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私のマラソン記 新大阪-天橋立140km走(2010.9.19~20) NO.1

【はじめに】
 昨年の9月の連休は九州横断ということで、熊本駅から別府駅までのウルトラマラソンを企画しましたが、結果的には途中の由布院駅が終点となりました(体験談あり)。
 今年は本州横断で大阪から日本海側までを走る企画を考え、この9月19日の0時に新大阪駅をスタートして、京都府の天橋立までの約140kmを20日の6時までに到着するという計画を立て、私を含めた8名がチャレンジしました。その体験談を記しました。

1.練習
 昨年はくやしい想いをしたので、今年はしっかり練習しようと思いましたが、いろいろと忙しくて、まともに走っていませんでした(忙しいというのは言い訳です。以前はわずかな時間でもあれば体を動かしていました)。
 7月30日より走った記録をつけることにしました(表1)。



当初は暑さのため、思ったような走りができないので焦りました。練習する時間を作り、ひたすら走り込みをしました。総走行距離はこの1ヶ月半で380km、とくにこの9月の16日間で211km(いずれも森田さんとのトレイルは除く)ですので、脚力はかなりついたと思います。
 3つの課題をもって練習しました。第1に日中の暑さに慣れること、第2にゆっくりでもいいので長時間走ること、第3に坂の上り下りに耐えられるようになること。今年のお盆はとても暑かったですが、このお盆休みに日中走ったのはいい体験になりました。暑さ対策を真剣に考えました。博多駅から門司港駅までの約80kmで長時間を走る自信がつきました。坂道の練習は直前の6回しかしませんでしたが、これでなんとかいけるという気持ちを持つことができました。ということで、3つの課題は完璧とはいえませんが、クリアしたという想いでした。

2.目標と戦略
目標は、最初から最後まで走る(走れないので歩きに替えるということがないようにする)ことと、上り坂はなるべくペースをあげることです。そして、30時間以内に、できれば24時間以内にゴールすることです。
戦略としては、以下を考えました。前半は上りなので抑えて、後半に距離をかせぐ。具体的には、スタートして8時間で(翌朝8時までに)最も標高の高い能勢街道の峠(42.4km地点,標高550m)まで行く。日中の暑い時間帯は9分/kmぐらいのペースで、夜涼しくなったらペースを上げる(7分/kmぐらい)。サポートカーによるエイドの設営は、スタート当初は5~10km毎、その後は5km毎、上り坂や日中の暑い時間帯は4km毎にしていただく。エイドではエネルギーや水分の補給をするだけでなく、休憩を長くして体を冷やす。

3.前日 9月18日(土)朝、6時前に起きました。新下関駅6時42分発の新幹線で博多駅に、福岡空港からANAで羽田空港、AIR DOに乗り継いで新千歳空港に、そしてJRで札幌駅に行きました。市内で昼食を済ませ、札幌市医師会館で「コンタクトレンズにおける社会的諸問題」の話をしました。当日は岡山大学の長谷部先生が「EBMからみた近視予防研究の現状」を、東京の井上眼科病院の若倉先生が「強度近視に伴う神経眼科の諸問題」の話をされました。私は大阪への移動の関係で17時40分には会場を出なければならないため、若倉先生のご講演を聴くことができませんでしたが、若倉先生とわずかな時間でもお話をしたいと思っていたので、最近興味を持ったボツリヌス治療について若倉先生が書かれた本「眼科疾患のボツリヌス治療」と「目がしょぼしょぼしたら...眼瞼けいれん?片側顔面けいれん?正しい理解と最新の治療法」の2冊を行きの移動中に読みました。
 帰りの移動中はわずかな時間でも寝ようと思いましたが、目をつむっても、興奮しているせいか眠りにつけません。iPadで受信したメールをチェックしたり、今回のコースマップに目を通したりしていると、関西空港に到着しました。
