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私のマラソン記 マラソン体験記2009

~ マラソン体験記2009 ~

*2009年 第28回いぶすき菜の花マラソン
 (橋本・高橋・石橋・柳井・江角・植田)

*2009年 東京マラソン2009
 (柳井・笠井)





2009年 第28回いぶすき菜の花マラソン

※橋本

指宿では大変お世話になりまして、ありがとうございました。
朝スタート時の空模様は大変心配でしたが、終わってみれば、途中晴れ間ものぞきまして良かったです。
いつもは素通りする豚汁を食べたり、湾の景色を堪能したり、いつもと違う楽しさもあったマラソンでした。
タイムは6時間を超えてしまいました。(柳井先生、江角さん、最後にご挨拶できず申し訳ありませんでした、、)
昨年後半あまり走れていなかったので元々自信はなかったのですが、筋肉痛も例年に比べるとひどく、練習しないとこうなるのかと身をもって体験した大会となりました。

今年も走った後に頂くご飯はおいしかったです。
植田先生、美味しいワインとカラオケありがとうございました。とても美味しくいただきました。互いのマラソン結果や途中のこぼれ話などを聞いたり話したり、とても楽しいひと時でございました。
また、宿からの景色がいつもより眺めが素晴らしく、温泉もいつもどおり満足でした。

今年は1年を通して少しずつ走っていきたいと思います。
今後ともよろしく申し上げます。

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※高橋

今回で私の記憶が確かであれば7回目のいぶすき菜の花マラソンへのチャレンジとなりました。今回は5時間以内でゴールすることを目標にしていました。
一昨年の秋口から昨年の大会に向けて練習を重ね、結果、昨年は5時間10分という小生にとってはベストを残すことができました。それから一年、練習量は減ったものの、体重も維持できていましたので、今回は5時間以内のゴールに自信がありました。
目標達成をサポートしてくれる機会も加わりました。知り合いの関係で白水館の2日連泊予約が取れたのです。白水館は恐らく指宿一番の温泉宿で、なかなか連日の予約を取ることはできませんでした。当日は全てJTBの管理下で、個人での宿泊予約はできないので。白水館はマラソンスタート地点から5分ほどの立地で、当日も余裕をもってスタートできます。以前、指宿での前日宿泊予約が取れないときもありました。当日の早朝に2両編成の超満員電車で鹿児島市内から指宿に向かった年もありましたが、その差は雲泥です。

当日の天気予報は曇りで降水確率は30%でした。6時に朝食を済ませ、6時30分から始まるゼッケン配布会場に向かいました。ゼッケンを受け取り夜中に北九州から移動されてきた植田先生と江角さんと合流し、宿に戻りました。宿でスタートの準備を整え、全員でスタート地点に向かいました。スタート地点には10分前に到着しましたが、既に多くのランナーが集まっていました。本年は昨年を更に上回り、15000人がフルマラソンにエントリーされていたとのことです。我々はフィニッシュ時間3~4時間のプラカード周辺に位置しました。スタート前はいつも、7時間要した時も今回も、変わらずワクワクするものです。今回は例年とは異なり、参加メンバー全員が一緒の場所からスタートできました。やはり全員が一緒の場所からスタートできるのはいいですね。

スタート後、3キロ付近までは全員で一緒に走りました。植田先生から"最初は一緒に走ろう!"とご提案いただきました。3キロまでは平坦なコースで、ペースもキロ6分程に抑えていただいたので、非常に楽に気持ちよく一緒に走れました。(橋本さんは体調不良でしたね。。。)
3キロ過ぎから一人で走ることになりました。少しづつ植田先生、江角さん、石橋さんの姿が遠くなっていきました。植田先生と石橋さんは"サブフォー"なので、このまま遠い存在になると思いましたが、江角さんは必ず後で会えると思っていました。前回も30キロを過ぎたあたりで江角さんに再会できました。前回は全く余力が無い状態で江角さんに再会したので、結局ゴールは江角さんよりも遅くなりました。今回は余力残しで江角さんと再会し、軽やかに"お先に!"と言うつもりでいました。本当に"大人気ない"私ですが。。。

10キロ付近に近づいたころです。後ろから「高橋さん!」と声がかかりました。柳井先生が後ろにいらっしゃったのでした。少しの間、恐らく500メートルぐらいでしょうか、併走いたしました。その後、柳井先生は「前に"20キロの男"江角さんがいるのでゆっくりと落ちてくるのを待つことにします!」と言って先に進まれました。柳井先生も江角さんに再会できるのを私同様に楽しみされていました。江角さん、待ってるよ~。

再び一人旅が始まりました。今回は65~70分で10キロをカバーするつもりでした。キロ7分であれば自信がありました。とても順調に気持ち良く走れました。17キロ付近に枚聞神社があります。これまで私のオアシスでした。いつもこのあたりで疲れ始め、出店のお好み焼きを食べるのが習慣でした。今回は全く見向きもしませんでした。全く疲れは感じませんし、何よりも楽しく走れていました。喉も渇かないし、これまでのエイドでも全く水分や食料は摂りませんでした。これは初めての経験で、いつもは毎回エイドに立ち寄ってきました。それほど快適だったのです。
その後、20キロを迎えました。時間は2時間13分。自分では予定とおりの時間で納得でした。膝も太ももも違和感なく快適でした。やればできるんだ!と。

