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第18回日本山岳耐久レース(ハセツネCUP)への道

第18回日本山岳耐久レース(ハセツネCUP)への道
森 田 悦 朗

2010年10月10,11日(日・月祝)、奥多摩山麓の登山道71.5kmを舞台に制限時間24時間以内で完踏すると言う国内トレイルランニングの最高峰のレースに植田先生と自分が参戦しましたのでご報告します。


結果から言うと自分は途中怪我をしての無念のリタイア、先生は初めての挑戦で18時間台というすばらしい結果となりました。
最近耳にする森ガールとか山ガール、そしてトレラン(トレイルランニング)ブームの影響もありこの大会は異常な人気、6月1日朝10時からインターネットでの先着順受付開始となるも30分後には定員の2500名となりあっという間に締め切られました。そんな中、植田先生から電話が・・・「どうだった?エントリー出来た?」、「はい、なんとか受付できました!」、「よかった僕もエントリーできたよ」。 ライバル植田先生(勝手に目標にしている)と出場するという明快な目標も出来、この日からすべての体力づくりとカレンダーはハセツネ一色で回りだしたのでした。
トレーニングの内容は本来月間300kmは走りこみたかったのですが、数年前とは違い体重は5kg増、年齢も50代となり筋肉も落ちているのでとにかく過負荷での故障を避ける為に月間ランニング距離は150~200kmと落として心肺機能を上げる為に自転車を月500kmを目標にこなしました。また疲れを翌日に残さない為にも練習後はクールダウンをかねてプールで500~1000mながしてメンテにも気を使いました。 今年の夏は異常な暑さでなかなか日中走ることが出来ませんでしたが9月には毎週近場の登山道を4~6時間走り、植田先生企画「新大阪→天橋立140km」にも参加して自分は81kmを走りました。 そして今の自分に出来る事はやれるだけやったと言う気持でレース1週間前を迎えました。 ここからレース当日までは自宅から往復26kmの通勤バイク(自転車)だけにして身体を休めました。体が走りたいと言う状態にしてレースに挑む為です。
そしてその間はレースでの装備をそろえてイメージトレーニングです。レースでは水分、食料、防寒着は担いで走らなければなりません。その人の目標タイムや体調によってその内容も違ってきます。余分に持つと言う事はそれだけ荷物が重くなり体力を消耗します。自分はスポーツドリンク(2L)、水(500cc)、栄養補給食、おにぎり(2個)、クッキー、大福、塩飴、携帯電話、カメラ、地図、ストック、ウインドブレーカー、アームウォーマー、ライト(3個)をザックに詰め総重量7.5kgの装備となりました。

  夜、近所の山でのライトのチェック

いよいよ大会。前日は仕事があり夜名古屋を車で出発、中央高速道を4時間程走り現地近くの高速SAまで行き、車中3時間の仮眠の予定でしたが土砂降りの雨が車の天井をたたき、うるさくてなかなか寝付けません。想定外な寝不足で会場には少し早い朝7時に到着しました。スタート地点は雨、スタート時間が午後と言う事もあり会場の設営はこれからですがまるで今日は雨で中止のような雰囲気です。

  スタート地点、雨天中止?

会場受付時間は10時から、スタート時間は13時とまだまだ時間があるのでメーカーが出すブースを見たり、この大会は3回目となる自分は知り合いにも数人会うことが出来、近況を会話しては時間をつぶし気を紛らわせていました。

  選手で賑うブース

その間に雨もあがり晴れ間も出て気温が一気に上昇です。そして10時過ぎ、植田先生から会場到着の連絡をもらい合流、いよいよレーススタートにむけ最終準備です。

  慎重にパッケージングする植田先生

当初は雨のレースになると思い合羽持参の予定でしたがウインドブレーカーに変更、重ね着の内容も変更です。こういった状況にあわせた細かい対応がレースそして精神的にとても重要です。スタート2時間前、最後の水分やバナナなど食料補給です。12時半スタート30分前、植田先生と自分そしてぞくぞくと選手がスタート地点に集まり目標タイムのプラカードの所に並びました。我々は登山道途中の渋滞を懸念して出来るだけ前方でスタートしようと目標12時間台の場所に並びましたが皆考える事は同じでそこには1000人程いたと思います。実際にこのタイムでゴールしたら2500人中100番くらいの超アスリートです(笑)。

