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私のマラソン記 新大阪-天橋立140km走(2010.9.19~20) NO.2

新大阪~天橋立 ウルトラマラソンに参加して   梶芳 学

 私にとって植田先生とのウルトラマラソンに参加するのは2年前の新下関~福岡国際会議場150キロ以来2度目となりました。常に足を鍛え練習されている方々と違い、私はいつも付け焼刃のにわかランナーゆえ、2年前も少しは走り込んで練習したものの直前に風邪をひいてしまい記念すべきウルトラマラソンでは十分な走りができませんでした。それでも植田先生や仲間の皆さんとの夜を徹したチャレンジは、なんとも言葉にできない達成感を味わう事ができました。

 今回は地元大阪をスタートして天橋立を目指す、私にとっては馴染みのルート。今回も走りはともかくサポート役としてだけでも皆さんとご一緒して、あの時の達成感を再び味わいたいと思っていました。でも、参加するからには自分の走りにもチャレンジしようと考え始め、5月のGWからトレーニングを開始。最初は1キロ走るのも苦しい有様でしたが、週3回は距離に関わらず必ずジョギングするようにして、9月には自己最長の22キロのランニング(半ウォーキング)にも挑戦しました。本番一週間前には奇しくも米子で植田先生との11キロ皆生ジョギング練習もでき、万全の態勢で当日を迎えました。

 ところが...
 当日23時新大阪駅待ち合わせを5時間後に控えた時、伯父の死去を知らせる訃報が。。。
とても自分の事を可愛がってくれていた叔父は一年前から闘病生活をしていましたが、まさか急逝してしまうとは思ってもみませんでした。これではいくらなんでもウルトラマラソンには参加できません。しかし私が欠けると走りはともかくも、伴走の車が田中さん1台となってしまい、後半から参加される人たちの事を考えればやはりもう一台車が必要です。せめて車両だけでも確保しなければとレンタカー会社をあたってみますが、流石に3連休の始まりとあってどの会社も車の空きはありません。仕方なく皆さんのスタートだけでも見送らせてもらおうと新大阪駅へ向う途中に家族から連絡があり、お通夜と葬儀は連休明けになるとの事。友引が重なったことが幸いしたと言っていいのかどうか???でも、これで直前まで参加を諦めていた状況から一転、当初の予定通り皆さんとご一緒することができたのです。

 新大阪駅で田中さん、江角さんと久しぶりに再会し、初めてお会いする高先生、森田さん、岡田さんにご挨拶。皆さん見るからに「走りの猛者」を思わせる雰囲気で頼もしい限りです。そして植田先生が到着され、いよいよウルトラマラソンの開幕となりました。私はスタートまでの数時間のゴタゴタでなんとも気持が落ち着かず、夕飯も口にしていなかったので兎も角何かお腹に入れておこうとコンビニで買った稲荷ずしを詰め込んで出発です。今回はノッケから植田先生に森田さん、高先生、岡田さん、江角さんの4人が一緒に走ります。なんともまさにマラソン大会の様相を呈して、私の走りからは想像を絶するスピードで着実に距離が刻まれて行きました。コース前半の最初にして最高のヤマ場となった能勢街道の峠。スタートから42キロを数えるフルマラソンの距離に達しても尚、まして急激な長い長い上り坂を走っている全員が全速力で駆けあがってくる姿は透き通った初秋の朝日同様に清々しく、また凛々しい光景でした。そしてまた、こんな走り屋の人たちと残りの100キロを一緒に走ることに恐怖を感じたのも事実です。

 まず、唯一の女性参加となった高先生が究極の上りを制してフルマラソンの距離をこともなげに走り抜かれるとは!飄々としながらも力強く走り続ける岡田さんの無限大エネルギーは果てることを知らないのか!森田さんは鍛え抜かれたふくらはぎが物語る通り、実力に裏打ちされた冷静な判断力と底知れぬ闘争心はタダモノデではありません!江角さんは余力を残しつつ長丁場のウルトラマラソンに備えて以降のプランニングを考えながら伴走車をリードします!そして、植田先生はと言えば。。。走りの猛者たちに囲まれスタートからアクセル全開!走れば走るほどエネルギーが沸き立ってくる、まさに「走りの鬼」に見えます!「まてよ!!先生は確か、8~9分/1キロで楽しくのんびりと走ろう!って言っておられたんじゃ~なかったかなぁ~」そしてそして田中さん!「我々二人はドライバー役で行こう!」なんて言いながら、走り出したら10キロもペロっと!坂道もペロっと!流石現役シニアサッカー選手です。少々足首の靭帯を伸ばしてゾウのようになっても医者いらずのど根性は、これまたタダモノではありませんでした!

 こんな猛者に囲まれ、いよいよ私も出走です。とは言っても既にスタートから3分の1が過ぎた頃です。幸いにも!!最難関の峠を越え、植田先生も一休みとなった区間で旧道の木陰の下り坂を歩きながら進みます。木漏れ日の清々しい朝日と澄んだ空気を味わいながらの散策と言った感じで私の最初の走りは、ほとんどが歩きで終了。まだまだ先は長いので、私にとっては自分の最初の出走が絶好のタイミングにあたって胸をなでおろしつつ、エイド地点で江角さんにバトンタッチしたところ、少し離れたところから植田先生の声が...「梶芳くん、もう交代?全然走ってないんじゃないの??」この先生の声がその後の私の走りへの警鐘でありました!!

 順調すぎるというより、私には驚異的なスピード感で瞬く間に綾部までの道のりを刻みました。しかし、2回目以降の私の走りは限界へのチャレンジが続きました。植田先生の走りのペースは一向に衰えることを知りません。6~7分/1キロのペースは私にとって全速力、これにちょっとでもアップダウンが加われば、それは地獄そのものです。加えて、私が植田先生と走る時は森田さんも一緒のサイクルとなり鉄人ふたりのマッチレースには到底追いつけません。日が高くなると猛暑は過ぎたとはいえやはり暑く、日中は誰かが500ミリのペットボトルに身体を冷やす水を入れて走るのですが、このたかだか500ミリが厄介です。とうとう先生と森田さんについていけず、ダラダラと続く緩やかな登り坂を一人旅する始末となりました。「田中さんにTEL連絡してピックアップしてもらおうかなぁ~」との思いもよぎりましたが、5キロ足らずの区間をギブアップするのは流石に情けなさすぎます。思い直してトボトボと自分のペースでエイド地点を目指すと、背中の先生のiPhoneが9分/1キロのペースを告げました。そしてまた頭の中で「先生は確か、8~9分/1キロで楽しくのんびりと走ろう!って言っておられたんじゃ~なかったかなぁ~」と泣きが入りつつなんとか皆さんの待つところまで辿りつきました。やはり、ちょっとでも余裕を残そうなんて考えていると、植田先生の自在のギア変則によって全てを吐き出させてしまう恐ろしさを思い知った次第です。その後は何とか、本当に何とかしがみついて区間を走りましたが、いよいよ残すところゴールまで20キロ程になった地点で右膝に激痛が!!自分の走る順番に備えストレッチやアイシングをするも地面に足をつけただけで膝が痛む始末です。その前の走りで右膝に少しの痛みと違和感が出てきていたのですが、この塩梅では流石にご迷惑をかけると思い敢え無くその後の出走をリタイアし、綾部より合流された高橋さんに助けていただきました。

