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私のマラソン記 下関海響マラソン2010(2010.11.7)

~植田喜一~

 10月10日~11日の第18回日本山岳耐久レースを終えて、しばらく体を休めていました。このレースと9月19日~20日の新大阪~天橋立ウルトラマラソン(約140km)を経験したことから、42.195kmを走りきる足はすでにできています。多くの方はフルマラソンというと長い距離だと思われるでしょうが、今の私のとっては10kmが100m走、ハーフマラソン(約21km)が200m走、フルマラソン(42.195km)が400~800m走のように感じます。
 ウルトラマラソンやトレイルラン(山岳マラソンを含む)はコースによってタイムが大きく変わるため、何時間何分で走ったというよりも、どのようなコースを走ったかが重要になります。タイムにあまりこだわらなくなると、楽しく走ろうという気になります。周囲の景色を見たり、他のランナーと会話をしたり、エイドでゆっくり食べたりすることもできます。ところが、フルマラソンではどこのコースを走ったというよりもタイムがどれぐらいかということばかりに話が進みます。もう50歳を過ぎると自分を追い込んでペースを上げるのがきつくなるので、自己記録を更新するのが難しくなります。それよりも、ゆっくりしたペースでいいから長い距離を走ろうという方に興味が変わってきました。
 そうはいっても地元下関でのマラソンです。知った方が多く出場しますし、応援してくれますので、それなりの走りをしなければなりません。大会の約3週間前の10月19日から練習を始めました。この下関海響マラソンのコースの後半のアップダウンのあるところ(彦島トンネルから長州出島の手前までの往復、約16km)を走ることにしました。このコースを10月19日、20日、21日、27日、11月2日の5回走りました。そして、長州出島の2~3kmを除いた約40kmを大会直前の10月31日、11月3日の2回走りました。このようにレースのコースを練習できるのは地元開催の特権です。
 私だけアドバンテージがあるのは申し訳ないと思って、ポイントとなる箇所の写真を撮影して、大会前に皆さんにお送りしました。でも、写真で見るのと実際に走るのは違いますよね。後半のアップダウンはかなりきつかったと思います。
 今回初めてご一緒する福村先生が3時間40分台で走られるというのをお聞きして、私も3時間40分台を目標にしましたが、5分10秒~20秒/kmで走らなければなりません。以前は5分/kmで走っていたのですが、今の私にはこのペースがきついです。約16kmのコースではなんとか走れましたが、約40kmのコースでは無理でした。でも、大会当日はモチュベーションが上がるだろうから、もっといいタイムが期待できるだろうと自分に言い聞かせていました。
 大会当日の朝は曇っていました。柳井先生、江角君の話では、宇部、小郡は早朝、雨が降っていたそうです。下関市の天気予報は午前中は曇りでも午後になると晴れて暑くなるということです。どのような格好で走ろうかと考えていましたが、チーム名(Team SURVIVAL)やウエダ眼科を地元にアピールしたいので、オレンジのベストにタグを付けることに決めていました。黒の長袖のウェアの上にこのベストを着て走ると暑くなるのは承知の上で、この格好で臨みました。

 