関西空港から新大阪までの移動中に、新千歳空港で買った弁当を食べて、走る準備をするつもりでしたが、JR、地下鉄とも乗客が多く、何もできませんでした。
新大阪駅に着いたのは午前0時ちょっと前でした。皆さんとの再会を喜ぶ時間もなく、あたふたと着替えて(深夜では着替えるところもなく、人前でランニングウェアに着替えました)、弁当を口に詰め込んで皆さんと合流しました。スタート前に、江角君が作ってくれた横断幕を広げて記念写真を撮りました。通りすがりの人にシャッターを押してもらったのですが、「この人たちは一体何をするんだろうか」と思ったことでしょう。横断幕には「新大阪-天橋立140kmウルトラマラソン」と記していますが...。

4.当日
 新大阪駅を0時にスタートする予定でしたが、実際に走り出したのは0時45分でした。数年ぶりに再会を果たした岡田君、そして高先生、森田さん、江角君と一緒です。4人は走れるところまで走るということでした。
体力は消耗していないので、エイドの間隔は5~8kmでしたが、疲れてくると5km、そして4kmにしてもらいました。約30kmまでは比較的フラットですが、そこからは急な上りが待ち構えているので、なるべく抑えて走ることに努めました。
森田さんは私より早くからウルトラマラソンやトレイルランをしており、トライアスロンまでもこなす強者です。100kmは一緒に走ってくれるだろうと思っていましたが、体調不良のためか少しずつ遅れるようになりました。高先生、岡田君、江角君は快調に走っていましたが、途中で江角君は田中君と代わりました。
今回のコースで一番の難所が能勢街道の上りです。約33kmから約42kmまでの9kmはひたすら上りが続きます。標高は200mから550mまで上がります。ここを一気に駆け上がりました。これまでの比較的フラットな道、いや、むしろそれ以上のペースで走ったのですから、きつかったです。この区間は高先生と岡田君、そして田中君が一緒に走りました(3人から激走についてのコメントがあると思うので、詳細は記しません)。
能勢街道の下りは岡田君、森田さん、梶芳君と一緒でした。旧街道の方が距離を短縮できそうだったので、ここを走ることにしました。この旧街道は木陰で涼しくて気持ちがよかったですが、勾配がきつく、残りはまだ100km近くあったので、足を痛めるのは避けたいという想いから、走れるけれども敢えて歩くことにしました。しだいに勾配がゆるやかになってきたので走り出しましたが、3人がついてきませんでした。何度か振り返って後ろを見ましたが、距離が縮まりません。森田さんと岡田君は疲れているのかもしれませんが、梶芳君は今日最初のランですから、そんなことはないはずです。
 今回、走り通すことを目標にしていたので、これを挽回する気になり、以後のペースを速めることにしました。日中の暑い時間帯はゆっくりしたペースにする予定でしたが、ほとんどペースを落とすこともなく、しっかり走りました。梶芳君が「先生は日中は8~9分/kmで走ると言っていたのに、まったく違うじゃないですか!」と言うと、誰かが「これはもしかしたら、歩いたことへのお仕置き?」と言うのが耳に入ったので、私は「ニヤッ」と笑いました。梶芳君は根性を入れたのか、この後の区間はしっかり私のあとをついてきました。でも、その無理がたたったのか、梶芳君は後半、走れなくなりました。
日中の走りはとてもきつく、体中が熱を帯びています。エイドでは氷水を含ませたタオルを背中にかけてしばらく体を冷やし、再スタートする直前には頭から氷水をかぶりました。2kmも走らないうちにその水が乾き、汗でウェアがベタベタしてきます。再スタート時に水の入ったペットボトルを同走者に持ってもらっていました。2~3km走った時点で、その水を頭からかぶります。走っている者でペットボトルを回すのですが、女性の高先生はさすがに遠慮されていました。