 しかし、順調だった展開も残りわずかとなってペースダウンを余儀なくされます。これまでの順調さが嘘のように残りがとても長く感じるのはやはり疲れと眠気によるものなのでしょう。リタイアした私はともかくも、植田先生はこれまでご一緒したランニングでは見た事のない壮絶な姿で、それでもゴールを目指して死力を尽くされます。残り10キロを切ったところでコースを外れるアクシデントも重なり、まさに近くて遠いとはこんな感じを言うのかと思いつつ、先生が最後の1キロを一緒に走ろうと言っていただいたので、ゴールを目指して足を引き摺りつつ最後のエイド地点を出発しました。少し休んだので膝の痛みは幾分和らいだように感じつつ森田さんの後について植田先生の前を行きます。後方から江角さんが100メートル通過毎に知らせてくれます。しかしなんとこのわずかな1キロの、100メートルの長い事か!和らいだかもと思った膝は一歩踏み出すごとに痛みをまし、どうやって走れば良いのかも分からなくなる状態で、ひたすら森田さんの背中を追いかけなんとかゴールすることができました。ほんのわずかな最後の1キロでしたが、植田先生と共にゴールの瞬間を迎える事ができて感無量でした!植田先生、ありがとうございました。

 今回のウルトラマラソンは後から思うと、なんとも時間と距離の経過が速かったり遅く感じたりと目まぐるしい30時間だったように感じつつ、エイドでのほのぼの感や皆さんとの一体感を存分に味わえた時間となりました。私自身の走りの課題も見えてきたと思いますので、次のチャレンジとなる11月の下関海響マラソンまで、また頑張って精進したいと思います。植田先生、走りの猛者の皆さま、大変お世話になりました。ありがとうございました!


新大阪駅~天橋立140Kmウルトラマラソン体験談   高 知愛

 まず、この度、植田先生をはじめ皆さんのお陰さまで貴重な体験ができたことを心より感謝します。今度の走りは私にとって、'初体験'が多くて、本当に心に残る走りになりました。ただ、方向音痴、マップに対する無知な私には区間ごとの走りの説明はできないことをお許しください。全体的な説明で体験談を述べさせて頂きます。
 このウルトラマラソンの話を聞いた時には興味を持ったのと同時にフルーマラソン(42.195km)以上の距離を走ったことのないことから不安もありましたが、皆が交代で走る話を聞いて、何とかなるのかなーって思いました。(本番ギリギリに体調の関係で諦めかけてましたが、けっこう無理をする自分が好きな?私は何とかなるって自分に言い聞かせ参加することにしました)今回は植田先生以外には殆ど始めてお会いする方ばかりだったので、そこもちょっと不安になりましたが、(あ、途中で参加した高橋さんは指宿マラソンでお会いしています)そこはお会いしてすぐに不安解消!!
  スタート予定時間から若干遅れて走り出しました。山口大学に来る前に大阪大学に10年間いたので、最初のコースは本当に懐かしい所を走ってました。気温も暑くなくちょーど走りやすい環境でした。10-20kmで交代だと思ってたがいつの間にかフルーマラソンの距離を一気に走ることになり(植田マジックでしょうか?)、しかも、今までで一番キツイ昇りが40km付近で出てきて、それはも~。。。 ドンドン待ってましたと言わんばかりにスピードを上げていく植田先生、さすがの一言です。'歩きたい、歩きたい'って叫んでて結局最後の1kmほど歩き出しました。私の前に走っていた田中さんがどんどん離れていく私を心配して後ろを気にしてました。「先、行ってていいですよ」って言ったのですが、結局、一緒に歩いてくれました。すみません。それで、やっと車の所まできたら、植田先生から45kmまできたよって聞いてまず、記録更新!もういいやーって思いました。一応、記録更新したし、後は日がさしてきて暑くなるし、ここは皆に甘えて休ませてもらおうと思いました。今までの長距離走ったときと違う部分が痛くなり、(たぶん、昇りがきつかったせいでしょうか)、しばらく車のなかで氷で冷やしながら一応、記録更新って自己満足に浸ってました。
 しばらく、他のメンバーが交代で走ってるのをみてましたが、何だか悪いような気もするし、暑い中走りの経験もあまりないので、走ってみようかなって気にもなって、どこの区間かよくわかりませんが、お昼の11-12時ぐらいからまた走りました。それからは植田先生を除いて3人体制で交代で走ることにしました(約5kmごと)。足は大分よくなってました。これもまた私にとっては記録更新! フルーマラソンを走った後は今までだと3日以上は経たないと走れませんでしたが、意外と足は動いてくれました。その分、筋肉がついてきてくれたのでしょうか? 植田先生からはフォームがきれいだからもっとスピードは出せるって言われましたが、なかなか心拍が上がるのが怖くて、スピードは出せません。(今後の課題です)とにかく、5kmごとに3人(田中さんー高-森田さん)で交代しながら走り続けました。それで、一応、どのぐらい走れるのか総距離を計算したら私は66-67km走ることになって、70kmにはなってないかーってちょっとガックリしました。
 ところが、私の最後の走りになる区間でコースアウトをしてしまって、余計に走ることになり、正直かなり疲れてはいましたが、モチベーションを下げない為に「わい~これで70kmを走ったことになる~」って叫んでました。(そのごろ、かなりのダメージを受けている植田先生には申し訳ない、まったく空気が読めてない(正にKY)行動だったのかも知れませんね。いつもポジティブに考える陽気な性格なので、大変失礼しました(^^)。
 とにもかくにも、私の走りも終わって、後最後のメンバーの走りが終わった時には朝、5時半でした。全員で写真を撮って、あまりにも自分の汗臭さに着替えだけして早く帰ってお風呂に入りたいという気持ちだけでした。(そう言えば、この企画に参加するって言ったら友達が一応、女性であることを自覚してやめればって止められてましたねー。そんなの大昔に捨ててますう~~~)。新大阪まで梶芳さんが車で送ってくれました。行きは助手席に乗った私とずーとしゃべってましたからよかったのですが、帰りの一人の運転がかなり眠くてきつかったのでは。。。梶芳さん、大変ありがとうございました。
 終わってみれば、あっという間だったと思えます。いろいろ記録更新もあったし、初体験もあったし、(あ、初体験といえば、暴走族と挨拶を交わしたことが記憶に残ります。昼間に走る暴走族も始めてみたし、信号はちゃんと守るし、走っている私達に手を振って応援してくれてました。笑える!!)いい思い出になりました。
 それと状況判断の大事さ、諦めない勇気と共に諦められる勇気の大事さ、仲間達に対する思いやりの大事さ、などなど、走りは本当にいろんなことを勉強させてくれることをまた実感しました。だから、止められませんねー。皆さん、本当にありがとうございました。またいつか一緒に走れる機会があればいいですねー。あ、まず、一ヶ月後の下関海峡マラソンを頑張らないと。足が戻ればいいのですが。。。またお会いできますね。楽しみにしてます。
高橋さん、今回の海峡マラソンでは記録更新ですか???(^^)