 スタート前の記念撮影に集まったのは柳井先生、福村先生、高橋君、真木君、江角君、梶芳君、細野君です。



お互いを激励し合って、各自スタート地点に向かいました。この下関海響マラソンのスタートはゼッケン番号によって6ブロックに分けています。私は柳井先生、江角君と同じDブロック、私がライバル視している福村先生はBブロックです。エントリーの時に自己タイムを申告するのですが、どういうわけか私は遅い位置からのスタートになってしまいました。すぐ近くには5時間のペースランナーがいました。
 午前8時半にスタートの合図がありましたが、なかなか進みません。スタートラインを過ぎてもしばらくは渋滞です。最初の約4kmまでは5分26秒~5分51秒/kmのペースでした。渋滞が解消されてからは、遅れを取り戻そうと少しペースアップしました。関門医療センターのところで折り返しがありますが、折り返してきた福村先生との差は約1.5kmです。「こりゃぁ頑張らないといけない」と思って、さらにペースを上げました。
 ほとんど風もなく、走りやすい日でした。とにかくイーブンペースを心がけました。彦島トンネルからは上りですが、ここは何回も練習した道なので、無理をせず、同じパワーで走りました。
 長州出島に渡る橋はだらだらとした上りと下りできつかったです。長州出島での折り返しのフラットの道はペースが上がらなかったです。この橋と長州出島の道は練習できなかったので、ちょっとイメージしたものと違っていました。その後も、前半と同じペースで走っているつもりでも、やはり少しペースダウンしています。金毘羅トンネルから彦島大橋までのアップは思ったようには走れませんでした。やはり疲れていたのでしょう。最後のアップダウンのある関彦橋を渡ってからは疲れが出てきて、ペースダウンしてしまいました。ラストスパートをかけなければいけないのに、残り3kmはだらだらと走ってしまいました。ゴール直前で私を呼ぶ声がします。今回、体調不良で出場を取りやめた永井君が応援してくれました。その声を聞いて残りの数百mをスパートしてゴールしました。記録証をもらいに行くと、そこに福村先生がおられました。タイムを聞くと、たしか3時間40分25秒。2分30秒の差でした。最後の5~6kmをしっかり走っていれば、もしかしたら追いつけていたのかも...と思いました。
 いつもはどこかでアドレナリンが出るのですが、今回はそういったこともなく、淡々と走った感じです。ゴールした柳井先生に聞くと、長州出島を折り返してすれ違った福村先生と私との距離は約500mぐらいだったそうです。そのことを知っていれば、福村先生の後ろ姿がちらっとでも見えていたら、アドレナリンを出して追いかけていたと思います。ゴールした私は足はどこも痛いところがなく、翌日もほとんど筋肉痛、関節痛がないことからも、無難な走りしかしていないことがわかります。もっと自分を追い込んだ走りをしないとタイムは縮まらないのですが、ウルトラマラソンにどっぷり浸かっている私は、それがなかなかできないです。
 今回の下関海響マラソンの参加者数は10,600人(フルマラソンが8,468人、5kmが1,113人、2kmが421人、2kmファンランが598人)で、フルマラソンの優勝タイムは男性が2時間26分31秒、女性が2時間53分05秒、山口県勢の女性の最高タイムが3時間16分35秒です。福村先生は今回あまり練習していないと言われましたが、自己記録を更新されました。練習をしっかりされれば好記録が期待できます。50歳を過ぎた私はタイムが落ちるばかりですが、お若い福村先生はこれからどんどんタイムが縮まるでしょう。福村先生に追いつく最初で最後のチャンスだったかもしれません。そう思うと、もう少しがんばればよかったと思いました。
 来年1月のいぶすき菜の花マラソンは3時間30分台を目指して練習に励みます。このコースは下関海響マラソンよりもアップダウンが激しいので無理かなぁ...。でも、しっかりとした目標を掲げないと練習しないので、これからがんばります。
 下関海響マラソンは折り返しが2ヶ所あります。折り返しのコースは同じ景色を2回見ることになるので、ちょっとつまらない気もしますが、チームで参加すると仲間と会うことができます。最初の関門医療センターの折り返しはランナーが多くて、柳井先生、高先生にはすれ違いに気がつきませんでした。長州出島の折り返しでは、福村先生、高先生に気づきませんでした。関門医療センターの折り返しでは皆さん元気でしたが、長州出島の折り返しではかなりきつそうでした。仲間が多いと楽しみが増えます。来年はもっと多くの方々が参加されることを期待します。





~江角明由~

 11月7日(日)、山口県下関市で開催された下関海響マラソン2010に参加してきましたので報告します。
 11月4日(木)の夜、嫁さんが何気なく、「今回は横断幕を作らなくていいの?」と問いかけてきます。私は、「昨年もなかったし、ウルトラマラソンじゃないから・・・」と答えました。11月5日(金)の夜、晩御飯を食べていると嫁さんが「今晩あたり植田先生から電話があるんじゃないの?」と言葉をかけてきました。私は、「んーそうだな、たぶん明日の夜じゃないかな」と返事をしました。22時過ぎ頃、晩御飯も終わり奥の部屋でマラソンの準備をしていると、嫁さんが「携帯電話が鳴っているよ」と知らせてくれます。携帯の画面を見ると、植田喜一先生の文字が・・・!!お久しぶりですとの挨拶を交わし、近況の話をしていると先生から・・・