 二番目の難所は綾部街道の上りです。スタートして約82kmから約84km(標高は150mから235m)までを森田さんと田中君、岡田君と一緒に駆け上がりました。能勢街道の上りと同じか、それよりも少し早いペースで走ったのですが、途中で心拍数が上がり、ペースダウンせざるを得ませんでした。森田さんはそのペースを維持していたので、私との距離が開いていきます。
 峠付近でサポートカーに待機してもらうように頼んでいたのですが、そこにサポートカーはありませんでした。森田さんは峠からペースダウンしていると思っていましたが、姿が見えません。トイレにでも行っているのかと周りを見ますが、どこにもいません。目の前にはトンネルがあります。明るい所から暗いトンネルの中に入ると、しばらくは目が慣れなくてはっきり見えません。トンネルの中では路肩(段差になっている上側)を走るのですが、足元が悪いので注意して走らなければなりません。遠くの方を見ても路肩の上には人はいません。もしかしたら、トイレをしている森田さんを追い越してしまったのではないかと思いました。すると、車道のセンターライン近くを動く人影らしきものが見えます。当初はバイクだろうと思っていたのですが、紛れもなく人が走っています。トンネルは下りなので、森田さんはスピードアップしたのです。私が気づいた時には数100メートルも離れていました。何としても追いついてやると思い、一緒に路肩を走っていた田中君に「森田さんを追いかける」と告げて、私も車道を本気モードで駆け下りました。おそらく4分/kmぐらいだったのではないでしょうか。
 サポートカーは峠から数100m離れたところで待っていました。森田さんとの距離は数10メートルまで迫っていましたが、追いつくことはできませんでした。
 この無理な走りで、左足のすねに違和感を覚えました。走っているとそれがだんだんと痛みに変わってきます。その後のエイドではアイシングをしてその痛みをやわらげますが、それでも痛みがひどくなってきたので鎮痛剤を服用しました。
 日が暮れ、涼しくなってきたのでペースを上げたいのですが、左足の痛みのため、思うように上げられません。日中よりもやや遅いペースで走りました。
120km過ぎてからのことです。交通量の多い国道ですが、歩道がなく、狭い路肩を走りました。夜間なのでスピードを出したトラックが次々と横を通ります。124km過ぎで森田さんが「反対側のガードレールの向こう側に歩道がありそうなので、そこを走りましょう」と言われたので、道路を渡ってその道を走ります。ところが、道幅が狭く、右側に傾斜しており、ゴツゴツしているため走りにくいだけでなく、私の右足には過度な負担がかかります。「ここは本当に歩道?ちがうよね?」と思って、途中から再び路肩を走りました。
しばらくコンビニがなかったので、食べものの補充ができず、空腹のまま走っていました。約128kmの地点でコンビニがあったので、ここでゆっくり休憩をとることにしました。食べたかったおにぎりは売り切れだったので、お豆腐と醤油を買って、それを食べました。右足の痛みが増したので、消炎鎮痛剤のスプレーをかけて、さらに鎮痛剤を服用しました。
これまで田中君と高橋君、高先生と岡田君、森田さんと江角君が順次(3交代)私を同走してくれていますが、皆さんはこれが最後の走りなので気合いが入っています。私も刺激を受けます。時計を見ると23:32です。スタートして約23時間です。残りは12kmちょっとなので、2時間もあればゴールできそうです。再スタートしてしばらくはフラットな道だといわれたのですが、緩やかな上りが続きます。服用したばかりの鎮痛剤がすぐに効くはずもありません。2km進んだ時点で、痛みのためとうとう走れなくなりました。スタートして約130km、残り約10kmの地点でした。次のエイドまでの約2kmは歩きました。