新大阪駅~天橋立140Kmウルトラマラソン体験談   江角明由

 平成22年9月19日(日)~20日(月)にかけて、新大阪駅から天橋立までの区間140Kmを植田先生とサポートチーム7人で楽しく・辛く走ってきましたので報告します。

 2年前の新下関~福岡国際競技場150Kmマラソン、昨年の熊本駅~別府九州横断マラソン、そして今年の新大阪駅~天橋立140Kmマラソンを体験しました。毎年、マラソンに向けてテンションを高める為に横断幕を作成していきます。今年はどんなドラマ(参加者の喜怒哀楽・ハプニング)があるのかを思い浮かべながら横断幕を作成してテンションを上げました。おかげで?深夜になっても眠れません!!結局3時過ぎに就寝しました。

 大会当日、鳥取県米子市から仕事の関係で鳥取市まで行き、新大阪駅に向かいました。集合時間の23時前になるとサポートチームの皆さんが集まってきます。過去のマラソンでも兄貴的な存在であった田中さんの姿が見えました。1年ぶりの再会です。なぜかホッとします。数年ぶり2度目になる森田さんが既に準備万端で登場です。意気込みが伝わってきます。初めてお会いする岡田さんが到着されました。長身で脚も長く、体育会系の体つきです。まさにサポートチームのエースです。梶芳さんも到着されました。梶芳さんの笑顔・雰囲気は、いつも私の心を癒してくれます。高先生が到着されました。サポートメンバーで唯一の女性ランナーです。高先生の笑顔は、チーム内に花を咲かせます。そして、植田先生が北海道出張から関西空港経由で到着されました。いよいよスタートが近づいてきたとういう緊張感が走ります。

 新大阪駅前で横断幕を持って集合写真を撮りました。マラソンウエアの7人が集まると新大阪駅にはミスマッチです。目立ちます。横断幕を覗き込んでいく人もいます。そして0:45のスタートを迎えます。しかし、ここで植田先生から思わぬ言葉が飛び出してきます。標高最高地点までの42Km地点まではみんなで走ろうと言われるのです。過去2年参加してきている私にとっては、後々の事を考えると言葉が出ずに苦笑いするしかありませんでした。私は、5~10Kmをリレーしてゴールを目指す事しか考えていませんでした。

 スタートは、植田先生・高先生・森田さん・岡田さん・私の5人でスタートです。車を出して頂いた田中さん・梶芳さんは、5Km先毎にエイド場所を確保してサポートします。私は、大阪には殆ど行く機会が無いので土地勘が全くありません。森田さんが事前に準備されたコース地図を見ながらガイドされます。また、高先生も大阪在住期間がありサポートされます。私は、金魚の糞状態です。夜中になっても大阪の街は明るく人も多く、私の住んでいる鳥取とは違います。なにか落ち着きません。順調に距離を稼いでいましたが、30Kmを過ぎた地点から足の痛みが激しくなってきました。他のサポートメンバーも同じに違いありません。しかし、ここで私の心の中に甘い囁きを言ってくる小悪魔が出没してきました。小悪魔は、「この後の事を考えると無理をしない方がいいよ・・・、まだまだ先は長いんだよ・・・」と囁いてきます。一昨年・昨年と経験している私は、今後の事を考えてしまい、自分でラインを引いてしまいました。小悪魔の囁きを受け入れてしまったのです。32Kmを走った地点で田中さんとバトンタッチしました。その時、植田先生の顔を見る事は出来ませんでした。植田先生・森田さん・高先生・岡田さんは、標高最高地点まで走りきられました。その時の高先生の達成感に満ち溢れた表情は忘れられません。それに比べ私は・・・トホホ状態です。岡田さんは、その後も65Kmまで走り続けられます。走り終えた所で、MVPですねと声をかけました。岡田さんも休憩時間には仮眠を取られていました。口を開けて寝ている岡田さんの寝顔もMVPでした。みんなの心を癒してくれました。肉体的・精神的にも辛い時に、私の心の師匠高橋さんが合流されました。新しい風を吹き込んで下さいました。20日の夜に差し掛かると睡魔と闘いながら、マラソン・エイドフォローを繰り返します。

 そして、ゴールまで約5Km地点からのサポートを森田さんと一緒に走ります。植田先生は、足の痛みと睡魔と闘いながらゴールを目指します。植田先生は、自分の顔を叩きながら走っています。私と森田さんが残り1.2Kmぐらいでしょうかと話をしている時でした。植田先生がコンタクトの度数がどうのこうのと話して来られました。残りの距離とコンタクト度数が混同しているようです。そして、道路も崖に見えたようで、そこは崖だから森田さん気をつけるようにと言われます。肉体的にも精神的にも究極状態な植田先生でした。サポートしている私は、そんな植田先生を鼓舞しないといけないのに、声をかける事が出来ません。ただひたすら、先生がコースを外れて倒れないように、先生の肩口に手が触れないように支えながら走るのに精一杯でした。そして、20日AM5:30、天橋立のゴールを迎えました。

 今回のマラソンは、過去2度の経験が守りに働いてしまったような気がします。つい先々の事を考えてしましました。次回参加する機会があれば、もっとアグレッシブに走りたいと思います。これは、仕事・プライベートでも同じ事が言えると思います。自分に言い聞かせます。今回のマラソンで、久々の再会、初めての出会いもありました。皆様と楽しく・辛く充実した連休を過ごす事が出来ました。本当にありがとうございました。今回のマラソンで作られた筋肉で、1ヵ月半後の下関海響マラソンに挑みます。皆様にお会い出来るのを楽しみにしております。


