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私のマラソン記 マラソン体験記2008

*2008年1月13日 第27回いぶすき菜の花マラソン
 (石橋・高橋・櫻井・橋本・江角・植田)

*2008年 東京マラソン2008
 (橋本)

*2008年3月 秋吉台カルスト高原健康マラソン
 (江角)

*2008年 第18回かすみがうらマラソン
 (石橋・高橋・橋本)

*2008年3月23日 たねがしまロケットマラソン
 (櫻井)

*2008年5月 2008鬼あし!中部日本縦断300km
 (植田)

*2008年5月29日 萩往還トレーニング
 (江角・植田)

*2008年9月4日 トレイルラン(門司港駅~足立山~小倉)
 (江角・植田)

*2008年 第5回周南24時間リレーマラソン
 (柳井・細野・石橋・梶芳・長畦・田中・佐々木)

*2008年 第1回九州脊梁山脈トレイルラン
 (櫻井・江角・植田)





2008年1月13日 第27回いぶすき菜の花マラソン

※高橋

過去何度もいぶすきマラソンに参加したが、明らかに今回はその意気込みが違っていた。何で意気込みが違っていたのか?自分でも良くわからないが、何か一区切りを自分の中でつけたかったのかもしれない。マラソンに参加してもとんでもない結果で(いつも7時間を越えていた。)、何か見苦しい自分が嫌だったのだと思う。

2007年の10月よりトレーニングを開始した。毎朝4時30分に起床して5時から約1時間のランニングである。ランニングの後はスクワット50回とストレッチ。最初は1キロ走っただけで息切れしていたが、約1ヶ月後には10キロ走れるようになり、それからタイムを気にするようになった。ランニングコースは私の住居近くの「木場公園」。公園まで約1.5キロ。そこには1週3.5キロのランニングコースがあり、朝早くから多くの方がランニングやウォーキングを楽しんでいる。コース2週と往復で10キロである。最初はキロ7分だったが、レース前1ヶ月ではキロ5分45秒で走れるようになった。週末は20キロを2時間で走るようにしていた。不思議なくらい20キロ走っても何ともなかった。体重もいつしか10キロ以上減って、レースを迎えることになった。

私には少し自信がついていた。20キロ走っても息が切れないし走った後にスクワットができていた。普通に歩けていたし食事制限することなく普通に体重が減っていったから。今回一緒に参加する同僚が3名いた。Sさん、Iさん、Hさんである。当然ながら過去に一緒に参加した際は、見事に私は置き去られていた。Sさんは雲の上、Iさんとは3時間、Hさんとは2時間の差があったのである。しかし、変な自信をつけていた私は、Hさんは眼中になくIさんを追い越すことを考えていた。ある朝、Hさんと一緒に木場公園で走る機会があった。当然ながら私のペースはHさんにはキツイようであった。その練習後にIさんから「大人気ないことをしない方が良い。」と言われた。Hさんは私の変化にショックを受けたことをIさんに話していたのだ。私は全く気にならず、更にIさんを刺激し続けた。「自己記録の4時間30分を下回ったら俺にまけるかもしれないよ。」と。その後も会うたびに牽制し続けた。本当に大人気なかった。Iさんは「30キロからが勝負ですよ!」と私に返した。私は30キロを練習していなかったが、全く気にならなかった。

レース当日の朝を迎えた。天気予報が外れて良い天候に恵まれた。今までのレース前と違い、早くスタートして欲しかった。Sさん、Iさん、Hさんと一緒にスタートを迎えた。私はIさんに近いところで20キロを2時間で走ることにしていた。30キロを3時間20分までに、そしてゴールは4時間30分を目指していた。スタートが切られた。

スタート直後は例によってダラダラ歩き。これまでだとダラダラ歩きが心地良かったが、今回は違った。しばらくダラダラ歩きに付き合った後、Sさんが「遊びすぎました!」と一声残してジグザグにランナーを追い越して見なくなった。私も側道を走りどんどんとランナーを追い越していった。標的のIさんを探したが見当たらなかった。恐らくIさんはゆっくりと来ているのだと思っていた。追い抜かす時は声をかけてくれると信じていた。

スタートして最初の目標は10キロ1時間。最初は登りが多いが割と普通に走れて10キロをむかえた。1時間5分だった。足も心臓もなんとも無かった。10キロを過ぎると池田湖が見えてくる。この池田湖で思い出すのは、あるお母さんである。会社の同僚のお母さんがマラソンに参加されていて、この池田湖でお母さんに抜かれたのである。大きなショックを受けたことを鮮明に覚えている。今回は快調に池田湖を通過し、かつ、IさんにもHさんにも抜かれていなかった。
これまで水とかバナナとかがあるエイドステーションでは立ち止まって補給していた。それが今回は走りながらの補給で、何度か上手く補給することができなかった。レベルは違うがテレビで見ていたマラソンのようだった。全くもって馬鹿らしい話であるが、自己満足に浸ってとても気持ちよかった。

池田湖の次は開聞岳を目指して20キロへむかう。20キロの通過は2時間5分。練習通りに走れていた。中間地点も普通に走って通過した。まだまだ体力にも余裕があったので、このまま30キロまで同じペースで走り、そのうちにIさんに抜かれるであろうから、抜かれたらIさんが嫌がるようにIさんのペースに合わせて背後に付くことを考えていた。過去の大会ではIさんを下りを利用して凄いスピードで追い抜き、その後に影に隠れてIさんが行き過ぎるの見てから走ったことがあった。Iさんは相当にプレッシャーを感じたようだった。このようにIさんとは因縁の闘いを続けているのである。でも陰湿ではなく洒落の範囲であることを理解していただきたい。

25キロ地点に徳光神社がある。ここは私にとって大切な場所である。この神社には出店が並んでおり、毎回ここでお好み焼き棒を食べている。多い時には2本食べることもある。ゆっくりと座ってたべるソース味は格別だった。でも今回はお好み焼き棒に目もくれなかった。自分でも不思議なくらいに。
25キロと30キロの間でEさんを見つけて先に行かせてもらった。Eさんと走るのはこれが初めてだったが、前回は確か5時間を切ったと聞いていたので自分も5時間を切れると確信した。

神社を超えて30キロを迎えた。30キロの通過は3時間15分だった。30キロを過ぎて少し体調に変化を感じた。膝には違和感が多少あったが深刻ではなかった。実は心臓が締めつけられるようになった。こんな事は初めてだった。心臓が苦しくなるほどマラソンで走れたことは一度もなかった。加えて30キロ過ぎから登り坂が続いていた。思わず立ち止まった。大きく深呼吸をしても心臓の圧迫感はなくならなかった。仕方ないので歩くことにした。水分をしっかりと取り、食べれるものは全て食べた。噂に聞いていたソラ豆スープはとても美味しかった。私はこれまでソラ豆スープは食したことがなかった。言うまでも無く私が通過するときには、すっかり無くなっているのであった。今回は同僚と同じものを食べれるのが幸せだった。会話にも参加できる!

35キロを過ぎてしばらくしたらEさんに声をかけられた。でも私はEさんについていくことはできなかった。しばらく歩いていたら膝や足が思うように動かなくなってきていた。
私はEさんに「5時間切れるよ!」とエールを送った。確か残り5キロぐらいで4時間20分ぐらい経過していたと思う。Eさんに声をかけてから私も今一度走り始めた。U先生の忘年会で声高らかに宣誓したことを思い出したのだ。「5時間を切らなかったら坊主にします!」と。ご存知のことと思いますが、私はスキンヘッドです。
一旦、Eさんを追い抜いた。そして生意気に「頑張って!」とEさんに声をかけた。本当に自分自身が強がりであることを自覚した。当然ながらEさんに即座に抜かれて見えなくなった。
とぼとぼとゴールに向かって歩いていたら嫌な放送を耳にした。「道路規制を解除します。」というアナウンスだった。そう、スタートから5時間を経過したのだ。ひとつの目標が道路規制解除前にゴールすることだった。絶対にそれは可能だと思っていた。でもかなわなかった。残念だった。
ゴール近くになったら応援の方々が道路を囲んでいた。歩いているのが恥ずかしかったので自然と走った。そしてグラウンドに入った。グラウンドに入る前に足を使ったので、肝心のゴールはヨボヨボ歩きだった。でも何となく嬉しかった。前回は7時間40分だったが、5時間12分でゴールできたから。
誰かいないかと周囲を探していたら、U先生と奥様が声をかけてくださった。U先生の暖かい声を今でも思い出す。「高橋くん、良く頑張ったね!」と子供をむかえてくれるような本当に暖かい笑顔だった。

Sさん、Iさん、Eさんもゴールしていた。Sさん、Iさんは4時間を切っていた。いわゆる"サブフォー"だ。素晴らしい走りに感服した。Iさんは私に話し掛けることなく先に行っていた。ゴールしたときには抜かれた記憶がなかったので、もしかしたら私よりも遅いのではないか?と本当に思っていたが、大きな勘違いをしていた。本当に情けない。
全く相手にしていなかったHさんも私と3~4分違いだった。危ないところだった。これだけレース前に生意気に振舞ったことを、この書面を借りて深くお詫びしたい。

レース前にIさんから言われていたことを思い出した。"30キロからが勝負ですよ!" 本当にそうだった。Sさん曰く、だれも30キロが境目であり、それを克服するにはレースに出るのが賢明である。私もそう思う。練習で30キロ以上走るのは結構つらい。これからマラソンレースに定期的にエントリーすることを考えたい。

レース終了後に温泉、食事、カラオケを楽しんだ。
カラオケでは替え歌を皆で競った。私は、さだまさしの「案山子」を歌ってみた。 ♪元気でいるか、10キロ過ぎたか、バナナは食べたか、寂しかないか、体力あるか、今度いつ会える、池田湖を過ぎたら、きつく長い坂、登りきったら開聞岳・・・・・♪

今回も想い出に残る大会になりました。一緒に参加された皆さんに感謝します。
これからも皆さんとマラソンをご一緒できる機会を楽しみにしています。
でも本当に30キロには魔物がいる!

以上

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※石橋

2002年に初めてのフルマラソンとしていぶすき菜の花マラソンを経験して今回で足掛け7年、5回目の参加。私はいつしか"走る"ことにどっぷりはまっていました。
正直最初は「人生で一度くらいフルマラソンってのに出てみるのもいいかも。」くらいの気持ちで参加させて頂きました。しかしスタートからゴールまで、ド素人の私がヨロヨロ走ったりとぼとぼ歩いたりしている姿にも暖かい声援をかけてくださる沿道の方々や、池田湖、菜の花、開聞岳という指宿の素晴らしい風景を見ながら走れる爽快感にすっかり虜になり「是非このマラソンに次も参加してみたい。そして参加するなら少しでも速く走りたい!」と思うようになりました。
そして最後に走った2年前の同大会。記録は4時間31分。初マラソンが6時間14分だった私から見れば、その時点では個人的に十分に満足できた戦績であり、ゴール直後は「もうこれ以上はムリ。これからはこの辺の記録で走りつづけよう。」と考えていました。しかし...人間とは欲深いものです。翌日からはジワジワと後悔の念が押し寄せてきました。「もう少しあそこで粘れなかったか?」「なぜあの坂で歩いてしまったのだろう?」「最後の2kmくらい死に物狂いで追い込めなかったのか?」等など。
そして自然に頭に浮かんできた言葉は...「サブ・フォー」。そうです。「3時間台」という意味のマラソン用語です。私はなんとかこの称号を自分のものにしたいと考えるようになっていました。

それからの2年間は細々とですがとにかく走りつづけました。多い月で160km、平均するとひと月あたり80km~100kmくらいでしょうか。週末を中心にせっせとランニングに勤しみました。食事にも一応は気をつけるようになり、体重は7年前のマラソン初参加時からはマイナス18kgまで落とす事ができました。
ところが着々と準備を進めてきた私に、というか私の周辺に昨年末あたりから異変が起き始めました。これまでは一緒に参加しながらも、あたかも「マラソンは完走することに意義がある。」とばかりにタイムにはこだわっていなかった(ように見えた)私の上司のTさんが怒涛の猛トレーニングを開始したのです。どのくらい"怒涛"か、という内容はご本人の体験記にお譲り致しますが、とにかく間近で見ていても明らかに体が絞れてくるTさんの姿は驚愕の一語でした。私は焦りました。ただ、その「焦り」とは決して「抜かれる」とか「負けるかも」という勝ち負けを意識した焦りではなく(全くなかったといえば嘘になりますが...)、どちらかというと「なぜ自分はもっと練習時間を捻出できないんだ?怠けてないか、俺は!?」という危機感でした。それほどTさんの今回にかける意気込みは私を扇動致しました。
Tさんのストイックな追い込みに触発される形で、遅まきながらも最後の仕上げとばかりに正月から走りました。まずは元旦から20km走り、2日3日は箱根駅伝の感動に背中を押される形で各10km。そして4日5日も同様に走りこみ、正月の5日間で60kmをこなして1月15日の本番を迎えました。

弊社からの参加者は先述のTさん、それからSさん、Hさん、私の4名です。数日前まで心配されたお天気も奇跡的に晴れ渡り、気温も暖かく(16℃)絶好のコンディションでした。スタートの号砲が響き、例によってのろのろとランナーが歩き始めます。スタートラインを超えたのは約3分後。私は待ちきれなくなり「では皆さん、頑張って走りきりましょう!」と声を上げ、歩道に出てぐんぐん飛ばしていきました。
10kmまでは緩やかな、しかしコース中で最も高い位置までの登りです。ここまではまずまずのタイム。ここから恒例の青く光る池田湖、満開の菜の花、勇壮な開聞岳を満喫できる絶景ポイントです。素晴らしい景色を満喫しながらも私は一気に駆け下りました。まだタイムは落ちていません。
アップダウンを繰り返しながら20km、そしてハーフ地点。時計に目を落とすと1時間53分。このとき初めて「ちょっとマズイかも!?」と嫌な予感が致しました。実は昨年1月に走ったハーフマラソンのタイムが1時間52分なのです。明らかに無理があります。しかし後戻りは出来ません。「残り半分、2時間あればいけるだろう。という事は貯金は8分!」と自分に言い聞かせながら後半戦へと突入いたしました。

案の定でした。25kmまではなんとか乗り切ったものの、そこからは5kmごとにみるみるタイムが落ちていきました。必至で足を動かしているのですが、ハーフまであんなに軽かった膝と太ももが重いのなんの...。ご存知の方も多いあの「山川駅(35km付近)」の坂手前ではもうぐったりと立ち止まってしまいました。
足にエアサロンパスを吹き付けられながら時計を見るとタイムは3時間18分。残り7kmをキロ6分で行けたとして42km地点でちょうど4時間となり、その上195mを残すという計算です。走り始めならいざ知らず、ここからキロ6分のペースはまるで自信がありません。ましてや目に前には壁のような坂。逆に心の中はがけっぷち。正直言ってここで9割方「サブ・フォー」の夢は諦めました。
頭の中では「まぁ、4時間ちょっとだとしても自己ベストは更新するから良しとするか。」「でも4時間『2分』みたいな記録もギリギリのところで踏ん張れなかった根性ナシみたいで嫌だなー・・・。」等と葛藤を繰り返しながら"山川坂(勝手に命名)"を歩ききりました。