26キロを過ぎたころから登りがはじまりました。いつもこの登りには嫌気がさしてしまうというか、走ることに飽きるというか、キツイというか、叩きのめされます。名物の"激励おばさん"が今年も待機していて、叱咤激励を受けます。いつもウンザリで、「自分も走ってみればわかる!」と心の中で思っていました。今回は以前ほどではありませんでしたが、やはりきつく感じました。登りの途中から歩きました。無理して走るよりは、早歩きの方が早いと考えました。そして登りきってからまた走り始めました。それから少し違和感を太ももに感じるようになりました。何となく不安な気持ちのまま走り続けて30キロを迎えました。30キロの通過時間は3時間30分でした。20キロから30キロは1時間17分とペースが落ちていましたが、残り12キロ、キロ7分で走れば5時間を切れるので何とかなると思っていました。がしかし30キロを過ぎたところで突然両太ももが痙攣して完全に座り込みました。思わず「おーおーおーおーおー」と言ってしまったので、周囲の方が驚いて私を見ていました。大丈夫!と暖かい声もありましたが、私の見た目が怪しいのでしょう、手を貸してくれる方はありませんでした。暫く寝転びました。太ももは痛かったのですが、暖かな日差しで気持ちよい時間でした。このまま寝たら気持ちいいなーと思いました。恐らく5分くらいは寝ていたでしょうか、その間は過去のいぶすきマラソンでのドラマを思い出していました。いろいろな楽しい出来事ばかりが浮かんできました。それから痙攣が和らぎ再び走り?いや歩きはじめました。痙攣以後は、少し走って長く歩くというペースになりました。この時点で5時間は厳しい目標に変わっていきました。喉もやたらと渇きはじめ、全てのエイドに立ち寄りました。いつか江角さんに再会できるかもしれないという期待と暖かい声援と食料が心の支えでした。逆に後ろから橋本さんに追いつかれることを確信していました。追いつかれたら一緒に歩くことを勧めるというか、一緒に歩くように脅迫するつもりでした。でも結局のところ橋本さんには会えなかったので、脅迫して人間性を疑われることにはなりませんでした。

ここからゴールまでは毎年の自分と一緒でした。短く走り長く歩いたのです。唯一の成長は"カニ歩き"ではないことと、精神的に楽しめるようになっていたことです。一秒でも早くたどり着きたいという気持ちは変わりませんが、それとは別にマラソンをしていること、今ここに居ることを楽しめるようになっていたことです。いつもと風景は一緒ですが、自分の中での風景の映り方に違いを感じていました。それだけ回数を重ねたことと価値観が変わったということだと思いますが、何か故郷に戻ってきたような気持ちでゴールに向かって短く走り長~く歩きました。
そして2時になったときです。毎回おなじみの"車両規制解除"の通知がサービス車から流れ、車道ではなく歩道を疲れきった仲間達と肩がすり合うように前に進みました。どうしようもなく疲れきった状態にもかかわらず前に向かって進む他人の姿、特にルックスが"ヤンキー"のような若者のそのような姿には暖かい気持ちになります。私も周りからそのように見られているかもしれませんが。。。

太ももと膝は疲れていましたが、精神的には気持ち良くゴールを迎えました。決して早くはありませんが、走ってゴールに入れました。時間は5時間28分でした。
ゴールしてから、うどん、おにぎり、フランクフルトを食べ、そしてコカコーラを一気に飲み干しました。お腹もすいて喉もカラカラでした。私なりの達成感と食欲を満たせるひとときが最高のご褒美でした。
それから宿に帰りました。柳井先生が帰路につかれるとのことで、お見送りをしました。そこでやっと江角さんに再会できました。さわやかな笑顔で車を入口に回していました。江角さんはタフですよね、徹夜で運転して指宿に入り、マラソン完走後にそのまま帰路につくのですから。これまで同僚と思っていた江角さんですが、完全に置いていかれました。今後は江角先輩!と呼ばなくてはなりません。

白水館の立派な温泉を楽しんだ後、植田先生にお世話になったワインと夕食、そしてカラオケを楽しみました。3時くらいまで盛り上がり就寝しました。ただしこれで指宿マラソンが終了していませんでした。翌朝、植田先生と石橋さんはランニングをするというのです。私には信じられません。マラソンの翌日は走るどころか歩くことが大変なんです。翌朝に走ることなど有り得ません。しかし、さすが"サブフォー"です。翌日の早朝に植田先生は7キロほど、石橋さんはも5キロほど走られたとのこと。改めて格の違いを感じました。

目標は未達成に終わりましたが、来年こそは5時間を切れるように練習を重ねたいと思います。また、今や同じレベルの友を失ってしまいました。どなたか小生と同じレベルの良き友が新たにマラソンに参戦していただけることを期待しています。

