪能しました。スタッフのサービスも行き届いており、地方のホテルとしては5つ星だと思います。
 地元の方々の応援を含めて、ここ指宿でのもてなしには感謝します。





高橋孝治

 1月9日に開催されたいぶすき菜の花マラソンに参加しました。早いもので今回が9回目の参加になります。
 今回の自分なりの目標というかテーマは、30キロを過ぎても走っていることと、仲間の中でラストランナーにならないことでした。以前は5時間をコンスタントに切ることが目標でしたが、過去に5時間を切ったのは霞ヶ浦マラソンの一度だけで、当時と現在ではトレーニング量も体重も違うので、5時間を切るという目標は封印しています。昨年11月に参加した下関マラソンでも5時間30分を要しました。
 今回も、指宿温泉屈指の白水館に前泊、後泊するという贅沢なスケジュールとなりました。何が贅沢かというと、宿自体はもちろんのこと、マラソン会場まで歩いて5分という好立地も最高です。マラソン前は会場周辺のトイレは混雑を極めますが、その心配も不要です。そして、スタート時間ぎりぎりまで宿で待機できます。過去には、指宿温泉内では宿泊を確保できず、鹿児島中央駅周辺に宿泊して、当日の朝に1時間電車に揺られて会場入りすることもありました。この電車がまた東京の地下鉄並みの混雑なのです。ここ数年、白水館に前泊&後泊のパターンとなっており、今後、このパターン以外は想定できません。
 前泊は、桜井さん、真木さんと私の3名でした。植田先生は真夜中に到着されるとのことで、我々3名で温泉と食事を楽しみ、22時ころには就寝しました。植田先生が到着されたのは、翌朝までわかりませんでした。翌朝、食事を済ませてスタート前のT字路で、今回参加される仲間と写真を撮り、スタートラインに並びました。近年のマラソンブームで、当マラソンも多くの賑わいとなっており、コース横に並んでスタート後にコースに入りました。
 スタートからしばらくは、真木さんと並走しました。真木さんは今回が初めての参加で、下関で昨年11月に初めてマラソンを一緒しました。ハーフマラソンでは2時間を切るスピードを持っていますが、前回の下関マラソンで膝を痛めたらしく、今回は不安で一杯とのこと。そのこともあり、この私が生意気にも「最初は上りが多いので、歩くくらいのつもりのペースで進んだ方がいいよ!」とアドバイスしました。会社では私が上司ということもあり、気を遣ってしばらくは並走してくれました。しかしながら、5キロ過ぎで真木さんは姿を消して先に進んでいきました。この時点で完全にラストランナーになっていたと思います。
 これまでのマラソンでは、とにかく30キロ付近になると走れなくなっていたので、同じ5時間30分でも最後まで走っていたいという気持ちが強く、10キロを80分ペースで走ろうと考えていました。10キロは予定より少し早く75分で通過しました。さすがにペースを落としていたので、10キロ地点では何も体に違和感はありませんでした。10キロを過ぎて池田湖が見えてきました。例年とおり、池田湖&菜の花&開聞岳の合わさった風景は綺麗でした。今回初めて、この風景を写真に収めましたが、池田湖は入っていませんね。



 10キロを過ぎ、同じペースでゆっくりと20キロを目指しました。17キロ付近になりますが、そこには神社があります。この神社には出店があり、過去には良く座り込んではし巻きのお好み焼きを食べながら、テキヤのおやじさんと話し込んでいました。今回も一休みしようかと考えていたところ、下写真のつっぱり兄さんが丁度横を通過していったので、何となく後ろについていくきになり、神社を通過しました。しかし、このヤンキー兄さんが案外ハイペースで、500メートルも追走することなく終わりました。