ご存知の通りここからは緩やかな下りと平地です。多少スピードが乗ってくると、やっぱりここで再度諦めかけていた1割の望みがムクムクと膨らみ始めました。「ヨシ、やれるだけやってみよう!」私はこれまでの登りで歩いてロスした時間を取り戻すかのように猛スピードで走り始めました。
膝は痛み、足は重いですがとにかくがむしゃらに駆け抜けながら前にランナーを次々に追い抜いていきました。視界に入るスポーツドリンク、バナナ、水、さつま芋等を手にしたいのは山々ですが、今は一瞬一秒が勝負です。後ろ髪を引かれながらも紙コップを差し出す方々の声援だけをありがたく頂戴し先を急ぎました。しかし「空豆のスープ」だけは別格です。37km付近でしょうか。ここでだけはほんの少し足を止めて美味しいスープに舌鼓を打ちました。しかしこれは本当にウマイ!
沿道の方が手作りボードを掲げながら声援をくれます。「残り4キロだよ!頑張ってー!」ふと時計を見ると1時間36分。もうろうとする頭の中で算数の計算です。「4km×6分=24分で、これを1時間36分に足すと...4時間ちょうどだ!おぉっ!取り戻したぞ、なんとかいけるかも!」
ここからの4kmは恥ずかしながら声(というか雄叫び?)をあげながら走っていました。「うぉーっ!はぁーっ!うぉーっ!はぁーっ!」「間に合うぞ!絶対間に合うぞー!」私の前を走るランナーが驚いて後ろを振り向き私の顔を見ます。『うるさくてゴメンなさい。でも許してください。ボク、いま必死なんです。』と、心の中で謝りながらどんどん彼らを抜き去りました。
そしてついにゴール会場へ。グランド入り口のアーチをくぐったところで時計を見ました。3時間57分。「よっしゃ、もう大丈夫だ!」でもスピードは緩めません。あらん限りの力を振り絞り両手を上げて全速力でフィニッシュ!3時間57分43秒。無事目標を達成できた瞬間です。
うまく表現できませんが、本当に心から嬉しかった一瞬でした。ひょっとしたら今後も頑張り続ければ多少なりともタイムを更新できるかも知れませんが、今回だけは格別でした。私はこの時の感激を一生忘れないでしょう。

一人でほくそえみながら体育館に戻るとU先生の姿が見えました。前日やスタート地点でお会いできなかったこともあり、この大会で初めてお声がけ致しました。「先生、お疲れ様でした!」「...。(無言)」先生は黙って私の顔を眺めています。私は(二年ぶりだし忘れられてしまったかな?)と不安になりながら、恐る恐る「あの...J&Jの石橋です。」と改めて7年ぶりに二度目の自己紹介を致しました。「え?石橋君!?誰かと思ったよ(笑)。」そうです。多少なりとも体重が減ったことでやや人相や体型が変わっていたらしく、私だと気づかれなかったのでした。
3時間59分でゴールしたSさんも戻ってきました。しばしの談笑の後、先生は「他の皆さんをゴール前で待ってるよ。」と軽い足取りで体育館を出て行かれましたが、その頃から私はこれまで味わったことがないくらい気分が悪くなってきました。ギリギリまで力を出し切ったせいなのか、吐き気が襲ってきたのです。ペットボトルのスポーツドリンクを一本飲み干し、少し横になるとだいぶ回復してきたので、私も外に出ました。するとちょうど他のチームメンバーが帰還し始めました。Eさん、Tさん、Hさんが続々フィニッシュ。弊社メンバーはなんと全員大会記録更新。Tさんに至っては約2時間半も縮める飛躍ぶりです。また、これまでと大きく違ったのは、なんと午後二時半頃には既に全メンバーが揃っていたのでした。無料で振舞われているソバやおにぎりを、全員が「普通に昼食として」の時間に食していました。
日帰りで戻られる江角さんに別れを告げて、これまでにないくらい早い時間に我々は会場を後にしました。これまた、今まででは考えられないくらいの軽やかな足取りで。

ホテルへチェックイン後、まずは白水館名物元禄風呂、砂蒸し風呂で42.195kmの疲れを癒しました。夕方の海を眺めながらの広々とした露天風呂。なんという絶景。十分に体を休めて部屋に戻りましたが、夕食までの時間はまだまだあります。白水館は三度目ですが、こんなにゆったり過ごせたことがかつてあったでしょうか?晴れ渡る空の下、絶好のコンディションでマラソンを走りきり、午後は素晴らしい温泉旅館を満喫しながら夕飯を待つ。たおやかな時が流れる・・・なんて贅沢なひと時なんでしょう!
そして待ちに待った打ち上げ(?)です。海の幸満載の夕食と美味しいワイン。締めはカラオケ大会で全員の健闘を称え合いました。皆様、本当にお疲れ様でした。

私は今回のマラソンでまたもや走ることに魅了されてしまいました。身の程知らずかも知れませんが、これからも出来る限りの努力を重ね、少しずつでも記録を更新していきたいと思います。まずは月並みですが、「これまで出場したフルマラソンは指宿のみ」という殻を破るべく、「今年上半期中に違う大会に参加するぞ!」という誓いを宣言し、最後の挨拶に代えさせていただきます。
今回一緒に参加させていただいた皆様、本当にありがとうございました。これからもどうぞ宜しくお願い致します。

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※櫻井

今回はコース記録の更新(3時間59分03秒)以外にも達成したことがあります。エイドステーション等で立ち止まったことを除けば、一度も歩くことなく走りきることができたことです。「いぶすき菜の花マラソン」では、4回目にして初めて達成できました。また、青島太平洋マラソンを完走してから、中一ヶ月で大会に挑むというのも初めての経験でした。これらは大きな自信になりました。

前回までは、一年振りのフルマラソンということもあり、距離やペース配分等に少なからず不安を持ったままスタートを切るという状態でしたが、今回は、事前にコースの起伏等を想定し、5Km毎のおおよそのペースを考えておく等、非常に余裕を持ってスタートラインに立つことができました。当日は起きた時から、少し体の重さを感じ、調子は今ひとつといったところではありましたが、先の青島太平洋マラソンで4時間を切るタイムで走っていたこともあり、自信はありました。

いよいよスタートです。前半の10Kmはきつい登りが続くこともあり、多少ペースを押さえることにしていたのですが、多くのランナー達の波を上手く捌けず、完全に飲み込まれてしまいました。明らかに遅すぎるペースでした。そんなもたついた状況のまま5kmが過ぎてしまいました。想定していたタイムよりも6分も遅い通過で、正直あせりました。もう少々無理があってもペースアップしかありません。そんな時にTさんに追いつきました。一声かけて、追い抜いて行きました。一緒にスタートしたIさんやHさんもその近くにいるのではないかと思い、更にペースを上げましたが見当たりませでした。随分置いていかれてしまったのではないかと少し不安になりました。

アップしたペースにも慣れてきて、気持ちも随分落ち着いてきました。記録もあまり期待できないかもしれないと思い始めていましたが、とにかく、下を向くことなく、絶えず遠く前を見て走り続けました。中間点は2時間2分で通過しました。まだ、4時間を切ることを諦めるのは早すぎると考え直しました。10~20kmくらいまで、近くには牛の仮装をした夫婦、大きな牛乳パックを頭につけた男性、デビルマン(これも仮装です)が走っていました。牛夫婦と牛乳は持っていたカメラで記念撮影をする等、仲良くなっていました。牛夫婦と牛乳、一体どちらが強いのか?非常に興味はあったのですが、彼らを置き去りにして、更にペースアップしました。

20~25kmの5kmは最速のラップタイムで走り抜けました(25分35秒)。過去のマラソンでも経験のないスピードです。そのあたりから足がきつくなり始めました。それでも下を向かず、遠く前を見て走りました。今回は、5kmを過ぎてからは、絶えず遠く前を見て走り続けました。そのおかげで、池田湖やその周辺の菜の花畑、開聞岳等、美しい景色を過去3回とは比べのにならないくらい楽しむことができました。きつくなりはじめてからは、できる限り笑顔を作って走りました。

30kmを通過、いよいよ足が動かなくなり始めました。30~35kmが一番苦しい道程となりました。それでも決して歩くことなく、遠く前を見て走りました。笑顔も作りました。沿道で応援している人からは少し不気味に見えたかもしれません。ペースも随分落ちてきました。しかし、中間点以降は、4時間を切ることを諦めませんでした。途中、スパイダーマン(これも仮装です)を抜きました。スパイダーマンは歩いていました。30kmを過ぎるとヒーローでも苦しむようです。山川駅、35km地点あたりの後半の登りを過ぎ、残りの距離も10kmを切ると、少し気持ちも体も楽になってきました。落ちていたペースも再び上がってきました。タイムも4時間を切るペースに追いついてきました。しかし、まだ、ぎりぎりです。それでも、毎年欠かさず飲んでいるそら豆のポタージュスープは飲みました。今年も本当に美味しかったです。スープを飲み終えると、また、ペースアップしました。

最後まで、下を向かず、遠く前を見て頑張りました。40km地点を過ぎてからは、足がちぎれるのではないかと思うぐらいに頑張りました。

ゴール。何とか4時間を切るタイムで走りきることができました。今回は、今までは負けたことのなかったIさんに先着を許しました。しかし、結果にはとても満足しています。Netタイムで、前半よりも後半の方が2分も早いタイムで走りきることができました。これも初めての経験です。とても大きな自信となりました。

次は、2月10日に「出水ツルマラソン」を走ります。3月には「種子島ロケットマラソン」への出場も検討しています。今回の経験を糧に更なる高みを目指して走り続けたいと思います。そして、来年の「いぶすき菜の花マラソン」では、更にパワーアップした姿をお見せできればと考えています。ご期待下さい。

最後に、今回ご一緒した皆様、マラソン以外の時間も含め、楽しいひとときを過ごすことができました。本当にありがとうございました。来年はもっと多くの方々の参加を鹿児島の地でお待ちしております。

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※橋本

3年前初めて挑戦した際は、不安の方が大きかったのですが、マラソンについて何も分からなかった分楽観視していた部分がありました。その当時は完走自体が目標でしたが、予想していたよりもなかなかのタイム5時間37分で完走でした。2年前の2回目のマラソン、その時は根拠のない自信がありました。この自信が仇となり、前半の飛ばし過ぎにより20キロ地点からは膝を痛めてしまい、全く走れませんでした。6時間と大幅に後退。そして、今回3回目のマラソン。今回は、2回目の時の大ブレーキを経験しているだけに、タイムを縮められるかどうか、不安がありました。
この不安には理由がありました。まず、このマラソンの1ヶ月前にTさんと朝ランをした事によるものです。今年は猛烈に練習をしている事は聞いていました。とはいっても今までの2回指宿をご一緒した経験から(私とTさんでは2時間半差)そこまでの危機感を感じていませんでした。でも、朝ランでご一緒したTさんは早かった。公園を1週した後(3キロ程)、私は確信しました。「や、やばい・・」私が息をはずませながらやっとの思いでついていったのに対し、Tさんの動きは身軽でした。しかもこんな捨て台詞を・・「こんなん歩いているみたいや。」
 もう1つの理由は、Iさんが繰り返し言っていた野口みずきさんのこんな言葉。「走った距離は裏切らない。」かなり走り込みをしていたIさん、Tさん、Sさんにとっては心強い言葉だったと思いますが、胸を叩いて自信を持っていえる程は練習をしてこなかった私にとっては、実に恐怖の言葉。
ともあれ、マラソン当日がやって参りました。前日鹿児島の居酒屋で決起大会。11時過ぎ、少し遅めの指宿入りでした。私は3人と相部屋でしたので、音を立てないように部屋に入り、すぐに寝ました。朝はその3人と朝ご飯。それぞれ、北海道、熊本、福岡と様々な場所から参加でした。マラソン歴もフルマラソン初参加の人から今回が足がけ6回目の人など様々でした。それぞれお互いの健闘を祈りつつ、別れました。朝、前泊したコーラルビーチホテルから会場まで徒歩で行きました。素晴らしい快晴。ホテルは海のすぐ側だったので海沿いを歩いたのですが、朝焼けのなんと綺麗なこと。心が洗われるような感じでした。一抹の不安はありましたが、希望のほうがどんどん大きくなっていきました。フルマラソンスタート地点。3時間から4時間のポイントに並びました。後ろに下がろうかなと思いましたけど、そのままスタートしました。スタートと同時にIさんが歩道に飛び出しずんずんと進んでいくのが見えました。Tさんが、キョロキョロしているのが目に入り、多分Iさん、Sさんを探しているのだと思いましたが、教えてあげるには距離が離れていました。そしてしばらくすると、Tさんも見えなくなってしまいました。
最初の5キロは、特段ペースをあげる事はしませんでした。5キロ通過地点でちょうど40分。ちょっと遅いペース。次5キロは無理をしない程度にややペースを上げていきました。確か前回は5~15キロをかなりのハイペースで走りました。前日Sさんが、コース全体の高度を説明してくれ、前半の方が坂の高度は高い事を教えてくれました。最後35キロ地点以降に聳え立つ坂はそれ程でもないとの事。それを踏まえて、また前回の前半オーバースピードで走った為に後半全く走れなかったあの失敗を教訓に、前半はスピードアップしつつ、無理はしないように心がけました。
池田湖に差し掛かったとき、思わず感嘆の声がもれました。綺麗・・・。雲ひとつない青い空と、澄み切った池田湖。その水面には、後ろに聳え立つ山までくっきり写っていました。今までの2回よりも格段に美しい景色。20キロ地点。前回はここでもう膝が痛くなってしまい、走りを止めてしまいました。歩くと本当に寒いです。あの歩いても歩いてもなかなかゴールにたどり着けない、たくさんの人に抜かれていく悲しさ、海から吹きつける風が寒いのなんのって。そんな目にだけは、陥りたくない、そんな思いで無理をしないように走っておりました。
ハーフ地点は2時間25分ぐらいで通過していきました。25キロを過ぎた後、30キロ手前で結構きつい坂が続きます。ここではじめて歩きました。でもその後はまた走り始めました。1回目は、30キロぐらいからは歩く事の方が多かったように記憶していますが、今回は遅くとも坂以外大部分は走りつづけたように思います。私にとってはかなりの進歩です。最後の7キロは腕を後ろに振る事を優先させながら走りました。残り3キロ地点で力尽きて少し歩いてしまいましたが、それでも前よりも持久力はあり、細々とまた走りました。
そしてゴール!5時間16分。ベストタイムから21分更新。そして植田先生はじめ、Eさん、Tさん、Iさん、Sさんに合流。はじめて、マラソン後の記念撮影に加わることができました。そこで、私はTさんが私の4分前にゴールした事を聞きました。とっくにゴールしたものと思っていましたが、死ぬ気で走っていたら追いついたかも・・・。でも結果に仮定は関係ありませんね。次回は是非とも競いたいです。
走った後の栄養補給が一段落過ぎた後は、宿に戻って、ゆったりと砂蒸し風呂、お風呂を堪能しました。ひとつ今までと大きく違った点は、全員が5時間半以内でゴールしていますので、3時ごろにはもう宿に着いていたという事です。マッサージまでして十分リラックスしました。
もう1つ今回のマラソンの醍醐味として追記しておきたい事は、相部屋でお会いしたランナーの方々とお話する機会を持てたことです。皆さん、年齢も違えば、マラソン歴も異なりましたが、走る事の話題は共通です。普段どれくらい走っているとか、どの大会に参加するなど話はつきません。2日目の相部屋の方は、70歳の素敵な女性。なんと60歳から走り始められて、ホノルルマラソンはもう8回も走られたそうです。指宿も常連。しかも普段のタイムは5時間程で私よりも早い・・・。(今回は途中で転倒されて遅くなってしまったそうですが。)普段お話する機会のないような方とご一緒できて楽しかったです。
最後に一緒に走った方々、ありがとうございました。マラソンって走っているときは一人ですが、その結果や内容を分かち合える仲間がいるって楽しいですよね。また、次回ご一緒させていただき、マラソン話ができたらいいなと思います。来月は東京マラソンに参加します。5時間を切って、公式タイムを更新させる事が目下の目標です。

