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私のマラソン記 マラソン体験記2007

*2007年1月7日~8日  鬼あし新春!湘南100kmトリプルアスロン
 (植田)

*2007年1月14日 第26回いぶすき菜の花マラソン
 (櫻井・江角・植田)

*2007年2月18日 東京マラソン2007
 (笠井・植田)

*2007年5月3日~5日 第2回中部横断
 (植田)

*2007年6月11日 竜王山
 (江角・植田)

*2007年7月 第9回北丹沢12時間山岳耐久レース
 (植田)

*2007年9月28日~29日 第4回周南24時間リレーマラソン
 (坂東・田中・山本・楠山・細野・梶芳・江角)





2007年1月7日~8日  鬼あし新春!湘南100kmトリプルアスロン

※植田 

※2月24日メールより
1月7日、8日に開催された「鬼あし新春!湘南100kmトリプルアスロン」に参加したことを「ランニングマガジン クリール」に投稿したところ、現在発売されている4月号のp92~93に掲載されました(添付参照)。
この大会の主催者から5月3日~5日の「第3回 中部日本横断!3日走300km」の開催案内が届きましたのでチャレンジしたいと思います。
(エイコーの森田さんにはご一緒してほしいというメールを差し上げました。)
現在、多忙を極めており、練習したくてもできない状況ですが、わずかな時間を作ってでも練習に励みたいと思います。
この大会の結果はまたご報告します。

※1月10日メールより
新年あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。
1/14のいぶすき菜の花マラソンは、連休でなかったためと思いますが、参加者が少なかったです。
当日は、櫻井さん、江角さんと私の3人でがんばってきます。
ところで、1/7と8に、神奈川県の平塚市で開催されたウルトラマラソンに参加しました。
1/7は、平塚市から足柄峠(標高759m,童話の『金太郎』で有名な足柄山)、乙女峠(標高1005m,箱根)を経由して、平塚市に戻るコース(約109km)でした。強風で、とくに上り坂では向かい風で前になかなか進めない状況でした。朝5時にスタートして、戻ったのは夜20時過ぎでした。
1/8は、平塚市から鎌倉から横須賀、三浦海岸、湘南海岸を経由(三浦半島をほぼ一周)して平塚市に戻るコース(約106km)でしたが、帰りの飛行機の時間の関係で、江ノ島(約91km)でリタイアしました。
完踏できなかったのは残念ですが、できれば来年リベンジしたいと考えています。
42.195km以上を走るマラソンはウルトラマラソンと呼ばれます。開催される大会の数は少ないですが、参加者は増えているようです。
今回出場した大会は第1回目で、他の大会と同じぐらい参加者はいるだろうと思っていましたが、なんと1/7は3名、1/8は2名でした(私を含む)。
1/7に参加したうちの1人は途中でリタイアしたので、結局もう1人の方と2人でこのコースを走りました。
食料や着替え、ヘッドランプなどをリュックに入れて、地図を片手に走るのですが、途中道が分からなくなり迷うことが何度もありました。
エイドは途中に数ヶ所ありましたが、20km以上の間隔があくところもあり、コンビニで飲物や食物を買ったり、トイレを利用させていただくなど、ちょっとハイキングのような感じでもありました。
追伸 添付は乙女峠付近での富士山の写真です。富士山は雲に覆われていましたが、きれいな富士の山の形をしていました。
コースを示す地図と背負ったリュックも添付します。





2007年1月14日 第26回いぶすき菜の花マラソン

※櫻井

皆様 本年もよろしくお願い致します。
植田先生、江角さん、詳しいコメントありがとうございました。
植田先生、江角さんから頂いたコメントで当日の雰囲気は伝わるのではないかと思います。そこで、私の方では簡単に私自身の報告をさせて頂きます。
今年から鹿児島在住となった私にとっては、地元開催の大会となりました。一昨年、昨年と比較しても非常に良い準備ができたと思っていましたので、自己記録更新を目標に挑戦しました。とにかく、前半から飛ばし、行けるところまで行ってみようとチャレンジした結果、ハーフの折り返しは、1時間56分と非常に快調に進むことができました(昨年は2時間9分)。しかし、今の私にはオーバーペースだったのか後半失速、30Km以降は足が動かず、走ったり歩いたりの状態になり、地獄の苦しみを味わいました(少々大げさですが)。それでも前半の貯金が効き、4時間12分46秒と昨年よりも13分以上記録は更新できましたが、もう少し辛抱できればと、今になって悔しさが出てきています。
天候は非常に良く、体が良く動いている内は、かなり汗をかくほどでした。例年そうですが、沿道に応援の人も多く、大会は非常に良い雰囲気でした。また、江角さんのコメントにもありましたが、例年沿道でふるまわれている「そら豆のポタージュスープ」は、今年も頂きましたが、やはり絶品でした(これは本当にお勧めです)。
今年は残念なことに、例年と違い3連休の中日の開催ではなく、遠方の皆様には参加が難しいスケジュールでしたが、来年は少しでも多くの方の参加を鹿児島の地でお待ちしております。

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※江角

今年も何卒宜しくお願い致します。
1月14日(日)に開催されましたいぶすき菜の花マラソンに参加しましたので報告させて頂きます。
私は、前日の13日(土)の夜、山口市内から北九州空港に向けて出発しました。
北九州空港で、東京へ日帰り出張をされていました植田先生と合流し、23:50分ごろ空港をあとにしました。指宿までの道中は、植田先生からコース攻略等を聞きながら移動し、4:15分頃に会場の駐車場に到着しました。そして、7:00の受付まで車中で仮眠をとる事にしました。しかし、初マラソンの私は、気持ちが高ぶり寝付くのに時間が掛かりました。植田先生から「少しは寝れた?」と聞かれ、なかなか寝れませんでしたと答えると、植田先生から「イビキは十分してたぞ」と笑いながら突っ込まれてしまいました。
7:00になったので体育館に移動して受付を終了し、そして櫻井さんと合流しました。
初対面の櫻井さんを見た瞬間、アスリートな体つきに見入ってしまいました。それに比べ私は・・・・。そして、植田先生・櫻井さんのマラソンの準備を横目で盗みながら私もワセリン・バンテリン等を体に塗って、いざスタート地点へ向かいました。
私たちは、完走予定3時間~4時間の所に並びました。空を見上げると雲ひとつ無い快晴!!植田先生が参加されてから、こんなに天候が良いのは初めての事らいいです。そして、前後を見ると約1万4千人の熱気が伝わってきて、私も一気にハイテンションへ・・・・!!そして、いよいよスタートへ・・・。
 ~植田先生とのスタート前のやり取り~
植田先生から「35キロ地点までは一緒に走ろうかな、バンテリンは僕が持つから心配ないよ、途中おしるこ等を食べながら余裕を持って行こう、そして前半は飛ばし過ぎないように」と、やさしい一声。その言葉に私は、感謝・感謝です。
9:00と同時にスタートの号砲がなり、私の初マラソンが始まりました。スタートして約1キロの所で、櫻井さんが前半でタイムを稼ぐ為にペースアップ!!後ろ姿があっという間に小さくなっていきました。私も周りの雰囲気にのみ込まれ、気が付けばハイペスへ・・・!!5キロ地点で植田先生から前半は飛ばすなのアドバイスを受け、一旦はペースが落ち着くも再びハイペースへ!!そして後ろを振り返ると、なんとスタート前にやさしい言葉をかけて頂いた植田先生の姿が・・・!!(植田先生ごめんなさいです)。気が付けば一人になっていた私は、なんとか2時間10分で中間地点を向かえました。しかしここからが、一気にペースダウン!!その瞬間、先生の「前半は抑えた方が良い」との言葉が頭に浮かびました。しかしとき既に遅し、足には乳酸が・・・!!23キロ地点で屈伸運動をしていると、「見つけたっ」の声。そうです植田先生です。ここまでの状況を走りながら話をし、そして先生はゴールへ向け快調に走っていかれました。私は、殆ど景色を楽しむ余裕も無く、アスファルトとのにらめっこ状態でした。そんな状態の中で唯一の楽しみは、櫻井さんお勧めの「そら豆のポタージュスープ」を飲むことでした。櫻井さんの言われる通り絶品で、3カップも飲んでしまいました。私は、何とか最後の難関である35キロ過ぎからの上り坂をクリアし、そして目標とした5時間以内を目指し最後の5キロを走りぬきました。完走タイム4時間51分2秒!!ゴールした時は、最高の喜びでした。
大会後、3人で砂むし温泉で砂風呂に入り体をリフレッシュしました。初体験の砂風呂は、本当に気持ちがよく最高でした!!(砂風呂から出る時に全身筋肉痛の為、砂の重さに苦しめられ、なかなか起き上がる事が出来ずに悪戦苦闘している姿を、先生が笑っている一コマなどもあり楽しかったです)。そして、鹿児島の名産カツオをなどの海鮮料理を食事し指宿を後にしました。途中高速に乗るまでに多少時間が掛かりましたが、無事下関に23:30頃到着し、先生と別れ山口市内の自宅に帰り、私の初マラソンの一日が終了しました。
最後となりましたが、今大会に声を掛けて頂きました植田先生、いろいろとアドバイスを頂いた櫻井さん、実行委員・沿道の皆様方に改めて御礼を申し上げます。本当にありがとうございました。