以上

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※石橋

「今回で何度目になるんだっけ?」東京から指宿までの往路を共にした高橋さん、橋本さんと指折り数えました。その場では「7回目」という結論に落ち着きましたが、帰宅して完走証を引っ張り出したところ、どう数えても今回分含めて6枚しかありません。
というわけで私の体験記では「6度目の菜の花マラソン参加」として記録を残させてください。まずは本文に入る前に、昨年記載した体験記の締めの言葉を再度ご紹介いたします。

『私は今回のマラソンでまたもや走ることに魅了されてしまいました。身の程知らずかも知れませんが、これからも出来る限りの努力を重ね、少しずつでも記録を更新していきたいと思います。まずは月並みですが、「これまで出場したフルマラソンは指宿のみ」という殻を破るべく、「今年上半期中に違う大会に参加するぞ!」という誓いを宣言し、最後の挨拶に代えさせていただきます。』

・・・という宣言に従って、昨年は初めて「いぶすき」以外のフルマラソンに出走いたしました。それは茨城県で行われる「かすみがうらマラソン」です。指宿のアップダウンに鍛えられ、育てられた私は、アウェイの霞ヶ浦でもなんとか自己ベストを更新することができました。そこで今回の目標は「そのタイムを指宿で越える」ことでした。そのタイムとは3時間49分54秒。ちなみに平成14年に参加した初めての指宿では6時間24分でした・・・。

前泊組は少し早く入られていた柳井先生と、先述の当社三名。昨年、景気付けとばかりに深酒をし、その挙句ドでかいいびきで相部屋の皆さんに多大なるご迷惑をおかけした私は、今年はわずかばかりのビールだけに抑え、その甲斐あってか同様の失敗は繰り返さず同部屋三名とも(おそらく)ぐっすり休むことが出来ました。

翌朝、前日に東京での会議終了後に羽田~北九州~指宿と究極の大移動をされてきた植田先生、深夜の長距離運転を終えられた江角さんとスタート地点近くの駐車場で合流致しました。本当はお二人とも疲労困憊のはずですが、スタートを控えて"やる気オーラ"はみなぎっているようにお見受けいたしました。昨晩ぬくぬくと熟睡した私は多少の敗北感と罪悪感を覚えずには入れませんでしたが、「お二人に恥じぬよう一生懸命走ろう。」とこのとき心に誓いました。

さあ、今年もいよいよ始まります。直前まで気を揉ませたお天気はしっかり持ち直し、快晴とまでは言わないまでも曇りの中にわずかながら青空が見えるようなまずまずのコンディションの中、スタート地点に立ちました。今年は過去最高の参加人数(フルマラソン15,000名以上!)とやらで、盛り上がりや熱気も例年以上のように感じます。
「2~3km地点までできるだけ一緒に走ろう!」植田先生が皆さんに声をかけて頂きました。昨年、前半飛ばしすぎて後半苦しんだ私は、そのご提案を聞きながら「行ける所まで皆さんと(おそらく最後は植田先生と)一緒に走ろう」と考えました。

そして9:00。いつもより周囲の騒ぎ声や歓声が大きかったせいかスタートの号砲は聞こえませんでしたが、例年通りのろのろ動き始めました。「今回は練習不足で自信が無い・・・。」と言っていた橋本さんを除いた5名(植田先生、柳井先生、江角さん、高橋さん、石橋)がほぼ一団で1km/6分~6分30秒程度のペースを刻みます。これまでスタート早々単独行動を決め込んでいた私でしたが、今回はしばしの間、皆さんとの無言の交流をエンジョイしました。
3km過ぎくらいからでしょうか。少しずつ集団がばらけ始めました。この辺からペースも少し上がり1km/5分台に突入します。ちなみに先ほどから度々「ペース」という言葉が出ますが、言うまでも無く、実際にこの「ペース」作っているのは植田先生に他なりません。私はただひたすら植田先生の黄色いウィンドブレーカーを追いかけました。

そして1km/5分を切るくらいまでペースが上がってきた約10km地点。眼前に開聞岳が現れました。この辺りで海抜約100mまで登りきりましたので、あと暫くは緩やかな下りが続きます。ここで植田先生は1km/4分半程度までスピードを上げられました。「慣れないランナーが下りで無茶をすると後がタイヘン。」とはよく聞く話ですが、私は後先考えず、それこそ転がるように必死に追いかけました。
約13km地点。開聞岳の手前に池田湖と満開の菜の花が共催している絶景ポイントです。所々ですが空には晴れ間も広がっていました。この10km~13km位までの区間は私がこのコースで最もお気に入りのエリアです。毎年「今年もまた新しい一年が始まるなぁ。」とつくづく感じる瞬間です。尚、この辺までの間に江角さんとは何度か出会いと別れを繰り返していました。