 先生:江角君、明日の土曜日は忙しいの?
 江角:用事が入っていて山口入りは夜になります(まさか、前日の夜に練習・・・!?)。
 先生:時間があればでいいけど、いつもの横断幕でスタート前に集合写真が撮れたらいいね
 江角:時間があったら作成を考えてみます(まっ、今回は時間もないし無理かな・・・!!)
 先生:無理はしなくていいけど、考えといてね
 江角:わかりました(これは作らないといけない・・・!!)

最近思う事があります。私の嫁さんは、私以上に植田先生の心が読めるようです。
 マラソンの身支度を早々に終え、パソコン・プリンターの前に陣取ります。大会名とキャッチフレーズを記載します。いつもならこれで終わりですが、下関名物のフグ(河豚)を貼り付けました。見栄えは多少良くなりました。1時半過ぎに作り終え、横断幕を囲って参加者と集合写真を撮っているのを想像しながら就寝に入りました。
 大会当日は、山口市内に前泊したのでJR新山口駅を早朝に出発してJR下関駅を目指します。JR下関駅に着くと、選手登録を急いで済ませて男子更衣室に向かいます。電車の中で読んでいたスポーツ新聞を広げ2畳分確保しました。更衣室内は、既にエアサロンパス系の匂いで満たされています。しばらくすると植田先生が合流されます。準備が終えると、植田先生名物のオハギが出てきました。梶芳さん、細野さんが合流します。走る前の元気な姿を撮らなければと思い、2ショットの写真を撮りました。今回も植田先生が用意されたタグを付けて走る事になりました。今回は3種類用意されています。昨年は、先生と間違えられる一コマもありましたが、今年はどうなるのでしょう?集合場所で、私の師匠である高橋さん、初対面の真木さん・福村先生、そして山口在住時代にお世話になった柳井先生と合流して、横断幕を囲みながら記念撮影を撮ります(他の参加者が覗き込む為、少し辱めを受けます)。
 私は、デジカメなどの貴重品を受付に預けてスタート地点に向かいました。私はDブロックのスタートだったんですが、入口は閉鎖されて入る事が出来ません。結局、Eブロックに並びスタートしました。毎回、スタート直後のオーバーペースが影響して後半ペースダウンするので、前半は抑えて走りました。関門医療センター付近の折返し地点をクリアされた植田先生とすれ違います。植田先生は、いつものように手を振って笑顔で声をかけてこられます。今回は、仮面ライダーのようなサングラスをされていたので、とても目立ちます。もちろん私も帽子を取って、帽子を大きく振りながら掛け声をかけます(余裕アリアリです)。その後、細野さんともすれ違い余裕をもって声をかけます。細野さんも元気一杯です。道中は、1年半前まで仕事で担当していた下関の町並み・関門海峡を楽しみながら走ります。まわりの走者は、知らない人ばかりです。すると一人の男性が「ウエダ眼科の方ですか?コンタクト作成でお世話になりました!!」と声をかけてこられました。昨年は医者に間違えられ、今年は患者さんから声を掛けられ、背中に付けているタグの効果は強力です。
 中間地点が近づくにつれ、登り坂と下半身に乳酸が溜まってきている影響で足が重くなってきます。走っている人・沿道から声援を送ってくれる人は、殆ど知らない人ばかりです。しかし、昨年は中間地点にウエダ眼科のスタッフさんの姿がありました。もしかしたら今年もおられるかと期待を寄せながら走っていると、姿を発見。お久しぶりですと声を掛けました。知っている人がいると、急に元気が出てきます。次の目標は、昨年食べる事の出来なかったエイドでの「そうめん」を目的に走ります。しかし、そこまでの道のりは遠く、徐々にアスファルトとの睨めっこになっていきます。すると、前方から「江角君」と声が飛んできます。出島を折り返して来られた植田先生とすれ違います。この時の私は、余裕ナシナシです。なんとか手を振るので精一杯でした。4時間のペースランナーとすれ違って直ぐに、快調に飛ばす柳井先生とすれ違います。過去のフルマラソンでは、前半型の私が前を走る事が多いのですが、今回は違います。その後、なんとか楽しみにしていたそうめんのあるエイドに辿り着きました。今年は、まだまだ沢山あります。何個でも食べようと思いましたが、後から来るランナーも楽しみにしていると思い、昨年と今年のを合わせて2カップ頂きました。