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※植田

江角さんから報告がありましたように、当日は晴天で、少し風はあったもののコンディションとしては最高だったと思います。私は1週間前のウルトラマラソンの影響で、1月11日(木)までは足がパンパンに腫れていました。両膝関節と足首の上のすねの痛みが引かず、これらをサポーターでしっかり固定しなければならない状態だったので、江角さんには「君は初マラソンだから僕と一緒にゆっくり走ろう」と言ったのですが、彼は私を置いてどんどん先に進んで行ってしまいました。体が温まって少し足の痛みが和らいだので、少しペースを上げてもなかなか江角さんに追いつけず、23km地点でやっと出会うことができました。これからは同走しようと江角さんに言いましたが、へばっていた彼は「先に行ってください」と言うので、彼を見捨て、この先に走っている櫻井さんに追いつこうと思い、さらにペースを上げましたが、結局無理でした。昨年この大会に出場した時は、38℃以上の熱がありましたが、ゴールできました(大会公式記録:4時間07分00秒)。今年のタイムは4時間21分で、昨年より記録は悪かったですが、無事にゴールできてよかったです。ゴールした後、櫻井さんと2人で、江角さんはこれからおそらく1時間はかかるだろうと話していたのですが、見事に5時間を切りました。長距離の運転、睡眠不足もあったでしょうに、初出場の江角さんは本当によくがんばったと思います。完走おめでとうございます。櫻井さんも参加するたびにタイムが縮まっています。顔つき、体型は誰が見てもランナーでした。J&Jの石橋さんも以前とは別人のように変わったと聞きます。皆さんとまたご一緒したいです。れでは、寒い日が続きますが、くれぐれもご自愛ください。





2007年2月18日 東京マラソン2007

※笠井

みなさん ご無沙汰しております。
植田先生からのメールにありましたように、「東京マラソン」に参加してきました。
私は、前日エントリーの為、17日朝より東京に入りました。東京ドームで「マラソンEXPO」なるイベントが開催されており、各メーカーがブースを出して、公式記念品の販売やランニングフォームの動画によるチェック、足のサイズの計測等を実施しておりました。各ブースとも測定は予約制で長いもので3時間の待ち時間になっておりました。公式記念品も土曜日の朝行ったときに売り切れのものもあって、目当てのものは買うことができませんでした。このイベントだけに行くだけでも十分に価値があると思います。私にとってフルマラソンは4回目でしたが、雨のレースは今回が初めてで、雨対策はカッパしか持っていませんでした。スタートまでの待ち時間の寒さが少しきつかったです。
3万人のランナーということもあって、ゆっくりのスタートで順調に植田先生とともに走っておりましたが、銀座を越えたあたりから、両足の親指に異変を感じだしました。その頃からちょうど空腹感に襲われ「お腹すいた~」と思いながら、事前情報で 23kmすぎのエイドにあんぱんとバナナがあるのを聞いていたので、楽しみに走っておりました。しかしながら25kmすぎのエイドで「食べ物は何も残ってない」と聞かされ落胆いたしました。飲み物は十分すぎるほどありました。仕方ないので近くのコンビニに駆け込みおにぎりを3個買い込んで食べて走りました。沿道からの差し入れにもハイエナのようにみんな集まって、あっという間になくなるほどでした。(いぶすきでは満腹になるほどいつも食べて走っておりました。)
今回のレースは、おのぼりさん状態でキョロキョロしながら、東京観光ができ事前情報以上に良いコースだと思いました。応援の方々もコース全域に途切れることなくたくさんの人が応援してくれていたのもすごく励みになりました。来年も当選してぜひ参加したいと思います。
私が目撃した有名人
小出監督(イベントブース)、有森祐子(22kmぐらいすれ違い時)、鈴木宗男(スタート時4時間7分40秒)、露木茂(スタートラインのコーラスの中)石原都知事(スタート台)、河野衆院議長(スタート台)
またみなさんと御一緒できるように練習を続けたいと思います。

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※植田

みなさん、いかがお過ごしでしょうか?
昨日、「東京マラソン2007」に出場しました。
約3万人のランナーが参加する一大イベントでした。
私の診療所の男性2人と私の3人がインターネットで申し込みをしたのですが、3人ともハズレでした。
「東京マラソン2007」と同日に大阪で「泉州国際市民マラソン」(フル)が開催されるので、私はそちらに参加する予定にしていましたが、その後(11/15)に事務局より追加当選の連絡があり、東京マラソンのほうに参加することにしました。
エイコーの森田さんやJ&Jの石橋さんも申し込みされたようですが、残念だったようです。
昨日はエイコーの笠井さんと一緒に走りました。(ご存知の通り)東京は雨で、肌寒い天気でした。
当初、スタート30~40分前に並ぼうとしたのですが、寒いのでしばらく近くのマンションの駐車場で雨をしのぎました。
スタートの号砲があってから約8分後に我々はスタートラインを越えました。なんせ3万人ですから、両車線6車道ぐらい道路は人で埋まっていました。
自分たちのペースで走れるようになったのは5km過ぎたあたりだったでしょうか?
前半はおさえて走ることにしたのですが、雨だとなかなか体が温まりませんでした。
品川を折り返して浅草に向かう間は向かい風でペースも落ちました。25km地点までは笠井さんと一緒でしたが、笠井さんは両足の親指が痛くなったということで、先に行かせていただきました。
コースはフラットなところが大部分で、東京の観光名所(都庁~飯田橋~皇居前~日比谷~品川~銀座~日本橋~浅草雷門~築地~豊洲~東京ビックサイト)をまわることができ、とてもすばらしいと思いました。
必要以上にアミノバリューと水(なんとペットボトル)が置かれていましたが、問題なのは食べるものが少なかったことです。
25km過ぎになってやっとバナナと氷砂糖にありつけましたが、量は少なく、後から来たランナーは品切れの状態だったようです。
35km過ぎ(あるいは40kmあたりだった)にもバナナはありました(ここでは手にしませんでした)が、もっと早くほしいと望んだのは私だけではなかったと思います。
そして、完走した後に預けた荷物を受け取るのですが、自分の番号を言ってもなかなか受け取ることができませんでした。
私の場合30分近く待たされました(スタート地点は新宿の都庁前でゴール地点は有明の東京ビックサイトです。したがって、着替えなどはスタート地点で渡し、トラックで運んでいただいたのですが、番号で区別されたものがゴール地点ではきちんと整理されていないので、荷物受取場では渋滞の状況でした)。
これらが来年は改善されることを望みます。
ゴール後は、笠井さんと築地で丼とすしを食べて帰りました。ゴールしてから雨が上がり、絶好のコンディションでした。
来年は天気だといいなぁと思いましたが、来年出場できるかどうかわかりません。参加したとしても選ばれないかもしれませんから...。
ちなみに、
【男子】
1 ダニエル・ジェンガ ケニア(ヤクルト所属) 2時間09分45秒
2 佐藤 智之 旭化成 2時間11分22秒
3 入船 敏 カネボウ 2時間12分44秒
4 林 昌史 ヤクルト 2時間15分28秒
5 徳本 一善 日清食品 2時間15分55秒
【女子】
1 新谷 仁美 豊田自動織機 2時間31分01秒
2 谷川 真理 アミノバイタルAC 2時間49分54秒
3 田中 光 旭化成東京JC 2時間50分02秒
4 レノン チームRTN 2時間52分04秒
5 有森 裕子 リクルートAC 2時間52分45秒
でした。