 神社を過ぎてしばらくして20キロを通過しました。タイムはスタートから2時間40分でした。丁度8分/キロのペースでした。しかしながら、少々膝と太ももに違和感がありました。何となく嫌な雰囲気で、私の中では膝と太ももは距離ではなく、時間で限界が来るのかも?という仮説が浮かんでいました。その不安を抱きながら、30キロを目指していきましたが、20キロ過ぎから始まる登りの途中に、これまた先ほどの神社ではありませんが、思いでの場所があります。それは公民館のトイレなのですが、確か初めてこのマラソンに参加した際、大便をここのトイレで済ませました。その際、和式のトイレしかなく、膝もガタガタで大きな声を出してしゃがみ込み、周囲の方々(男女共同トイレです。)に迷惑をかけたことです。今回は無事通過しました。
 不安が具現化したのは、25キロ付近でした。膝と太ももに痛みを覚え、無理をすると痙攣するような感覚になりました。25キロからは走ることと歩くことを繰り返すようになりました。そうして次の想いでの場所というか関門は30キロ過ぎの名物おばさんです。この地点はちょうどすり鉢状態のところで、この名物おばさんはすり鉢の底に居座り、下って激しい登りが始まるところで、「歩くな!走れ!」と声を張り上げています。いつも「ありがとうございます!」と言って前を過ぎるのですが、今回は目が合わないようにして関門を通過しました。そこに今回は面白いランナーがいました。この名物おばさんに、「わかったよ。走ればいいのだろー!」と叫んでいました。おばさんは「そうや!」と返していました。私には勇気も体力もないですね。
 その後、ゴールまでは歩行と走行の繰り返しでした。6時間を切る目途もつかず、完全にラストランナーになることを覚悟してゴールを目指しました。次の想いでの場所は、ゴール手前5キロ地点の旅館街です。初参加の際、後半は冷たい雨に見舞われ、精神的にも肉体的にもボロボロの状態の時に、秀水館の女将さんが"黒いごみ袋"を差し出してくれたのです。雨具を持っておらずズブ濡れになっているのを見かねて、ごみ袋に頭と腕の部分を切り抜いて私にかぶせてくれたのです。あの時は本当に感激でした。そのようなことを振り返りつつ、ゴールを目指しました。完全にラストランナーであることを覚悟していましたが、ゴール前500メートルくらいでしょうか、見慣れた後姿を発見しました。それは田中さんでした。相当に疲労されており、将に"カニ歩き"状態でした。田中さんには失礼して、ほんの少し先にゴールさせてもらいました。とりあえず、ラストランナーは避けたかなというところです。
 ゴール後はいつものように、マラソン主催者から提供される温かいうどんを食べて宿に帰り、皆さんと温泉&食事&カラオケを楽しみました。何となく想いでに浸るようなマラソンになりましたが、また来年も一年の始まりのイベントとして、参加したいと思います。
 以上



真木 睦

 私は昨年の下関海饗マラソンに続きフルマラソンは2回目になります。
前回の初マラソンは何とか完走できましたので今回はタイムの短縮を目指して下関マラソン後すぐ練習を始めるつもりでした。しかしマラソン時の左膝の痛みが引きません。そのまま師走の慌ただしさの中で(言い訳に聞こえますが・・)練習できず、ほぼぶっつけ本番になってしまいました。
 いぶすき菜の花マラソンは前回より高低差があり坂がキツイと聞いており、様子を見ながらゆったりとしたペースで走ることを考えました。前回初マラソンでは前半2時間10分台で通過しながら後半3時間以上かけてしまった反省を活かそうと考えたからです。
 そしてスタート!ご一緒に参加した皆様から「最初の10kmあたりまでの坂は特に厳しいから前半は抑え目に!」とのアドバイスを受け走り出しました。そして5kmあたりからだんだん坂が迫ってきます。「こりゃいきなり大変だ!」と思いましたがアドバイス通りスローペースで進みます。そして10kmを過ぎたあたりでこのマラソンで一番絶景(と勝手に思いました。)の菜の花畑と池田湖の奥に開聞岳が望むポイントが見えてきた頃にはきつい坂も終わりほっとしたのもつかの間、今度は右膝に痛みが起こりました。どうも痛めた左膝をかばうあまり右膝に負担をかけたようです。
 このまま痛みでさらにペースが下がり「なんで走るのか?」と疑問を感じ苦痛になっていく中楽しみを見つけました。エイドです。植田先生から伺っていましたが今回はエイドの食事が地元の特産がでて他の大会より立派とのこと。サツマイモ、紫イモの蒸したものがどのエイドにも並んでおりこれが美味しいのです。また公式エイドではなくコース上の町内会が出すようなエイドはおしるこ、焼きそば、豚汁、焼き魚、生マンゴージュースと色々ありしかも綿飴まで!さすがに綿飴は食べなかったですが豚汁は3か所のエイドでいただきました。
 そして最後に「空豆のポタージュスープ」、Sさんが「タイムの更新がかかっていても必ずエイドによって飲む!」とおっしゃっておられました。もちろん絶品です。
 そんなプチ楽しみと沿道の温かい声援を受け何とか前回より20分遅れでしたが完走できました。前回よりタイムが悪く残念でしたが指宿での楽しみの一つであった温泉、初砂風呂(気持ちよかったです)も体験でき、マラソン後の打ち上げも楽しませていただきました。
 植田先生、ご一緒させていただいた皆様方、大会関係者の方々、沿道で応援してくださった方々、本当に楽しい一時を過ごせました。この場を借りてお礼申し上げます。ありがとうございました。