 今回の大会でも様々なコスチューム(ドラえもん・スパイダーマン・龍馬など)のランナーが走られていました。気がついたんですが、そのような方は皆さんゼッケンナンバーが3ケタ台(完走タイムの良いランナーはゼッケンナンバーが若い)のランナーばかりです。余裕のあるランナーでないと出来ないという事です。なかでも今回は、素足で大漁旗を持って走っているランナーには驚きました。まさに、はじめ人間ギャートルズ状態です。
    トンネルを過ぎ左折すると夢みなとタワーが見えてきます。トンネル内で、私のほぼ横を走っていた大人しそうな女性ランナーが、突然大声で「夢タワー会いたかったよー」と叫ぶのです。私は、一瞬ビックリしましたが、その気持ちはとてもわかります。夢みなとタワーが見えてからは、不思議とペースが上がります。過去のマラソンでは、後半に登り坂があると歩く事もありました。しかし、今年は前半をセーブしていた為か、ゴールまで歩くことなく完走できました。
 ゴール後は、いつものように銭湯に入り、打ち上げ会です。走っている最中は、この打ち上げ会が楽しみで楽しみでしょうがありませんでした。鳥取県米子市に帰る為、2次会に出られませんでしたが、楽しい時間を過ごす事が出来ました。そう言えば、打ち上げ会に行く途中、百貨店大丸の前で新大阪から天橋立まで一緒に走った高先生に会いました。高先生から「江角君、走っている最中、苦しそうで顔がねじれていたよ」とモノマネをされながら言われました。今度からは、笑いながら怒れる芸能人の竹中直人のように、苦しみながらも笑えるランナーを目指したいと思います。
 久々の再会、あらたな出会い、そして大会関係者、声援を頂いた沿道の皆様に御礼申し上げます。