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※江角

1月13日(日)に開催されました第27回いぶすき菜の花マラソン大会に参加しましたので報告させて頂きます。
今年の大会は、連休中の開催では有りましたが、大会の前後で用事がありましたので、昨年と同じく車中泊でのマラソン大会参加になりました。
私は自宅のある山口市内を19時過ぎに出発して指宿に向かいました。
昨年は、植田先生と一緒に行きましたが、今年は一人での移動でしたので、指宿までの道のりは大変長く感じました。指宿には夜中の2時前に無事到着しました。
年は2回目の参加の為、前回に比べると緊張感も少なく、車中で十分な睡眠を取る事ができました。
7時過ぎに受付会場の体育館に移動して植田先生と合流しました。
その後、高橋さん、櫻井さん、石橋さん、橋本さんに挨拶をしてスタート地点に向かいました。
昨年同様、上記の参加される皆様は、体が締まっておられました。
私には、体にフィットするマラソンウエアは着る事ができません(お腹が目立ち・・・)。
私は、植田先生と完走予定3時間~4時間のスタート地点に並びました。
今年も昨年同様に天気が良く、マラソン日和でありました。
植田先生に「今回の目標は?」と聞かれ、私は「4時間半を切る事を目標に走ります」と 宣言してスタートの時間を待ちました(昨年は4時間51分でした)。
スタート地点は、あまりの人の多さで高橋さん達に合流する事が出来ませんでした。9:00と同時にスタートの号砲がなり、私の2回目のフルマラソンが始まりました。 今年は、とにかく前半を飛ばし過ぎない事を心掛けました(初参加の昨年は、緊張感にのまれ前半オーバーペースで走ってしまい、後半バテバテになってしまいました)。
今年は、植田先生と併走して、道中アドバイスを頂きながら走りました。
しかし、なんと7キロ地点から10キロ地点までの緩やかな上り坂を登りきった時に、 私の足には早くも乳酸が溜まってきました。そして、植田先生から徐々に遅れていく事となりました。
ここからは、一人旅です。なんとか周りの景色を楽しむ余裕がある状態で中間地点を向かえました。
タイムは、昨年の2時間10分を上回る2時間7分でありました。
しかし、足の状態は昨年以上の疲労状態でありました。
中間地点を過ぎてからは、昨年と同じく【アスファルトとの睨めっこ】状態でありました。
そして、25キロ地点で声を掛けてくる人が・・・、そうです高橋さんでありました。高橋さんから「江角君頑張って!!」と声援を掛けて頂きました。私は、「ヨシ!!高橋さんと一緒に走っていこうと決めました」。
しかし、私の足は言う事を聞いてくれません。あっという間に高橋さんの背中が遠くなっていきました。
【アスファルトとの睨めっこ】状態の中、昨年同様、櫻井さんお勧めの「そら豆のポタージュスープ」を飲む事を楽しみに走りました。相変わらず美味しく今年も3杯飲みました。
そら豆パワーを頂き、しばらく走っていると37キロ地点の辺りで、高橋さんを発見しました。そして、お互いに声を掛け合いゴール地点を目指しました。
ゴール地点では、既にゴールをされました植田先生達から声援を受けました。しかし、体がボロボロの私は、手を上げて声援に応える余裕も無いままゴールになだれ込みました。
そして完走タイムは、5時間9分!!当初の目標タイムをクリアする事も出来ず、そして昨年のタイムを上回る事も出来ず、大変悔しい思いでありました。
長々と書いてしまいましたが、最後に今大会で一番印象に残った事を一言を書かせて頂きます。
それは、完走した後の【高橋さんの達成感溢れる笑顔】でありました。努力すれば結果が出ることを改めて感じた瞬間でありました。
そして、皆様方の充実感溢れる顔を忘れる事が出来ません【植田先生・櫻井さん・石橋さんの3時間台、橋本さんの大幅自己記録更新】。
私も次回は、充実感溢れる笑顔が出来るように、もっと努力をしていきたいと思います。
最後となりましたが、植田先生、奥様、高橋さん、櫻井さ、石橋さん、橋本さん、実行委員・沿道の皆様方に改めて御礼を申し上げます。本当にありがとうございました。

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※植田

石橋君、櫻井君の体験談を読ませてもらいました。
2人とも「サブ・フォー」をめざしてがんばったことが伝わる内容でした。
いぶすきはアップダウンのきついコースですから、他の大会であればもっといいタイムが出ると思います。
そして、お2人はまだ若いですし、練習を積めば走るたびにタイムが縮まると思います。

私はこのところ忙しくて、練習をする時間がないため、いいタイムで走ることは諦めています。
その代わり、ゆっくりと長い距離を走るウルトラの方に興味が移ってしまいました。ウルトラでは1kmあたり7~8分程度で走るため、6分はきついという状況です。
以前、フルマラソンを3時間20分台で走ったころは5分以内でいたわけですから、今思うとびっくりです。

昨年、10月7日~8日のウルトラマラソンに出場してからは、大会にエントリーしていなかったため、ほとんど練習していませんでした。
12月の中旬になってやっと少し時間が取れるようになりましたが、風邪をひいたのでランニングシューズを履くことはありませんでした。

年末年始に練習を始めましたが、体の重いこと!何と6kg以上太ってしまいました。休日は1日10~30km(平均20km)走り込みをして、何とかいぶすきで走れる足をつくりあげました。

大会前日は午前の診療後、日本眼科医会の理事会(東京)に出席しました。
羽田空港から北九州空港に着いたのは23時半頃で、それから車で指宿に向かいました。
指宿に着いたのは朝の5時前ぐらいだったと思います。
体育館で準備をしていると、江角君と会ったので、2人でスタートラインに立ちました。
江角君の目標は4時間半だというので、私がペースメーカーになって一緒に走ることにしました。1kmあたり平均5分45秒のペースで走りましたが、私にとってもちょうどいいペースでした。
10kmあたりで江角君が遅れるようになりました。後ろを振り返り、ゆっくり走っても私に追いつけなくなってきたので、私はそのままのペースを維持しました。ハーフ地点では2時間を少し過ぎていたと思います。

櫻井君や石橋君には会えないので、もっと前を行っているのだろうか、高橋君と橋本さんはどこにいるの?もしかしたらすでに抜いた?あるいは私たちよりも後からスタートした?などと考えていました。

ちょうど体もあたたまってきたので、スタートから着ていたビニール袋を脱いで、ペースを上げることにしました(後半の22kmは1kmあたり平均5分12秒でした)。

私のゴールタイムは3時間48分26秒で、櫻井君はもっと早いタイムだっただろうと思っていました。

体育館で着替えていると、石橋君から声を掛けられてびっくり。以前とはまったく別人の体型をした石橋君が立っていました。その後、櫻井君が戻ってきました。
この2人の顔、体形は完全にアスリートです(それに比べて私はちょっと丸くなってしまっています)。
もっとシェイプアップしなければいけないと感じました。

今年はなんとか先にゴールできましたが、来年は追い越されそうです。
でも、私に刺激されてがんばっている皆様を見ると、とても嬉しく思います。
高橋君の記録更新にも本当に驚きました。ゴールして全員が競技場で記念撮影をすることなど、これまで一度もなかったことです。

来年は橋本さん、江角君の大幅な記録更新を期待しています。
他の皆様も来年、一緒に走りましょう。





2008年 東京マラソン2008

※橋本

"次は5時間切り!" 1月の指宿菜の花マラソン直後に立てた目標です。菜の花マラソンの記録は5時間16分。菜の花マラソンとは違って、東京マラソンはアップダウンがないため、16分ぐらいは縮まるであろうとの予測からでした。菜の花マラソンでベストタイムを出して、気をよくしていた私は、この目標を至る所で連発していました。菜の花マラソンの余韻が残る頃はよかったのですが、2月に入り、東京マラソンが近づくにつれ、段々緊張してきました。
今回色々な人に話していた事もあり、様々なポイントで応援に来てくれる事になっておりました。まず、7キロ付近で同僚のNさん、品川で家族、日本橋で同僚のSさん・Uさん、銀座で植田先生、25キロ地点で同僚のTさん、Iさん。指宿では知り合いが沿道で応援ということはありませんでしたので楽しみのひとつでした。
また、今回はいろんな新兵器を用意しておりました。使い方をマスターしたスポーツウォッチ、前日に入手したスパッツ、ナイキブースで入手した4時間45分完走に合わせたタイムキープリストバンド、菜の花マラソン時にSさんに教えてもらった軽量ウェストポーチ、はじめて購入したパワーゼリー、それから先生に教えていただいた練り梅チューブです。
いよいよ当日。8時ごろスタート地点エリアに到着しました。すでにたくさんの人が集合しており、荷物を預ける場所付近では、普通にすれ違いができない程込み合っていました。荷物を預けて、スタート地点へ移動しました。スタート地点はゼッケン番号に振り分けられています。私の番号がGでした。Aから始まり、7番目のセグメント。全員が通り抜けるのに約20分と聞いていましたので、15分ぐらいはかかりそうだなと思いました。8時45分頃に並びはじめました。メディアのカメラマンが行き交い、頭上ではヘリコプターが飛んでおり、熱気があふれていました。晴れてはいたものの、ビルの日陰の朝は寒く、待つ間がものすごく長く感じました。昨年はもっと寒かったのでしょうね。9時10分、いよいよスタートです。どよめく声と拍手でスタート開始した事が分かりました。スタートゲートまで約10分の間、花吹雪が飛び咲く中、ラッパ大演奏を受けながら、石原知事に見送られ、すごい大会で走れるのだなと興奮しながら進みました。
最初の5キロは、周りが早かったのと、下り坂が続いたので、自然とペースが上がりました。また、スタート前に失った10分が気になっており、少しでも取り戻したい気持ちが強かったです。カンニング竹山さん、川ちゃん、玉ちゃん等有名人を追い抜きながら、5キロ地点を通過しました。タイムは、約29分でした。7キロ地点、飯田橋では、同僚のNさんが応援に来てくれる事になっていました。沿道を気にしながら、走りましたが見つけられませんでした。
10キロは29分51秒で通過。15キロ折り返し地点の品川に向かっている途中、折り返ししてきた先頭集団とすれ違いました。こんなオリンピックに出るかもしれない人達と(かなり差が開いているとはいえ)同じ大会で走っているなんてと不思議な感覚に陥りました。品川で家族が応援ボードを持って応援すると言っていたので探しましたが、全く分かりませんでした。折り返し地点のカーブに隙間がないくらいひしめく人たち。その前を走り抜けるのは、注目の的になっているような気がして、恥ずかしいやら嬉しいやらで、少しうつむき加減にターンしていきました。
15キロを30分31秒で通過。ペースをかなり落としたつもりでしたが、そんなに遅くなっていませんでした。1キロ7分で走っているいつもの練習と比較すると、少しペースが速いのですが、調子はよかったのでそのまま進んでいきました。
20キロは31分26秒。ここで同僚のIさんを見つけました。この人ごみの中ではもしかしたら誰にも会えないかもしれないと思い始めていましたので、嬉しかったです。自然と足も軽やかになりました。銀座へ向かう途中で、新しい兵器のひとつ、エネルギーゼリーを吸入しました。「ま、まずいっ!」今回2種類のエネルギーゼリーを購入し、その内飲みやすいと薦められた方を飲んでみたのですが、不思議な味でどろどろしていてその飲みにくさにびっくりしました。気を取り直して、別の兵器、先生に教えていただいた練り梅チューブにトライしました。吸入しやすく、疲れた体にピリッと効いて、腕の振りも力強くなりました。銀座の和光前の交差点。東京マラソンのコースはどこも素晴らしく飽きる事はありませんでしたが、一番東京のど真ん中を感じたのはやはりここです。普段は車と買い物客であふれている道路を突っ切る、とても爽快な気持ちでした。日本橋コレド前で同僚が待っていてくれる予定でしたが、こちらは人が多く、見つかりませんでした。
25キロは33分19秒で通過。そこに真っ赤な浦和レッズの旗を持った同僚のTさんの姿がありました。Tさんから、氷砂糖を入手。甘い氷砂糖も疲れを癒してくれました。30キロ手前の浅草では、家族と友人がいるはずでしたが、これまた会えませんでした。浅草寺前での獅子舞の踊りを左に見ながら、折り返しました。30キロは、34分46秒で通過。32キロ地点で、やっと家族に会えました。家族にはサツマイモを持ってきてもらっていました。指宿が原点の私にとっては、やはり疲れたときは、"芋"でしょう。後で聞いてみたところ、家族は、品川、日比谷、浅草を転々としていたようです。1度でも会えてよかったです。再び、日本橋コレド前に戻ると、今度は同僚3人を発見しました。そこで、バナナ3分の1と特大の梅干を入手しました。温かい声援をもらってまた足取りが軽くなりました。この辺りから、もしかしてこれは文字通り完走できるのではないかと思い始めていました。再び銀座に戻りました。この辺りに先生はいるのではないかとずっと沿道を気にしながら走りつづけましたが、残念ながら会えませんでした。
35キロは、34分46秒で通過。38キロを過ぎた頃から足が重く感じ始めました。坂が見え始めた時、きついと感じるようになりました。とはいえ、いざ登り始めると、思ったより足を動かす事ができ、逆に緩やかな下りがあったので助かったような気がします。40キロを34分51秒で通過。この辺りを過ぎると最後の力を振り絞るのみです。自然に少しペースが上がりました。ゴールまで残り1キロを過ぎるとそこにはさらなる人垣が。さらに最後の曲がり角を越えて約300メートルの直線の右側には応援スタンドが設置されており、その大声援に圧倒されました。
その声援を受けながらゴール!タイムは、4時間42分43秒。目標としておりました5時間を切る事ができました!ゴール地点にはちょうど東国原知事が20秒前にゴールし、人が集まり揉みくちゃにされていました。それを横目に通り過ぎ、ヒートウェアが配られ、次いでメダルをもらいました。メダルはなんだか特別な感じがしてすごく嬉しかったです。菜の花マラソンですと、走り終わった直後に、記録証がもらえるのですが、東京マラソンは混雑を避けるためか、3月に発送されるそうです。
はじめての東京マラソンは、その規模の大きさに圧倒されつつも、所々でいろいろ催しがあり、なんだか一大イベントに参加しているようで純粋に楽しかったです。また、たくさんの人の声援を受けた事が走り切る大きな原動力になりました。さらに、今回文字通り完走することができたのが自分でも驚きでありました。指宿マラソンでは、必ず30キロ以降歩きましたので、フルマラソンは歩くものと思っておりました。今回、後半のペースは少しスローダウンしていきましたが、ガタ落ちすることなく、完走できたことは自信にもつながりました。
さて、次なる目標ですが、次回は4時間20分を目指します。今回、最初のスタートで要した10分を差し引くと、4時間32分でした。12分縮める事を次の目標として、練習を積んで参ります。