田中 義計

 今回、「いぶすき菜の花マラソン」に始めて参加しました。また、私自身初めてのフルマラソン体験となります。結果、見事(?)に完走(歩)!! 6時間27分3秒(目標達成)。総合順位 10,147位(18,192人中)でした。
 フルマラソンというものを経験してみようと、意を決し急遽エントリーしてみました。10Km、20Kmという距離は、休日にジョギングで経験していますし、植田先生とご一緒させてもらいながら、過酷なランニングツアーを幾度と経験していますが、フルマラソンの経験なく、そろそろ経験しておくべき・・・との思いからです。幼少の頃から、駅伝、マラソンは好き(見るのが)で、特にお正月の全日本、箱根駅伝は、欠かさず見ています。マラソンは30Kmを超えてからが勝負というのもよく聞くフレーズです。自分自身に試す機会として、ゴールをする(完走)事を目標に参加しました。
 しかし、意を決したわりには、全く練習をしないままのぶっつけ本番。実は、植田先生、皆さんと一緒に新大阪―天橋立(9月)を走って以来、ランニングシューズを履いていない状態で臨みました。(完璧になめていますね~)
 大会参加にあたり、金曜日に(7日)に鹿児島入りし、7日、8日と仕事をして参加。突然の所要で、8日夕方に福岡へ・・・。その福岡から鹿児島に向かう新幹線の中にiPadを手にした見たことのある人物・・・・植田先生が乗車されていました。大会に向けて、調整されてきた植田先生に声をかけましたが、私はすでに終業モードでビールを少しばかりいただいていました。「明日、大丈夫?!」と植田先生に忠告される始末。案の定、結果は正直に出てきました。
 当日、鹿児島市内から移動し、参加されている皆さんとスタート前にお会いし、記念撮影。これで、参加したことの証拠をゲット。あとは目標に向かってスタート。スタートの号砲があり、未知の世界へと走り出しました。あまりの人の多さに走っているという感じではありませんでしたが、ゆっくりとしたこのペースに「よしよし・・このペース」と言い聞かせているのもつかの間、一緒に走っていた(別のグループ)人たちが、ペースを上げ、各自のペースで走り出します。付いて行かなくてはと思い、少しペースアップ。これがいけませんでした。まだ、5Kmくらいのところです。確か、35分で通過。予定では40分くらいを考えていました。ペースをこのままで推移していくことなり、10Km地点を70分くらいで通過。その後も、同じペースで走っていました。 20Kmを140分で通過。これは?!5時間くらいで完走できる?!思い上がりもいいとこでした。経験の範囲でしか考えられないことを痛感したのは、言うまでもありません。25Kmを越えたあたりからだんだんと足が重たくなってきました。ついに、歩き出しました。またまた、人生を色々と考えさせられる時間に突入です。
・ 「みんな、なんで走ってんねんやろ・・」
・ 「しんどくないんかな」
・ 「おれ、根性ないなー」等々、周りのランナーをみながら、どんどんネガティブに。 30Km地点からは、左の膝、足首は痛くなってきて、走る、歩くを繰り返すこともだんだんできなくなってきました。収容させるのだけは避けたいと、ほんとに必死で歩きました。35Km以降は歩くのもきつくなってきて、この痛み、感覚は過去に経験したことのないものでした。歩くのがこんなにつらいか!と・・・・。
ゴール付近で植田先生に声をかけてもらいましたが、奮起することもできず、高橋さんに声をかけてもらっても、これまた、奮起できず。ただ、歩くだけで精一杯でした。そして、何とかゴール。
 体験を書いていますと、エイドの状況、周りの景色を全く覚えていません。寒いという感覚と、豚汁、そら豆のスープがおいしかったという、味覚が残っているだけで、どの場所で、どんな状況下なのか全く覚えていません。次回、参加することがあれば、目標に付け加えないといけません。
 フルマラソンを経験して、一言で感想を言うのであれば「こんなに痛いのか!」。やはり、経験に勝るものなく、日々の練習が必要で、継続は力なりです。やっと、足首の違和感もなくなり、明日から、家内と一緒のジョギングを始めることになっています。
 植田先生、参加された皆様、ありがとうございました。
本当にいい経験ができました。また、森田さん、山岸さん、駅まで送っていただきありがとうございました。助かりました。
また、お会いするのを楽しみにしておきます。