~梶芳学~

 11月7日(日)、自身初めて参加するフルマラソンの大会となった下関海響マラソンを走ってまいりましたので、その体験談を記します。走ったとはいえ、結果的に完走できず32.8キロ地点の第8関門でリタイアしてしまったのですが...
 このマラソンにエントリーしようとしたきっかけは、他でもない植田先生より背中を押していただいたからです。実は昨年もこのマラソンにエントリーしていたのですが、直前に体調を崩し参加を見合わせておりました。今回の参加募集がスタートした折に、先生より「再挑戦しないか!」とのメールを頂戴し、思いきって参加を決意した次第です。エントリーをした事で明確な目標が定まり、出ると決めたからには完走を目指そうと5月からトレーニングを開始しました。
 最初は1キロ走るのも息を切らす状態からのスタートでしたが、週2~3日は距離はともかく少しでも走ることを心がけて取組み、7月頃からはスピードは遅いものの10キロを走れるようになっていました。猛暑だった夏は暑さに負けて距離を伸ばせませんでしたが、週2~3日のトレーニングはなんとか継続してきていたのですが、8月後半から仕事が大変になり満足に走ることができなくなってしまいました。後から考えれば、それでも何とか少しでもトレーニングを継続できていたならば...と悔やんでおります。9月上旬には、それでも初めて20キロの距離に挑戦し3時間のランニングを経験して、植田先生との新大阪~天橋立150キロにもサポートメンバーとして参加させていただきました。天橋立150キロのゴール最後の1キロを右膝を痛めて走れなくなった状態ながらも植田先生とご一緒してゴールしたことや、この一週間前に植田先生と米子で10キロランニングしたことはすごく楽しい思い出になっています。
 大会当日までの1ヶ月は、右膝を痛めたことや相変わらず仕事が多忙だったことを理由に満足なトレーニングを積むことができませんでした。そんな中でも11/2に植田先生にお誘いいただいて大会の本コースの中でも正念場の登りコースを12キロ体験できたことは大変励みになりました。と、同時に6時間の制限時間でゴールすることの難しさも実感したところでした。
 大会前日は小倉に宿泊し前日に受付を済ませました。下関では既に前夜祭の催しで大変な盛り上がりになっており、参加者であろう人たちの多さに驚きました。前日は細野くんと共に小倉の王将でスタミナ料理を食べて早々に眠りにつきました。
 当日、会場に向かうと既に植田先生と江角さんが準備をほぼ済ませておられました。更衣室は参加者でごったがえしている状況で、初参加の私はそわそわするばかり。皆さんに後れを取らぬよう着替えを済ませ、なんとか準備を整えてスタート地点での記念撮影に向かいます。そこで柳井先生、福村先生、高橋さん、真木さんとも合流して、江角さんお手製の横断幕と共に写真を撮りいよいよスタートです。(江角さん、いつもありがとうございます)
 スタート時間の8:30へのカウントダウンが始まり、賑やかな歓声と共に先頭のブロックから順次スタートしていきます。私は細野くん、高橋さん、真木さんらと共に後方のFブロックからスタートしました。ともかく20キロ地点までは以降の後半の登りを考えて、あまり無理せずいかなければと思いつつ、全速力が8分/1キロの私は各所に設置されている関門の制限時間に間に合うのか、スタート直後からそればかりが心配で、幾分自分のペースより少し速いスピードで進みます。一緒にスタートした細野くんの背中を追いながら、関門橋をくぐり、気持良い日差しを浴びながら汗がにじみだしてだんだんと緊張感がほぐれてきます。が、なんせ初めてのマラソンだけにまだ5キロを過ぎたばかりにも関わらず、どこまで足がもつのか、いつ膝が痛みだすのか、不安の中で足を進めます。真木さんはスタート直後から颯爽と軽快に走りだし、すぐに姿が見えなくなりました。高橋さんはゆっくりペースで私の後方を着実に進まれているようです。関門医療センターの8キロの折り返しで100メートルほど前を行く細野くんに手をあげて合図します。既に前方のブロックからスタートされた植田先生や柳井先生、江角さんらとはすれ違っているはずですが、人が多くてわかりません。10キロ地点の第3給水所で初めてドリンクを手にします。これも初めての体験です。