  朝とはうって変わっての天気

  スタート地点で最後のツーショット

13時「スタート!」、2500名の選手がゆっくりとスタート地点にむかい動き出しました。

  いよいよ始まりました

これだけ多くの選手がいてなおかつ植田先生と自分のペースは微妙に違う事もあり自分はマイペースで走り始めました。

  軽快に走る植田先生

最初の数キロは住宅地を抜けるので地元の応援もありますが今熊神社から山に入るとそこは登山道、明日戻ってくるまでいよいよサバイバルな世界の始まりです。

  今熊野神社到着、いよいよ登山道です

ハセツネのコースは三箇所の関門があり第一関門はスタート地点から尾根まで登り、アップダウンのある尾根沿いを走りながら夜になる22km、制限時間9時間の行程です。過去2回自分はこの区間を5時間前後で通過していて後半ガクッとペースが落ちるという苦い経験から今回は抑えて走る予定でしたが選手の大渋滞で立ち止まる事もしばしば、今朝まで降っていた雨でコースはぬかるみ滑りやすくなっていてペース配分も出来ない状況でした。

  大渋滞、この中に植田先生も

それでも2時間ほど経過すると周りも流れ出し、気持ちよく距離を稼ぎました。

  結構いました、山ガール

3時間ほど走ったところにベンチがあり数名が休憩していたので自分もザックを降ろして一休み、周りにペースについて聞くと第一関門には4時間ペースかなと言われてびっくり、全然抑えたペースではなく速過ぎでした。気持ち的にも少し余裕が出来、そこからはまめに休憩を取りながら進んでいたら突然植田先生が現れてびっくり、まさかレース中に会えるなんて、それに植田先生はとっくに前を行っているとばかり思っていましたから。ベンチでリラックスしている自分に先生は少し会話をした程度で写真を撮る間もなく「第一関門でね~っ」と言って先に行ってしまいました。その後自分もあまり離れてもと言う思いでスタート、順調に走りました。

  こんな登りは序の口

あたりが薄暗くなりヘッドライトをつける選手が出始める中、自分は胸と腰に付けたライトを点灯、ヘッドライトはまだ点灯せずに第一関門までは足元だけを照らして行く事にしました。それにしても夕方この時間にしては暗いなあと思っていると・・・雨が、それもいっきに本降り、と言うか土砂降り。慌てて濡れては困る物(携帯電話、カメラ)をビニール袋に入れなおして走り出すもコースはどろどろ、皆滑らないように歩かなければならない状況です。あと少しで第一関門だからゆっくり気をつけて行こうと思っていた矢先、皆も下り斜面で立ち往生している場所で滑って転倒、仰向けになりそのまま数メートル滑って木にぶつかって何とか止まるも・・・膝が痛い、痛くて起き上がることも出来ない。動こうとすると痛みで気が遠くなりそう・・・。周りから「大丈夫ですか?」と声をかけられるも「大丈夫です」と答えるのが精一杯で身体は動かせない。しばらくはその体勢でいたと思いますが何とか落ち着いて立ち上がるもとにかく痛い・・・。

  元気な笑顔が不思議です

それでも痛みに慣れたのか何とか一歩一歩足を前に出し1時間以上かけて第一関門までたどり着きました。 この時点で植田先生とは30分以上差が出来たと思います。そしてここから使うことが許されているストックを準備して植田先生に追いつこうとコースマップを観ながらペース配分など確認しました。そして出発する時に写真を撮るのを忘れていた事に気付き、雨の中写真を撮ってもらいました。その時写真を撮ってくれた人から「派手に転びましたね」と言われて自分を見ると確かに泥まみれ、こりゃ~ひどいとその証拠写真をと身体をひねって撮っていたら忘れていた膝の痛みがいきなり再発・・・。