金井 尊史 <30代最後に初マラソンにチャレンジ>

 今年40歳になる前に【何か変化を!】と思っていた時に菜の花マラソンの参加を決めました。マラソンは全くの素人で走るといえば・・・高校時代までのサッカーの経験だけで特に厳しい運動はしていませんでした。そんな私のチャレンジに一番びっくりしていたのは家族でした。大丈夫?完走できるのと?と期待ゼロ。無理もありません。決心した当時の私の体重は80kgでした。
 ランニングシューズ、ロングタイツ等揃え、自己流で練習し体重は75kg。ついに当日を迎えました。前日に受付を済ましていたこともありスムーズに集合場所の体育館へ。外も中も人、ひと、ヒトとマラソン人口の多さ(総参加人数2万人超)に驚きを感じました。各自が柔軟体操をしたり、軽く走っていたり、談笑したりしている中、市営陸上競技場の目の前にある巨大な岩(?)はランナーを静かに見守っている様でした。
 スタート地点は貪欲?に4時間から5時間で完走できるスタートラインのところまで行きカウントダウン。花火の合図でいざスタートです!私のテンションは最高潮になりました!指宿市挙げてのお祭りと聞いていただけあって、楽しくなっていました。最初のペースは「自分の練習よりも遅いぞ。これなら最後までがんばれるのでは」と気を良くしていました(後できつくなるのも知らず・・・)。アップダウンが多いとのことでしたが何分、初マラソン。自分のペースで走ることばかりを考えていました。
 10km地点。まだ余裕あり。道中では千葉真子さんを見て感動し、エネルギーを少し取っておこうとバナナを食べ、何かの為にと梅干しをポケットに入れ、初の給水つかみ取り。沿道で応援してくださる子供たちにハイタッチと楽しんで走っていました。もうすぐ池田湖です!
 20km地点。走りは順調。鹿児島県を営業エリアとしていますが、池田湖をこんなに間近に見たことはありませんでした。「大きい」なるほどイッシー伝説が出るのもうなずけます。迫力のある池田湖の横に菜の花が咲いていると非常に愛らしく思えました。開聞岳はアニメ日本昔話の山のモデルになったと田中さんが言っていました。山頂までの曲線がなめらかで美しい山を見ながらのマラソンは贅沢だなあと思いながら走っていました。この間でしたかプチトマトがたいへん美味しかったです。
 中間地点から25km地点。足が急に重くなりました。マラソン経験者から聞いていた足が動かなくなるとはこのことか!と想定外の経験が襲ってきました。そろそろお昼と思い豚汁を食し、(これも美味しかった)数分休憩しました。しかし、ますます足が重くなります。これはまずいと思い、初のサロンパススプレーをしましたが徐々に歩くことが増え始めました。
 走っては歩き、走っては歩きでようやく30km地点です。もはや沿道の応援に応えられない悔しさが募るばかりです。私の近くにはおそらく同じような気持ちであろう若者が同じように走っては歩きを繰り返していました。白装束で背中に「大好きな言葉は親孝行」と書かれていました。【お互いがんばろう】と心で交わしているかの様に併走していました。今、彼は何をしているのだろう。
 漁師町に入り、山川港へ。港へ入ったとたん気持ちが潰されそうになりました。港の端(対岸)までランナーが走っていました。「まだあんなに距離があるとー!」と叫ぶ力はありました(元気ではないか)。気持ちを引き締め、走ります(見た目はウォーキング)。
 また2回目のサロンパススプレー。35km地点を過ぎた時、時間切れによる脱落は無くなったと気分を良くして、もはやウォーキングですが前へ前へと進みます。そういえばどこにいったのか、「親孝行」の若者を見失い、横にはタイガーマスクが歩いていました。
 国立指宿病院を過ぎ、あと5kmぐらいの時に「空豆のポタージュスープ」を私も飲みました。味もさることながら、冷えた体に元気が出る美味しさでした。その時、携帯が鳴りました。植田先生からでした。「あと5kmか。かんばれ!逆走するから見つけてくれ。」と激励をいただき、残り4kmか3kmぐらい?で植田先生に合流しました。ドラ焼きと飲む栄養補給をもらい「あと、もうちょっと。がんばれ!」と俄然、奮起します!ありがとうございました。
 その後、ゴールまでの道のり1km毎、いやいや500m毎がなんと遠いこと遠いこと。まだかまだかと目指し競技場トラックに入りました。タイムが表示された電光掲示板を見て、「ラストスパート!」とはいっても見た目はやはり、ウォーキングです。無事、ゴールした後は既に足を引きずっていました。ポケットをみるとマラソン前半に取った梅干しが無残に潰れていました。用意して頂いた地元の方、食べずに申し訳ございません。
 目標の【初マラソンで完走】に満足しています。あきらめない気持ちはもちろん大事ですが、マラソンをサポートして下さった地元の方々の応援あってのことで感謝しております。
 初めての私を快く受け入れて下さった植田先生、皆様方にお礼申し上げます。大変お疲れ様でした。
 翌日、家族の元へ帰宅し、いぶすき菜の花マラソンの完走を報告しました。子供はマラソンの完走よりも「おみやげは?」と一言。心の中で忘れてたと私。「おみやげはパパよ」と切り替えし子供とニンマリ。ちょっとした祝勝会をあげました。
以上