新大阪~天橋立 ウルトラマラソンに参加して   田中 義計

 植田先生、高先生、高橋さん、森田さん、梶芳さん、江角さん、岡田さん、本当にお疲れ様でした。究極の体験第三弾、29時間におよぶサバイバル企画が無事終了(完走)することができまして、ほっとしております。有難うございました。

今回、この第三弾「新大阪―天橋立・耐久マラソン」を実施することになったのは、ほかでもございません。私が関西の地に引越しをしたのが要因です。
一昨年のCL学会記念「新下関―福岡国際会議場150Km」を経験し、昨年、シルバーウィークに何か?と「熊本―湯布院110Km」を実施。次回は、さーどこで???
このとき、私が大阪に引越しをすることが、ほぼ決まっていましたので、大阪で走ろう!
ということに、話題ではなっていました。が、まさか!?・・・
ある日、植田先生に、正式に「大阪に引越しをします・・・と」伝えました。
帰ってきた言葉は「大阪から天橋立まで走ろう!」でした。そして今回の実施へ。

三度目の実施になる、このサバイバル・耐久マラソンですが、今回は、過去の二度に比べると身体、精神的に余裕があったと思います。慣れたのか?体力がついたか?
とはいえ、二日間の徹夜(途中、居眠りを3度ほど)は、堪えます。
自分自身どの程度の距離を走ったか?把握していませんが、50~60Km程度は走ったのではないかと思っています。(これは自身最高距離)

18日PM11:00新大阪駅集合!
初めてお会いする高先生に、久しぶりに再会するメンバーと合流。植田先生の到着がスタート予定時間(0:00)ぎりぎりであったこともあり、スタートしたのは0:45です。
スタート地点・新大阪駅を7名でスタート。岡田さん、森田さんは走る気満々の様相。
5名のランナーと2名の運転手でサバイバル企画が幕を開けました。
2名の運転手は私と梶芳さんです。5Kmごとに車を止めて、ランナーの到着を待ちます。
これがまた・・・・徹夜での車の運転はやはり、睡魔に襲われます。梶芳さんとあくびを繰り返しながら、停車中に飲料、氷の補充、パン、バナナ、おにぎりの食物を補充し、待機。さー、ここから上りに入るよーという地点、時間は3時?4時?まだ、全く走っていない私と梶芳さんはお腹が空いてきていまして、たまたま停車していたコンビニの横に"吉野家"がありました。そこで皆さんには内緒でしたが"牛丼"をペロッと戴きました。
"吉野家"は植田先生の体験談に出てくる食べたいランキングトップクラスの食べ物ですので内緒にしておくことが無難であろうとの判断から公表しませんでしたが、食べている時の梶芳さんとの会話は、"植田先生が牛丼、食べたいと言い出したら、どうします?"
"食べてないことにして、もう一杯食べますか!"ってな状況でした。(失礼)

私が走り出したのが、夜明けの32~33Km地点だったと思います。先が長いから、と江角さんと交代。ここからが上りの始まりという地点でした。
牛丼もお腹に入り、夜明けということで、寝ていないのですが体が活動してくる状況で、体調としては万全のスタート。一緒に走っているメンバーはスタート地点からずーっと走っていますので、ペースはゆっくりといった感じで、いいウォーミングアップです。
5Kmを走り終え、次の5Kmへ。ここが標高の一番高いところを目指す区間になります。
植田先生、高先生、岡田さんと私で上っていくのですが・・・、先ほどまでのペースで刻んでいくものと思っていましたら、植田先生のペースがどんどん上がっていきます。最後尾にいました私は、どんどん離れていくのを見ていました。植田先生から、岡田さんが少し遅れ、そこから、高先生が少し遅れという状況です。致し方なし、40Kmも走ってきている状況、鉄人の植田先生にかなう訳がありません。高先生が気を使ってくれまして、先に行ってくださいといっていただきましたので、少しペースを上げて、前を追いかけましたが、岡田さんの背中が少し大きくなる程度で、ペースを落としました。高先生の姿が見えなくなる(カーブで)と、何かあっては?いけないと思い、一緒に歩くことにしました。(えー格好いうて、実はしんどかった・・)到着地点が42Km?45Km地点です。

そこ後は、交代で4~5Km、8~10Kmを走っていきますが、非常に順調に距離を刻んでいきます。日も昇り、温度はどんどん上がってきますが、丹波の真面目な暴走族を見ながら、水分補給、塩分補給で進んでいました。
天橋立にPM10:00ごろ到着してしまうのではないかというペースでした。

午後の2時?3時?ごろ、そうです。高橋さんと合流する前の区間です。
標高の一番高いところを夜明けに通過し、残す上りが、ここだけで後はフラット。
2~3Kmで120m程度を上るという区間でした。植田先生、森田さん、岡田さん、と私で走っています。少し小雨が降って、体には優しいのですが・・・・・。
いきなり、競争モード投入!!!緩やかに上りを走っていましたら、植田先生の歩幅が!
すり足で走っている植田先生の歩幅がどんどん広がって、挙句の果て、飛んでいるくらい歩幅が広がって、スピードが上がっていきます。森田さんがこの展開を読んでいたらしく、ギアチェンジに大成功!森田さんはそのまま爆走していきました。私は何とか植田先生についていこうと必死にくらいついて、中継にたどり着きましたが、無謀です。
息が上がる状態で植田先生についていましたが、本当に植田先生が飛んでいたんです。
"あーこんな走りができるんや・・"とひたすら感心しました。鉄人レース用の走りを見ていただけに、このペースのこの走りは圧巻でした。

高橋さん合流!!(みんながすごく喜んでの再会!アイドルですね!)
アイドル高橋さんが、途中合流ということもあり、走れるだけ走るとスタートしました。
途中合流までの分を挽回しようとするそのバイタリティ、それより、90Km地点から合流し、途中参加してくるアイドル高橋さんには頭が下がります。

ここからは、夕方になり少し気温も下がりだして、ペースとしても順調でした。
PM11:30、オアシスのように思えたコンビニに到着。(あと12Km地点)
ここから、伴走者は最終ランに入ります。
私は、この地点から4Km走って終了。最終ランに向けて、オアシスのようなコンビニでどんべいのきつねうどん大盛りとチリドッグを食べて、準備万端。
植田先生、高橋さんと一緒に走り出しました。やはりここまで来ると植田先生の疲労も想像の範囲を超えているようで、半分は歩いたように思います。二日目の徹夜に入っています。