2007年5月3日~5日 第2回中部横断

※植田

第2回中部日本横断!(静岡~山梨~長野~新潟)
136km(20時間)-休憩(12時間)-163km(28時間)の大会に参加して

 5月2日(水)の午後の診療が終わってすぐに新幹線に乗り込んで、静岡に向かいました。
 前日は遅くまでレセプトのチェックをしていたので、新幹線の中ではゆっくり寝る予定でしたが、ゴールデンウィークのため自由席(小倉~名古屋はのぞみ)は満席で、子供の泣き声など騒然としており、ほとんど寝ることができませんでした。名古屋からはこだまに乗り換えましたが、上りは最終であったため乗客は少なかったので、車内で着替えや携帯する荷物の準備などを行いました。静岡駅に着いたのは23時25分で、すぐに大会受け付けを済ませました(静岡駅スタートで、ここで受け付けも行う)。
 今回の大会の参加者は全員で6名(1日目のみ参加者1名、2日目のみ参加者1名、両日参加者4名)でした。このうち2名は昨年もこの大会に出場して完走したということでした。レースにあたっての説明があった後に、軽い準備運動をして、午前0時にスタートしました。
 1日目は静岡駅から富士見峠、富士川街道、信州往還、甲州街道を走ります。静岡市、南アルプス市、韮崎市を通って茅野市(富士見町)までのコース(136km)で、20時間で走らなければなりません。
 コースがよくわからないことに加えて、2日目のことを考えて、1日目は無理をしたくないので、この大会の完走経験者(Y氏、T氏)についていくことにしました。他の方(S氏、B氏)も同じ考えで、結局5名が団体となって暗い夜道をヘッドライトを照らしながら走りました。走っている間は体はあたたかいのですが、そうはいっても夜中の2時を過ぎると冷え込んできます。ウィンドブレーカーを着ても肌寒いという感じですが、ひたすら走り続けます。
 大会主催者の藤田さんという方が、ミニバンに参加者の荷物を積んで運んでくれます。そして7~8kmごとに飲料水やパン、バナナ、チョコレート、アメなどの食物を提供してくれますが、それでは足りないので、水やちょっとした食物、ヘッドライトの替え電池、着替えなどをリュックに入れて、それを背負って走ります。それでも足りないときは自動販売機やコンビニで必要なものを買います。
 コースは事前に渡された地図を見ながら走るのですが、わかりにくいところでは藤田さんが車で先回りして誘導してくれるので、道に迷うことはなかったですが、数km走っては地図でコースに沿っているかを確認しながら走りました。
 夜が明けた頃はどこを走っていたのかは記憶していません。日が昇ってからは暑さとの闘いです。この2日間の中部地方の予想最高気温は27~28℃だったと思います。雲は少なく直射日光を浴びて走らなければなりませんでした。
このところ多忙を極め、ほとんど練習をしていないばかりか、練習するのは仕事が終わってからの深夜であったため、強い日差しのもとで長時間走る状況に慣れていないこともあり、日中の走行はバテバテでした。
 50kmを過ぎたところでB氏がリタイアしたので、残り4名で走り続けました。まわりの景色などを楽しみたいのですが、そんな余裕もなく、ただ走り続けるのみでした。夕方6時を過ぎて薄暗くなって、やっと直射日光から解放され、楽に走れるようになりましたが、そのうちにすっかり暗くなり、ヘッドライトを身につけて夜間走行です。
 日中の暑さのためペースが遅くなり、予定時間に間に合いそうもないということで、残り20kmではペースをあげることにしました。しかしながら、これまでにすでに約100km走っているので疲れが溜まっています。4名のうち2名(T氏、S氏)が約110kmの時点でリタイアしました。T氏は昨年の完走経験者ですが、今年は練習不足のため思うように走れないということでした。残り10kmは急な上り坂ですが、私はY氏(昨年の完走経験者)についてひたすら走りました。予定時間を約8分過ぎましたが、1日目は無事に完走することができました。
 休憩(12時間)は大会主催者が事前に予約していた旅館で夕食を食べ、シャワーで汗を流したあとに睡眠をとります。2部屋に参加者と主催者の6名が寝るのですが、普段でも寝つきの悪い、ましてや布団や枕が変わると寝つかれない、まわりに人がいると寝つかれない、物音がすると目を覚ます私にとっては、あちこちでいびきや寝返りをする中では当然寝つかれない、寝ても目が覚めてしまうという状況で、このところ睡眠不足が続いており、疲れている体が睡眠を求めているにもかかわらず、熟睡できませんでした。
 朝6時に起床して朝食をすませ、8時にスタートしました。
 2日目は富士見町から諏訪湖、塩尻峠、松本街道、糸魚川街道、姫川渓谷、糸魚川駅までを走ります。茅野市、諏訪市、塩尻市、松本市、安曇野市、大野市、糸魚川市までのコース(163km)で、翌日の12時(28時間)までに走らなければなりません。
この日だけを走る1名(S氏)と、前日に引き続いて走る4名を加えて5名の予定でしたが、前日50km過ぎてリタイアしたB氏が2日目は走らないということで、結局4名で走ることになりました。
 スタートの8時までには数分あったので、旅館の近くのコンビニに水を買いに行ったら、他の3名がすでにスタートしたということで、急いで後を走ることにしました(結局、このハイペースが問題となる)。
 2日目は3人とも一緒に走ることはせず、各自の体力、疲労度などから自分にあったペースで走っていました。当然のことながら、前日走っていないS氏は快調に飛ばしていきます。前日約110kmでリタイアしたT氏はゆっくり走っています。私はT氏になんとか追いついたので、しばらくこの方の後について走ることにしました。
 スタートする前にトイレに行ったのですが、またトイレに行きたくなりました。途中のコンビニの前に藤田さんが待っていました。しっかり水分補給をした後にトイレに行こうとしたら、S氏が入っているということだったので、あきらめて次のコンビニかガソリンスタンドでトイレを借りることにしました。運よく2~3km走るとコンビニがあったのでトイレに駆け込みました。
 これまではT氏と一緒でしたが、これでまたかなり引き離されてしまったので、ペースをあげました。すると、前方にかすかですが、S氏が見えたので、この方に追いつこうとさらにペースをあげました(このハイペースも問題となる)。しかしながら、峠の長い上り坂では離される一方で、とうとう追いつくのはあきらめてゆっくり走ることにしました。途中、リュックの紐がほどけたので、立ち止まって直していたところ、後ろから声をかける人がいました。振り返るとトイレに入る前まで一緒に走っていたT氏でした。T氏もその後トイレに行ったようで、その間に私が追い越してしまったようでした。2人で話しながら塩尻峠を越えました。ゆっくりとしたペースだったので比較的楽に走ったのですが、長い下りで足の裏に少し痛みを感じるようになりました。峠を下り終えた時点で、藤田さんが待っていました。先頭とは約30分離れているということなのでペースをあげることにしました(このハイペースも問題となる)。それから約7km走ったところでT氏がもう限界なのでリタイアすると言われました。2日目もすでに50kmを過ぎた地点だったと思います。走っている者にとっては日中の暑さは相当なもので、体力の消耗が激しく無理もありません。私はせっかく遠方から参加しているので、先頭からどんなに離されようとも最後まで諦めないという決意のもと走ることにしました。
 しかしながら、だんだんと足が痛くなってきて、走り続けることができなくなりました。走っては少し歩き、また走るの繰り返しです。日が落ちて涼しくなって楽になったのですが、上り坂と下り坂はほとんど歩くようになりました。
90kmを過ぎてからは走るスピードは早歩きのスピードと変わらないぐらいになったと思います。こうしたゆっくりペースなので体があたたまるわけもなく、ウィンドブレーカーを着てても寒い状況でした。
100kmを過ぎた頃は深夜の0時過ぎでした。残り約63kmを12時間でいけばいいので何とかなると思っていましたが、深夜3時を過ぎると両方の足の裏の痛みで走れなくなりました。歩いても1時間に4kmしか進まなくなりました。少し休もうと思って、座って星を眺めているとコックリコックリしていましたが、寒さのため身震いをして目を覚ましました。
それでまた歩き始めると、しばらくして睡魔に襲われ、フラフラ歩くようになりました。こけて怪我をしてはいけないと思うと、急にリタイアすることが頭に浮かびました。残り42km、フルマラソンの距離だけど、これから下りが続く道をこの足では歩くことは無理だと判断しました。
結局、1日目が136km(20時間)、2日目が121km(約21時間)で合計257kmでした。
完走できなかった一番の原因は練習不足です。坂道を走ることである程度、筋力や関節を鍛えることはできますが、足の裏の筋肉(足底筋)はアスファルトの上を長時間走らないと対応できないことがわかりました。日中の暑さ、夜間の寒さ、これらの変化にも対応できるようにしなければなりません。今回は幸い雨が降りませんでしたが、練習のときは時間帯を変えて、いろいろな気象条件のもとでも走る必要性を再認識しました。とくに季節の変わり目の時期は、体がまだ順応していないため、1日のうちでも温度差があることと、今回のコースのように標高差のあるところではその温度差が平地よりもかなりあることを自覚しました。それから睡眠不足。大会の前はもっと睡眠をとっておく必要があります。人に遅れないようにとペースを上げることも厳禁で、20時間を超える長丁場の大会では、わずかな遅れはたいした問題ではありません。1人で走ることよりも他の人と一緒に走ることの方が、寂しくなく道に迷うことも少ないのですが、やはり孤独に耐えられる精神力(気力)と判断力をもつ必要があります。
今年は年明けの「鬼あし新春!湘南100kmトリプルアスロン」は帰りの飛行機の時間の関係で途中でリタイアしましたが、今回の大会は制限時間まであと7時間もあるのに体力と気力が限界に達して途中でリタイアしたことは残念でなりません。機会があればリベンジしたいと思います。
しかしながら、年明けの約200kmを大幅に更新(約60km)したことは少し自信になりました。達成できなかったからこそ、反省して再挑戦することができます。何もかも達成できれば、改善することがないことになりますから...。今回のリタイアも次のステップとして前向きに考えます。