 次の132kmから135kmの約3kmの区間は高先生と岡田君が一緒でした。私の「完走する」という目標のひとつを達成できなかったのは残念ですが、残り8kmはなるべく走りたいと思いました。サポートカーに積んでいる荷物の中からステッキを取り出し、それを両手に持ち、2足走行から4足(正確には2足2手)走行に切り替えることにしました。これで左足にかかる負担を軽くすることができます。途中でトイレに行きたくなりました。高先生と岡田君には先に行っておいてと言ったので、用をたした後、2人を追いかけました。歩いていた2人も私が近づくと走り出し、ペースを上げていきます。2人に離されないようにと必死に追いかけます。ゆるやかな長い坂が続いたと思うと、今度は下り坂です。下りでは左足に激痛が走りますが、これが最後のアップダウンだと聞いていましたし、残り8kmを切っているのですからふんばりどころです。必死にステッキを握って走りました。足だけでなく、腕を使って体を前に出すので、全身を使った運動になります。体中から汗が噴き出しました。私にとって今回、もっともきついと感じた区間でした。でも何としても乗り越えてやるという強い意志を持って走りました。
高先生と岡田君の後を追って2km以上進んだときです。高先生が急に「この道でいいの?」と聞きました。道の真ん中に「一般車両通行止め」という小さな看板があったと言います。私は死にものぐるいで2人の背中と、ステッキをつく地面しか見ていなかったので気づきませんでした。岡田君にサポートカーの人に電話で尋ねるように言いました。岡田君がいろいろと話しているのを耳にすると、今いる地点がまったくわかっていないようでした。そうです。コースアウトしていました。電話でいろいろとやりとりしても埒が明かないようなので、今いるところまで捜しに来てもらうように言いました。しばらくしてサポートカーが来ました。森田さんから、2km以上コースアウトしているという説明を受けました。目の前が一瞬真っ暗になってしまいました。無意識に「心が折れた」と口にしてしまいました。
私はどんなにつらいことがあっても、人前で「心が折れた」と言ったことはありません。ランニングでは、初めて山口100萩往還マラニック大会(140kmの部)に出場したときに、足の痛みはありましたが、コースアウトに加えて、制限時間内にゴールできないということで、初めてリタイアをしました。事前に萩往還のことをちゃんと調べずに臨んだので、反省すべきことが多かったのですが、「心が折れた」というほどのものはありませんでした。昨年の熊本駅から別府駅までのウルトラマラソンも、由布院駅までしか行けませんでしたが、それは時間の関係で仕方がなかったことで、心は折れていませんでした。でも今回は...。「もう走れない!」と思いました。
森田さんはコースアウトした地点までサポートカーで戻るので、そこから再スタートしてくださいという助言をいただきました。「ありがたい、そうしたい」とは思いましたが、「サポートカーには回収されたくない、どんなことがあっても最後まで自分の足でゴールする」という気持ちで、森田さんには「ウルトラマラソンやトレイルランでコースアウトしたときはどうする?コースアウトしたところまで自分の足で戻るよね?だからそうする」と答えました。ただ、しばらくは走れないので、当分の間歩くことと、エイドを設営する距離を4kmから2kmに短くしてもらうことをお願いしました。
 コースアウトした地点からゴールまでは残り7kmでした。岡田君と高先生は責任を感じていたようですが、仕方がないことです。誰の責任でもありません。無理をして走った2kmが無駄であったことに加えて、その2kmを戻らなければならないという私の落胆は、周囲にわかるほどだったと思います。アドレナリンが枯渇して、左足のすねにはこらえようのない激痛が走ります。かばって走ると右足の膝関節も痛くなりはじめました。
 しばらくするとトンネルに入りました。森田さんは200mぐらいのトンネルだろうと言っていましたが、約600mあったと思います。足元の悪い路肩(一段上がっているところ)をひたすら一列になって歩きます。単調な所なので睡魔が押し寄せてきました。
 私の足取りが少しおかしくなったのを見て高先生が「睡魔と足の痛みはどちらがひどいですか?」と質問しました。私は「足の痛みの方がひどい。痛くなければ走っている。走っていれば眠気はおさまる」と答えました。結局、次の同走者が待っている地点まで歩きました。1km歩くのに15分以上かかったようです。