森田悦朗

 何年ぶりの参加でしょうか、自分にとってこの「いぶすき菜の花マラソン」はいろいろと思い出のある大会です。初めてこのマラソンに参加したのはもう20年程昔のことで、あの頃はトライアスロンの大会での入賞を目標にして苦手であり嫌いなランをイヤイヤやっていました。しかし仲間に恵まれ毎日一緒に走り、誰が見てもランナーらしくない自分の体型もそれなりに締まり筋肉質のアスリートになり3時間21分でフルマラソンを走れるまでになっていました。それから数年後、職場も替わりすっかりレースから縁遠い生活をしていた自分は幸運にも植田先生と出会う機会を得ました。そしてまたランニングを意識する生活が再開したのでした。と言っても以前みたいに記録や順位を目標にするのではなくあくまで健康な体を作り維持する為に。それから植田先生の声かけで4回この大会に参加しましたが実は自分のレースの内容より一緒に参加した皆さんの出来事のほうが今も楽しい記憶に残っています。その後、公私共にばたばたとした毎日が続き、次第にまたレースから遠ざかった生活になって行きました。ただしランニングと自転車はコンスタンスに続けていました。特にランニングは舗装路より山道などを走るトレイルランにはまっていきました。そして今回5年ぶりにまたこの指宿の大会に戻ってきたのでした。と言うも本当は皆さんと一緒に揃いのチームジャージを着たいが為にだったのです。その予定は残念にも次回に持ち越しとなってしまいましたが楽しみにしていた皆様にはこの場を借りてお詫びいたします。
 さて今回参加した我々名古屋組は山岸君と自分の二人です。スケジュールの都合で名古屋から車で高速道路を1200km自走して早朝指宿の会場に到着、そんなこんなでいろんな思いをめぐらしながら訪れた久々の指宿は、、、、以前と何も変わらず僕達を迎えてくれました。
到着早々エントリーを済ませ、レースの準備をしながら時計を見るとスタート40分前、トイレに行きストレッチをしながら順番待ちの列に並んでいましたが一向に列は進みません。そんな所に高橋さんから集合写真を撮りますよとの電話が入るも結構下半身に力が入っている状況で動く自信もありませんでした。スタート15分前、車で待っていてくれた山岸君も「先に行ってます」と言って1km程離れたスタート地点へ。

トイレ待ち。まさかここがスタート地点になるとは

そして遠くで花火が上がりスタート時間の9時、自分は個室に座りその時を迎えたのでした。トイレを出るとそこにはまだ沢山のランナーがいました。しかしよく見るとゼッケンの色が違います、10kmの部に出場する選手達でした。でも今回の自分は気持ちに余裕がありました。それは昨年10月にケガで故障した左ひざ靭帯がまだ完治しておらずペースを上げると痛みが出るので今回はタイムは気にせずゆっくりジョグのイーブンペースでの完走が目標だったからです。のんびり走り始めてまずはスタート地点に向いました。

スタート地点まで向かいます。

9時15分、今年は2万人以上の参加者と言う事もありスタート地点手前にまだ沢山のランナーがいました。9時20分、やっとスタート地点を通過するも5km地点までは歩いたほうが流れに乗れるありさま、10km地点あたりでやっとジョギングが始まったという状況でした。

スタート地点はまだまだ先です。



5km地点は人、人、人 

とにかくすごい人並みの中を掻き分けながら走り、ふと横を見たら偶然にも山岸君に会うことが出来ました。記念写真を撮り、お互い楽しくゴールしようとエールを送って走り出しました。決してそんなに速いペースで走っていないのですが周りをどんどん抜いていけるのでまるで自分が速くなったような錯覚に陥ります。

山岸君と遭遇、まだまだ元気? 