2008年3月 秋吉台カルスト高原健康マラソン

※江角

3月2日(日)に、秋吉台カルスト高原健康マラソンに参加してきましたので報告いたします。  この大会は、山口県の中西部にあります秋吉台カルスト高原を走るハーフマラソンとなっております。大会種目には、ハーフ・10Km・ウオークなどがあり総勢約1700の参加でありました。コースの特徴は、平坦な所が少なく折り返しまでの前半が上り、後半が下り中心のコースとなっております。近くには、鍾乳洞で有名な秋芳洞・大正洞、そして動物園のサファリランド等があります。
10時50分に号砲が鳴り、ハーフマラソンがスタートしました。今回の戦略は、前半の上り坂は無理をせずに走り、余力を残して後半の下り坂で時間の短縮を狙う計画でありました。そして、前半は1Kmを6分前後を目標に走りました。スタートして4Kmはひたすら上り坂であります。そしてしばらくすると広大なカルスト大地が見えてきます。カルスト大地は、数日前に山焼きが行われていて、いつもとは違った景色を見ることが出来ました。景色を楽しみながら順調に10Km地点を向かえました。10Km通過タイムが1時間を切っていましたので予定通りのペースでほぼ前半を走る事ができました。しかし、順調なのはここまででありました。
後半の下り坂を走っていると、両足の親指に痛みが出てきました。1月の指宿菜の花マラソン後、右足親指の爪は完全に剥がれ、左足親指は部分的に剥がれ浮いている状態でありました。特に左足親指が下りを走るたびに食い込む感じがして痛みとの戦いになりました。
走る前に綿を詰める等の対応はしていましたが、テーピングをするなどしっかりと固定していればよかったと反省しております。そして、残り4Kmぐらいからは完全なエネルギー切れです。異常な空腹感と同時に体の芯から血の気が引くような感覚に襲われました。今回の大会は、ハーフマラソンということもあり、途中エネルギー補給をしなくても走れ切れるだろうという甘い考えがありました。最後まで歩くことなく完走は出来ましたが、タイムは2時間25分でありました(制限時間2時間30分)。今回の大会は、親指への対応・エネルギー補給面での甘い考えが影響した大会でありました。事前準備の重要性を痛感した大会でありました。今後も走りこみを続け、次の大会に備えたいと思います。





2008年 第18回かすみがうらマラソン

※石橋

いつも大変お世話になっております。
本日、第18回かすみがうらマラソンに参戦してまいりましたので以下の通り報告いたします。
http://www.kasumigaura-marathon.jp/
たいした内容ではありませんが宜しければご笑覧くださいませ。

結果から申し上げますと、プライベートタイム(ネットタイム)で一応自己ベスト更新の3時間49分54秒。
前回のいぶすきで達成した初サブ・フォーを受けて、今回は「なんとか40分台!」をひとつの目標にしておりましたので、ギリギリクリアしたことになります。
しかし、正直申しまして個人的には課題が残るレースでした。

単刀直入に言うと「ペース配分ミス」でした。
前半にアップダウンが集中しているにもかからわず、「いぶすきに比べたらワケ無いでしょ。幻の青梅も走りきったし!」と、結構飛ばしました。
その結果、ハーフ・タイムが1時間46分50秒。「やばい、ハーフマラソンでもこんなタイムない!」と気づいたときにはもう時既に遅し・・・。
とは言いつつも、本音を言うと「ん?でももしこのまま行けたら・・・30分台も夢じゃないかも!」と色気が出たことも否定できません。
もちろん、そんな邪心ははかない夢であったことがすぐにわかりました。

後半はペースが激落ちし、一時は「足が動かん。4時間以内もやばいかも・・・。いぶすきは幻!?」とさえ思ったほどでした。
そんな時にエイド・ステイション(民家出展)に救世主!バナナ→オニギリ→梅干→バナナの順番で次々に頬張りました。
その数分後、気のせいかほんの少し体力が戻り、あとは必死のロングスパート。
そんなこんなで、なんとか結局冒頭でお伝えした結果となりました。
なかなか伝わりづらいかもしれませんが、実に苦しいレースでした。今回は本当に「ペース配分の重要さ」を学んだ気が致します。

かすみがうらマラソン自体は、近頃のマラソンブームもあり、過去最高エントリー数で大盛況(エントリー2万人、フルマラソン1万人)でした。
そのせいかスタートはややもたつき、私はスタートラインを超えるまでに6分40秒もかかりました。
しかし、完走証にはきちんと「オフィシャルタイム(グロス)」「プライベートタイム(ネット)」が記載されていたのでその点は好感が持てました。沿道にもたくさんのエイド、応援が途切れなく、快適に走れたマラソンでした。
ただ、これはお世辞抜きにいぶすき菜の花マラソンと比べると・・・コースの景色の素晴らしさ、沿道の賑やかさなどは指宿の圧勝でした(比べるものでもないですが)。
とは言え、都心から日帰りで参加できるのは非常にありがたいので、来年も参加しようと思っています。リベンジします。

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※高橋

昨日、小生もマラソンに参加しました。
結果は、5時間26分でした。指宿マラソンでは5時間12分でしたので、残念ながら自己ベストは更新できませんでした。
指宿での反省を活かし、とにかく30キロまではゆっくりとした無理のないペースを心掛けました。
指宿では30キロで足が止まりましたので。。。

10キロ1時間11分、20キロ1時間10分と1時間10分ペースでのんびりと走りましたが、30キロが1時間21分と落ち込みました。
続いて40キロが1時間29分となってしまい、目標の5時間を切ることができませんでした。
しばらくはマラソンレースが無いと思いますので、秋のシーズンに向けて練習を重ね、何とか5時間を切れるようにしたいと思います。

ところで、かすみがうらマラソンは非常に便利なマラソンでした。特急で上野から土浦まで50分、駅を降りて約5分で会場です。
コインロッカーも多く設置されており、とても快適に参加することができました。
来年も参加したいと思っています。

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※橋本

私も昨日かすみがうらマラソンに参加しましたので、結果を報告いたします。
今年に入って早3回目のフルマラソン挑戦。今回も5時間切りを目指していました。
結果は、5時間19分。前回の東京マラソンに比べると、46分遅いタイム。いつも安定した走りができるわけではないという事を今回経験しました。

体調が万全ではなかったのですが、こんなにもタイム差が出るとは思っていませんでした。
なんだか体が重いなと思い始めたのは、10キロ地点でした。いつもは25キロぐらいまでは気持ちよく走れるのですが、今回は15キロを過ぎると足全体がだるくなりました。アップダウンが続く中、最初の10キロは1時間3分でしたので、少し飛ばしすぎたかもしれません。
ハーフを超えたところで、5時間台ペースランナーの団体に抜かれそうになり、ついて行こうとしましたが、30キロ地点で置いて行かれました。雲行きも悪くなりはじめ、とうとう雨も降ってきました。
40キロまでは歩いたり、走ったりしながら、前に進んで行きました。空が晴れてくるとともに、ゆっくりでしたが走り続ける距離が少し増えました。
最後3キロは、力を振り絞り、遅くとも走ってゴール!
走る前は、4時間45分~5時間ぐらいかなと話しておりましたので、他の皆さんを待たせてしまいました。
でも、実は15キロ地点ぐらいで、もしかしたら完走できないかもと一瞬頭をよぎりましたので、完走できてよかったです。

もう少し練習を積んで、6月に挑みたいと思います!
今後ともよろしくお願いいたします。





2008年3月23日 たねがしまロケットマラソン

※櫻井

かすみがうらマラソンに参加された皆様(=チーム どんぶりこ)、お疲れ様でした。

もう、1ヶ月も前のことになりますが、私も3月23日(日)に「たねがしまロケットマラソン」を走ってきました。
ご報告ができていなかったのですが(走るという宣言は、以前のメールでさせて頂いていましたが)、3名の方の参戦記を読ませて頂き、この機会に一緒にご報告させて頂こうと思いました。

1ヶ月も経っているのですが、その記憶はかなり強烈に残っています。雨と風、自然の猛威に完敗したレースとなりました。

あまり体調が良いとは言えない状態ではありましたが、過去の経験を思い返すとそんなに悲観する程でもない状態で、スタートラインに立ちました。フルマラソンのエントリーは377名と小さな大会です。(ハーフや家族で参加する短い距離のレースへの参加者を入れると1000名はこえていましたが。)

当日は、一日中雨でした。これは初めての経験でした。また、スタート時から強い向かい風が吹いていました。
コースは、折り返しコースではなく、一本道のコースでしたので、基本的に地形が風を遮ってくれるところ以外は、ずっと向かい風を浴び続けました。

スタート時から体の重さは感じていたのですが、5kmから10kmの間に、早くもペースが落ち始めました。
結局、その後、ずっとペースは落ち続けました。そして、30kmからはついに歩いたり、走ったりという状態になりました。
服装は、半そでのランニング用シャツにロングタイツ、その上からビニール袋をかぶるという格好で挑みましたが、半そでは失敗でした。当日は、気温18℃と比較的暖かかったのですが、後半は、完全に体が冷え切り、寒さに震えながら歩きました。あまりの寒さに、道中の自動販売機で、暖かい飲み物を買ってしまいました。

最後の5kmは、少し走ると両方の足が痙攣する状態となり、ゴール前では、「鹿児島市の櫻井利彦さん」とアナウンスされましたので(全てのランナーがアナウンスされます)、なんとか走ってゴールしようと思ったのですが、恥ずかしながら、ゴールテープ直前10m位のところで立ち止まってしまいました。

記録は、4時間20分45秒と今シーズンの4連戦の中では、最悪のタイムとなりました。
しかし、とても貴重な経験ができたと思っています。
また、4ヶ月間毎月、フルマラソンを完走することができ、自信もつきました。

たねがしまロケットマラソンから3週間程度、完全休養していただのですが、6月を目標に再び走り始めました。
6月には、皆様と一緒に走らせて頂くことを楽しみにしています。それまでにしっかりと鍛え直したいと思います。





2008年5月 2008鬼あし!中部日本縦断300km

※植田

5月3日~5日に開催された「2008鬼あし!中部日本縦断300km」の報告をします。

5月2日(金)の午後の診療を終えて、新幹線で静岡駅に向かいました。
昨年は指定席が取れなかったので、スタッフに早くからチケットを取るよう頼んでいましたが、今年も自由席の車両でした(ゴールデンウィークに移動するものではないですね)。かろうじて席に座ることができました。
昨年は新幹線の中で睡眠を取るつもりでしたが、うるさくて眠れなかったので、今年は寝るのをやめてDVDを観ることにしました。
数週間前に購入したi Pod TouchにDVDを録画しました(DVDを録画するのは好ましくないのですが、私個人が観るだけですのでご容赦いただきたい)。
私は格闘技が好きで、PRIDEの試合を観て気分を高めることにしました。
朝から何も食べていなかったので、DVDを観ながら栄養補給(フルチャージ)をしました。

名古屋駅から静岡駅へ向かう新幹線は人が少なくなってきたので、車内で着替えをしました。
深夜(11時25分)、静岡駅のホームに降りた私の姿は明らかに異様だったと思います。

静岡駅がスタート地点です。受付を済ませた後、説明を受けてすぐに出発です。
今回は私を含めて4名の参加者でした。他の3名は仙台の60歳の男性、愛知の45歳の男性、大阪の50歳の男性です。愛知の方は昨年もこの大会で完走された強者です。
予定では3日の0時スタートでしたが、全員準備ができているので、15分の繰上げスタートすることになりました。
下関は晴れでしたが、静岡は雨がパラついていました。カッパを着ての走りです。
なるべく水たまりには入らないように足元に注意しながら走りました。もちろんヘッドランプも装着します。

第1ステージは長野県の富士見駅近くの旅館までです。20時間以内に136kmを走らなければなりません。静岡から徐々に登っていきます。もっとも高い所で標高約900mだったと思います。

20km過ぎてから両方の足の裏の内側に少し違和感を覚えました。
実は今回、シューズを新しくしたのです。
いつも履いている靴は少しくたびれてきたので、300kmを走るのは無理だろうと思い、同じシューズを注文したかったのですが、新しいモデルに変わっていました。
マイナーチェンジなので、とくに問題ないと思い、その靴であまり練習をしませんでした。
この違和感がだんだんと痛みに変わってきましたが、なかなか足を止めることはできません。4人が一緒になって走っているので、他の方に迷惑をかけたくないと思ったからです。

この大会は決してタイムを競うものではないので、自分の体と相談してゆっくり走ります。地図を見ながらですが、道を知っている方について行くのが得策です。
深夜は誰ともすれ違うこともありませんから、1人で走るのは怖いです。
雑談をしながら走った方が気も紛れますし、何かあっても安心です。

5km~10kmごとに伴走車の方から飲み水とちょっとした食物(パン、おかしなど)をもらいますが、これだけでは足りません。途中のコンビニや自動販売機で必要なものを買って口に入れますが、峠越えなどでは数kmわたって何もないところもありますから、現金、携帯電話、換えの電池、ティッシュペーパーなどを入れたバックの重さは数kgです。
こうした荷物を背負っての登りはきついですが、それなりに慣れてくるものです。

早朝、身延駅(43km地点)の待合室で食事です。
食事と言ってもカップ麺とおにぎり1個だけです。

ここで靴下を脱ぐと靴擦れを生じていました。雨で皮膚がふやけているから靴擦れを生じやすいのです(一番の原因はシューズが足にフィットしていないことですが...)。バンドエイドを貼っても足が濡れているのでしっかりくっつきませんが、ないよりはマシです。そのまま走り続けます。
この地点で仙台の方と愛知の方が遅れはじめました。
私もペースを落としたかったのですが、イーヴンペースの方がいいと考え、大阪の方と2人で前を進みました。

70~80kmを過ぎてからでしょうか?大阪の方も遅れはじめました。
足の痛みはありますが、私はこの痛みから早く解放されたいという思いと、次の日に備えて早く休みたいと考え、そのままのペースで走り続けました。