ここからゴール地点の天橋立までは、本当のサバイバルでした。伴走された方々からのコメントが生々しく伝えてくれています。
本当に、無事にゴールできて、改めて、よかったなーと思います。
サバイバル企画の幕が無事閉じれました。

最後に
皆様と一緒にサバイバルな体験をさせていただき、達成感を味わうことができたことに感謝します。有難うございました。今後とも、宜しくお願いいたします。


新大阪→天橋立150km走体験談   森田悦朗

制限時間30時間、新大阪から天橋立までの140kmを皆でランニングしようという企画に参加しましたので体験談を書きました。

植田先生企画も『第1回下関→福岡150km』『第2回熊本→別府(140km)』と毎年続けて行われ、今年が3回目となりました。そして過去日程が合わずに断念していた自分にとって今回が初めての参加です。 今まではこのシリーズ化された企画に参加した勇者達の体験記を楽しく読ませていただく側で受身でしたが、いよいよ今日参加するんだという興奮を胸に集合場所新大阪駅に向かいました。 レースのスタート予定は深夜0時、自分はウォーミングアップをかねて地元名古屋で開催された6時間リレーマラソンに参加してからの大阪入り(ここでの無理が当然響きました)で、集合時間の夜11時にはまだまだ体が火照っているような状態です。 続々と集まるメンバーに挨拶をして皆で植田先生の到着を待ちます。その間、久々に会った田中さん、江角さん、岡田さんに近況とか聞きたいなあと思いつつ顔を見ると、既にテンパっていてこれから始まる何かの大きさが伝わってきます。 初対面の高先生にご挨拶すると「フルマラソンは年3~4回出場していますよ」とさらっと言ってはニコニコとしている表情が不気味でしたが、、、実際筋金入りのアスリートでした。当日私用がばたばたとあり参加が危ぶまれた梶芳さんはと言うと・・・目が不安をひしひしと訴えています。 そして24時、植田先生が到着して慌しくスタート準備を済ませると今回のコース、出走方法、エイドの確認をして、予定より45分遅れる事いよいよスタートです。

★序盤戦(国道173号能勢街道最高峰45km地点を目指す)
植田先生は全工程走破を目標に、そして皆は5~10kmごとのエイドで交代しながら走りましょうというアバウトな取り決めでスタートするも「最初の42km(これだけでフルマラソン)は一気に走りきろう」なんて言う感じで走りだします。最初のランナーは植田先生、高先生、江角さん、岡田さんと自分です。田中さんと梶芳さんはそれぞれサポートカーを運転してコースを先回り、即席エイドステーションを構えての待機です。 大都会大阪を走っていると歩道は明るく車や人も結構いるので、今が深夜だというのを忘れさせます。  能勢街道を黙々と北上して30kmを越えた辺りからやっとあたりも暗くなりライトを持ってのランとなりました。 山道に入り登り基調を進むこと33kmあたり、最初に音をあげたのは自分でした。足が震えて皆について行けません。多分名古屋でキロ4分近くのペースでリレーマラソンをしたのが響いているのでしょう。サポートカーを呼んで回収され、35km地点のエイドに先回りして身体を休めます。15分ほどで植田先生達もエイドに到着。毎度の事ですが走っているときは15分というのはとても長く、こうしてストレッチしながら待つ15分はあっという間にたつと言う感じです。そうしている間にもあたりは明るくなり早朝という時間帯の始まりです。自分にとって一気に42kmを走れなかったと言う残念な思いもありましたが、今回の自分の目標が『ウルトラマラソンの距離である50km以上、そして来月走るハセツネカップの距離の合計71.5kmを走る』という事も有り、大事を取って35~40km区間もパスする事に。 そしてここ40kmから45kmにかけてが今回の最高地点です。この区間、早朝の澄んだ空気と景色を観ながら自分のペースでのんびり走りたかった事もあり(皆と走るとどうしても競争に・・・(笑))   1人10分程先にスタートして頂上『はらがたわ峠』を目指します。そして途中写真を撮ったりしながら気持ちよく頂上のエイドに到着して振り向くと、なんと植田先生がすぐそこまでペースを上げ追い上げてきているではありませんか。内心自分は競り合いにならなくて良かったとホッとした場面でした。その後も岡田さん、高先生、田中さんも続々とゴール、最初の目標フルの42km、そして45km地点をクリアしての前半戦無事終了です。
 
★中盤戦(山道綾部街道を綾部の町まで)
中盤のゴールは山中のアップダウンを超えて90km地点の綾部の町にたどり着く事です。日中となるこの区間は暑さに対する疲労を考え当初歩こうと考えて(思い込んで)いましたが、植田先生はキロ7分のペースで淡々と歩くことなく刻みます。他のメンバーも5kmごとに交代しながらとにかく頑張ってついています。が、だんだんランニング中の会話も無くなり、それは修行の場となって行きました。その中で植田先生の走りは半端ではありません。何かに取り付かれたように黙々と走ります。そしていよいよ80kmから85kmの区間、綾部街道で一番キツイ2kmの上り坂まで来ました。当初からこの上りはペースを上げて走りたいと思っていた自分はキロ5分弱くらいのペースで走ります・・・が、驚いた事に植田先生がそのペースをじわじわと上げていきます。それは挑発しているようにも思えましたが、それ以上に『自分は交代しながらまだ50kmしか走ってないけど先生はここまで80km以上を連続して走ってきているんですよ、無理しないでください』という思いが立ち、でも『だから自分はここで負けるわけにはいかない』 という思いで気合いを入れペースを上げ質山峠の須知山トンネルまで上りきりました。
が、、、そこに待っていると思っていたサポートカーが見当たらない!駐車スペースが無かったらしく500mのトンネルの先、そしてさらに数百メートル下った地点に待機していたのでした。『キツイ!!でもここで植田先生に抜かれるわけには・・・』と、車の通りがほとんど無い道路の真ん中を上を見ながらもがきました。エイドに走りこみ振り返るとやっぱりすぐ後ろに植田先生が来ていました。今の体力では間違いなくオーバーペース、でもそれをやってしまう植田先生は・・・恐ろしい。当然その時の無茶は終盤跳ね返ってきたのですが・・・。さてここから綾部までは下り基調、途中85km地点で高橋さんも合流、交代要員が増え少しローテーションに余裕がでて楽になったはず・・・、スタートして約15時間、やっと綾部の町に到着。そこで「温かい牛丼が食べたい」とのリクエストから食事の手配となりました。エイドのたびに水分と食べ物は補給しながら走ってきましたがやはりちゃんとした温かい食べ物が欲しくなるものです、それに気分転換も必要です。94km地点、お弁当を仕入れて皆で県道沿いに座り遅いランチタイム?となりました。しかし皆疲労からか会話がはずみません。お弁当も一生懸命食べているというように見えます。「これからは4kmごとで休憩にしましょう」、今まで歩かずに来た分まだまだ目標の制限時間までには余裕があります。これからは休憩を増やしていく事にしました。そしてこの時点では「ゴールの天橋立には夜中12時くらいに到着するのでは」との会話もしていましたが・・・。