ハーフ地点手前。ここまで一度も用を足していません。今までそんなことはありませんでした。今回は「植田先生に置いていかれないよう頑張ろう」という思いが少なからず抑止力になっていたのかもしれませんが、さすがにもう限界です。「すいません、小に行って来ます!もし後ほどお会いできたら・・・。」という言葉を残して私は林に駆け込みました。1分ほどの放心状態を経て、すぐさまコースに戻りました。「もうお会いできないだろうな・・・。」と考えながら、しかしテンションは下げずに本日はじめての一人旅に突入しました。
自分なりに頑張ってペースを落とさなかった御褒美でしょうか、10分位した頃、遠くの方に黄色いウィンドブレーカーがかすかに見えました。間違いなく植田先生です。ゴール後に聞いたのですが、植田先生は私が用足しに消えた後、ペースを落としたり立ち止まってエアサロンパスをかけたりしながら私が追いつく可能性を高めてくださっていたのでした。
とは言え、「見える」のと「追いつく」のは別物です。植田先生の姿が確認できた後も、しばらくは走りながらただ黄色い背中を眺めているだけでしたが・・・10分位後にようやくたどり着きました。「ご無沙汰しています!」と私。「お、よく追いついたね。」と植田先生。その先生のお言葉に私はまた勇気づけられました。

そこからはまたしばらく植田先生の背中を追いかけました。所々向かい風が強くなります。私はふと気づきました。「あ、いかん!向かい風で植田先生の後ろにいたら・・・風よけにしているってことじゃないかぁ!!」あわてて横にそれました。そんな中でも植田先生の適確なペース配分は続きます。
30kmを過ぎた位からでしょうか、植田先生が私の目標(3時間49分以内)を照準にラップを刻み始めました。1kmごとに「いけそうだよ。このペースで行けば3時間45分。」「遅れてないよ。次の昇り坂が踏ん張りどころだよ。」等など。私はその都度、植田先生のご配慮に感謝しつつ、自らを奮い立たせました。

そして35km地点。今年も立ちはだかる山川駅の坂。私はさすがに一杯一杯です。植田先生の背中は徐々に遠ざかり、あっという間に置いてきぼりを食らいました。私には、「まさにこれこそ高橋尚子ばりのギアチェンジ!」に見えましたが、実は後から伺うと先生ご自身ではそこまでのギアチェンジではなかったそうです。車の運転に例えると、いわゆるアクセルの踏み方に特に変化はなかったとのこと。反対に坂道で心身のブレーキペダルを踏みまくっていた私にとっては完全にそのように映りました。「そんな殺生な。。。」私は切ない気持ちになりながら本日二度目の一人旅に入ったのでした。

やっとこさ坂を登りきり、ラストの温泉街へと続く平坦コースに出ました。距離が離れているせいか、それとも前を行く集団のせいなのか植田先生の姿は見えません。そんな中でもふと見上げると空は朝よりも青くなり、尻上がりに晴れてきているようです。「よし、とにかく走りきろう!」私は気合を入れなおしました。
37km地点あたり。右に直角に曲がる角手前。私の視界には、その角を右折して左から右に駆け抜けていく黄色いランナーがはっきり確認できました。「植田先生だ!」またもや少しペースダウンして私を待っていて頂いたそうです。私は「最後のひと踏ん張り(最後ではなかったのですが・・・)。」とばかりに大きく手を振りながら必死に前へ前へと急ぎました。どれくらい必死だったかというと、毎年「これだけは」と楽しみにしている"そら豆スープ"を取らずに横目に見ながら走り過ぎるくらいでした。

そしてようやく追いつきました。先ほど追いついた際は「ご無沙汰しています!」と声をおかけすることが出来ましたが、今はもうそんな余裕はありません。何も言葉は出ませんでしたが、植田先生はすぐ後ろにつけている私の息遣いで気づかれたようです。何とおっしゃっていたか記憶にはありませんが、一声二声かけて頂き、今度こそ本当のラストスパートに突入いたしました。
向かい風がとても強く感じます。しかし、ここですたれてしまっては絶対に悔いが残ります。「よーし、あと少し、最後まで頑張ろう!」ところが植田先生はまたもやギアチェンジ(されたように見えました)。ゴール前ラスト2kmはここに来てなんと4分台のラップです。私はそれこそ最後の力を振り絞りました。

ようやくアーチをくぐり遂にゴール目前。私は植田先生とは別のレーンに入ろうと先生の右後ろにそれたその時、左斜め前を走る植田先生が後ろを振り向き右手を差し出されました。もうろうとした意識の中で私も自然に左手を出し、そして手をつなぎ両手を上げて二人揃ってゴール・イン!これまで6回のいぶすき菜の花マラソンの数ある体験の中でも、最も大切な思い出の1ページを刻んだ瞬間でした。
ゴール後、すぐにストップウォッチを止めようとしたのですが、使い慣れたはずの時計のどこを押せばよいのか、なぜか全然かわかりません。「石橋君の時計では何分?」と植田先生。「えっと、時計がですね、ボタンが・・・押したら、止まってなくて・・・@?#%&*$」うまく喋れない私。「・・・何言っているの?」植田先生があきれるのも無理ありません。恥ずかしながらそれくらい頭が真っ白だったということなのでしょう。

記録は3時間46分10秒(ネットタイム3時間43分20秒)でした。目標にしていた自己ベストは一応更新できました。しかし、この結果は言うまでもなく植田先生が完璧なペースを刻んで頂けたり、随所でペースを落としたり私を励ましたりしながら最後まで一緒に併走して頂けたからこそ。自分ひとりで同じタイムで走れるとは毛頭思えません。
加えて、これまでスタートからゴールまで他のどなたかと(ほぼ)一緒に走りきったことも初めての経験でした。植田先生におかれましては、本来であればもっと好タイムを目指せたであろうにもかかわらず、最後までご配慮いただき感謝の思いで一杯です。