水分補給して膝の痛みがでないよう祈る思いで両膝に水をかけます。自分のペースがどれくらいなのか、細野くんの姿も見えなくなり、自分の周りに同じようなペースで走る人を探してその後を追いかけながら、すでに気持は「行けるところまで行くしかない」と。15キロ地点でふと前を見ると高橋さんの後姿があります。既に余裕を失っている私とは対照的に高橋さんは着実にペースを刻まれているようです。「もう、いっぱいいっぱいです。」と高橋さんの声掛けにに返事をして、前を進む高橋さんの背中を眺めながらなんとか足を運び続けていると、関彦橋の手前で歩いている細野くんを発見。少し登りになる橋の手前で細野くんと共に歩きながら「いまどれくらいのペースかな?」「前回よりは速いですよ!」などと時間を確認。20キロ手前で2時間30分。まだ何とかこの先の関門まで辿りつける可能性があり、これから始まる彦島大橋の登りをクリアできれば完走も夢ではないなぁ~などと思いつつ、2日に植田先生とコース練習した折のスタート地点であった彦島老の山公園の第8給水所を目指して登りを走り続けます。彦島トンネルの長い暗闇の坂道を殆ど歩いているのとかわらないような速度で悶絶しながら這い出て21キロ地点の第6関門を後どれくれい時間に余裕があるのかもわからぬまま通過しました。既に遥か彼方10キロ先の長州出島を折り返してきたランナーがコースの右側を下ってきています。ふと先を見ると、宇宙人のように見えるランナーが駆け下りてくるのが目に入りました。「あっ!植田先生だ!」「先生~!」とお声をかけると笑顔で右手をあげて合図をくださり、すごいスピードで下りを駆け下りていかれました。スタート前に先生が、「今日はこれをつけて走ろう!」とおっしゃっていた、頭の頭上からかけるサングラス、シルバーのフォルムにイエローのレンズカラーは、遠目からみると私には宇宙人のようでした!
 よく、マラソンは20キロ以降からが本当の闘いになると多くの人が語られます。事実、植田先生と共に走られた方々の体験談でも随所にこのことがふれられています。私自身にとってもこれから先は未知の領域です。9月に1度、10月にも1度だけ川西の自宅から大阪の梅田までの約20キロを走りましたが、いずれもなんとか辿りついた状態です。老の山公園の中間地点を越えたとたん、余力を失いつつある足が悲鳴をあげだします。右膝の痛みさえ出なければなんとかなるんじゃないかと、一縷の望みをいだきつつ彦島大橋への登りを歩きながら進み始めると、左足の太もも裏が攣り始め、膝上の筋肉もひきつり始め十分に足をのばすことができなくなってしまいました。コース端で屈伸を繰り返し足を伸ばしてなんとか走ろうとしますが、すぐに足がひきつってきます。程なく右膝が痛みだし、少し走っては歩き、歩いては少し走りしながら、なんとか長州出島の第7関門である29キロ地点を制限時間残り5分で通過。30キロ地点を越えて、「あと残り12キロ!」と気持ちを奮い立たせようとしますが、膝の痛みで走る事ができなくなっていました。長州出島の橋の出口手前でとうとう6時間のペースランナーに抜かれてしまいます。それでもあのペースランナーが確認できる間はまだ望みがあるんじゃないかと速足で追いかけてみますが全く足が言う事をききません。とうとうペースランナーが見えなくなったと同時に歩くこともままならない状態に。結局第8関門の制限時間を6分越えて32.8キロ地点でTHE ENDとなりました。4時間50分ぐらいだったのでしょうか。
 初マラソンの挑戦はこのように残念ながら完走することはできませんでしたが、本当に良い経験ができたと感じています。ゴールできなかった私が言うのもおかしいですが、走る事は自分との闘いであり、如何に己を知って、自分の身体と相談しながら、着実な準備と訓練を積まなければゴールにたどり着くことはできないという事を学びました。と同時に、それらをクリアしてゴールに辿りついた多くのランナーへの畏敬の念もより深く感じることができました。次回はなんとしてもゴールに辿りついて、本当のランナーとして仲間入りできるよう精進を重ねていきたいと思っています。
 マラソン後の打ち上げでは、美味しい黒豚のしゃぶしゃぶに舌鼓を打ち、ワインに日本酒にと、また大盛り上がりとなったカラオケと、植田先生、本当にありがとうございました。ご馳走様でした。