★終盤戦(いよいよゴール、天橋立を目指して)
食事休憩を済ませ、予定より早いペースで100km地点を通過したのは夕方6時過ぎ、スタートしてから17時間程経過です。そして2度目の夜が始まりました。大阪の夜とはうって変わってあたりは真っ暗、車も殆ど通らない由良川沿いを懐中電灯で照らされる場所だけ見つめながら20km先の河口、日本海(若狭湾)に向かいひたすら走ります。今思うとこのあたりからの自分は無我の境地だったと思います。体がキツイとか走りたくないと言う思いは全く無く、ただ走り、地図で距離やルートを確認し、無事ゴールすることだけを考えていました。 道の両側には民家が並び、また暗くて近くの海は見えませんでしたが砂浜に打ち寄せる波の音が心を癒してくれます。 「海はまだ?」植田先生が聞きました。「え?もう海沿いを走ってますよ」と答えると「あれ?河口まで行って左に曲がるんじゃなかったっけ?」、「いえ、道なりに大きく左にカーブしてもう海沿いを走ってます」「なんだ~、そう・・・」。文章では上手く伝えられませんが植田先生の疲労はかなりピークに来ていると感じた会話でした。スタートして23時間が経過、残り12km地点、最後のコンビニでの休憩です。周りから「眠い」の声が頻繁に聞こえてきます。確かに自分も土曜日朝5時に起きてから40時間以上寝ていません。ここに来て休憩を含めて1時間で4kmのペースとなっていたので、単純にあと3時間でゴールなんだと睡魔と闘うべく気合いを入れ直し、自分は次の132km地点のエイドステーションにサポートカーを移動しました。それから約1時間後、植田先生、高橋さん、田中さんが走ってきましたが植田先生は明らかにキツそうで途中歩いてしまったとの事でした。足首をアイシングして十分な休憩を取りいよいよ残り8kmスタートです。しかし皆疲労と睡魔で全てが限界ぎりぎりで頑張っている中、ここに来て悲惨なことにコースミスが・・・・・・、 植田先生、高先生そして岡田さんは4kmのコースを9km走る結果となってしまいました。コースミスに気付いたその時の場の雰囲気と言ったら・・・皆黙って繕うのがやっと・・・・、 でもその時の皆の立ち振る舞いが自分にとって今回最も感動した場面でした。誰がどうこうでは無く、そうなり得る状況の中に皆がいるんだという事であり、ある意味今回の企画の意義、答えがそこにあると思いました。『物事は往往にして予定通りにはいかないもの、予想外のトラブルやアクシデントに対してどうリカバリーをするのか、そのアクシデントも楽しまなければいけないんだ。』 と、前向きに自問自答をしながら136km(141km)地点でサポートカーで待機していた自分は精神的に満たされた?のか10分程不本意にも爆睡してしまい植田先生らの到着で起こされました(勿論その場を走っていた植田先生、高先生、岡田さんの精神的ダメージの大きさはくみ取っているつもりです)。 
身も心もボロボロ、、、でもいよいよ残り4kmのラストランです。 ゴール1km手前まで植田先生(間違いなく寝ながら走ってました)、そして江角さんと自分は両サイドから先生をアシストしながら走りました。そして最後、残りの1kmは梶芳さんも加わりゲームドラゴンクエストのように4人が連なって走りました。(実際はゾンビの行進?)
そして朝5時30分、スタートしてから28時間45分後、遂に天橋立の交差点にゴール!!
また一つ、大きな目標を皆で達成しました。
しかし誰も感動する元気、感動にひたる元気、お互いをたたえあう元気はありません。
『とにかく少し寝たい、できれば風呂に入り着替えたい・・・』、皆そんな思いで全く観光もせず(勿論まだ早朝で無理ですが)、天橋立駅でお開きとなり、車、電車とそれぞれ帰路につきました。自分は電車で京都経由名古屋まで。天橋立駅で電車に乗り込み、列車が動き出したら天橋立の松並木くらいは見たいと思いましたが座席に座った瞬間に爆睡、目を覚ましたのは京都駅で車掌に起こされた時でした(笑)。

今回もランニングと言う共通な物を通していろんなドラマがありました。 こういった非日常的な事、特に挑戦する事は現実の世界にとてもプラスになると思います。そしてこれからもまだまだ挑戦して行きたいと思います。

最後になりますが、下見を含めて企画を段取ってくださった田中さん、サポートカーを提供してくださった田中さん、梶芳さん、お会いする機会は少なくてもいつも刺激をくださる高橋さん、江角さん、岡田さん、紅一点、しかし今後間違いなくダークホースとなるであろう高先生、そしてこの人を無くしてはこの企画は成り立ちません、植田先生、皆さんお疲れ様でした、そしてどうもありがとうございました。
これからも是非よろしくお願いします。


新大阪~天橋立マラソン   高橋孝治

 今回で同様のイベントが3回目となります。初回は3年前の下関~博多マラソン、昨年は熊本~大分マラソンでした。このイベントを職場で話すと、誰もが少々引き気味で、加えてこれが正式な大会でなく、仲間だけのイベントであることを誰も最初は信用してくれません。この一見無謀なイベントも今回で3回目となり、私自身は何となく慣れてきてしまいました。しかしながら、世間一般からは信じられないイベントのようです。

 今回は途中からの参加となりました。土曜日の仕事の関係で、日曜日の朝一番のフライトで自宅に帰り、準備をして現地に向かうことにしましたが、新大阪から天橋立に向かうルートは大阪に長く住んでいるので良く知っており、合流がそれほど簡単ではないことを直感していました。いかに公共の交通機関を使用してメンバーに合流するか悩みました。
 鉄道は京都からの山陰線か大阪からの福知山線が方向としては一緒です。高速バスは路線がありませんでした。鉄道路線もメンバーが走る国道からは基本的に離れているので、国道沿いの病院等の大きな公共施設を検索し、最寄りの駅からバス等が運行されていないか、役所に問い合わせて調べました。なかなか良い合流地点が見つかりませんでしたが、結局、メンバーの走行スピードと公共交通機関の接点として最も妥当な場所をJR綾部駅にしました。JR綾部駅までは自宅から約3時間です。綾部まで新大阪から国道で約90Kmですので、メンバーが時速7Kmで走行した場合13時間。休憩を含めると早くても14時間後に綾部通過かと。深夜0時に新大阪スタートなので、14時までに綾部に到着していれば大丈夫だと考えました。7時羽田発の航空機で9時前に自宅に到着し、着替えや準備を整えて先ずは京都に向かいました。京都から山陰線に乗り換えました。初めて山陰線に乗車しましたが、都会では珍しいワンマン電車で、山間エリアを走りとても快適に景色を楽しめました。もともと田舎育ちなので、このような時間は日常生活の疲れを癒してくれました。