レース後まもなく、その日中に帰られる柳井先生と江角さんをお見送りいたしました。そして残された私達は夕食までのしばしの間、白水館名物の元禄風呂で至福のひと時を過ごしました。極楽極楽・・・。
夕食後は、植田先生にお世話になった美味しいワインとカラオケ合戦で散々盛り上がり、3時ごろに就寝いたしました。植田先生にはマラソン時のみならず、ここでもお心遣いを頂きました。本当にありがとうございました。

マラソン雑誌を読むと、マラソンに特に大切なのは「練習量」と「ペース配分」と言われているそうです。今回はつくづくその信憑性(特に後者)を痛感できた経験でした。
今後は自分ひとりで走っても、きちんとペース配分できるランナーになれるよう、しっかり努力していきたいと思います。まずこの春は、4月までにフルマラソンをあと二回、ハーフマラソンを一回走る予定です。今回の貴重な経験を生かして一歩一歩精進致します。植田先生を始めとした一緒に参加させていただいた皆様、最高のひとときを本当にありがとうございました。心より御礼申し上げます。

PS.菜の花マラソンのHPで植田先生&石橋が写っているShotを見つけましたので添付いたします。今後とも宜しくお願い申し上げます。

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※柳井

祇園精舎の鐘の声
諸行無常の響きあり
いぶすき菜の花の色
走者必衰の理をあらわす
走れる人も久しからず
ただ春の世の夢のごとし
疾き者も遂には歩きぬ
偏にスタート前の塵に同じ

こん度,2年越しの念願叶っていぶすき冬行軍に参戦したり。マラソン初心者においては,レースの興奮で年末より,いてもたってもゐられざりし。正月休みは毎日ロードワークで,おせち料理を消化したりき。前日は,山口は雪と嵐のごとき暴風なりき。鹿児島の天気予報でも雪マークで,ホテルの人よりは「3年ぶりの寒さなり」といはれ,激レースの予感にいとびびってゐき。体育館にゼッケンを取りに行ひしときは,道すがら台風並みの突風に襲われ,「明日は走るるならむや」と不安になりなりき。「ところで植田御大将はこの雪中,車で来れるならむや」と,益々不安を募らせてゐき。
当日の朝は,風は未だ残ってゐしものの,前日のごとき嵐は去っており,チーム植田全員がホテルで集合して,気合ひを入れて出陣しはべりき。昨年の実績より,まずは「20kmの男」江角さんをRock onして,あわよくば「副長官(意味ははべらず.心の中のあだ名にはべる)」高橋さんにつきて行かむかと思ひたりはべりし。
スタートの花火が上がりし後は,御大将の突撃の合図とともに,「韋駄天石橋」を先鋒にチーム植田の強者ともは疾風のごとく駆け抜けていきき。「くのいち橋本」もすでに姿を消し去り,あっといふ間に一人になりにはべりき。まさに「強者どもはゆめのあと?」今年は東京マラソンに当選せしかば,その前哨戦として4時間半くらいでいぶすきを走りたらば,あわよくばチームサブフォーに仲間入りできる日もあるかと思ひ,とりあえず6分10秒/kmで完走を目指しし。いと人多し,初より歩みたるを前よりスタートしたる人も多し。人並みに流されながら最初の坂をあがりていきき。5kmを超えしくらいより何とか自分のペースで走ることが能ふやうになりはべりき。そのころはアップダウンばかりなれば,きれいなる走り方の人を見つけては,その人の後ろにつきて手の振り方や脚の運びを真覚えして,練習しながら走りたりはべりき。そのとき,前よりスキンヘッドの人が来しかば「副長官なり」と思ひ,ダッシュで追いつくと,あからさまに違ったおじさんにはべりき。また,少しは知るとスキンヘッドの人がゐしかば近寄るとなほ違ひたりて,結構スキンヘッドが多きに驚きはべりき。3人目は体型も高橋さんそっくりにはべり。でも,慎重を記すため100mくらい後ろについてじっと観察して斜め横より眼鏡を確認して,漸う高橋さんに出会へき。その頃は未だ10km手前で,登り坂にはべれど一気に疲れもとれ,二人で池田湖をみながら伴走しはべりき。その頃,私のペースメーカにぴったりの「私は4時間30分で完走しはべり」と丁寧に背中に張ってはしたる方を見つけしかば,副長官に失礼して先を急ぎき。
池田湖よりは基本的に下りなれば,「4時間半の男」を見失はざるやうに気をつけながら,沿道の声援を横目に軽快に走りはべりき。14kmと20km過ぎの登りを超ゆと,そろそろ「20kmの男」と再会できるのならざるかと思ひ,赤き服を着た人を念入りに調査して走ってゐはべれど,今年はなるかなるか出会えなきめりき。海側に出づと一気に風が強くなり,汗でぬれしシャツがいと冷たくなりてきたり。吹きさらしで,周りには黒豚舎と田舎の香水ばかりの道が続くと,だんだん走るを飽きてきにはべれど,「20kmの男」はいづこに行ひしなり?と,調査を続けてゐはべりき。33kmで湾に向かってきつゐ下り坂あり。ここで膝が笑ひ出しはべりき。このままでは今年は「30kmの男」に命名されてしまふならざるか,といふ不安がよぎり,なるべくスピードを落として丁寧に坂を下り,膝の回復を待ちし。そういはば,私のペースメーカーの「4時間半の男」を見失ってゐしに驚き,戸惑ってゐせばなると後ろより私を抜きていきき。いつぞや,リードしたりきめりはべり。といふは,「20kmの男」も後ろにいひしならむか,と思ひながら,ついに最後の難関「37kmの登り」にたどり着きし。以前,ロバート秋山似のsanten楠山氏より「ありんこが行列を作りて上っているみまほかりはべりよ」といはれて随分びびってゐれど,確かにありんこがいっぱいゐき。まあ,未だ「20kmの男」を捕獲してゐざりしかば,「このありんこの中にいるかもしれず」といふ期待を胸に,歩みたる赤き人を垣間見ながら,前進しはべれど,なほ「20kmの男」はゐざりき。ありんこの丘をこゆと,見慣れたいぶすきの街並みに戻りし。最後に温泉街よりの向かひ風に歓迎(?)さるれど,何とか4時間30分でゴールするが能ひはべりき。そこで待ってゐてくれし妻に聞くと,「さっき,江角さんは帰りてきたり」と,デジカメで証拠写真を見せてくれはべりき。なると,捕獲失敗!あからさまにショックなれど,心の中に思はぬ目標ができていたお陰で,楽しき42.195kmを経験するができたり。