雨は明け方に止み、雲の間から日が射すようになりました。9時を過ぎると強い日射しで大量の汗をかくようになりました。私は紫外線を避けるため敢えて長袖のシャツとロングタイツを身に着けています。
できることなら、夜は天気で、日中は曇りの方がいいのですが、今回の天気は悪状況です。

日中の暑さでペースダウンせざるを得なくなりました。結局、富士見駅の旅館に着いたのは18時5分頃でした(スタートして18時間30分)。
私がトップでした。

部屋で着替え、すぐにシャワーを浴びて、翌日の準備をしました。次の方(大阪の方)が到着するのを待って、夕食をいただきました。

明朝は6時起床、7時に朝食、8時スタートの予定です。私はすでに36時間以上眠っていなかったので早く寝たいと思っていました。狭い部屋で4人が布団を並べて寝るのですが、昨年はすごいイビキをかく人がいて眠れなかったのを覚えています。
私が早く旅館に着きたかったのは先に寝たかったのもあります。
今回は念のため睡眠薬も持ってきました。食事を終えて9時前にはもう夢の中だったと思います。

翌朝5時に目が覚めました。窓の外を見ると、雲ひとつない天気です。
テレビで天気予報を見ると、今日は28℃で6月下旬から7月上旬の暑さということです。私を含め皆さん、ため息の連発です。

足の裏の靴擦れは思ったほどひどくありません。
豆もできていませんでした。足の筋肉は少し痛みますが、階段の上り下りは問題なくできます。
昨年よりもいい状態です。今回はリタイアすることなく、糸魚川駅に着くことができるだろうという期待が持てました。

手の甲がヒリヒリするのを感じました。見ると赤く腫れています。
長袖を着ていたので腕は大丈夫でしたが、露出している手の甲が日焼けしていました。夜間、寒くなったときのためにと用意していた手袋をつけて走ることにしました。
顔はもちろん日焼け止めクリームを塗りました。
これで頭から足まで紫外線に対しては完全防備です。

朝食を食べた後、予定より30分早く7時半にスタートすることになりました。
前日とちがってこの日は各自のペースで走ります。
スタートしてしばらくするとバラバラになりました。
前日、私より2時間遅れで到着した愛知の方が先に進みます。
私は走り出すと靴擦れしたところの痛みが気になり、ゆっくりとしたペースで走りました。

第2ステージの一番の難所は塩尻峠です。
登りの半分以上は歩きです。頂上で昼食(カップラーメンとおにぎり)を食べた後は長い(約9km)下りが待っています。昨年はここで足を痛くしたので、今年はゆっくり下ることにしました。

この後は比較的平坦な道、交通量の多い国道を進みます。
雲ひとつない青空、太陽がギラギラ輝いています。
温められたアスファルトからの反射熱も加わり、暑くてたまりません。
そして、渋滞している車からの排気ガスも容赦なく私を襲ってきます。
夜の練習しかしていない私にとっては、日中の暑さに体が慣れていないので、フラフラになりそうでした。
植木に水を撒いている人や洗車している人に頼んで、頭や背中に水をかけてもらいました。
10分も経たないうちにそれが乾くのです。いかに暑いか、そして体温が上昇しているかがわかります。
摂取する水分量も増えます。自動販売機でミネラルウォーターを何本購入したでしょうか?覚えていません。
顔には塩が結晶となって付着しています。塩分補給のため、ねり梅干しのチューブを口に入れます。この日だけで2本摂取しました。
植木に水を撒いている人や洗車している人がそんなにいるわけでもありません。
購入したミネラルウォーターを頭からかけます。もったいないです。
なんとかしたいと思っていると、いいアイデアが浮かびました。
落ちていたスーパーのビニール袋を拾って、これに水を入れることにしました。
小さな穴を開ければ簡易シャワーです。顔、腕、背中にあてて体を冷やします。
残った水はビニール袋をしっかりしばって氷のう(氷は入っていませんが...)にして、大腿四頭筋にあてながら走りました。30分もしないうちに水は生温かくなります。水道水を探しながら前に進みます。公衆トイレの水道とビニール袋がこれほど有り難いと思ったことはありませんでした。

日が暮れ始めた頃には80km近くを進んでいました。
足は痛いのですが、昨年ほどではありません。残り時間を考えてもゴールできそうだと思いました。
ヘッドライトをつけての夜間走行です。涼しいうちに距離を稼がなければなりませんが、100kmを過ぎたあたりから、下り坂では足の裏が痛くて走れなくなりだしました。

125kmを過ぎてからは平坦な道も痛みで歩かなければなりません。
1時間に5kmしか進みません。
長いトンネルが次から次と続きます(長いもので7km)。単調な光景に加えて、すでに20時間以上経っているため眠気が襲ってきます。
足の痛みがなければ本当に寝てしまいそうです。
1時間5kmのペースだと残り30kmは6時間かかることになります。

夜が明けてきました。幸いこの日は曇りで強い日射しが降り注ぎません。
走りと歩きが半分半分(約1km走って約1km歩くというくり返し)です。
走るといっても歩く速さとあまり変わらない速度です。
残り25kmの間はコンビニも自動販売機もほとんどありません。
バッグの中にはコンビニで買ったおにぎりや水を大量に入れています。
重たいものは持ちたくないのですが、途中でガス欠すると終わりです。
おなかが空く前に、のどが渇く前にこれらを口にして前に進みます。
ゴールの糸魚川駅まで約10kmに近づいたときには、もうボロボロの状態でした。
何とかゴールしたいという一心で歩を進めます。残り5kmはなるべく走ろうと思って、足を前に出しますが、歩行者とそんなに変わりません(自分では明らかに走っているのですが...)。

結局、ゴールしたのは11時30分前でした。28時間を要しました。
なんとか162kmを完踏しました。トータル46時間30分で約300kmの距離を移動しました。私にとっては短いようで長い旅でした。
昨年のリベンジが果たせたことに嬉しさがこみあげてきました。
今年も十分な練習が出来ない状況の中での、この達成を自分で誉めてあげたいという気持ちです。

私以外の3名はかなり前に到着し、愛知の方と大阪の方はすでに列車の中、仙台の方は近くの温泉に行かれたとのことでした。
私は早く帰りたかったので、糸魚川駅のトイレの水道で髪と顔、腕を洗い、タオルで全身を拭いて着替えを済ませました。周囲の人の目が気になりましたが、そんなのはお構いなしです。
さっぱりしたところで、京都を経由して新下関へ向かいました。

今回の反省点ならびに今後の課題は
1.練習不足
2.暑さ対策
   (日中に練習して暑さに慣れておく)
3.シューズのフィッティング          です。

今回の1kmあたりのペースを添付します(かなり誤差があります)。
時間が大幅にかかっているところは、コンビニに寄っているのだと思います。
120km過ぎてからは1kmあたり10分以上かかっていますが、これは走りと歩きが半分半分のためです。

追伸
昨年の体験談と私が愛用している紫外線防止の服を併せて添付します。





2008年5月29日 萩往還トレーニング

※江角

私は、5月27日(火)に植田先生と面談しました。仕事の話も順調に終え、帰ろうと思った瞬間・・・、今回のマラソン話が突如舞込んできました(*_*)。
~ 5月27日(火)13時 ~
【江角】仕事を終え挨拶をする。「今日は面談有難うございました」
【植田先生】手帳を取りながら「仕事とは全く違う話だが・・・」
【江角】過去に、植田先生とお昼休みに1時間走ったり、木曜日の午後から近くの山へ走りに行った事のある私は、マラソンのお誘いかな!?と直感しました。
【植田先生】29日木曜日の午後は何処の地区で仕事をしている?
【江角】昼に防府市で勉強会をしております。私は、説明会が終って下関に移動する事は可能だと思い、「夕方は融通がききます」と返事をしました。
【植田先生】植田先生は、ニヤッ(^-^)と笑いながら、「山口市の近くにいるんだね」と、何度も確認されてきました。
【江角】なんだか、いつもと状況が違うと思った私は、植田先生から次にどんな言葉が出てくるか心配になってきました。そして次の瞬間、先生の口から信じられない言葉が・・・。
【植田先生】「萩往還を走るぞ。16時に瑠璃光寺へ集合!!」。
【江角】心の中で私は叫びました「ヒィー・・・、平日の夕方から走るの?、いったいどうなるんだー!!」。(萩往還と言えば、先日Y先生が走られたコースであります)
 
                           ・ 
                           ・
こんなやり取りがあって、29日(木)の16時を向かえました。下関から瑠璃光寺(山口市)まで約70Km以上の距離を移動してこられる植田先生のバイタリティーの高さには、頭が下がる思いです。

~ 5月29日(木)16時 ~
私は、説明会を終えて瑠璃光寺に向かいました。20分前に到着すると植田先生は既に準備をされていました。植田先生から、「今日は萩往還のルートになっている瑠璃光寺から明木市までの片道約23キロを往復するぞ」と言われました。私は、二日前と同じように心の中で「ヒィー、わやじゃ(山口弁)!!」と叫びました。
 そして、いよいよ16時のスタートを向かえました。エイドステーションが無い為、初めて背中に荷物を背負って走る事になります。1リットルの水・食べ物で一杯の荷物は、ズシリと重く感じられます。3回のフルマラソンを経験していますが、いつも一杯一杯です。こんなに重い物を背負って、このアップダウンの激しいコースを走りきれるか不安になってきました。しかし、時間は待ってくれません。植田先生の「いくぞ!!」の一声で、私にとって過酷なレースが始まりました。
 瑠璃光寺をスタートして、一般道を20分ほど走ると萩往還の入り口に差し掛かります。そして、最初の難所である高低差約500Mの板堂峠を目指します。私は萩往還の入り口に入った瞬間、「この急な上り坂がいったい何キロ続くのだろう」と思いました。昨日の雨の影響もあり、敷き詰められた石畳は非常に滑りやすくなっています。足が滑る為、踏ん張りが利かず、足への負担が大きく感じられます。緩やかな上り坂は走る事が出来ましたが、急な上り坂は歩いて登ります。道中は、植田先生から萩往還を走るにあたってのアドバイスを頂きました。植田先生は、「夜になると誰もいなくなりとても寂しくなる」と言われました。私は、確かに寂しくはなるけど大丈夫だろうと安易に考えていました(植田先生ゴメンナサイ)。しかし、植田先生の言葉の重みを、後で痛感する事になります。 最初の難関である板堂峠を、なんとかクリアしました。しかし、植田先生からの言葉に愕然としました。私の時計はスタートしてから1時間15分経っているのに、走った距離は6KMなのです。まだ、1/8だけしか走っていないのにこの疲労感。私は一瞬、「今日は途中リタイアかな、嫁さんに迎えに来てもらう事になるな」と思いました。
 板堂峠を越えると、目的地の明木までは峠が一つありますが、下りが多いコースとなっています。下りは、上りとは違った疲労感が足を襲います。しかし、明木までは順調な道中でありました。道中は、植田先生が萩往還マラソンを走られた時に、川に落ちそうになった場所などをチェックしながら走りました(川と道の高低差は、3メートルほどありました)。そして、予定通り3時間30分かけて目的地の明木に到着しました(到着時間19時30分)。植田先生は、更に先の折り返し地点を目指して走っていかれました。復路は一人旅になります。
折り返し地点の明木をスタートすると、3キロほど山の中を登ります。この3キロの上りは、私にっとて精神的に辛いものでありました。植田先生の「夜になると寂しくなる」の言葉が、私を襲ってきました。道中、霧が出てきて視界を遮ります。そして、山道沿いを流れる川は昨日の雨の為、増水しており、轟音をたてています。このなんとも言えない空間・あと23キロ走る不安・体の疲労感、様々な要因が私の心を落ち込ませます。そして、気がつけば目から涙が出てきます。そして、鼻水もでてきて顔はグチャグチャです。こんな精神状態で数キロ走っていると、ようやく民家の灯りが見えて来ました。一気にペースも上がり、民家の灯りは私の心を一気に心を明るくしてくれました。きっとこの時の私は、光に飛んでいく習性のある昆虫と一緒だったと思います。
 なんとか道に迷う事もなく、板堂峠の頂上まで戻ってきました。ここで、植田先生と合流して、瑠璃光寺まで下りました。足がパンパンの私にとっては、下り坂は激痛との闘いでした。痛みを我慢する奇声と熊除けのベアベルが静かな山に響き渡ります。瑠璃光寺まで残り2キロぐらいのところで、一匹の蛍が出迎えてくれました。蛍は、疲れてきった私の心に癒しを与えてくれました。そう言えば、以前竜王山に登った時にも蛍が出迎えてくれた事を思い出します。
 瑠璃光寺に無事到着すると、なんと時間は1時になっていました。今回の約46Kmのマラソンは、9時間要しました(往路3時間半、復路5時間半)。途中何度もリタイアを考えましたが、最後まで諦めずに完踏できた事をうれしく思います。最後に、私のペースに合わせて頂いた植田先生に、御礼申し上げます。