~ジョンソン・エンド・ジョンソン 細野泰史~

 2010年11月7日(日)人生で2度目のフルマラソンに挑戦いたしました。
前回もこの下関海響マラソンでしたが、29km地点の人工島であえなくリタイアをしてしまい、今回はリベンジです。
 昨年は1ケ月の練習で全く走れなかったため、次こそは4ヶ月前からトレーニングを始めると誓いました。そして、今年は7月中旬の暑いさなかからジョギングを開始しました。
 が、しかし・・・ 盆明けに仕事上で大きなトラブルが発生したため、1か月ほど全く走らない日々が続きます。9月中旬から休日のランニングを再開し、10月末頃までに10kmなら筋肉痛にならない体力まで持っていくことができました。
 が、しかし・・・ 10月末に仕事上での更なるトラブルが・・・。
精神的にも落ち込んでいるところに「息抜き?」として植田先生が私たちをジョギングに誘ってくださいました。
 11月2日(マラソン当日の5日前)にマラソンコースの下見を兼ねて彦島の風車から人工島入り口の往復12kmを走りました。このコースは上り下りが多いため、下関海響マラソンの難所となっています。私は練習の甲斐あってか、最後の上り坂でかなりペースは落ちたものの、難なく走りきることができました。このときに私は心の中で「マラソン完走」を意識してしまいました。
 植田先生からは「海響マラソンのコースは前半がフラットなコースで後半がこの上り下りのあるコースだから絶対に前半は飛ばさないようにね!」とアドバイスを頂きました。
 いよいよ、マラソン当日。スーパーハローデイの前で毎度おなじみ江角さん手作りの横断幕を広げ記念写真。そのごスタート位置に移動しました。私たちFブロックのスタート地点には6時間ペースランナーの老人がいます。この方は宋兄弟と一緒に走ってたほどの実力者だそうで、私たちのために6時間のペースで走ってくださるとのことです。MCが「この方が仏に見えるか鬼に見えるかはあなた方の体調次第!」と言ってたことが後ほど良くわかりました。
 スタートの号砲から少し遅れて列が動き出します。スタートラインを越えた時点ですでに5分くらい経過していました。下関警察の前を過ぎるまでは込み合って走れるような状態ではありませんでしたが、道幅が広くなると徐々にみんなのスピードが上がっていきます。私も無理をしない様に周りのペースに合わせて走り始めました。
 私は非常に快調で、関門大橋の下をくぐりぬけて進みます。昨年はかなり辛く感じた関門医療センター前の折り返しを軽快に過ぎて行きました。折り返しですれ違う高橋さん・梶芳さんに元気に手を振りながら・・・ 「あれ?少しペースが速すぎるかも知れない」快調だった事で調子に乗っていたことを反省し、ペースを落とそうとしました。しかし、周りのペースに流され、落とせない。「まぁ調子はいいんだし・・・まぁいいか!」とこのまま走り続けてしまいました。
 昨年走ることをやめてしまった13km地点を超えても快調でした。しかし、15km付近となるスタート地点付近に帰って来た頃に右足の甲に痛みを感じ始めました。
かなりペースが落ちて17km付近の大きなエイドでコールドスプレーをお借りし、とりあえず冷却。しかし痛みはすぐにぶり返し、走れる状態ではなくなってきました。
辛くなってきても沿道からの応援は励みになります。
「がんばれ!」
「がんばれ!」
「がんばれ!ドラえもん!」

「・・・え!」
 私の後ろを走っているドラえもんに沿道の視線は釘付け。応援してくれている方々の声援はドラえもんが全て掻っさらって行きます。
 私にも愛を・・・。
 右足をかばいながら走ってみると次は左膝が・・・そして右膝まで痛みだし、歩きだしてしまいました。
 ゆっくりでも走りながら、22km地点のまで来ました。ここの風車の場所は先日のトレーニングのスタート地点です。ここから再度奮起してこの地点まで帰ってきたい。そう考えるのですが、一度歩いてしまうとふくらはぎが固まってしまったように動きません。数mほど走っては歩く。数mほど走っては歩く。を繰り返し、全く走れなくなりました。
 ドラえもんはもう遥か彼方に。沿道の応援は私を励ましてくれますが、もう走れません。
 しかし歩く励みになります。もう一歩、もう一歩なんとか歩き続けてると沿道からひときわ大きい声で老婆が
「しゃっしゃと走らんかい!」
「ははは・・・」
と苦笑いで返しましたが
「はははやない!走らんかい!」
と無茶な愛の鞭を飛ばしてくれます。本気で切れそうになりました。
 なんとか歩き続け、昨年リタイアした人工島で制限時間のカウントダウンをなんとかクリアして次の関門まで・・・。
 結果、昨年よりも長く走れました。しかし、リベンジとはなりませんでした。最大の理由は先生の「前半は飛ばすな!」というアドバイスを聞かず、調子に乗ってハイペースで走ってしまったことだと思います。しかし、練習不足であったことは間違いありません。
 膝や足の甲が痛くなるのは去年も悔やんだ「ウェイトオーバー」と運動不足が原因なのは明らかです。去年と同じ誓いをもう一度・・・ 来年に向けて痩せます!