最後の4.5kmは森田さんと江角君が私をサポートしてくれました。まったく走れない私はひたすら歩きました。眠気がますますひどくなってきて、頬を叩いてもダメでした。ふらふら歩くようになりました。そして、やっとのことでたどり着いた残り2.5kmの地点で、最後の休憩です。サポートカーに乗っている人が用意してくれた椅子に座ると寝てしまいそうです。走っていないのでエネルギーや水分の補給は必要としないのですが、少しだけ水を飲んで目を覚まそうとしてもダメです。「眠たい、とにかく眠たい」足の痛みよりも眠気の方が勝っています。走ることができればいいのですが、心が折れた私には無理です。そこからはふらふらしながら進みました。江角君が「先生、あぶない!」と私を横から支えてくれましたが、そういったことが何回あったのか、よく覚えていません。森田さんと江角君が「1....」といっているのを耳にしました。私は「何を言っているの?1.25Dがどうしたの?」と尋ねました。2人はキョトンとしていました。おそらく2人は残りの距離数を話していたのでしょう。私はコンタクトレンズの度数か何かと思ったみたいです。このときおそらく私は眠っていたのだと思います。森田さんは舗装道路の路肩を歩いていたのですが、私はその白線の向こうが崖のようい見えて、「森田さん、そこ崖だよね。気をつけないとあぶないよ」などと言っていました。錯覚、幻覚です。アルコールに酔った、あるいは睡眠薬を服用したような感じです。 最後の最後の1kmは梶芳君と一緒に走る約束をしていました。残り1.5kmから1kmの約500mは半分眠りながら歩いていました。私の人生で初めての経験でした。1km歩くのに20分以上かかったようです。
 そして、いよいよ残り1km。梶芳君も一緒です。森田さんを先頭に、梶芳君、私、そして最後尾に江角君が並びます。足を痛めているのにがんばる梶芳君の後ろ姿が私に力を与えてくれます。ゆっくりですが、私たちは走っています。最後の最後の力を振り絞って走ります。
 江角君には100m進んだら、それをコールしてほしいと頼みました。かなり進んでいると感じているのですが、なかなか目指すゴールに近づきません。「100m」「200m」「300m」「400m」「500m」、これからは残りの距離をコールしてくれます。「あと500m」「あと400m」「あと300m」「あと200m」「あと100m」。ついに皆さんが待つゴール地点に到着することができました。朝5:30頃で、先ほどまでは暗かったのに、周囲は明るくなり、我々のゴールを祝ってくれているように感じました。GPSのアプリでは152.64km、所要時間は28時間41分42秒でした。
 残り12kmちょっとは2時間もあれば十分だと思っていたのに、なんと6時間以上もかかってしまいました(コースアウトしたのでおそらく残り約17km)。とくに最後の歩きの500m、そして最後のラストランニング1km、これほど距離が長く感じたのは初めてでした。
 ゴールした後、横断幕にスタートした時間9月19日0:45と、ゴールした時間9月20日5:30が記されました。そして、この横断幕を背景に、皆で記念撮影をしました。これで今回のイベントが終了しました。
 今年のウルトラマラソンは私にとって生涯忘れることのできない体験になりました。しっかり練習をして自信を持ってこのイベントに臨んだにもかかわらず、残り約10kmの地点で走れなくなり、さらには歩きながら眠ってしまったこと、コースアウトしたけれどリカバーしてゴールできたこと。当初の計画通り、無難に走ることはできたと思います。ただ、体験談を書くにあたってはいろいろなドラマがあった方がいいと思って、極端にペースアップをしたりして無茶なこともしましたが、これでよかったと思っています。でも、皆さん方にはいろいろとご迷惑をお掛けしました。走る方ばかりに目が向きますが、交代でサポートカー(2台)を運転された方も疲れたと思います。皆さんのおかげで無事完踏できたことはとても有り難く思います。