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※江角

今年で3年連続の参加になります。今年は、前日の23時20分に北九州空港で東京からの出張帰りの植田先生と合流して車で指宿に向かいました。移動日は、全国的に冬型が強まり気温もかなり下がっている状況でしたが、高速道路の規制もなく順調に指宿に入りる事が出来ました(微妙に凍結してそうな所は、何箇所かありました)。4時頃に会場駐車場に到着したので、受付時間7時まで車中にて仮眠を取りました。車の中での睡眠は、足が伸ばせないので辛いものがあります。

7時になり受付会場に向かうと、どこからともなく「江角さん」の掛け声が聞こえてきます。高橋さん、石橋さん、橋本さんでした。そして、皆さんから「準備は前日に宿泊した白水館で一緒にしましょう」と暖かい声を掛けていただきました。白水館の部屋に入ってびっくり「おら、こんな部屋初めてだ・・・」。部屋のグレードの高さ・最高の景色!!最高の空間で準備を始めました。準備中は、全員がリラックスムードです。心のオアシス楠山くんの姿が無いのをTさん・Y先生が非常に残念がっておられました(^-^)。そして、いよいよスタート地点に向かいます。

 今回の目標タイムは、4時間30分以内です。昨年も同様の目標を立てましたが、達成できませんでした(一昨年:4時間51分、昨年:5時間02分)。9時の号砲と共に、約1万5千人のランナーが一斉にゴールを目指します。私達は、ゴールタイムが3時間~4時間の所に陣取っていました。スタートラインを過ぎるのに、3分を要しました。

 スタート直後、まず最初に感じた事があります。過去2年に比べて植田先生のペースが速い事です。4時間以内のゴール記録を持っている植田先生・石橋さんがレースを組み立ててくれます。私は、「チームサブフォー(植田先生・石橋さん)」に、中間地点までは付いて行こうと心に決めて走りました。そうすれば、おのずと結果が付いてくると信じていました。8Km地点で少し遅れていきます。過去2回は、このままズルズルと遅れていきますが、今年は違いました。とにかく石橋さんのオレンジ帽子が目立つんです。ここにいるから早く追いついてこいと言わんばかりに目立つんです(^-^)。そして、12km地点辺りで一度追いつく事ができました。そして、チームサブフォーより前を走る時間帯もありましたが、結局は再び遅れてしまいます。しかし、中間地点まで石橋さん(オレンジ帽子)を確認できる距離にいました。

中間地点のタイムを確認すると1時間54分(一昨年2時間10分、昨年2時間07分)。なんじゃこらー!?明らかにオーバーペースです。昨年の苦い思いが頭をよぎります。昨年は、一気にペースダウンして20数キロ地点で高橋さんに抜かれていきました。そして、ゴールするまでに3時間を要しました。毎年、中間地点までは元気なのに、後半がサッパリダメ男・・・。だから高橋さんに「20キロの男」と名づけられたのだと思います。しかし、今年は下半身の状態が良好です。昨年10月に参加した九州脊梁山脈トレイルランの効果なのでしょうか?ペースは落ちましたが、歩く事も無く順調に距離を進んでいきます。いつもなら、20数キロ地点の名物オバちゃんに精神的な攻撃を受けるのですが、今年は笑って言い返すことのできる余裕がありました。30キロ地点のエイド付近で大きな集団に飲み込まれていきます。なんなんだこの集団は・・・?と思っていると、ゴールタイム4時間以内のペースメーカーと参加者のグループでした。100mほど付いていきましたが、あっというまに遅れていきました。そして、いよいよ35Km地点の上り坂を迎えます。