2007年6月11日 竜王山

※江角

先日、植田先生と一緒に走る機会がありましたので近況として報告させて頂きます。先週、金曜日に植田先生とご一緒に走る機会がありました。大会ではなく、更に一般道でもなく、なんと下関市内の標高614m、頂上まで片道約3Km弱の竜王山を登ってきました。
以前一度登ったことのあるコースではありますが、今回は19時頃からのスタートであり初めての夜間マラソンです。スタート前に先生から用意して頂いたいたヘッドライトを頭に装着して走る事になりました。いざ山道に入っていくと、夕方の明るさは既に無く、薄暗い状態であります。植田先生から夜間走る時のアドバイスを伺いながら山頂を目指しました。道中は薄暗くそして、標高が高くなるにつれて霧も発生する状況の中、足元に細心の注意を払いながら山頂を目指しました。(静かな山の中は、植田先生の熊対策の美しい鈴の音と、 その鈴の音を頼りに走っている私の苦しむ美声!?がハーモニーを奏でていました)。山頂に辿り着いた時、達成感はもちろんですが、何か頭の研ぎ澄まされた感じを得ていました(前回登った時には感じませんでした)。そして、今度は山を降りるわけですが、登り以上の足元への注意が必要になってきます。私は、麓まで来たときに恐らく気が緩んだんのでしょう、足元を捻りました。(何事に対しても最後まで集中して取り組む事の大切さを学びました)最後に、植田先生は普段でもこのようなコースを走っておられると聞きました。今回も来月の北丹沢マラソンへの練習の一つであるとの事です。植田先生の物事に対する事前準備と努力には、本当に頭の下がる思いであります。私自信もこの一時間半の間に、いろいろと勉強させていただきました。仕事に活かせるよう努力したいと思います。皆様方と、どこかの大会でお会い出来るのを心より楽しみにしております。6月に入り暑い日も多くなることと思います。くれぐれもご自愛のほどお祈り申し上げます。

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※植田

江角さん、ご報告ありがとうございます。
ちなみに、夜間マラソンではなく、夜間登山です(ほとんど歩きです)。
昨年の夏の昼に一度、この竜王山には江角さんを誘いました。
そのときも「ハーッ、ハーッ」という息づかいではなく、「アーッ、アーッ」という大きなうなり声で、それを聞いているとおかしくなって笑いが止らなくなりました。ちょっとは静かに登ろうとお願いしても、また「アーッ、アーッ」といううなり声(うめき声)がしてきます。
本当にうるさいんです(江角さん、ごめんなさい)。
夜の山道は足元が見づらいので、足をすべらしたり、足首をひねったりなど危険ですが、私にとってはそれよりも気になることがあります。
ヘッドライトに向かって飛んでくる虫や顔にくっつくクモの巣などです(夜はクモの巣が見えません)。
ヘビなどの爬虫類や両生類が嫌いな私は、これらが出てこないことを願いながら前に進みます。もちろん、夜、山で突然動物に出くわしたらパニックになります。
それでbear bellをバッグに付けているのです。田舎で育っていない私は、ビクビクしながらの歩きです。それで今回、江角さんを誘ったところもあります。
話は戻って、何だかんだいいながら、江角さんは最後まで私についてきました。
彼の前向きな行動を嬉しく思います。