  この後、恐ろしいほどの痛みが・・・

それからはもう立っている事も出来なくなり・・・・リタイアの決断をしました。 今思い出しても不思議な体験でした。転倒した時の痛みが第一関門にたどり着く頃には耐えられるようになり、休憩している時は殆ど忘れて次の事を考えていて、いざ出発しようとしたらいきなり転倒した時の痛みがよみがえって来たのです。これがアドレナリン作用なのでしょうか。
と言う事で今年のハセツネCUPはこうして終わりました。 しかし苦痛はまだまだ続きました。第一関門でリタイアをした選手は回収のバスに乗るためにコースから外れて登山道を30分程下らなければなりません。 自分はリタイアした人たち数名と迷子にならないように一緒に下り始めましたが痛くてついて行く事が出来ません、皆話しをしながら普通に歩いているのです。『おまえら普通に歩けるなら何でリタイヤするんじゃ?』と思いながら自分の状態の悪さに不安すら持ちました。結局1時間以上かかったバスを待つ場所までの道のりはある意味今回で一番辛く痛みに耐えていた時間でした。 そしてバスを待つこと2時間、50名ほどになったリタイアした選手を見ては自分の負傷が一番ひどいなあと現実にさらされていました。そしてバスに乗り、大会本部会場に戻り、自分の車に何とか戻ったのが23時、そこから植田先生がゴールするまでの時間ひと寝入りしようとしましたが膝が痛くて寝られません。ラッキーにも右足は全く無傷だったので車の運転をしてコンビニへ行き氷を買いアイシングしながら朝を迎えました。

  氷でアイシング、天橋立を思い出します

当初植田先生とはゴールしたらお互い電話で連絡を取りましょうと決めていましたが植田先生は自分がリタイアした事は当然知りません。また一緒にまとめて置いておいた荷物置き場にはすでに自分の荷物は車に持って来ていて先生の荷物しか置いて有りません。そして自分は膝が痛くてゴール地点まで歩いていく事も出来ません。それでゴール後の植田先生からの電話だけが頼みとなり車で待っていました。スタートして20時間が経過し、そろそろ植田先生から連絡が来るかもと待機しました・・・・そして電話がかかって来たのはスタートして21時間程たった時でした。植田先生無事完走、それも21時間、すごいじゃないですか!と言おうとしたら「ごめん今東京駅から」、「エッ・・・」、植田先生の携帯電話はバッテリーが無くなりゴールで連絡をとる事が出来ず、また自分の荷物が無いことから僕が大分早くゴールしてすでに帰ったのかもと思い、携帯電話を充電する為のコンビニを探しながらたどり着いたのが東京駅との事でした。「と言う事は植田先生ゴールしたのは大分速かったんじゃないですか?」、「18時間40分くらいだったかな」、「すごいじゃないですか!おめでとうございます!!」、・・・「え~リタイアしたの、大丈夫?」・・・。こうしてゴール後植田先生と会うことは出来ませんでしたがお互いの無事?を確認して岐路に着きました。 夜名古屋に到着してその足で救急医療センターへ。レントゲンを撮り、骨に異常が無いことを確認して植田先生に報告、翌日整形外科で再度診てもらい軽い左膝内側靭帯損傷と診断されました。
今回自分はリタイアと無念の結果とはなりましたが、今はこれで済んでよかったなあと思っています。来年は必ずリベンジします。その時はさらにパワーアップしてスタート地点につけるよう今からこつこつと調整してまいります。 そして是非来年は植田先生とゴールで握手をしたいと思います。

植田先生、レース後は何度も電話をくださりご心配かけてすみませんでした。そしてありがとうございました、来年も是非よろしくお願いします。

また皆様には私のような怪我をする事無くこれからも楽しく走ることが出来ます事を心から願っております。