メリハリをつける為に35km地点の上り坂は、手を大きく振りながら歩く事に決めました(歩幅が少しでも大きくなるかと思い・・・)。しかし、逆に歩幅を広く取りすぎた為に足への負担が大きくなってしまいました。両足膝上の筋肉に違和感を感じるようになりました。坂を上りきる手前に、エアスプレーを持った3人の女性がいました。私は、エアスプレーを借りて両足膝上の筋肉にスプレーを長時間かけました。筋肉の痛みは和らぎましたが、スプレーを使いすぎた為か女性達が若干嫌な顔をしていました(ゴメンナサイ)。

 いよいよ残り5Kmとなった辺りから腰に激痛を感じるようになってきました。37Km~40Kmの3Kmは、「走る・止まる・後ろを確認(柳井先生、高橋さん、橋本さんの確認)・屈伸運動」の連続です。後ろを確認するたびに、高橋さんのニヤッとした顔が浮かんできます。高橋さんと柳井先生の10km地点での20キロ男捕獲作戦があったなんて・・・。屈伸をしていると、おじさんから「残り2kmだから頑張れ」の声援を掛けてもらい再び走り出します。そして、200mほど進んだ辺りで別のおじさんから「残り3kmだから頑張れ」の声????。私の心は、一気に折れました。距離が増えてるじゃないか!!

40Km(残り2Km)の横断幕を確認すると、最後の気力が出てきました。ラストスパート、そして両手を大きく上げてゴールラインを迎えました。タイムは、4時間21分11秒(ネット4時間18分07秒)!!目標の4時間30分を切る事ができました。練習量が結果に結び付く事をあらためて感じました。今後は、腰に痛みが出てきたので腹筋・背筋をもっと鍛え、そして体重を74キロから68キロまで絞り、サブフォー入りを目指したいと思います。

ゴール後、皆様と少しの時間しか話せませんでしたが、皆様最高の笑顔をされていました。橋本さんには、ゴール後お会いできなかったのが残念ではありましたが、電話越しに慰労会での盛り上がった声が聞けたので安心しました。来年は、是非慰労会に参加して、はじけたいと思います。植田先生・柳井先生・高橋さん・石橋さん・橋本さん、本当にありがとうございました。今年の11月8日(日)、下関海峡マラソンでお会いできますのを楽しみにしています。

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※植田

第28回いぶすき菜の花マラソンに参加された皆さん、お疲れ様でした。

例年と同様ですが、東京での会議が終わって、北九州空港に到着したのが夜の11時15分頃で、迎えに来てくれた江角君の車で指宿に向かいました。
九州地方は寒冷前線の影響で雪でした。深夜、高速道路が凍結したら大変だと心配していたのですが、ほとんど問題なかったようです(私は寝ていたのでまったく分かりませんでしたが...)。
江角君は夕方3時間ぐらい睡眠をとったということですが、北九州から指宿までの長い道のりを1人で運転してくれました。
私は睡眠薬を飲んでいたので、すぐに寝付くことができました。後部座席で横になっていたのですが、寝返りを打つことができず、翌朝体のあちこちが痛くて...

明け方、高橋君からの電話で、スタート前の準備は皆様が泊まっているホテルの部屋でさせていただくことになりました。
あたたかい部屋は有り難かったです。

全員揃ってスタート地点に立ちました。例年に比べると気温が低く、風も強いため、皆さん防寒対策をしています。3時間~4時間のプラカードのところに立ったのですが、スタートの号砲が鳴ってもなかなか進みませんでした。
スタートラインまで行くのに約3分かかりました。

石橋君の目標は自己記録更新3時間49分以内ということなので、私がペースメーカーになってあげようと思いました。
1kmあたり5分20秒だと3時間45分02秒、5分30秒だと3時間52分04秒でゴールできます。スタート直後は多くのランナーがいて思うように走れません。
また、上り坂が続くので、8kmまでは6分前後のペースぐらいで走りましたが、それ以後はしばらく4分30秒~5分15秒で走りました。ハーフの距離を過ぎて、順調にタイムが刻めているのが確認できると、残りの距離を5分15秒~20秒で走ることを意識しました。途中、少し石橋君が遅れることもありましたが、ペースを落とすとすぐについてきます。
石橋君を置いて前に行こうかとも思いましたが、最後まで彼のペースメーカーを果たすことにしました。最後は彼と手を繋いでゴールしました。
すぐに時計の針を止めたのですが、押し方が足りなかったようです。石橋君に時間をたずねると、わけのわからない答えが返ってきます。頭の中が真っ白だったようです。

記録は3時間46分9秒でしたが、スタートラインを踏んでからの時間は3時間43分5秒になります(江角君の記録をみると、スタートラインまでに3分4秒の差があり)。

私のこれまでのこの大会のベストは2005年の3時間32分02秒ですので、私としては満足のいくタイムでした。このところ、長い距離をゆっくり楽しみながら走ることばかりでしたが、来年はまた3時間30分台をめざしたいと思います。