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※植田

当院は木曜日の午後が休診ですが、手術や会議等でほとんどつぶれてしまいます。
 この5月29日(木)も予定があったのですが、変更になり、久しぶりにプライベートの時間を自由に過ごすことができるようになりました。
 ゴールデンウィークに300kmを走って、約1週間は足が痛くて走れない状態でしたが、その後はいろいろと雑用で忙しく、ほとんど練習できない状況でした。6月15日(日)に予定している第51回日本コンタクトレンズ学会総会成功祈願150kmマラソンのため、しっかり練習しなければならないのですが、スケジュール帳を見ると土曜日と日曜日は、5月10日(土)日本眼科医会理事会(東京)、5月11日(日)山口大学同門会(宇部)、5月18日(日)四国Eyeランドセミナーでの講演(香川)、5月25日(日)中国四国ブロック協議会、6月1日(日)講義(東京)、6月7日(土)日本眼科医会常任理事会(東京)、6月8日(日)医療対策委員会(東京)とすべて埋まっています。平日の夜も会議や会合、昼休みは学校健診と慌ただしい毎日が続きます。
 会議は出席すればいいというのではなく、準備(資料の作成)やその後の処理で多くの時間を費やします。こういった生活は今に始まったことではないのですが、第51回日本コンタクトレンズ学会総会を7月5日(土)、6日(日)に控え、その準備も加わります。朝から仕事を始める秘書も昼の休憩をとれるのが4時過ぎで、毎日遅くまで残業をしています。
 こういった状況下ですから、まとまった時間が取れることはラッキーで、めいっぱい走ることにしました。柳井先生がゴールデンウィークに萩往還を走られたことに刺激を受け、私も2年ぶりに走ってみようかと思い立ちました。ちょうどタイミングよく江角君が私のところに来ましたので、一緒に走ろうと誘いました(彼にとっては衝撃だったようです)。
 萩往還といわれても、何のことか分からない方もおられると思いますので、少し説明します。萩往還は、慶長9年(1604)萩城築城後、殿様の「お成り道」として開かれました。城下町萩(萩市)と瀬戸内の港三田尻(防府市)をほぼ直線で結んでおり、全長はおよそ53kmです。もとは殿様の参勤交代道として整備された道でしたが、江戸時代の庶民にとっても山陰と山陽を結び陰陽連絡道として重要な交通路となりました。また、幕末には、維新の志士たちが往来しており、歴史の上で重要な役割を果たしました。萩往還の大部分は国道は県道、公道として現代でも利用されていましたが、起伏の激しい山間道の中には廃道となっていたものもありました。
 今回私たちは山口市の瑠璃光寺から萩市へ向かって走ることにしましたが、その多くは古道(石畳みと山間道)で、現在人にとっては歩くのも大変なコースです。
 さて、当日は2時すぎに当院を出発しました。当初、新幹線で行き、小郡のホテルに宿泊して、翌朝下関に帰ろうと思ったのですが、朝の新幹線がいいのがなく、自分の車を運転することにしました。
 下関インターから中国自動車道に入って、車の流れにそって走っていました。上り坂で前の車がトラックを追い越したので、私もそれについて行きました。その車は左車線に戻ったので、私もその車を追い越したら左斜線に戻ろうと思っていたところ、後ろに白い車がぴったりくっついていたので、なおさら早く左斜線に入らなければと思った瞬間、突然、その車の屋根がピカピカ光りだしました。結局、時速110kmで覆面パトカーに捕まりました。自分では100km/h台だと思っていましたが、下りだったため少しスピードが出ていたのでしょう。それにしても、高速道路で110kmで捕まるとは驚きです(いつもはもっとスピードを出しているので、これでよかったと思うしかありません)。この高速道路は制限速度が80km/hなので、30kmオーバー、罰金は2万5,000円でした。
 暗い気持ちで山口市の瑠璃光寺に向かいました。3時半頃に到着し、走る準備をしていると江角君が来られました。2人とも翌朝から仕事があるので、夜12時までにこの瑠璃光寺に戻る計画を立てました。4時すぎにスタートして、大体3時間半経ったところで折り返せば帰りはプラス1時間かかっても12時です。
 江角君の報告にもあったように、スタートしてから3kmほど上りです。アスファルトですが、それからいよいよ古道(写真①~⑤)です。前日の大雨で石の上の苔がツルツル滑って思うように歩けません。急な勾配で汗が噴き出してきます。熊よけのベルを鳴らしながら、上に向かって進むのですが、そのベルの音よりも江角君のうめき声が大きく、私はおかしくてたまりません。
 やっと最初の峠(坂堂峠)を越えたあたりが6kmぐらいです。熊に注意の立て札が立っています(写真⑥)。それから4km近くアスファルトの道を下って、比較的フラットな道を数km進んだ後に、また古道に入ります。その後、古道からアスファルトに出たと思ったら、またすぐに古道に入るという繰り返しです。古道の中の写真を⑦,⑧に添付します。2つ目の峠を越えた頃から江角君のペースが落ちてきました。スタートして約23kmの地点の明木市というところに着いたのが7時半頃(予定の3時間半)でした。
 江角君はここで少し休みたいというので、休憩した後はこのまま引き返すように指示して、私はそのまま先を目指すことにしました。
 7時半をすぎると、辺りがかなり暗くなってきます(写真⑨)。ヘッドライトを点けて前に進みますが、土地勘がないのに加えて、暗いと周囲がわからないので注意しないと道に迷ってしまいます。3つ目の峠を越えて萩有料道路の料金所に着いたのが8時15分頃でした。ここでこの古道は終わりです。スタートして約27kmの地点です。(注:柳井先生が70kmのコースに出場したのは、瑠璃光寺をスタートして萩城跡の折り返しです。萩有料道路の料金所から萩城跡はアスファルトの上を走ります。片道8kmぐらいでしょうか?)。
 ここで折り返して江角君を追いかけます。山の中は真っ暗です。ヘッドライトがないと一歩も進めません。川沿いの道を走っていると、目の前をたくさんの蛍が乱舞しています。カエルがうるさく鳴いています。初夏を感じます。結局、明木市に戻ったのは8時45分でした。江角君と別れてから1時間15分経っています。江角君はかなり前を進んでいるだろう。追いつけないかもしれないけど、ゴールで長い時間待たせてはいけないと思い、ペースを上げることにしました。江角君の文章にもあった通り、真っ暗な山道をひとりで進むのは、正直言って私も怖いのですが、前に江角君がいるという思いが、その恐怖心を和らげます。来た道を戻るだけなのですが、暗くてその道がわからなくなります。曲がらなければならないところを間違えて、そのまま進んだため、また引き返したところは何か所もあります。石につまずいて足の指を痛めたり、足首を捻るのも数え切れないくらいです。ひたすら江角君を追いかけます。
 明木市から約13km進んだところで、江角君に電話したところ、「ひとりで怖いです。足が痛いです。先生早く来てください。」などと泣き言を言っています。私より約3km前を進んでいるようです。時間にして約25分の差です。なんとか追いつけそうなので、さらにペースを上げました。
 明木市から焼く20kmの板堂峠の付近で道に迷った江角君から電話がありました。私もちょうどここに近づいていたので、しばらくして約4時間ぶりの再会を果たすことができました(11時半すぎ)。
 ここからの約6kmは下りです。石畳みの約3kmは滑らないように注意しなければなりません。江角君は足が限界を超えているようで、まともに歩けていません。江角君は「僕にかわまず、先生は先に戻ってください」と言いますが、こんなところに彼ひとりを残すわけにもいきません。ケガをしないようにゆっくりでいいから慎重に降りるようにアドバイスをします。私も何度も苔に足をとられ、滑りそうになりましたが、江角君はあちこちで悲鳴を上げています。2人とも無事に石畳みを降りたのは、0時20分すぎです。この石畳みの上で、40分間以上格闘したことになります。
 さて、残りは約3kmのアスファルトです。私は江角君に駐車場に戻って先に着替えておくからと伝えて、ペースを上げました。結局、瑠璃光寺に戻ったのは0時45分でした(前半4時間12分、後半4時間30分)。駐車場のトイレの水道で顔と手を洗おうとしたところ、なんと蛇口から水が出ません。体は汗でベタベタなので、このまま長時間車を運転したくはありません。周りを探しますが、どこにも水道はありません。
 帰りの準備をしているところに、江角君が戻ってきました。はじめての夜間の山道の走行(それも1人の時間が長かった)でしたが、見事戻ってきました。江角君に「来年の萩往還の大会のいい試走ができたね!?」と言ったところ、ニヤリと笑って「はい、がんばります!」と答えた彼を頼もしく思いました。日中走る70kmのレースではなく、夜間走行のある140kmのレースに出場するように告げると、少し戸惑っていましたが、彼なら必ずやチャレンジすると期待しています(おそらく、柳井先生と一緒に)。
 さて、水道を探すのは諦めて、ペットボトルの水をタオルにかけて、体を拭いた後に、下関を目指しました。深夜は覆面パトカーがいないと思い、少し飛ばして2時すぎに戻りました。行き帰りを含めて12時間、充実した半日を過ごしました。
 翌朝は朝から診療、昼休みは学校健診、午後の診療後も東京から仕事のことでお客さんが来られるので早く寝ないと、思いつつも、ゆっくりとお風呂に入って疲れを癒し、空腹を満たすためにあれこれ食べているうちに3時を回ってしまいました。
 翌日、私は両足の大腿四頭筋の痛みに加えて、右足の親指の爪の色が少し変わって痛みを伴っていますが、問題なく歩くことができます。江角君はどうだったでしょうか?ロボット状態?日曜日はつきあいでゴルフがあると言っていましたが、大丈夫でしたか?心配しています。





2008年9月4日 登山マラソン(門司港駅~足立山~小倉)

※江角

9月4日(木)、植田先生と登山マラソンに行ってきたので報告します。今回のコースは、門司港駅~風師山(362.2m)~戸ノ上山(517.8m)~足立山(597.8m)~小倉市内近郊までの約20数キロ!?です。6月に祈願マラソンで門司港駅から小倉駅まで海岸沿いを走りましたが、その山越え版コースとなっています。午前診察終了後、植田先生と病院駐車場で合流してスタート地点の門司港駅付近に移動します。スタート地点への移動中に、植田先生から大まかなコース説明と所要予定時間(約5時間)を聞きました。私は、5月に植田先生と萩往還の一部区間(以前レポート済)を夜中の1時過ぎまで走った経験(約9時間)があるので、あの時を超える辛さは無いだろうと甘い考えを持っていました。しかし・・・・!! 
 14時過ぎに、門司港駅付近をスタートしました。最初に風師山を目指します。2リットルの水とエネルギー補給剤の入ったバックを背負っている為、体にかなりの負担がかかります。風師山山頂までの道は、途中までは舗装された道路を走りその後登山道に入ります。盆明けに十種ヶ峰登山マラソン(約10Km)を経験していた私にとっては、風師山山頂までの道のりはそれほど苦にはなりませんでした。私は、「今日はイケル!!」と思いました。しかし、そんな思いは・・・あっという間に何処かへ。
次に風師山から戸ノ上山を目指します。風師山山頂を下り始めてしばらくすると、一人の登山者に会いました。私は、植田先生と登山者の会話のやり取りを聞いていました。
登山者「今日は何処まで行かれるんですか?」
植田先生「足立山です」
登山者「・・・それは凄いですね!!頑張ってください!!」
私の頭の中からは、「・・・凄いですね!!」の言葉が離れなくなりました。そしてそれは、いろいろな意味で「凄い現実」となって襲い掛かってきました。
戸ノ上山山頂を目指すためには、風師山を一度下山しなければなりません。この下山コースが最悪です。「凄い」の連続でした。【凄い登山道】足元にはシダ植物が繁っていて道もハッキリわからない状態。そして、足元ばかりを気にしていると、クモの巣が顔面を襲います。クモの巣だけなら我慢も出来ますが、クモ自体(お尻の黄色いクモ)が顔にへばり付いた時は、発狂です!!【凄い世界】人があまり入らない為か、自然がそのままの状態です。道端で、毒々しく微笑んでいる植物がいます。なんと30センチ近い巨大なキノコです。巨大マツタケモドキ・巨大シイタケモドキが群生しています。風師山からの下山道は体力的に大丈夫でしたが、精神的に大変辛い道のりでした。
しばらく一般道を走り、次の戸ノ上山を目指します。山頂を目指す道のりは、先ほどと違いちゃんとした道でした。しかし、標高517.8mの道のりは、体力的に辛いものでした。苦しくなった時に出てしまう奇声が山の中に響き渡り出しました。植田先生は、私の奇声が笑いの壷に入ってしまう為に距離を置いて後方を走ります。私は、足立山までの地図・距離が書いてある案内板の所で一度立ち止まりました。私の呼吸は乱れたままです。ここでちょっとしたハプニングが起こりました。
植田先生:「残りの距離は?」
江角:頭の中で「1.8km+6km+1.8km」と計算していました。しかし、無意識のうちに「呼吸の乱れから来る奇声」と「残距離の長さから来る悲壮感漂う奇声」のハーモニーを奏でていたようです。植田先生を見ると・・・
植田先生:笑いの壷にはまり、大笑いです。そして、笑いを我慢しようと案内板に寄りかかった瞬間・・・、一人バックドロップ状態です。なんと案内板の根元が腐っていたのです。
こんな楽しいひと時も束の間です。直ぐに山頂を目指します。山頂までは肉体的に大変辛く、道中の事は殆ど覚えていません。気がついたら山頂に辿り着いていました。正直、戸ノ上山山頂までの道中は、「もう無理だ・来た道を引き返したい」とばかり思っていました。マイナスオーラ全開の道中でした。しかし、山頂から見えるある景色によって「最後まで頑張ってみよう」と気持ちが変わりました。山頂から見える小倉市内の景色も最高でしたが、戸ノ上山から足立山に伸びる登山道の素晴らしさに感動しました。まさに「アルプスの少女ハイジ」の世界です。綺麗な緑の草原の中を一本の道が遠くまで通っています。これは「凄い景色」と感動しました。
そして、最後の足立山を目指します。戸ノ上山から足立山までの距離は6Kmであります。足立山に入ると太陽も沈み薄暗くなってきました。ライトが必要になってきます。頭にヘッドライトを装着して足元を照らします。体は肉体的に限界を超えて制御不能状態です。下り坂では、膝が笑いスピードが抑えきれず暴走気味に走っていきます。そして、上り坂では奇声の間合いも短くなり、暗闇に響き渡っています。そして、2リットル用意した水も残りわずかになり、脱水症状にならないかと不安がよぎります。私は、残り1Kmの地点で体力が限界になり立ち止まって水分補給をしていました。すると植田先生の声が聞こえてきます。「足が吊ったから待っててくれ」と聞こえてきました。直ぐにでも先生を迎えに行きたかったのですが、私も体力の限界でその場を動く事ができませんでした。10分近く経っても先生が上がってこられる雰囲気が無かったので先生を探しに行くと、そこには両ふくらはぎが吊った植田先生の姿がありました。足の痙攣状態はしばらく続き、良くなる雰囲気がありません。私は、最悪の場合レスキュー隊を呼ばなければ・・・と考えました。水分補給・塩分補給をして20分ぐらい経つと、植田先生の足も復活して歩けるようになりました。そして残りの1kmを足に負担を掛けないように時間をかけて上り、足立山山頂に辿り着く事が出来ました。私の体は、肉体的・精神的にボロボロ状態です。そんな中、山裾の方を見ると一面に夜景が広がっています。超最高です。夜景は、肉体的・精神的にボロボロ状態になった私の体を癒してくれます。こんな時間帯に登る登山客は殆どいないでしょう。こんなプレゼントがあるとは思ってもいませんでした。私達は、夜景を満喫して小倉市内へと下山していきます。
この下山もなかなか大変でした。道が殆ど形を成していないんです。最近の豪雨による為か、道が削られて、激しい段差や岩がゴロゴロと転がっています。長い間下り続けていると足の親指に強い圧力が掛かる為、痛みが走ります。こんな状況の中、最後の力を振り絞りなんとか下山する事が出来ました。時計を見ると21時になっていました。門司港駅を14時にスタートしたので、山の中で約7時間も闘い続けていた事になります。無事に辿り着いた時の安堵感と達成感は最高でした。その瞬間、無意識のうちに植田先生へ「ありがとうございました」と声を掛けていました。
最後まで走りきれた私の肉体、そしてハートに「よく頑張った」と褒めてやりたいです。そして、植田先生に感謝の気持ちをもう一度言わさせて頂きます。「本当に有難うございました」。