枚聞神社に参拝です。

23kmから33km地点までは以前とコースが変更されていて初めて走るコースでした。本来ならこの距離あたりで足が重くなり、キツさが増すのですが、長崎鼻を真近に見られた事で気がまぎれる事が出来ました。

豚汁です。おかわり自由です。



ぜんざいは一気に3杯。



長崎鼻は迫力でした。

膝の具合を気にしてエイドステーションではしっかり休憩をとり、さらに私設エイドでも美味しい食べ物とお話に長居をしたことで35km地点まで順調に走って来れたのですが、ここに来て初めて時計を見てしまい、そこからゴールまでは時間を気にしてペースを上げてしまいました。

ここで時計を見てしまった。

 ゴール後完走証を受け取り記録を見たら自分の時計より20分ほど多くなっていましたがそれはスタート地点通過までのロスタイムだと思います。また自分の実走行距離はトイレからスタートしたので43kmは走ったと思います。それに間違いなく最下位からのスタートなので出場者数18192人中総合順位5158位と言う結果はその差の13034人抜きと言う事になるんだなあ、とお決まりのうどん、おにぎり、蒸し芋を一気に食べながら一人で喜んでいました。ともあれこうして久々のいぶすき菜の花マラソンは無事終了、今まで味わったことのない楽しい大会となりました。

故障も無く余裕のゴール。

 またレース後は皆さんのご好意でお風呂にも入ることが出来、その後快調に名古屋まで帰ることが出来ました。
 久々にこのイベントに参加しましたが来年も是非参加したいと思います。
 大会運営の方々、沿道で応援してくださった方々、そして皆様ありがとうございました。



櫻井利彦 (なぜだかゴールにたどり着いてしまいました。。。)