2007年7月 第9回北丹沢12時間山岳耐久レース

※植田

はじめに
 北丹沢12時間山岳耐久レースに昨年、今年と2年続けて参加したのでその報告をします。
 丹沢はご承知の方もおられると思いますが、少し説明します。
丹沢山地(たんざわさんち)は神奈川県北西部に広がる山地です。東西約40キロメートル、南北約20キロメートルに及び、神奈川県の面積の約6分の1を占めます。最高峰の蛭ヶ岳でも標高1,673mと標高では中級程度ですが、無数の尾根と谷沢が成す地形の複雑さが特徴です。また、登山口からの標高差が大きい山が多く、地形が非常に複雑なこと、東京都心部から行きやすく、登山者が多いことなどから、遭難者が多いことでも知られます。
一般的に中央部の蛭ヶ岳を境に、交通アクセス便利で開けている東丹沢、山深く交通アクセスのやや不便な西丹沢の2つに区分されます。また、塔ノ岳以南を表丹沢や南丹沢、丹沢主稜以北を北丹沢や裏丹沢と呼ぶこともあります。
この北丹沢を走る大会があることをある雑誌で知りました。早速インターネットでこの大会の参加者の体験談を調べてみました。そこにはびっくりするような内容が記されていました。私の印象に残ったものをピックアップして以下に記します(ご本人の了解は得ておりません。高低図も示します)。
(1) 追い越しもなかなか出来ない山道で、山に登っては下ってを3回ほど繰り返し、スタート地点の海抜400mから単純に積算すると高低差2,500mの山を登り下りしたことになります。
(2) 大きな峠は三つ。そのうち二つが1400m以上まで駆け上がり最大標高差1100m。平均斜度15%、最大斜度45%。随所でこれが出現する。下りも同じだ。壁が崖に変わるだけ。足場はぬかるみすべるすべる。落石も多々。道無きガレ場多数。ロープ伝い多数。完全に山だ。
(3) 山岳レースとはいえ、終始走りとおしてゴールできるのだろうと甘く見ていました。ところが、実は、そのほとんどが正に登山。這うようにして登らなければならないような急斜面も多くありました。しかも、砂利あり、岩あり、泥あり、川あり、何でもあり。
(4) 北丹沢12時間耐久レースは43キロという距離もさることながら、降り続く雨と視界の悪い霧、ぬかるんだ山道(すべったり、手をつかって登ったりでドロドロ)、1000メートル近い標高差の峠を3回登り返す、関門通過時間が厳しいなどいままでにないアドベンチャーレースでした。
(5) ロードを走りすぐに山道に入り、人ひとりが限界のような登山道で渋滞が発生。抜かす事もできないので集団が一列になって黙々と登る姿は異様でこれからどうなってしまうのだろうと胸騒ぎがした。
(6) コースが山道で人一人がやっと通れる幅しかなく、前がつかえ動けない。
(7) 一列縦隊で後続人のプレッシャーと、前を行く人との間隔を開けない心使いが無理を生む。途中休む場所も無い。途中でうずくまる人多数有り。無理も無い。一つの峠越えに連続1時間以上掛かるのだ。
(8) 「途中の先頭選手」から「コースが見当たらない!」っと叫び声が!!一瞬何が起きたか分からなかったが、私の前方の20人位がコースを間違えて下ってしまいその場で集団遭難状態に陥ってしまった。一列になって遭難している姿は異常で、後ろからも続々と選手が来て身動きがとれなくなった。
(9) しばらくすると後続の選手が正しい道を発見し、その後ろの方の選手から正しいコースに復帰するしかないので、順位がまるで逆になるというスーパー逆転劇があった。
(10) 山登りは予想以上に過酷で、あきらめたくなる時が何度もありました。
(11) 一つ目の山越え鐘撞山(1314m)は、時折手を使わないといけない程の斜度があり、それが延々と6k続き、地獄のような責め苦です。
(12) なんども、青空がのぞき、ここが頂上か!?と思うも、上がってみると、さらに登りが延びているという事が何度も続き、精神的にくじけそうになりました。あたりには、苦しみのあまり、木にすがりつき立ち止まる人、両足がつってしまいのたうち回る人、サウナのような湿度の中、まるで、地獄の山を登っているのかと、思うほどでした。
(13) 登りが尋常では無い。
(14) 登山は登りは速く歩くだけで、心拍数が急上昇。下りは走るので足腰に負担。胃が揺するので胃の弱い人は気持ち悪くなる。
(15) とにかく前の選手についていく事だけに全力を注がないと後ろの選手にも迷惑がかかるし、落石させると危険なのでコース取りも慎重に行わなければならない。少しでも遅れれば「渋滞の先頭」になってしまう。小休止したくても休む場所もない。「喰らいつく」まさにそんな感じだった。
(16) 途中のガレバ区間では落石なども頻発。もろくなった地面をすべったり、鎖場のロープに頼ったり、とにかくワイルドな区間です。
(17) 上に目をやると推定6mは越すであろうコンクリートの垂直の壁を選手がしがみつきながら登っている。黄色いコの字型の金具に手と足を絡ませて必死に登った。崖を踏み外せば転落の危険があるような極悪路で、本当のロードが見えた時、縄を伝って崖を滑り降りるような格好を取らざるを得なかった。顔は泥の迷彩色と化していた。
(18) トレイルラン用のランニング靴は、大雨でぬかるんだ山道には通用しなかった。いくつかの場所で、四つん這いになって這い上がった。
(19) 15kmからの下りは熊笹が腰の高さにまで生い茂る獣道をジグザグに下った。とても滑るので引田天功も真っ青なほど瞬間移動炸裂これぞ本場のイリュージョン(爆)。靴の中は悪路の泥水を吸ってドロドロ。
(20) ちょっと踏み外せば奈落のそこに落ちてしまうような区間も出現。ちょっと足の置き位置を誤るだけで簡単に捻挫しかねない。
(21) 下りも次から次へと人が降りてくる中を自分も同じスピードでくだらないといけない
(22) 下りも強烈だ。足場が悪かったり、傾斜が急なため、一歩一歩を踏ん張る必要性がある。大腿四頭筋(太もも前面の膝上内側部~太もも前面)が酷使され時間の経過と共に悲鳴をあげてくる。下りが長い。
(23) 「何が起こるか分からない。」それが自然を相手にするアドベンチャーレースの醍醐味
(24) 登り終えたら18.4kmの神ノ川ヒュッテ(580m)まで急坂を股に負担がかかるブレーキをかけながら駆け下ります。2年前の山岳耐久レースの下りで転んで手を7針縫った経験があるので手袋をはめての慎重な下山です。
(25) 足の爪は5枚死んでいて 後日すべて剥がれ落ちた。
(26) 強制リタイアが4割近くもあったとは驚きですね。コース上の案内もわかりにくくて他の人たちと確認しあって進む箇所も多々ありました。
(27) 第一関門で160名、第二関門で100名もの脱落者を出す
(28) ゼッケンを剥がされ収容車に乗せられ会場に帰る為のバスが来る場所に着くと信じられない光景が広がっていた。私が最下位くらいに思っていたら各関門で足切りされた選手の長蛇の列が出来ていた。早速並んでみたが後ろにも続々とリタイアさせられた選手が並び、主催者側もこんなにリタイアを出すと予期していなかったのかバスの数が全然足らない状態だった。
(29) 1時間以上寒さに震えながら待っていた。バスはここと会場を何往復もしてやっと私にも乗れる順番が来た。
(30) ルールは2リットル以上の水を持っていること。
(31) 水の補給は、スタート前に1リットル、レース中に3リットル採ったことになります。
(32) 給水は持参3000ml+補給2000mlの計5000mlは必要。糖質はパワージェル等を150kcal/hrペースで確保すれば完璧だろう。
(33) エイドは2箇所で、3時間~4時間スパン。水はたっぷりだが、バナナ1本のみ。この種のレースは、給水とエネルギー補給は自己責任だ。その意味で途中で撃沈している人は経験不足の若い人が多い。筋力面もさることながら、給水計画、糖質補給計画を甘く見ている。
(34) 糖質補給。炭水化物を取らないと山は登れない。筋肉のエネルギー代謝は糖質中心になる。給水不足と糖質不足がダブルパンチで襲った結果、登りのフラフラ感がより助長されたのだろうと解釈。

 これらを読むうちにだんだんと自分が参加しているような感覚に陥り、この大会に出場したいと思うようになりました。コースをイメージして、トレーニングすることにしました。日本眼科医会の常任理事としての仕事に加えて、学会活動やその他の雑用で、以前のように運動する時間はとれなくなりましたが、なるべく坂道を走るようにしました。診療後に食事をとって、その他の仕事を終えるのが深夜の0時過ぎでしたから、それから2~3ℓの水を入れたバックを背負って1時間ぐらい走りました。大会で必要とされる荷物も上記の体験談を参考に準備しました。直前はこれらの荷物を背負って坂道を登ったり降りたりして、約5kgの重みにも慣れるようにしました。
 山道は舗装された道路とはまったくといっていいほど違うので、2時間ぐらい時間があるときは近くの竜王山(標高614m)に行きました。竜王山は階段が整備されていて坂道が少ないのですが、それでも石がゴロゴロしています。上りの急な階段が続くところでは、見上げるとため息が出ます。坂道は走れますが、階段はリズムよく早歩きで登ります。下りは坂道だけでなく階段も駆け降ります。坂の勾配は変化に富み、階段の段差も違っているので、同じ歩幅で進めません。草に覆われた坂道は滑りやすく、石を踏むと足首をくじきそうになることもたびたびです。どこに足を降ろしていいかを確認しながら進みます。道が急に曲がったりするため平衡感覚も養われます。目を含めた体全体を使って走るという意味においては、アスファルトの上とは大きな違いです。
 この大会に出場するにあたって、竜王山を数回登り、山道でのバランスのとり方などを自分なりにマスターし、不安と期待を胸に抱いて大会に臨みました。

 さて、昨年のこの大会は大雨で大変だったのですが、この日の状況を参加者がインターネットで体験談を記しています。私の印象に残ったものをピックアップして以下に記します(ご本人の了解は得ていません)。