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※植田

6月14日(土)、15日(日)の第51回日本コンタクトレンズ学会総会成功祈願150kmウルトラマラソンを終えた後は、まったく練習する時間がありませんでした。学会終了後は日本眼科医会等の仕事に追われていました。
 8月24日(日)に山口県と島根県の境にある十種ヶ峰の登山マラソンに江角君と一緒に参加しましたが、盆休みに2日ぐらい練習した程度でした。その大会後もまったくといっていいほどランニングシューズを履いていませんでした。
 久しぶりに、木曜日の午後に時間がとれたので、江角君をトレイルランに誘ったのですが、江角君と一緒だからゆっくりしたペースで走ればいいなと思っていました。コースの3分の2近くは私も初めて足を踏み入れた山道でした。山といっても500~600m程度のものだから、3つ4つあってもたいしたことはないと考え、舐めていました。20~25kmの距離なので、5~6時間で走れると予想していたのですが、こんなことになるとは思ってもいませんでした。
 今回、私にとって大きな出来事、それは両足に痙攣が生じたことです。当日は朝から何も食べていませんでした。新下関駅から門司港駅までのタクシーの移動中に、ミネラルウォーターと羊羹を2口、パワージェル1袋を摂取しました。
 山道は幅が狭く、急で滑ります。2人とも両手にストックを持ちます。下りでは少し間隔を空けないと、後方の者が滑ると前方の者にぶつかってしまいます。いつもと違って、今回は江角君に先を進ませました。彼の反応を見たいからです。案の定、「ヒェ~!」という叫び声が上がります。こんなところを進むのかという声、滑ってあたふたしている声、クモの巣が顔に当たった声...私はクスクス笑いながらついて行きます。
 スタートして2時間ぐらいすると、江角君もかなりへばってきたようで、急な上り坂ではあえぎ声(奇声)がします。私はこの江角君のあえぎ声がおかしくて、体に力が入らなくなります。彼の前方だとこれをずっと聞かないといけないのですが、後方だと聞こえなくなるまで彼が先に進むのを私は立ち止まって待つことができます。江角君は坂の下りはわりとペースよく下りていくので、彼に追いつくまでには坂の上りと下りをかなりペースを上げなければなりません。しばらく進むと彼のあえぎ声が聞こえるので、また急な上り坂にさしかかっているのがわかります。私はインターバル練習をやっているようですが、体力的にはまったく問題ないと思っていました。
 18時を過ぎた頃だったと思います。急な坂道で足を滑らせ、それをかばったときに右足の大腿四頭筋に痙攣が起こりました。大腿四頭筋の痙攣は初めてです。2~3分休んでストレッチをすると良くなりました。それから少し右足をかばうように走りました(左足に少し負担をかけるようにしました)。
 そして19時過ぎ、暗くなってそろそろヘッドライトを付けようと思った頃のことです。急な上り坂のかなり段差があるところで、左足を大きく引き上げて力を入れた瞬間に左足の大腿四頭筋に痙攣が起こりました。それをこらえるために右足に力を入れると、先程と同じように右足の大腿四頭筋にも痙攣が起こりました。両手をつき、引き上げた左足を元の位置に戻しましたが、痛くて身動きできません。急な坂道なので、その状態を維持するのにも力が入ります。例えるなら、すべり台を滑っている途中で止まって、腕で支えている状態をイメージしてください。楽な体勢で休める場所はないかと見渡しますが、そのような場所もなく、途方に暮れます。
 江角君がどんどん先に行っては困るので、大きな声で江角君を呼びました。彼に声が届いたのは幸いでした。そこで待っていてほしいと言いましたが、心配して私のところまで降りてきてくれました。しかし、身動きできない私を見て江角君もどうしたらよいかと思ったようです。
 足立山の頂上までは1km以上あるようです。来た道を戻ることもできません。20分以上その場に座っていたでしょうか?しばらくして、ほんの少し痛みが和らいだので両足で立ち、少し移動して、木の幹を背にストレッチをした後に、ゆっくりゆっくり坂道を上ると少し痛みが取れてきました。
 今回は私にとって貴重な体験でした。山は舐めてかかるととんでもないことになる、十分な練習と準備が必要なこと、マイペースで進むこと、そして水分補給と電解質バランスを常に考えることを再確認しました。
 結局、私は脱水状態だったと思います。2ℓの水をバッグに入れていたのですが、後半に備えて水分を残そうと考えていました。江角君の発汗量が多く、大量に水を飲んでいたのを知っていたので、途中でもし彼の水がなくなるようなことがあれば、私の分をあげようなどと考えていたのですが、私が脱水状態になるとは思いもしませんでした。痙攣が生じて、慌てて水分を大量に飲み、梅干しを口にしてからは、症状が出なかったことからもわかります。
 真っ暗闇の山の中、もし1人でこういう状態になっていたらと思うとゾッとします。江角君がいてくれて心強かったです。
 足立山からの夜景を含め、撮影した写真を添付します。





2008年 第5回周南24時間リレーマラソン

※柳井

昨日は大変お疲れ様でした。周りのチームに比べ人数は少なく,華やかさもありませんでしたが,みんなで交代でたすきをつないでいき,無事にゴールできたことはとてもすばらしいことでした。私も昨年は途中までの参加でしたので,ゴールを体験できたことがとてもよかったです。各自お忙しい中,周南にお集まり頂き本当にありがとうございました。また,準備から片付けまで様々に沖を遣って頂きありがとうございました。今後ともよろしくお願いします。

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※細野

周南24時間リレーマラソン参加された皆様 お疲れ様でした。
私用の為途中参加となってしまったこと、改めてお詫びさせていただきます。

私は今回で2回目の参加となりました。
昨年は膝を痛め、脚を引きずりながらのマラソン。
しかし、前回のリレーマラソン・150㎞ウルトラマラソンの伴走に参加したことでそこそこ走れるものだと甘く考えておりました。

9周14.4㎞しか走っていないにもかかわらず、全身筋肉痛です。
やはり痩せなければいけない事と運動不足を痛感させられました。
まずは話題の朝食バナナダイエットから・・・

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※石橋

このたびは周南24時間リレーマラソンへの出場、及び完走、本当にお疲れ様でした。
私にとって初参加の大会は、噂にたがわぬ波乱万丈な24時間でしたが、その分ゴール時の達成感はひとしおでした。
何よりチームの皆さんとともに襷をつなぎ、(順位はどうであれ)時間内に159周、約258Kmを走破できたことは貴重な経験でした。
心に残ったできこと・風景をざっと列挙しますと・・・

・好天に恵まれた開会前の雰囲気、そして125もの参加チームテントの壮観な眺め、
・カウントダウンとともに一斉に駆け出したスタート、
・予想以上に手が込んでおり、楽しかった仮装行列、
・普段のマラソンでは遠い彼方で戦っているであろう、真剣優勝争いメンバーを常に目の当たりにできたこと、
・ついつい食べ過ぎてしまうテント内の休憩時間(帰宅後、体重計に乗ると2.5Kgほど増えてました・・・)、
・めちゃくちゃ寒かった深夜から明け方、
・だんだん重くなり動かなくなる足取り、
・そして迎えた感動のフィナーレ、周囲で巻き起こる歓喜の声や胴上げ、

どれもこれもしっかりと脳裏に焼き付き、心に刻まれています。
私自身としては目標としていた70Kmを達成できず正直悔しい思いもあります。
とは言え、本日時点ではこれまでにないほど太ももと脛が筋肉痛に見舞われており「一応自分なりにやりきったかな?」という感触も無きにしも非ずです。
いずれにせよこれからもいろんな機会がありますし、これを糧に今後も練習に励みます。

植田先生、レース終了後は素敵な打ち上げをご準備頂き本当にありがとうございました。帰路の都合で中座せざるを得なかったことは大変残念だったのですが、どれも美味しい料理&ワインばかりで心身ともに癒されました。
今大会にお誘いいただけたこと、改めて御礼申し上げます。

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※梶芳

周南24時間リレーマラソン、大変お疲れ様でした。
天候に恵まれ夜は冷え込んだものの、皆さんと一体となって走りぬいた24時間。
柳井先生がゴールされた瞬間は、やはり24時間を戦い抜いた喜びと感動に包まれました。苦しくも楽しいひと時をご一緒させていただき、本当にありがとうございました。
自分自身のランニングは相変わらずの鈍足で、しかも体重オーバーからか早々に膝を痛めて苦しいものとなりましたが、皆さんの頑張る姿や励ましに後押ししていただき、昨年を少し上回る距離を走れた(歩いた?)のではないかと思います。なにより夜を徹して皆さんと語り合い、チームとして励まし合いながらの24時間はリレーマラソンならではの醍醐味であり、走ることも勿論ですがそれ以外にもたくさんのことを学べる貴重な機会と改めて感じた次第です。

今回は打ち上げ会も開催され、植田先生のご配慮で美味しいお料理とシャンパン・ワインが待っていたのも、頑張りを後押ししてもらえたものと思います。
植田先生、ありがとうございました。そして、またもや醜態をさらすことになりまして大変失礼いたしました。

今後まず取り組むべき自身の課題は体重を減らすことだと痛感しましたので、食事をコントロールしつつランニングを継続して頑張る所存です。
植田先生、江角さんはもう2週間後には熊本の山岳マラソンに参加されるということで、本日も足を引きずっている私には想像の及ばぬ世界ですが、ケガをされず無事完走されることをお祈りしております。
本当に皆様、ありがとうございました。

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※長畦

24時間リレーマラソン、本当にお疲れ様でした。
私にとって今回初めての参加となりましたが、人生の中で忘れられない経験となりました。

この24時間中での私の気持ちの変化を率直に書かせていただきますと、
①スタート前:ドキドキ、ワクワク。田中さん(クーパー)、お誘いありがとう!
②出走1巡目:3周約5km、思ったより長い。田中さん、不安です。
③出走2巡目:植田先生との併走楽しみでしたが、何で私を置いて先に行かれてしまったのだろう。田中さん、2周目のラストでは死を近くに感じました。
④出走3巡目:体が硬直し、特に太ももが動かない・・・。田中さん、恨みます!
⑤出走4巡目以降:あまりの疲労に記憶がありません。
⑥そして24時間ゴール:感無量です。本当に感動しました。柳井先生、最終出走ありがとうございました。

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※田中

2日間お疲れ様でした&有難うございました。
5回目を向かえ、この大会のベテランの域に達しているはずが、走るペースが未だわかっていない自分自身に反省しています。
筋肉痛については、例年より軽度で、このあたりは慣れてきているようです。

例年メンバーが安定せず、少人数での参加で厳しい順位を繰り返しています。
次回は是非とも15名で参加し100位を切るという目標で望みたいものです。

大会の準備にご尽力いただきました植田先生、江角さん有難うございました。
また、打ち上げの宴を準備いただきました植田先生、重ねてお礼申し上げます。

2日間、厳しく、楽しい時間をご一緒させていただきまして有難うございました。

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※佐々木

土曜・日曜と大変お疲れ様でした。ありがとうございました。
今回、初めて参加させて頂きましたが、想像以上の厳しさにびっくりでした。
●誰にも追いつけず、次々に追い抜かれる敗北感。またそのスピードの速いこと。ご年配の方、女性の方、同じような体型の方にも。初めてです。
●二周目のほんの些細な上り道の高さ、残り数百メートルの長さ。初めてです。
●太ももの筋肉痛から足が上がらず、さらには足に力が入らない感覚。初めてです。
●夜中の寒さ。
150kmマラソンで少しだけ芽生えた自信が、完全に打ち砕かれました。やはり練習しかないと強く強く反省しました。

一方、スタート時の興奮、皆さんと励ましあった辛い時間、ゴール時の達成感、どれも参加しないと出来ない貴重な体験でした。

私達メタボグループ(メンバーは???)の分まで周回を重ねて頂きました植田先生、柳井先生、石橋さん、江角さん。ありがとうございました。
大会への参加手配、準備をして頂きました植田先生、江角さん。ありがとうございました。
寒い時間に寝ていた私にそっと寝袋を掛けて下さった梶芳さん。ありがとうございました。私が女性だったら惚れていたでしょう。
打ち上げでの美味しい料理とワイン、楽しい時間。植田先生、重ね重ねお礼申し上げます。

来年もこのメンバー+αで参加出来ることを楽しみにしております。
その時はまたよろしくお願い致します。

今日一日、足を引きずりながら仕事をしました。明日の朝、少しでも回復していれば良いのですが。





2008年 第1回九州脊梁山脈トレイルラン

※櫻井

走り終えてから2日が過ぎようとしていますが、足を中心とした全身の筋肉痛に苦しんでいます。(なぜか尾骶骨も痛みます。これが一番つらいです。)フルマラソンを走り終えても翌日からは練習できる程度には鍛えているのですが、これほど走り終えた後、苦しむのは久しぶりのことです。

 トレイルランは初めての挑戦でしたので、まずは装備の準備から始めました。ところが、鹿児島県では必要な装備が入手できませでした。取り扱っているお店がなかったのです。福岡(弊社社員の結婚式)に行った時や通販で、トレイルラン用のシューズとバックパック、ハイドレーションパック等を何とか揃えることができました。装備が揃うと気持ちも盛り上がってきました。

 前日夜10:00過ぎに現地に入り、車中泊をして当日に臨みました。早朝5:00頃に到着した植田先生、江住さんと合流し、大会会場の清流会館に向かいました。本来、大会実行委員会からは、前日エントリーが必須との連絡が封書にて届いていたのですが、植田先生に粘り強く交渉頂き、当日エントリーが認められての参加となりました。(植田先生、本当にありがとうございました。)

 清流会館にて朝食、着替え等の準備をし、いよいよスタートの時を迎えました。コースは、35kmの道程の前半10kmで、1,000mを登るという過酷さでした。事前に練習していたとはいえ、水(2L)、その他補給食等を背負ってのレースも初めてでした。期待半分、不安半分のスタートとなりました。

 スタート後しばらくは、舗装路を走りました。まわりのランナーは思ったよりも早いペースで走っていました。しかし、初めての経験でもあり、無理せずゆっくりとしたペースで入りました。途中、少し前を走っていた植田先生が後ろに下がって行かれました。後で伺うとスタート後しばらくの間、具合が悪かったとのことでした。江角さんは山に入ってからしばらくの間は、少し後ろに姿を確認できたのですが、いつの間にか見えなくなってしまいました。

 山に入ってから驚いたのですが、想像していたよりも遥かに急な上りが続きました。とても走れそうになかったので、上りは歩き、ほんの少しだけある平地、下りは走ることにしました。当日の天候は良かったのですが、その前に降った雨の影響もあり、粘土質の足元はよく滑りました。5km程進んだところだったと思うのですが(あまりのきつさに5kmの表示を見落としてしまいました。)、登りで足を滑らせた瞬間、早くもふくらはぎが少し痙攣を起こしました。その後はたびたび軽い痙攣を起こしました。10km地点にたどりついた時には、1時間50分が経過していました。コースはほとんどが林の中ですが、少しだけ、景色が楽しめるポイントもありました。しかし、あまりのきつさに景色を楽しむ余裕は全くありませんでした。とにかく夢中で上りました。14km地点のエイドステーションが見えてきました。やっと一息つけると思うと気力が少しみなぎってきました。しかし、これが、スキー場のゲレンデの中腹にあるため、林を抜けた見晴らしの良い急な上り坂の先にはっきりと見えているのですが、進んでも進んでも中々たどり着きません。やっとたどり着いた時には、まだ先が長いにも関わらず、大きな達成感を感じてしまいました。