 例年、年初の恒例のイベントとなっている「いぶすき菜の花マラソン」ですが、私は今回が6回目の参加となります。昨年は練習不足のため、不満の残る結果に終わったこともあり、今回は3ヵ月前から、大会を意識した練習を始めました。それが、まさかこのような結果になるとは。。。
 10月から走り込みを始め、11月に入り、週末には25km以上の距離を大会を意識したペースで走り込めるようになっていました。アップダウンの激しいコース対策も練習に取り入れ、例年以上の状態に仕上がりつつありました。しかし、異変は12月初旬から始まりました。風邪をひいたことが始まりだったと記憶していますが、慢性的に胃腸の調子が悪くなり、練習も滞りがちになってしまいました。今までの練習が水の泡となってしまいそうで、かなり焦りました。
 練習こそあまりできなくなっていましたが、病院で診察してもらい、処方してもらった薬を飲み、おとなしく生活している内に、年初には、何とか大会までには、フルマラソンを走り切ることができる状態には持って行けそうな目途が立ってきました。しかし、またまた落とし穴が。。。
 正月に家族で私の実家に帰省をし、帰って来た翌日、1月5日、嘔吐、下痢、発熱の症状がでました。しかも、家族が次々に同じ症状で倒れて行きます。私は、1月6日は完全に寝込んでしまい、翌日もまともな食事ができない状態でした。大会まではあと2日です。棄権も考えざるを得ない状況に追い込まれました。
 症状は治まってきましたが、普通に食事するもまだ厳しい状況の中、前日から宿泊予約を入れている指宿白水館に入り、前日エントリーだけは済ませました。鹿児島在住者として、遠方から参加される皆様のお出迎えだけはしようと考えてのことでしたが、大会に関しては、棄権しようとの思いが強くなっていました。
 同じように前日入りした、高橋さん、真木さんとの夕食時、植田先生から電話連絡が入りました。私の体調が良くないことは、1月6日にお電話をいただいた時にお伝えしていましたので、体調を気遣うお言葉をいただきましたが、その時も棄権を前提とした弱気のお返事をしたと記憶しています。せっかくの豪華な夕食もあまり味わうことができずじまいでした。
 その夜は早めに就寝しましたが、胃もたれ、胸やけがひどく、なかなか寝付けませんでした。そして、眠りも浅く、夜中、植田先生が部屋に到着された時も目が覚めました。朝起きた時もあまり寝た気がしませんでした。
 翌朝の体調は、依然すっきりしません。朝食は、胃腸の調子を考え、全て食べずに軽めに済ませました。少し調子は良くなっているような気がしましたが、やはり走る自信は持てませんでした。そんな時、植田先生からのせっかく来たのだから、10kmだけでも走ってみて、だめなら棄権することにしてはとのお話をいただき、スタート前の皆さんとの記念写真にだけでも写っておこうとも考え、着替えを始めました。
 宿からスタート地点に向かう途中、他の参加者の方々とも合流し、記念撮影に入れていただいた後、何とかスタートを切りました。とにかくゆっくり走り始めました。練習よりもかなり遅いペースでした。最初の5kmを約35分で通過し、そのペースを守ることにしました。その後、10~15kmの下りが多い区間で少しペースは上がりましたが、中間点までは、そのペースを守りました。
 胃の調子が悪いため、エイドステーションでの補給もままならない状況で、一度バナナを口にしたのですが、苦しくなって走れなくなったため、その後は、飲み物と飴しか口にできませんでした。事前に、こうなることはある程度予想できていましたので、エネルギージェルをウエストポーチに2つ入れておいたのですが、大正解でした。結果的には、これがなければ、その後の結果はかなり違っていた(苦しくなっていた)と思います。
 走りながらも絶えず、止め時を探していました。15km辺りに棄権した人を回収するためのバスが止まっていたのですが、まだ多少余裕があったことと、ゆっくりとは言え、全参加者の中では、前の方を走っていたことから、バスの中で長時間待たされるのではないかと思い、もう少し走ることにしました。そんなことを考えている内に、毎年、25kmの少し手前にあるフラワーパークの辺りに、回収車が止まっていたことを思い出し、そこまで走ることが目標となりました。
 中間点は2時間26分で通過しました。その辺りから徐々に歩くことが増えてきました。そんな時、真木さんが追いついてこられました。真木さんは中間点を2時間30分で通過したとのことでしたので、ペースが中間点を境にかなり落ちていることがわかり、更にモチベーションは下がります。しばらく真木さんと並走しましたが、膝に痛みがあるとのことで、歩き始めた真木さんと別れ、フラワーパークを目指しました。
 ところが、フラワーパークまで来てみるとバスは止まっていませんでした。救急車はあったのですが。。。かなりピンチです。体力も気力も残っていません。今年から35km地点の山川駅で、午後5時に関門閉鎖を行うことになっていたことを思い出し、バスはその辺りに止まっているのではと思い直し、再び、前に進み始めました。(走ったり、歩いたりでした。)
 その後は、歩くことが更に増えました。歩いている内に寒くなったら、温まるために走ることの繰り返しです。そして、35km地点を通過、バスは止まっていませんでした。表現は変ですが、ここに至って、ついに途中棄権することをあきらめました。ひたすら、歩いている内に寒くなったら、温まるために走ることを繰り返します。例年、35km過ぎで振舞われている、そら豆のポタージュをいただき、少し元気を取り戻しましたが、最後の温泉街に入っても、ラストスパートの気力は全く残っていませんでした。
 とにかく、歩いている内に寒くなったら、温まるために走ることの繰り返しです。そんな時、すでにゴールした後、様子を見に来られた植田先生に出会いました。ちょうど歩いている時で、走っていたら気づけなかったかも知れません。苦しいながらも残りはあとわずかとなり、もうひと踏ん張りしました。
 そして、ついに自分の足でゴールしてしまいました。途中棄権するはずだったのですが。。。記録は5時間14分9秒と過去最悪ですが、正直、よくこのタイムでゴールできたと思います。昨年に比べると随分寒かったこともあり、意外と走っていたのかもしれません。
 このような状況だったため、宿泊先がスタート、ゴール地点からすぐ近くの白水館で本当に助かりました。宿泊先が遠くにあるだけで気持ちが萎えていたかもしれません。体調が良ければ、絶好の環境ということになったはずなのですが。。。白水館と言えば、朝食時、大会参加者向けに、通常の朝食とは別にお餅とバナナを出していただきました。こうしたサービスもさすがと感じました。
 今回は、体調不良のため、大会も宿泊先の白水館(豪華なお風呂と食事)も楽しむ余裕がなく、とても残念な結果に終わってしまいました。来年は、この借りを必ず返したいと思います。