今回、当初出場予定だった櫻井君が体調不良で参加できませんでした。
櫻井君がいると、展開が変わっていたかもしれません。
皆さん、来年はこの大会での自己ベスト更新をめざして日々の練習に励みましょう。

ホテルはいい部屋でした。宿泊料は高かったのですが、とても満足しました。
来年もこの部屋に泊まりたい、もちろん、納得のする走りをして、楽しい時間を過ごしたいと思いました。

追伸
翌朝、朝食後に7kmのジョギングをしました。
朝6時過ぎはまだ暗闇です。小雨の中、走る人はほとんどいないだろうと思いましたが、30名以上の人とすれ違いました。




2009年 東京マラソン2009
※柳井

先ほど東京マラソンを無事に完走しました。強風と雨の中のレースで,split timeは4時間37分25秒でしたが,スタートまでに15分かかりましたので,4時間22分くらいではないかと思います。一応記録更新ですが,サブフォーの仲間入りは果たせませんでした。東京の街並みを眺めながらのんびりと走ることができ,とても愉しいレースでしたが,後半は雨と風で凍えそうなラストで,大腿4頭筋が固まってとてもラストスパートできる状態ではなかったため,早々に記録はあきらめ,観客見物を楽しみました。指宿に比べると,観客が都会的で,「頑張れー」の声援も若い声が多く,年寄りは江戸っ子風の「もっとがんばらんかい」みたいな感じでした。東京マラソンのコースは難易度が高くないと思いますが,3万以上のランナーがコースを埋め尽くす状況では,非常に大変なレースです。
また,来年も応募したいと思います。帰りのバスを待っているときに3回続けて当選した方もいて,来年のリベンジを誓いました。
今日は朝からエイコーの笠井さんと合流して荷物を預けたり,コースの整列のアドバイスを頂けたのが大変助かりました。経験者がいるといいですね。来年は是非私がお手伝いさせて頂きたいです。荷物の受け渡しのトラブルはありませんが,完走したあとにメダルをもらったり,完走タオルをもらったりするのに時間がかかりますので,非常に寒かったです。何より人数が非常に多いので,トイレ,移動,待ち合わせなどすべてのことに時間がかかりますね。更衣室もありませんので,タオルを巻いて着替えました。
では,みなさんまた次のレースで。これから山口に帰ります。

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※笠井

2009年東京マラソンに参加して
 幸運にも2回目の出場権を手に入れ走ることができました。決して私が雨男ではないと思っているのですが、参加した2回とも悪天候で、3月の開催にもかかわらず寒さとの戦いになりました。柳井先生申し訳ありません。
 前回の教訓を生かし、柳井先生と早めに合流し自分のスタート位置のGブロックでスタートを待ちました。待ちに待った(1時間ほど待ちました)スタートの号砲とともにスタートしたのですが、スタートをくぐるまでに15分ぐらいかかりました。ここでも前回の経験をいかし、スタートラインをこえる前にトイレを済ましスタートしました。スタートしてから10km過ぎの日比谷まではペースの違うランナーを避けながら自分のペースをキープするのが大変で少し足に負担をかけてしまったような気がしております。ペース的にはキロ5分30秒と決めていたのでそれを守りながら走っておりました。10kmで54分台と予定通りでした。品川往復はコースも広くなり、先頭集団ともすれ違うので気持ちよく走り、途中の増上寺付近でトイレによしましたが、15K30分11秒、20K27分28秒と予定通りでした。しかしながら20K過ぎの銀座から浅草までは向かい風との戦いになり、江角さんの20Kの男と同じようにいつものようにペースが落ち、25Kラップが29分17秒なってしまいました。柳井先生を浅草の折り返し後に探しながら走りました。ちょうど駒形橋のところですれ違うとことができました。このころからですが、両太ももがつった状態になりました。(練習不足を反省しました)ストレッチを試みたのですが、治る気配がないのでそのまま我慢して走りました。その状態でペースが上がるはずもなく、キロ6分半に落ちてしまい、丁度40kmの表示のところで、目標であった4時間を迎えてしまい念願のサブフォーを達成することができませんでした。記録としては4時間14分でした。
 今回のレースは芸能人(TVクルーのピンクのビブス着用)もたくさん走っていたのですがだれが走っていたのか事前調査してなかったので、追い越しをするのですが誰か分からず、あとでテレビを見て確認をしました。また、仮装の方も多く見受けられ、沿道からキャラクター名で応援されておりました。目撃した仮装は、水戸黄門、忍者、ミニーマウス、みつばち、せんとくん、定番の猿などたくさん見かけました。今回私は7月から参加していたアミノバリューランニングクラブ(各都道府県で各100名のランニングクラブ)の服(オレンジ色)を着て走っていたので、いたるところで「アミノがんばれ」っと声をかけていただきました。

 2年前のことと比較すると、案内表示、ランナー誘導、給食、給水、荷物の受渡し、トイレの数など劇的に整備され、快適に走ることができました。あと2年前の完走メダルと比較すると2倍ほどに大きくなっておりびっくり致しました。
 今回のレースも十分に楽しむことができました。あとは30K過ぎのペースダウンを克服しサブフォーを達成できるように走りつづけたいと思います。来年は多くの皆さんと参加できるように願っております。