 エイドステーションで、ハイドレーションパックの水の補給(この段階でかなり水を飲んでいました。)とバナナとみかんでエネルギーの補給をし、再び、レースに戻りました。エイドステーションはスキーのゲレンデの中腹にありましたので、再スタートはめちゃくちゃにきつい上り坂からのスタートとなりました。なんとかゲレンデを上りきると、その後、コースは上ったり、下ったりを小刻みに繰り返していたと思うのですが、あまりのきつさに記憶も曖昧です。とにかく、上りは歩き、平地、下りは走ることを繰り返しながら、三方山の頂上にたどり着きました。大会スタッフの方から、「これからは下りですよ。」と声をかけられ、少し気持ちが楽になったのですが、その後も所々で、結構きつい上りがありました。(手で先にある岩をつかまないと進めないような激しい上りもありました。)

 20km地点を過ぎたあたりから、コースもすこしずつ平地、下りが増え、走る時間が長くなってきました。それまで、5kmを1時間程度のペースで進んでいたのが、少しずつペースアップしてきました。依然、石がゴロゴロ落ちており、倒木が行く手を遮る悪路が続くのですが、だんだん楽しくなってきました。ここまで上ってきて本当に良かったと感じ始めました。

 レースも後半に差し掛かったところで、前にも、後ろにも全く人が見えないことが増えてきました。林の中、まわりに人の気配がなくなると本当に不安になりました。道に迷ったのではないかと考えることもありましたが、何とか迷子になることなく、進むことができました。そして、28km地点にある2つ目(最後の)エイドステーションにたどり着きました。残り7kmと聞くと力がわいてきました。ここにたどり着くまで、こけること2回、足が軽く痙攣することもたびたびでしたが、無事にゴールできると確信できた瞬間でもありました。

 エイドステーションで、水分、エネルギー(バナナ、みかん)を補給していたところ、後ろから、「追いついた!」との声が。そうです。植田先生が追いついてこられたのです。ずっと先行していたのですが、植田先生の底力にはとてもかないませんでした。エイドステーションから再スタートを切った直後、砂利だらけの悪路をものともせず、先生はラストスパートをかけられ、私はあっと言う間においていかれました。その時には、砂利が足の裏を突き刺すような痛みがあり(トレイルラン用のシューズを履いていたにも関わらず)、もうペースアップはできない状態になっていました。

 その後は、マイペースでひたすらゴールを目指しました。所々にいらっしゃる大会スタッフの方からの「後少し!」との声援に勇気づけられながら、ゴールを目指しました。最後は、舗装路をひたすら下りました。「残り1km!」との声をかけられた時には、本当にうれしくなり、少しペースを上げました。しかし・・・。残り1kmのはずが、進めど進めどゴールは見えてきません。やっと見えてきたゴールも随分遠く下の方に見えました。そして、かなり進んだ所にいらっしゃった大会スタッフの方から、再び、「残り1km、がんばれ!」との声援??? 後ろから一人追いかけてくる人がいたこともあり、本当のラストスパートをかけました。そして、感動のゴール。絶えず記録を意識して走っているフルマラソンとは全く違った達成感を味わうことができました。ちなみに記録は、6時間6分35秒でした。

 今回、本当に貴重な体験をすることができました。この大会に誘って下さった、植田先生、本当にありがとうございました。初めての挑戦ではありませしたが、本当に楽しめました。トレイルランに完全にはまってしまいました。身近にこういう大会がもっと増えることを願わずにはおられない心境です。

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※江角

10月12日(日)熊本県山都町で開催されました九州脊梁山脈トレイルランに参加してきました。山都町は、熊本市から車で2時間ほど内陸部に入った宮崎県との県境にあります。本大会は、35kmのトレイルランです。コース内容は、【スタート清流館:標高500m?】→【小川岳:標高1542m】→【向坂山:標高1684m】→【三方山:標高1578m】→【遠見山:標高1268m】→【ゴール清流館:標高500m?】となっています。

本大会に参加する事になったのは、7月1日に植田先生から来ました1通のメールでした。
そのメールの中で、「どなたか一緒に参加されませんか?江角君と櫻井君はぜひとも...」の文面がありました。6月の成功祈願150kmマラソンでは、膝痛が再発して思うように走れなかった悔しさがありました。その悔しさの反動のせいでしょうか?私は、「ヨッシャ!!チャレンジしてみるか!!」と勢いに任せて植田先生へ「参加します」メールを返信していました。そして、月日は流れ9月を迎えます・・・。

8月下旬には十種ヶ峰登山マラソン10km、9月初旬には門司港駅~小倉登山マラソン20km(体験談報告済)の走り込みをして体力作りをしてきました。これで完走は出来るだろうと考えていた矢先、大会本部から封書が届きました。封書の中身は、大会スケジュール・誓約書等が入っていました。ここで、問題が発生しました。なんと大会前日(土曜日)に受付をしないと参加を認められない旨が記載されていました。土曜日に行く事の出来ない私達は、大会本部に電話しました。私が電話をしても大会内容は変わりません。納得のいかない植田先生は、もちろん猛抗議です。そして、植田先生の熱意が通じて特別に当日受付が可能になりました。参加できるのは良かったのですが・・・

植田先生:江角君、当日の受付が可能になったよ。
江角:ありがとうございます。さすが、先生ですね。
植田先生:喜んでばかりはいられないよ。
江角:心の中で・・・??????なぜ?????
植田先生:私と櫻井君と江角君には、内々に当日受付の許可が出たみたいだよ。かなり抗議をしたから、恥ずかしい走りは出来ないよ。大会関係者も、それなりの目で見るかもしれないし。かなりハードルが上がったよ!!
江角:苦笑い・・・

不安を取り除く為に走りこみました。そして、植田先生からは階段の上り下りを練習するようにとアドバイスを受けました。しかし、10月に入ると広島県出張(会議)、島根県出張(担当地区変更引継ぎ)でトレーニングが出来ません。私は、ホテルで不安と戦っていました。そして、気が付けば・・・。客室内にあるイスを利用して、踏み台昇降をしていました。学生時代の体力測定以来です。体力的な不安もありましたが、普通のマラソンと違うので準備する物にも不安がありました。服装や携帯品等は、植田先生からもアドバイスを頂き、櫻井さんと情報を共有しました。

服装(フルマラソンと同じ)、トレイルランシューズ、リュックサックorバックパック(給水システム対応)、レインウエアー、ヘッドランプ、時計、コンパス、手袋、帽子、栄養補給食、水2L、救急具等。そして、大会当日を迎えます・・・・。

午前0時に山口市を出発しました。ウエダ眼科駐車場で植田先生と午前2時に合流し、大会の開催される山都町を目指しました。大会の臨時駐車場で、車中泊をされていた櫻井さんと合流してスタート地点の清流館を目指しました。6時に受付を終わらせ朝食・レース準備等をしていると、あっという間に8時のスタートを迎えました。開会式は、地元小学生の和太鼓で大変盛り上がりました。そして、8時の号砲と共に初トレイルマラソンがスタートしました。

まず最初に、スタート地点から距離10kmで標高差1000mを登らないといけない小川岳を目指します。いきなり本大会最大の山場であります。スタート直後からフルマラソンでは経験した事のない負担が体を襲います。スタート直後からの上り坂は、下半身に負担がかかります。水2Lの入ったリュックサックは、首・肩に負担がかかります。スタートしてしばらくは上りの舗装道路を走ります。私は、長丁場なので集団の後ろの方でゆっくりと走りました。前方には植田先生と櫻井さんの背中が見えます。しかし、しばらくすると植田先生の背中が近づいてきます。植田先生の顔を見ると非常に苦しそうです。どうやら朝食の取りすぎで横腹が痛むようです。私は、舗装道路から山道に入るまで櫻井さんになんとか付いていきましたが、徐々に背中が見えなくなっていきました。そして、山道に入ると後方から鈴の音(植田先生のベアーベル)が聞こえてきます。体調の戻った植田先生が追いついてきて、あっという間に追い越して行かれました。私には追いかける体力が既にありませんでした。小川岳までは、マラソンではなく登山です。景色を楽しむ余裕はありません。地面と睨めっこ状態です。無心で足を動かしていました。気が付けば山頂です。時間を見る余裕もありませんでした。大会関係者の方が「170番ぐらいの通過だよ」と言われたのだけ覚えています。とにかく回りが見えていなかったようです。そして、次の向坂山を目指します。

小川岳を過ぎるとトレイル的な地形になっています。しかし、体力の限界に近い私には、ちょっとした上り坂も走ることが出来ない状態になっていました。前後の参加者も同じような状況です。下り坂は、粘土質の土壌が参加者によって踏まれて滑りやすくなっています。前を走っていた女性が勢いよく転びます。参加者と励ましあいながら14km地点のエイドステーションまで辿り着く事ができました。水補給をして向坂山を目指します。向坂山か15Km地点か忘れましたが、3時間で通過しました。

 向坂山から三方山に向かっていると、大会関係者の方から「1位の方がゴールされました」と声を掛けられました。時計を見ると3時間30前後でした。私は、ようやく半分・・・、トホホ状態です。三方山に向かうまでに、多くの登山者(紅葉狩り)に会いました。皆、涼しげな顔をされていました。登山者から見た私はどのように見えていたのでしょうか?

 三方山から遠見山までは、下りが続きます。しかし、道には大小様々な石が転がっています。足元を気にしながらのレースになります。植田先生からトレイルラン専用のシューズを用意した方が良いと言われたのに納得です。トレイルランシューズは、つま先の部分が硬くなっていて衝撃を防いでくれます。靴底は縦滑りだけでなく、横滑りにも対応しています。

遠見山を下り林道に出ると、残り約7kmです。ここからは、舗装されていない砂利道と舗装道路になっています。林道に出れた喜びもありましたが、足への負担が酷くなりました。山道は、粘土質な土壌・落ち葉等がクッション代わりになって、足への負担を軽減していたのです。しかし、林道では地面の衝撃がダイレクトに来ます。ゴールまでは、とにかく足首痛・親指痛との戦いでした。そして、大会関係者の方が「残り1km」と声をかけてきます。道路から下を見ると直ぐ近くにゴール地点が見えます。しかし、山の中腹からゴールまではスネーク状になっており、走れど走れど辿り着きません。とても残り1kmとは思えない道のりでした。

ゴール近くでは、既に競技を終えた参加者たちが声援を送っています。声援の中、6時間54分27秒でゴールテープを切ることが出来ました。もちろん、両手を挙げてゴールしました。ゴール後、目の前を涼しげな表情で通る櫻井さんがいました。既に風呂上りのようです。そして、清流館の控え室に行くと植田先生が待っておられました。なぜだかわかりませんが、植田先生の顔を見たらホットしました。

今回、この大会に声を掛けていただきました植田先生、本当にありがとうございました。貴重な経験をさせて頂きました。そして、一緒に参加しました櫻井さん、とても楽しい時間を共有する事が出来ました。次は、指宿でお会い出来るのを楽しみにしています。

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※植田

櫻井君、江角君、
体験談を読ませていただきました。
お2人ともこの大会を楽しんだようで、お誘いしてよかったと思っています。

私が初めて北丹沢12時間山岳耐久レースに出場したときは衝撃でした。
江角君は私と練習で山に入っているので、ある程度のことは予想していたと思いますが、櫻井君はこの大会のコースにさぞかし驚かれたことでしょう。

櫻井君は初めてトレイルランに参加したとは思えないような走り(歩き)でした。
日頃からトレーニングしているのがわかりました。アスファルトの上の練習ばかりをしていると、トレイルランでは抑えたペースとはいえ、どうしても前半突っ込みすぎなので、すぐにへばるだろうと思っていましたが、後半のがんばりは見事でした。

江角君とは2人で何度か練習したので、問題なく完踏するだろうと思っていましたが、例の奇声のことが気になっていました。
ゴールした後に、彼にこのことを聞くと、この大会では奇声を張り上げるのをこらえてがんばったと言っていました(笑)。

さて、私は相変わらず忙しく、とくにこの数週間は東京出張が多く、練習をする時間が取れませんでした。できれば坂道を走りたいのですが、その場所に行く(車で移動する)時間がないので、自院の階段の昇降をしました。
大会の直前の1~2週間前に4~5回しかできませんでしたが、2リットルの水をバックに入れて約1時間昇降すると、足が張ってくるのがわかりました。トレイルランは比較的平坦な道を走るのと違うので、使う筋肉も異なります。櫻井君と江角君にも同様の練習をするように伝えました。

当日、私は走る2時間前に大きなおはぎを6個(正確にはおはぎ3個、ぼたもち3個)、ゆでたまご1個を一気に食べました。
おはぎが好物である私は、土曜日の昼休みに近所のお店に求めに行ったのですが、1パックに6個入っているのを迷わず買いました。6個全部食べようかどうか悩みました。

普通の大会では約5km毎に設置されたエイドステーションで栄養補給できますが、トレイルランではそうはいきません。食べれるだけお腹に詰めこもうと考えたのです。

スタートのときはどうもなかったのですが、上り坂を走っていると下腹部が痛くなって思うように進めません。
櫻井君と江角君のペースメーカーになろうと思って、少し前を走っていたのですが、2人に先を越されるだけでなく、姿が全く見えなくなりました。
体調が回復して、ペースを上げようと思っても、山道に入ってからは追い越しが難しいため、なかなか前に進めません。江角君を目にしたときは、櫻井君は少し前を進んでいるのだろうと思っていましたが、行けども行けども彼の姿が見えませんでした。

28km地点の最後のエイドステーションでやっと追いつけました。
ヘトヘトしている櫻井君を予想していたのですが、彼は十分に余力を残していました。一緒にエイドステーションを後にしたのですが、長い上り坂が私たちを待っていました。私は歩いていたのですが、櫻井君は「先に行きます」と言って走り始めました。私は「一緒に歩こうよ」と口に出したいのをこらえ、「いいよ」と答えました。でも、これが私の「闘争心」に火をつけました。
残り7kmですが、この上り坂の後は下りが多いので、ラストスパートをかけることにしました。参加者の多くが疲れているためゆっくり走っています。
その横を敢えてスピードアップして通り過ぎます。ちょっとした快感でした。

無事にゴールして、2人の帰ってくるのを待ちました。
櫻井君は私の予想を大幅に超える好タイムでした。
江角君はあの様子だと遅くなるだろうと思っていましたが、目標の6時間台でした。
2人とも本当にがんばりました。拍手喝采です。

ゴールしてからのことですが、2人は足を引きずるだろうと予想していました。
ところが、階段の昇降もスムーズにしており、普段の練習の成果が現れていると感心しました。
2人の体験談を見て、さすがに翌日は全身の筋肉が痛かったようですね。
私はどうだったかというと、ほとんど問題ありませんでした。
これまでの経験から、セーブして走る(歩く)ことを体が覚えているようです。

ウルトラマラソンやトレイルランはタイムを縮めることにこだるより、いかに楽しく走るかが大事だと思います。とくにトレイルランは自然と接する絶好の機会です。皆さんもこの世界に入ってみませんか?