山岸弘之

 今回、第30回大会の出場は、第24回(2005年)大会以来、久しぶりのフルマラソンです。過去、フルマラソンは4、5回出場しておりますが、毎回完走することが精一杯で走路における景観やエイドでの"名物"などはあまり記憶に残らない程、いっぱい、いっぱいなのです。それでも前回の記録である5時間19分を更新する目標で本大会に挑みました。
 自宅を森田さんと車で出発し、運転を交替しながら走行距離1,200kmを快調に走ってきましたが、会場付近に差し掛かった時、道が混雑しており到着時刻はAM6:30を過ぎておりました。駐車場に車を停め次第、大会受付、着替えや朝食、テーピング、ストレッチ、装備品のチェックなどをしていたら、あれよという間に8:30。森田さんがスタート前の"産廃処理"(一般的には排便ともいう)に行きましたが、15分経っても帰ってこないので探しに行くと、トイレ前は長蛇の列。スタート前に全員で記念撮影があるから先に行ってとの指示もあり、待ち合わせ場所に向かいますが、そこにはどなたも居られず、辺りを見渡しているうちにスタートの号砲が鳴ってしまう有り様でした。
 6年ぶりのスタートラインですが、2万人は凄い数。走路はランナーで埋め尽くされ、最初の10分は歩いていたような気がします。なるべく、道の端の方か歩道など、気持ち間隔の空いているところを選んで走っていたり、極端に遅いランナーを追い越していたりの繰り返しで5~6kmまでは自分のペースで走ることができない状況でした。



 10kmを過ぎた所で森田さんから声を掛けられ、池田湖、開聞岳を背景にお互いに記念撮影。全くペースの合わない(断然、私の方が遅い)同氏を見送りマイペースで足を運びます。
 しかし、15km時点でいつもと違う感覚に気付くことになります。私の練習量(大会2ヶ月前から始めて毎週土日を10km走)でも普段なら10~20km間はちょっとしたランニングハイを味わえるのですが、今回は全く感じられない。
これは追い越しを掛けた時にペースを上げ過ぎたせいか?それとも老化のせいか?後者要因は認めたくもなく、違和感の原因をあれやこれかと考えながら走り続けますが、ハーフを過ぎた時点で両足に乳酸がたっぷり溜まりとうとう歩くことになります。そこから37km地点までは、よたりながらも下りと平坦箇所はなるべくは走り、上りは歩いて次の下りまで体力温存の繰り返しでした。
特に35kmのJR山川駅を過ぎてからの上り坂の長さと斜度は私にとって半端ではないので、坂の手前まではなんとか走って、そこからは走破ではなく徒歩破で切り抜けました。



 毎回思うのですが、温泉街辺りからの残り4kmは体力的にも精神的にも、とにかくきつい。終盤にさしかかっているのにも係わらず、歩いている自分が一番なさけなくなる場所です。だったら走ればといきたいところですが、1km前からは走ってゴールしたいので、つい温存のために歩いてしまうのです。
後で聞いたのですが、後続者を応援するためにJR山川駅まで戻られた植田先生とすれ違っていたはずですが、35km以降は精神的な余裕が全く、気付くことができませんでした。疲労の辛さから常時うつむいていたので、レース中だれと逢っても同じことになっていたと思います。(植田先生、その節はご無礼致しました。)



 ゴール地点の運動場が見えてくると気分も高揚します。それまでの辛さが消し去るのは不思議なものです。電光掲示盤を見ると5時間50分となっており、運動場を半周して念願のゴール。前回の記録更新はなりませんでしたが、大した故障もなく無事完走することができました。



 レース後、植田先生のご好意で汗を流させていただいた後、参加された皆さんと記念撮影。スタート前にお会いできなかったモヤモヤ感がここで解消されました。帰路においても道中何らトラブルもなく、無事帰宅することができました。
 植田先生、皆さん大変お疲れ様でした。
このようにのん気な回想録を書けるのは、大会運営がしっかりしていたこともありますが、何よりも皆さんが怪我やリタイヤもなく無事にゴールがあったからこそと思います。
(レース翌日、平然とした顔で出勤することができたのは、安全運転第一の森田さんのおかげです)
私にとってこの大会は年中行事の一つとなりつつありますが、また、皆さんとご一緒できることを楽しみにしております。
以上、