① こんなにもきついレースは最近体験したことがない。4日後の今でも階段降りるのが辛いし普通に歩くことも辛い。100㎞のウルトラを完走した時も、宮古島のトライアスロンを完走した時もこれほどの疲労感はなかった。それだけ「北丹沢」のレースは大変だったと言える。
② これでもかどうだ参ったかと続く斜度のきつい登山道、標高差1140mこれが3山も続く、上を見上げれば遥か高く遠いところまで下を見ればこれまた延々とランナーの行列、「ゴーォッ」強い風と共に吹き付ける大粒の雨、登りは濁流・下りは泥んこで滑る滑る、とかなり厳しいコンディションの中『第8回北丹沢12時間山岳耐久レース43.86km』は、7/2(日)開催されました。地盤軟弱ぐちゃぐちゃドロイルランになるとは・・・・・・。 それからは時間との勝負、泥んこで滑る転ぶつんのめる腕・脚・顔や頭まで泥まみれで走りに走りました。
③ レースと言っても、ずっと走っているわけではない。決して走り続けられるコースではないのだ。走れるのは、下りの山道と、繋ぎの舗装道路、整備された林道の部分。上りは、ひたすら歩くのだ。一歩一歩、太ももを上げて、踏みしめて、そしてアキレス腱が痛いほど蹴伸びして、逆の足を前に出す。階段を、ずっと一段飛ばしで上る感じだ。ふくらはぎがきつい。ここを鍛えておく必要があると、改めて思った。どうしてもきついときは、上げた太ももの膝あたりに手をついて体重をかけるように押して体を上に上げる。木段部分は、この方法で上り、足への負担を軽くした。ゆるやかな上りは走れたりもするが、息をつく間程度で、それでも、息を整えながら、小走りに走る。ガレ場では、落石も起きたりして、誰かが大声で「落石だ!」と叫んでいたりもして、ちょっとスリリングな経験もした。
山道に入るのに、最初の下りで驚いた。走るコースは、そのまま雨水が流れるコースとなって、濁流状態となっていたのだ。おまけに足を踏ん張ると滑ってしまう。
足元はどろどろのぐしゃぐしゃで、滑ってなかなか上れないところもあった。そのうちに、雨足はどんどん、強くなり、いつしか、台風のような(ちょっと大袈裟?)暴風雨になっていた。周りの木々が轟々と音をたてて揺れていた。それでも、行くしかないと前に進んだ。また、あるところでは、道を譲って先を行った女性が、両手両足を使って這うように慎重に進んで行くところがあって、その横が崖のようになっていて、私は、ここで滑って落ちたらどうなるんだろうと、躊躇してしまった。
④ 横からの突風に飛ばされないように身構え、泥々に流れる登山道を登り、多分堕ちたら帰ってこれないようガレ場を横に見ながら登って行きます。時折、雷様のおまけ付きです。
⑤ 泥々のコースを走り下りる。ぬかるんだ下りの手前で躊躇しているランナーに声を掛けて悪路に構わず飛び込み、接地した靴はヌルヌルと滑るが、スケートかスキーの用に滑って降りて行いきました。
⑥ 少嵐のような雨風で粘土質の土がどろどろツルツル状態。コース上が上から流れてくる雨水で川のような状態に、そして恐れていたシューズの機能違いがここで露呈、少しでも着地位置を踏み違えるとツルっと体が宙を舞い転倒、いつの間にかシャツもロングタイツも泥だらけ。少し大げさですが、『生きてゴールできて良かったー』って感じでした。