 約3時間の小旅行が終わり、13時前に目的地のJR綾部駅に到着しました。丁度、綾部駅に到着する少し前に田中さんから連絡がありました。その時点で綾部駅付近まで15Km地点とのことでした。少し時間の余裕もありましたので、綾部駅周辺で昼食にすることにしました。ところが、綾部駅周辺には食事のできる場所が見当たりません。とぼとぼとあてもなく歩いていると、お好み焼き店が目に入りました。何もためらうことなくお店に入り、モダン焼きを注文しました。無口な夫婦が切り盛りしているお店で、私以外にお客様はありませんでした。少々不安な気持ちで料理を待つこと15分程度、出てきたモダン焼きはとても小ぶりで、カリカリのモダン焼きでした。お好み焼きというよりも、サービスエリア等で良く売られている"たこ焼き揚げ"のような"お好み揚げ"でした。味にも量にも全く納得がいかないので、焼きそばを追加しました。焼きそばは硬めの麺で満足でした。

 お腹を充電したところで、メンバーが走ってくると思われる能勢街道に向けて歩きはじめました。駅から県道等を経由して能勢街道に入り、見晴の良い場所を探しました。丁度、登坂車線がある直線の登りの横に、仮設の工事現場監督所があり、見晴も良くトイレもあったので、ここで座ってメンバーを待つことにしました。すると約30分後に森田さんから連絡があり、その後5分程度で無事にメンバーに合流できました。スタートから約90Km地点でした。メンバーとは久しぶりで、とても懐かしい気分になりました。

 合流してすぐに一緒に走りました。直近の半年の間、5月に萩往還に参加しましたが、それ以外には練習も全くできていなかったので不安な気持ちで一杯でしたが、先ずは途中参加の遅れを取り戻すべく、行けるとこまで走ろうと思いました。約5Kmごとでエイドにすることになっていましたので随分と助かりました。結局、約6区間、30Kmほど走ったところで、2区間休憩を取らせてもらいました。5Kmごとのエイドがあったとはいえ、久しぶりに走るとやはり体が悲鳴を上げていました。あらためて練習不足を痛感しました。
 その後、いくつかの区間を走り、結局は45Km程度走ったかと思います。私なりに充実した内容でした。
 そういえば、どこの区間か忘れましたが、植田先生、高先生、岡田さんと走っている際に、道端で何か動物が唸り声をあげました。私は驚き、それ以上に高先生は驚き、反応よく機敏にセンターラインの方へ飛び出しました。この時、車が来ていなくて本当に良かったです。車が来ていたら事故にあったかもしれません。植田先生は前を走っていたのでお気づきにならず、岡田さんは慣れているのか、沈着冷静に、「あれ猪ですね!」で終わりました。

 その後、何区間か走り休憩区間になったところで、コンビニを発見しました。コンビニは深夜の国道のオアシスですね。お腹も空いていて、先ずはフランクフルトを食べて勢いがつき、続いて肉まんと牛乳に取り掛かりました。牛乳を購入する際に、お腹を気にしましたが、何せ疲れているときに牛乳とパンの組み合わせは最高なので、お腹は何とかなると割り切り、肉まんと牛乳をご機嫌で食しました。本当に美味でした!
 当該区間のランナーもコンビニで長めの休憩を取り、また走り出しました。

 次の区間を走ることにしましたが、海沿いの素敵な区間でした。暗闇の道路を懐中電灯を片手に波の音を聞きながら走るのは快適でした。変なモノを見てしまわないかという不安な気持ちを持ちながらも、懐中電灯で砂浜や岸壁を照らしながら、ゴールである天橋立を目指しました。快適な気持ちで走っていましたが、少々お腹に嫌な予感を感じ始めました。頭の中はコンビニで食した肉まんと牛乳で埋められはじめ、後悔の念を抱きつつも自己肯定することに努めました。肉まんと牛乳のことは忘れて走るようにしましたが、頭から離れません。逆にこの先のことをイメージし始め、どんどん波が押し寄せてきて、そろそろ高波に襲われるくらいになってきました。何とか防波堤を高く積みあげて耐え忍び、防波堤が崩れることなくエイドを迎えました。
エイド地帯で迷惑にならない、逆に良い肥料になるであろう場所を暗闇で探し、見事に脱○に成功しました。本体験記で初めて明かした事実です。人生において3度目の経験でした。(誰にも経験ありますよね?)

 その後はルート間違い等々いろいろな出来事がありましたが、最後には笑顔で天橋立のゴールに全員でたどりつきました。天橋立で全員の記念撮影をして、各自帰路につきました。私はご近所さんの田中さんに送っていただきました。

 本企画を発案いただいた植田先生、走り方を教えていただいた高先生、事前準備をしていただいた田中さん、梶芳さん、森田さん、猪の唸り声を教えていただいた岡田さん、いつも私のストレス解消役になっていただいた江角さん、本当にお世話になりました。
今後もよろしくお願いします。


新大阪~天橋立 ウルトラマラソンに参加して   岡田正司

 植田先生とお会いするのは約5年ぶり、第25回いぶすき菜の花マラソン以来だった。久しぶりの再会にもかかわらず、先生は以前と変わらず、"等身大"で話しかけてくれた。再会のうれしさと共に何故だか、ホッとした。森田さん、田中さんとの再会もうれしかった。みなさん変わっていない。いや、むしろすごくビッグになっている!!刺激を受けた。初めてお会いした高先生、梶芳さん、江角さんには温かさを感じた。これから始まるマラソン、素晴らしいメンバーと共にできると感じた。

 しかし、ウルトラマラソンは人柄だけではゴールは出来ない、強靭な体力が必要だ。これまで走った最長距離はいぶすき菜の花マラソンの42.195㎞。その時には体中、筋肉痛を超えた激痛が走った。食いしばるあまりあごまで痛くなった。完走後に爪がはがれた。普通に歩けるまでに10日以上かかった。このいぶすきマラソンの経験から、半年以上前からトレーニングを積んだ。そしてなんとか1週間前には1日に30㎞走れる状態に仕上がった。今回のマラソンの目標は、あくまで「完走!」。ただトレーニング状態から現実的に考えると半分70㎞を走れれば、良くやったと言えるだろう。先生の目標は完走なので、私は「先生に付いていく、ひたすら付いていく」ことを目標にスタートすることにした。