【おわりに】
ランナーズハイというと、気分が高揚して楽しく走っているイメージでしょうが、私の場合はアドレナリンが出て、自分では思いも寄らない走りができていると感じるときです。 今回は能勢街道の上り、綾部街道の上り、ステッキを握った走りが私にとってのランナーズハイでした。
 私の走りで、皆さんが何かを感じてもらえれば嬉しいです。私も皆さんの走りで刺激を受けます。
森田さんは体調不良のためだと思いますが、前半の途中で遅れることがありました。能勢街道の上りでの岡田君、高先生、私の激走を聞いて、森田さんは闘争心に火が点いたと思います。後半の走りは見違えるようなものでした。綾部街道の上りはすばらしかったです。そして、最後まで余力を残していたように見えました。
岡田君の能勢街道の上りはすごかったです。私についてこられないと思いましたが、本当にがんばりました。でも、スタートして70kmまで進むことを目標にしていたのが、65kmで途切れたのは残念だったと思います。しかし、休んでからは自己最長記録の更新をめざし、トータルで80km以上を走ったことで、100kmマラソンへの自信につながったことでしょう。
高先生もスタートして43km以上走っただけでなく、能勢街道の峠まで走り通したのはたいしたものです。体調不良で参加できないかもしれないとの連絡があっていただけに驚きです。足が痛いと言われ、しばらく休んでからは、また息を吹き返したようにペースよく走っていました。自己最長記録の更新、おめでとうございます。きれいなフォームなので、しっかり練習すればもっと速く走れるようになると思います。
梶芳君も日中の走りで森田さんと私のペースについてくることができず、くやしい想いをしたと思います。その後の走りは何がなんでもという気持ちで、私のあとをついてきていたのがわかりました。足を痛めてしまってリタイアすると言われましたが、そのまま走りをやめるのは後悔するのではと思って、最後の500mは一緒に走ろうという私の提案に無理を押してつきあってくれました(結局1kmになりましたが)。前述しましたが、その梶芳君の走りが私のラストスパートにつながりました。
 田中君は感情を顔に出さないのでよくわからないと思いますが、実は田中君もかなり上り坂を走りました。アルコールを飲んでいないのに赤い顔をしている田中君の笑顔はよかったです(今後は日焼け止めを顔に塗った方がいいと思います)。
 いつもは大ウケさせてくれる江角君ですが、今回はドラマがなかったように思います。走力がついたからでしょうか?話を書くネタがなかったのは、私にすると残念でした。
 高橋君は途中からの参加だったので、他の皆さんにすごく気にされているのが伝わりました。
 ドラマのない体験談は面白くないですね。次回は皆さん、いろいろと書くネタのことを考えて走ってください。

【追記】
 天橋立は初めて行ったので、少し観光したいと思いましたが、とにかく眠りたかったのでそれどころではありませんでした。
岡田君と江角君は午前6時過ぎのJR、森田さんも6時50分すぎのJRで帰るということでしたので、天橋立駅に行きました。ここで3人と別れ、車で新大阪駅に戻りました。もうすでに48時間以上寝ていない私は、移動中の車の中で30~40分ぐらい熟睡しました。そして新大阪からは新幹線で新下関まで帰りました。
今回は打ち上げはありませんでした。次回は必ず完走の喜びを分かち合いたいと思います。
翌日、スタッフから天橋立の写真を見せてくださいと言われましたが、天橋立の地点にゴールしたことを示す看板を背景にした写真しかなく、景色は1枚も撮っていませんでした。機会があれば次回は必ず天橋立の絶景を目と写真に収めたいと思います。

※iPhoneのアプリ(Runmeter)と地図上の誤差が3~5kmありました(GPSの方が長く計測されました)。このアプリによる計測と撮影した写真もあわせて見てください。