 私がこの大会の様子を述べなくても、当日の大変さが伝わったと思います。山中の道はほとんど階段がないため、雨を含んだ土は滑ります。勾配のきつい坂道はアイスバーンのようで、両手両足を使わないと前に進めませんでした。とくに下り坂は何度もこけそうになって、どうなることかと思いました。でも、私は決してマゾヒストではないのですが、過酷な状況の方がやる気が出るようで、こんなところを通るのかという驚きが、むしろ楽しみに変わりました。
初めての参加だったので、完走を目指して無理をせず、走り(歩き)ました。余力があったので最後の8kmはラストスパートをして、気分良くゴールすることができました(タイム:9時間27分14秒)。
当日の写真があります(添付)。専門のカメラマンが撮影したものです。山中ではなく、平坦な砂利道を走っている写真です。このような場所じゃないとカメラマンも待機できないと思います。ちょうど雨が一時止んだときのものですが、シューズは泥だらけで、シャツにつけたゼッケンのナンバーもこすれてインクがとれています。私は両手にスティックを持っていたのでこれらを上手く使って坂道をクリアしましたが、スティックを持たない選手は大変だったと思います。
この大会に参加して完走できたことは、私にとって大きな自信に繋がりました。「来年も参加しよう。できればもっといいタイムが出せるようにトレーニングに励もう。」と心に誓いました。
ところが、この1年間は昨年よりもっと忙しくなりました。以前は週2~3回は練習する時間があったのが、今では週に1回もできなくなりました。5月のゴールデンウィークに静岡から新潟まで走る大会(約300km)に出場して、約257kmの地点でリタイアしましたが、その後の約2ヶ月間に練習したのは数回だけでした。竜王山には1回行きましたが、重たいバッグを背負って坂道を走ることは1回もしませんでした。会議、講演などで5月はゴールデンウィーク後に東京に5回、6月も東京に3回、大阪に1回、愛媛に1回行きました。土曜、日曜は毎週出張、木曜日も2週おきに出張でした。木曜日の午前の診療が終わってすぐに東京や大阪に向かって、仕事が終わりしだい下関に戻ります。東京であれば羽田空港21時45分発のスターフライヤーに乗ると北九州空港に23時25分に着きます。そこからタクシーで帰ると0時30分頃には新下関に戻れます。大阪の場合は最終の新幹線にも間に合わないので、1泊して新大阪6時00分発ののぞみに乗り、新山口からこだまに乗り換えると新下関に8時40分に着くので、午前9時からの診療に間に合います。金曜日は通常の診療をして、土曜日は診療が終わりしだい再び東京などに向かうという生活です。出張しない日は会議、講演の準備や、期日の迫った依頼原稿の執筆と、机に向かうことばかりです。出張以外は、診療所から一歩も外に出ないという日も続きました。
こうした私の状況を知る者は、今年の参加はやめたらいいのではと言ってくれるのですが、昨年の大会終了後に心に誓ったことをやり遂げたいという思いから、出場することにしました。タイムは縮められなくても、完走するという決意をもって大会に臨みました。土曜日の診療が終わって、新幹線で博多まで行き、福岡空港から羽田空港に行き、そこから大会会場の神奈川県相模原市の青根キャンプ場に向かいました。宿泊はバンガローですが、キャンプ場に着いたのは深夜2時前です。事務所でバンガローの鍵をもらうときに、バンガローの大体の位置を教えていただいたのですが、たくさんバンガローがあって、どれが私が泊まるバンガローなのかわかりません。外灯がなく、懐中電燈を持っていなかったので、頼りになるのは携帯電話の液晶の明かりだけです。バンガローの番号を一つ一つ確認しながら、20~30分かかってやっと見つけました。
バンガローは3帖程度の板張りの上にうすい絨毯が敷いてあるだけです。枕も毛布もありませんでした。事前に荷物の細かな確認をせずに、あった方がいいと考えられる物は持ってきたので、荷物の整理をしました。水2ℓ、食料、携帯電話、貴重品、その他の備品をバッグに詰めました。それを手にして、「こんなに重くて大丈夫だろうか?(5kgをはるかに超えていると感じる)」、少し持っていく物を減らそうかと考えましたが、もし途中でそれがなかったら困ると思うと、少しくらい重たくても我慢しようと決心しました。
荷物の準備が終わって寝ようとしたのが2時半頃だったと思いますが、興奮していたためか、あるいは明日(今日)は早起きだから少しでも睡眠を取らなければならないという焦りがあるためか、体は休息を求めていても寝付かれません。それに堅い床の上に枕なしではリラックスできません。衣類を丸めて枕にして、羊が1匹、2匹、3匹...と数えるうちに、やっとウトウトするようになりました(おそらく3時頃)。
ところが、今度は体が冷えて眠れません。雨対策にと思って持参していたカッパを着ました。しばらくウトウトしていると周囲で人の声がするのに気づきました。大会参加者の声です。太陽の光が射しています。時計を見ると5時少し前です。皆さんすでにスタートの準備を始めています。私はまだ受付を済ませていないので、早速大会本部に向かいました。選手登録を済ませてバンガローに戻り、シャツにゼッケンを付けたり、足にワセリンを塗ったり、着替えたりなどの準備をしました。不要な荷物をまとめながら、持参した食べ物を口に入れました。トイレは長い行列ができていて、用を足すにも時間がかかりました。6時過ぎに不要な荷物を預かり所に持って行きましたが、ここでも長い行列ができていました。
荷物を預け終えた後に、レースで背負うバッグを取りにバンガローに戻りましたが、ここでバンガローの鍵がないことに気付きました。どこかに落としてしまったのです。自分が歩いてきたところをゆっくり見渡していると、雑草の中に落ちていた鍵を見つけました。急いでバンガローに戻り、バッグを背負って事務所に鍵を返却したのは、何とスタートの3分前でした。
スタート地点にはすでに長い長い列が出来ています。「すみません、すみません」と言って最後尾ではなく数列前の方に並びました。今年は昨年より参加者数が増えて、1,700人を超えたそうです。
7時に号砲が鳴りましたが、私がスタートラインを越えたのは何分も経ってからで、前の方はかなり先を走っていて、先頭はまったく見えませんでした。
スタートしてしばらくはアスファルトの上り坂です。1年ぶりに背負う5kg以上の荷物は思っていた以上に重く感じられました。人が多いのもあり、抜かすのはあきらめて、前半はゆっくり走ることにしました(これが大誤算でした)。
1kmぐらい進むと急な山道に入ります。山道では1列でしか進むことができません。当然のことながら、この山道入口では大渋滞になります。ここで30分以上待たされました。
昨年はスタート時に集団の中盤やや後方にいましたが、こんなに待たなかったと思います。今年は最後尾に近い方だし、参加者の数も増えたから仕方がないのだろうと、この時点では気楽に考えていました。
山道は前日の雨で濡れているため滑りますが、昨年ほどではありません。山道は一人が歩く程度の幅しかないので、追い越しができません。遅い人がいるとその後ろは詰まってしまいます。遅い人が道を譲ってくれるのを待つしかありません。とくに勾配の急な上り坂ではゆっくりでしか進めません。こうした場所では大渋滞になります。山中で数十分も立ち止まると体も冷えてきますし、タイムが悪くなるので焦ってきます。昨年に比べて今年は追い越しをする選手が出てきます。下り坂はすべってこけそうになるため、慎重に降りますが、向こう見ずの人は、前を行く人に「すみません」と声をかけてよけてもらうのです。暴走車がパッシングをして前の車を煽るのとは違います。お互いにスポーツマンとして、山を愛する者としての礼を忘れてはいません。暴走者が私を追い越していくのを許していましたが、このままでは第一関門の制限時間には間に合いそうもありません。私もこうした暴走者についていくことにしましたが、しばらくすると左足首をくじいてしまいました。山でのトレーニングを十分にしなかった者が、しかもスタート前にストレッチもしなかったのですから、当然といえる結果です。それでも痛みをこらえて走りましたが、ペースダウンせざるを得ませんでした。左足をかばって走っているうちに、だんだんと痛みを感じなくなってきたので、再びペースを上げて暴走者についていきます。しかしながら、上り坂は相変わらず渋滞しており、暴走することはできません。
周囲の人たちが時計を見て、「第一関門の制限時間に間に合わない!」と口にし始めました。後方からは「急がないと第一関門で足きりされますよ。急ぎましょう。」と大きな声が聞こえますが、集団のペースは一向に上がりません。
山頂を越えて下り坂になると、イライラしているのは私だけではないようで、ショートカットをする選手が出てきました。坂道は蛇行して下っているのですが、場所によっては障害物がなく、直線で降りられそうなところがあるのです。私の前を走っていた選手の姿が消えます。すると今度は横から他の選手が急に目の前に現れるのです。下手をするとぶつかってしまうと思うでしょうが、そうはならないのです。なぜかというと、ショートカットをする選手の多くは「オーッ、オーッ」とか「アーッ、アーッ」と叫びながら降りてくるので分かるのです。暴走車がクラクションを鳴らしながら運転しているようなものです。はじめはこれらの暴走者の走りを感心して見ていました。道ではないところを突き進むのですから、危険がいっぱいです。すべったりこけたりするのは覚悟の上でしょう。左足首を痛めた私にはできないなぁと思っていましたが、数人が続いてショートカットしているのを見ると、だんだんその気になってきます。第一関門で足きりされるのはまっぴらごめんですから、私もショートカットをすることにしました。ズルズル(草の上)、ゴツゴツ(石の上)で足のブレーキがほとんど効きません。左足首になるべく負担がかからないようにと体全体でバランスを取りながら進みます。だんだんと慣れてきて、快調に飛ばしていたときです。気を抜いた途端にズルッとすべり、それをこらえようとした瞬間、左足のふくらはぎが攣りました。その場で立ち止まりました。一歩も動けない状態ですが、他の出場者の邪魔にならないように足を引きずって脇によけました。痛くて膝を曲げることもできません。もうダメかもしれないと思いました。なんとかバッグを下におろして、インドメタシンのスプレーを取り出して、ふくらはぎにかけました。ストレッチをしばらくすると、痛みが和らいできたので、ゆっくり歩くことにしました。この間にショートカットをして追い抜いた選手から、「大丈夫ですか?」というやさしい言葉をかけられ、「ありがとうございます」と返事をするものの、ばつが悪く、今後はこのようなショートカットはやめようと反省しました。ストレッチをしながら歩いているうちに痛みが取れてきたので、再び走り始めました。
その後足の状態を確認しつつペースを上げて、第一関門まで精一杯がんばりました。しかしながら、制限時間を数分過ぎていたので、大会関係者からはここからバスに乗ってゴール地点に向かうように指示されました。ショックでした、しばらく呆然としていましたが、せっかく山口から来たのでなんとしてもコースを走りたいと思い、「大会参加者ではなくプライベートとしてこのコースを走りたい」と申し出て、了解を得ました。
手続きを済ませ、ゼッケンを外して、コースに戻りました。当然のことながら最後尾からの追跡です。足きりされた悔しさから、足の痛みはどこかに飛んでいっています。目の前には選手は誰もいないので、自分のペースで進めます。しばらくすると選手たちに出会いました。第一関門をかろうじてクリアしたのだと思います。疲れているようでペースダウンしている選手や、座って休んでいる選手もいました。こうした選手たちにがんばってくださいと声をかけながら進みました。
私はもう選手ではないのですが、第2関門には制限時間内に着きたいと思い、ペースを上げました。この頃になると選手も集団ではなかったので抜くのも容易です。ところが、オーバーペースが祟ったのでしょう。下りから急な上りになると両方の大腿四頭筋に痛みを感じるようになりました。もう攣るのはごめんです。痛みがひどくなる前に立ち止まってインドメタシンのスプレーをかけて、ストレッチをして進みます。
第2関門には、制限時間をわずかに過ぎて着きました。大会関係者からは「これ以上進んではいけない」という指示を受けましたが、事情を話したところ、「大会としては責任を持てないがそれでもいいのであれば仕方がない」と言われました。
第2関門には制限時間をぎりぎりクリアした選手が3名休憩していましたが、彼らがちょうどコース上に戻ろうとしていたところだったので、私もついて行くことにしました。第2関門を過ぎれば途中の制限時間はありません。あとはゴールするのみです(ゴールの制限時間は12時間です)。目の前の選手に遅れなければ万が一のことがあっても助けてもらえるという安心もあってか、急に疲労を感じるようになりました。第2関門でまったく休憩せずに通過した私と彼らの足の運びは明らかに違っています。両足の筋肉が張って、足が上がりません。それでも無理をしていると、突然両足のふくらはぎと大腿四頭筋が攣ってしまいました。急いでインドメタシンのスプレーをかけました。痛みで全く足が動かせません。「リタイアした方がいいのでは...?!」と頭の中に不安がよぎりました。しばらくその場に立ちすくんで数分経過しました。状態を確認するように足をわずかに動かします。痛みが少し和らいできました。歩幅を少しずつ広げてストレッチをします。「足は動きそうだ」。屈伸運動をします。「歩けそうだ」。ゆっくり歩き始めましたが、まだ痛みはあります。「コースはこれから最後の山越え(1433m)だが、足はもつだろうか?」「なんとかなる」など自問自答を繰り返しながら、歩みを進めました。「ここまで来てリタイアしたくない」とにかく前に進もうと決心すると、痛みがかなり和らいできました。インドメタシンが効いてきたのかもしれません。しだいに歩けるようになってきました。しかしながら、ペースを上げることができません。しかも、どういうわけかおなかが空いてきました。明らかにエネルギー切れです。これまで必要に応じて歩きながらパワージェルなどを口にしていましたが、足の不調と制限時間に気を取られて、エネルギーの補給が遅れていました。急いであめ玉を口に入れましたが、全然ダメです。バッグの中に入っていたヤマザキのアンパン5個を次々に口にほうりこみました。すると、すぐに空腹感はなくなり、体も徐々に動くようになりました。これ以上足が痛くなるのはごめんだと思い、禁断の消炎鎮痛剤ボルタレンも服用しました。だんだんとペースを上げていきました。私の前を行く3名の選手は全く見えなくなっていましたが、やっと視界に捉えることができるようになりました。彼らの前方にはその他の選手たちもいます。目標が見えると元気も湧いてきます。「追いつき、追い越すぞ」と自分自身を奮い立たせました。そして、ついに彼らを捕らえました。その先にはまた選手が...。その選手も捕らえます。道が少し広くなった所では、座りこんでいる選手や横になっている選手もいます。彼らに声をかけて前に進みます。
張ってあるロープを手にしなければ渡れない橋や崖も無事に通過しました。下りから急な上りに変わるところ、あるいは上りから急な下りに変わるところでは、なるべく立ち止まってストレッチをして前に進むようにしましたが、それでも何度も足が攣りそうになりました。その度にインドメタシンのスプレーをして乗り越えました。
結局、ゴールしたのは午後5時2分。制限時間は12時間ですが、ほぼ10時間で踏破したことになります。記録はなしですが、リタイアしなくてよかったと心から思いました(どういうわけか、大会事務局から完走証が送られてきました。タイムは10時間00分43秒。大会関係者の粋な計らいに感激です)。
帰りの飛行機の時間の関係(羽田空港午後9時45分発)から、6時過ぎには会場を離れなければなりません。体は汗だらけ、足は泥だらけでさっぱりしたい。会場には入浴設備がありますが、人が並んでいます。入浴をあきらめて預けていた荷物を取りに行って、洗面所の水道水で頭と顔を洗い、濡らしたタオルで体を拭きました。そして、その場で着替えて送迎バスに乗り込みました。
何度もすべってこけそうになりましたが、結局こけることはなく、怪我もしませんでした。バスの中で足の指を確認しました。右足の親指の爪が少し剥がれ、中指の爪は内出血で紫色に変色しました。左足をかばった右足に負担が及んだのでしょう。
藤野駅に着いて荷物を宅急便で送ろうと考え店を探しますが、日曜日は取り扱う店がなく重たい荷物を持って帰りました。帰りは幸いなことにJR、モノレールともに座ることが出来ました。
これは余談ですが、行きは大変でした。京急で羽田空港から品川駅まで、山手線で新宿駅まで行きました。京王線は寿司詰め状態で、「どうしてこんな時間帯で...」と思っていたら、車両の故障か何かでダイヤが遅れていたらしいのです。高尾駅からJRに乗り換えて藤野駅に向かい、そこからタクシーで会場の青根キャンプ場に向かう予定でしたが、藤野駅にはタクシーが常駐していないとのことで、手前の高尾駅からタクシーに乗りました。
ところが、高尾駅では雨の影響でタクシーを待つ人が多く、30分近く待つ羽目になりました。タクシー代は1万円を超えました。「そんなに高いのー!」と驚きました。運転手に交渉して1万円を払いました。
とにかく、今回は人の多さにへきへきしました。山口などの地方は過疎化が進んでいるのに、都会は何という人の多さか...明らかに格差が生じています。
話は変わって、京王線の車中で若い女性たちの話し声が聞こえてきます。「私、背が低いから、背の高い人のちょうど脇のところに私の鼻がいくの。満員電車の中で脇の臭い人がいたら最悪。気分が悪くなる。」と言っていたのを思い出しました。レースが終わって入浴していない私は、まさに脇だけでなく、体全体が臭いのではないかと心配しました。帰りの電車が満員でないことを願っていたので、よかったです。
浜松町のモノレールのビル内のレストランで、カツ丼とハンバーグ丼を一気にかきこみました。これだけ食べても数時間後には空腹を感じました。飛行機の中では数分寝ましたが、記憶が鮮明のうちにと思って、移動中は今回のレースを振り返って反省点と課題を箇条書きにメモしました。細かなことはここに記しませんが、一番問題なのは練習不足。そして、昨年無事にゴールできたということで、今年は安易に考えていたこと。準備不足もあります。スタートはもっと早く並んで前方の位置をキープする。睡眠不足で走るのはいつものことなので仕方ないですが、その数日前から寝だめをしておくなどです。下関に戻ったのは深夜0時30分でした。ゆっくりお風呂に入って、また食事をして、寝たのは2時前でした。
この大会の1週間前は日本眼科医会の第2回定例代議員会(コンタクトレンズの諸問題で矢面に立つ)、1週間後は日本コンタクトレンズ学会総会で、こんなに忙しい時期にこんなことをするのは無謀だと誰もが思うでしょう。「どうして走るのか?」と人からよく聞かれます。走ることによって自分自身を確認しているのかもしれません。とくにこうした過酷なレースや長い距離のレースを自分の仕事を含めた生き方に例えています。完走することができれば、体力、気力ともに現状を維持できる、あるいは新しいことにも挑戦できるという、安心と自信が得られます。物事を前向きに考え、いろいろな困難があってもそれを乗り越えることができると思えるようになります。仕事をする上ではとくにモチベーションを高く継続することが求められますが、仕事以外においても挑戦し続けるものがあった方がいいと思います。私にとってはそれが走ることのようです。
この北丹沢12時間山岳耐久レースは、自分の生き方を見つめなおすいい機会でした。