 0時45分、新大阪駅をスタート、30㎞まではとても順調だった。睡眠なしで走ることに少し不安を感じていたが、リズミカルな高先生の走りは力みを取ってくれたように思うし、十分なトレーニングを積んだという自負は走りを後押ししてくれた。

 大きく様子が変わったのはこの先約15㎞までの間、能勢街道だった。このマラソンで、もっとも標高が高いこの街道は、要所の一つであることは分かっていた。森田さんが用意された緻密なマップによるとこれからの10kmあまりで急激に上り、今回の最高地点まで達する。先のことを考えるとオーバーペースによる体力の消耗は避けなければならないし、ペースダウンして先生に付いていけないようではもう挽回はない。経験の少ない僕がここを乗り切るには目標を全うするだけ。「先生に付いていく、ひたすら付いていく。」そう言い聞かせ、先生の背中を見ながら走った。しかし、調子がおかしい。40㎞手前からはそれが顕著で、どうも体が前に進まない。正しく表現すると、自分では自分の走りが出来ているつもりなのに先生との距離が全く縮まらないのだ。息は荒れ、焦りを感じ始めた。上り坂だからだろうか?30㎞以上のトレーニングをしなかったからだろうか?睡眠不足はこういう形で表れるのだろうか?心地良いはずの朝日がやけに眩しく感じた。耐えに耐え、頂点のトンネルが見えた時、やっと着いたとホッとした。エイド中に分かったが、調子が上がらなかったのではなく、先生のペースが上がっていたのだ。スタートから約30㎞、大体1㎞7分だったペースが、上り坂であるにもかかわらず6分台、速い時は5分台だったのだ。かなりのオーバーペースで5km近く走ってしまった。でも不安はなかった。先生からは「よくがんばったね」と言ってもらい気分的に調子付いた。これからは下り坂の方が多いことを考えると、残り100㎞だとしても何とかなるととても楽観的だった。

 しかし現実はそんなに甘くはなかった。下りに入った途端、痛みを感じた。最初は右足首、それをカバーして走ったところ左足首が痛み始めた。両足首が痛むので足首を曲げないようにして走ると今度はふくらはぎが、更にひざまで痛くなった。60㎞近く進んだところで痛くないところがなくなった。この先、どうすればいいのか?まだ半分も走破していないのに、・・・。先生からは「岡田君はとてもがんばっている」と言ってもらっているのに、・・・。もう10km位なら気持ちで走れるだろう。しかしその後、復帰はあり得ない。今、休憩すればまだ時間はある。再度復活が可能だ。65km地点までの約5km、このことばかり考えていた。とても時間が長く感じた。日が昇り強くなった直射日光は決断力のない私を攻撃しているようだった。そのときの判断が正しかったか今でも正直、迷うが、僕は完走を断念した。本当に悔しかった。

 完走を断念するという選択を選んだ以上、これからは「皆さんを支え、皆さんと共に天橋立までゴールするかが大切だ。」と、そう言い聞かせた。後半は、梶芳さん、江角さんとの3人でリレーしながらゴールを目指した。全身激痛が走る中、もう走りたくなかったが、江角さんは何度も「休んでくれていいですよ」と優しい声を掛けてくださった。全走行距離からすれば私の方が長いが、江角さんもスタートから走っていた。ふと自分自身がしんどいと思うときは、なぜか江角さんが走ってくれていた。そして走っている時は積極的に写真撮影をしていた。恐らく3人の中で一番しんどかったのは江角さんだったと思う。どんな状態でもみんなをサポートできる気持ちの大きさに感涙した。そして梶芳さん。先生からの期待からくる言葉「梶芳君、もう走らないの?」。この攻撃とも取れる言葉に負けまいとする姿はカッコよかった。ゴール前、最後のランを植田先生と共に走られた姿は全体力を出し切ったように見えた。天橋立のゴールテープを切ったのは3人の内、梶芳さんだったことが間違いなく良かった。そして3人ともがどうしても走れなかった時も走り続けられた高橋さん。途中参加のパワフルな走りもさも然ることながら、あの笑顔。苦しい状況になればなるほどニコニコの笑顔に、毎回も助けられた。また、コースアウトした際には高先生にはとても慰められた。3人+αでの襷リレーで、翌朝5時30分、ゴールできた。

 自分の結果は走行距離約90km、走行時間13時間9分、目標をクリアしたとは言えないが、とても満足している。お金でも、物でもなく、ただ自分の限界を知りたいと思いチャレンジし、自分自身の持っているものはすべて出し切った結果だ。ただここまできたらいつかは100kmを走ってみたい。話は変わるが今回、私は何回、植田先生のことをすごいと言っただろう。久しぶりの走りで私は先生との距離が縮まったところを見せたかったが、実際には以前より更に差が開いていた。体の痛みだけが理由で完走を逃した私に対し、先生は、更に酷い痛み、直射日光からの暑さと、2日にわたってくる睡魔。加えてコースアウトから来るメンタル面へのダメージまであったが、最後まであきらめなかった。フィジカル面、メンタル面共に比較にならない高さだった。また、前半とは全く別人のようだった森田さん。前半でほぼ終わった私とは正に真逆。植田先生、森田さんを目標にいつか100kmを目指したいと思った。

 人には支える側、支えられる側があるが、私は今間違いなく植田先生を初め、参加された皆さんに支えられた。温かい言葉、一生懸命な態度。人として当たり前のことだが、自分を追い込んだ状態でなかなかできることではない。皆さんと一緒だったから、自分の限界に挑戦できたと思う。皆さんと一緒だったから、今回の結果に満足できたと思う。本当にありがとうございました。
 最後に田中さん。「お前も来い」の誘いがなければ今回の参加はありませんでした。決して練習をつんでいるように見えないのに、やるときはやる田中さんの姿勢、とても大好きです。これからも付いて行きますので(多分!?)、よろしくお願いします。
 繰り返しになりますが、植田先生をはじめ参加された皆さん、貴重な体験をさせていただき本当にありがとうございました。

追伸
 私の住む兵庫県豊岡市には地域に根ざしたコミュニティFM放送局「エフエムジャングル」があります。そこのDJさんに今回の体験談をしたところ、すごく感銘され、植田先生を初めとした私たちの活躍!?が公共電波を用いて紹介されました。きっと豊岡には感動された方がいっぱいいると思います。