2007年9月28日~29日 第4回周南24時間リレーマラソン

※坂東

24時間という長丁場でしたが皆様体調は如何ですか? 私は、太ももの筋肉痛が酷く今朝、起きるのもひと苦労でした。 毎回、少しは鍛えないといけないと思いつつ・・・・・・です。 次回までにはメタボから脱却したいと考えておりますが・・・・・! 今後とも何卒宜しくお願い致します。

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※田中
2日間有難うございました。 練習不足がそのまま出てしまい、皆様にはご迷惑をおかけしました。 本日は、壊れた足を引きずり何とか出社できています。 今後とも、よろしくお願いいたします。

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※山本
2日間、ご一緒をさせて頂き、ありがとうございました。 階段の上り下りや、車の乗り降りに苦労しながらも、仕事に戻らせて頂いております。 例年にくらべ、涼しいことや雨が弱いことなど、大変走りやすい環境だったのではと思いますが、私は後半、足が動かず情けない状態となっておりました。 皆様がゆっくり行こう!とおっしゃる中で、実際に走られると非常に早いペースで戻ってこられることに私もがんばらないと最後まで歩かずに走りつづけることができました。 皆様と貴重な時間を共有し、お話ができたことが何より嬉しかったです。 今後ともよろしくお願い申し上げます。

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※楠山
2日間ありがとうございました。 私自身1年ぶりとはいえ、3回目の参加でもあり、自分自身のペースはわかっているつもりでしたが。 実際に始まってみると「あれっ・・・?」と感じだし、後半4回目の出走の際には走っているときに膝に衝撃が走りこのまま、不完全燃焼のまま、棄権?とよぎりましたが、植田先生に伴走していただき、自分のペースを思い出し、1周だけとはいえ、自己ベストをだすことができました。 24時間皆様と過ごした濃いいひと時は一生の思い出となりました。 今後ともよろしくお願い致します。

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※細野
24時間と言うことよりも「一人3周というノルマをこなせるかどうかが問題」というレベルで参加させて頂きましたが、24時間を無事過ごすことが出来ました。 皆様との楽しい会話や皆様の頑張りに助けられなければ次の周回も頑張ろうと言う前向きな気持ちになれなかったかと感じます。 有難うございました。そして、本当にお疲れ様でした。 昨日は帰宅後ビールを1本空けたところから意識が無く、目がさめると大河ドラマが始まっていました。 もちろん一夜明けた本日は全身筋肉痛ですが、膝などは何とか大丈夫なようです。 これからもダイエットとトレーニングの一環としてジョギングを続けていきたいと考えております。

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※梶芳
2日間、大変お世話になりありがとうございました。 初めて参加をさせていただき、当初は不安いっぱいでしたが楽しい時間を過ごすことができ、皆様に感謝しております。 自分自身が最後まで走りきれた充実感もさることながら、何より皆様の懸命に力走される姿に感動いたしました。 また、皆様との出会いでいろんなお話を伺うことができたことも大変貴重な体験となりました。 また皆様とお会いできる日を楽しみに、自分なりにトレーニングを重ねてまいりたいと思います。 ありがとうございました。今後ともよろしくお願い申し上げます。

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※江角
29日・30日の2日間に渡り、大変お世話になりました。
24時間という長丁場でしたが、皆様方の楽しい会話、マラソンを頑張っておられる姿を応援していたら、あっと言う間に時間が過ぎていきました。
今大会で初めてお会いしました梶芳様をはじめ、面識はあっても普段は話す機会の少ない皆様方と同じ時間を過ごし、「人との出会い・繋がり」が持てました事を、大変うれしく思っております。ありがとうございました。個人的には、満足のいくマラソン成績だったと思います。
来年も参加できるものと信じ、日々鍛えて行きたいと思います。
今後とも何卒宜しくお願い致します。