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飛んだ!とんだバレーボール(2004.3)

この数ヶ月間、スタッフの異動が多かったので、スタッフとのコミュニケーションを図る目的で何かしようと思い立った。どこかの店で食事をする、バーベキューパーティーをする、カラオケに行くなどスタッフと相談したが、とりあえず昼休みにバレーボールかバドミントンをしようということになった。そこで、3月18日(木曜日)の午前の診療終了後に、スポーツ用品店にバレーボールとバドミントンセットを買いに行った。スタッフとは診療所の近くの公園で待ち合わせた。バレーボールとバドミントンセットの購入は車で行ったので、公園のそばに車を停めておいた。
さて、久しぶりのバレーボール。高校を卒業してからはほとんどバレーボールには触れていない。スタッフ6人と一緒に円になって、パスが何回続くかを数えることになった。アンダーパスをするとボールが前腕に当たって痛い。オーバーパスをすると突き指をしそうだ。眼科医は手が命だから、なるべく怪我をしないようにとセーブしながらパスを行った。しかし、だんだんと盛り上がってくると、力が入ってくるようになった。20分も経って体が温まってくると「少し本気モードでやろうかな」という気になってきた。「先生、少なくとも20回は続けましょうよ!」というスタッフの声に「よし、がんばろう!」と気合が入った。しかしながら、なかなかその20回が達成できない。イージーミスでパスが途切れてしまう。そうこうしているうちにちょうど19回目にパスされたボール(スタッフの声:本当は16回目でした...)が円陣の真ん中に落ちようとしている。そこで瞬間に私の脳裏に浮かんだのがフライングレシーブ(飛んで空中でボールをレシーブした後に、両手をついて胸で着地する)である。実は中学時代、わりとバレーボールは得意な方で、フライングレシーブはよくやっていた。やっと続いた20回目のパス(スタッフの声:だから違いますって!)、それもフライングレシーブで達成できれば「格好いいなぁ。スタッフも喜んでくれるだろう。」ところが、これが大きな間違いであった。ボールに手は触れたが、着地が失敗した。胸で着地するのが、なんと顔で着地したのだ。一瞬目の前が真っ暗になった。「なんで、こんなことになったんだろう。格好悪い...。あぁ、顔が痛い、そして両手が痛い。」すぐに起き上がろうとしたが、なかなか体が動かせない。スタッフの2人(看護師)が両側から私を支えて起こしてくれた。その1人が「先生、ひどい!鼻骨が折れているかもしれない!?」「え~!そんなことが...?」「とにかく病院に行った方がいいと思います。」「それだったら国立下関病院の耳鼻咽喉科の奥園先生に電話して、診てくれるかどうか聞いてほしい。」スタッフがすぐに携帯電話で連絡すると、奥園先生はこれから手術だけど、手術後にすぐ診察してくれるということであった。タクシーを呼び、看護師の1人が同乗して国立下関病院まで送ってくれた。タクシーの運転手は私を見て、救急車を呼ばなくてよかったのかと心配そうに訊ねた。私は両腕が痺れていたので両手を挙げることができなかった。看護師がポケットティッシュでしっかり患部を圧迫止血してくれた。その看護師は以前彼女自身が鼻骨の骨折で整復術を受けた経験があったので、物怖じせず、私をしっかり看護してくれた。他のスタッフも病院に来て付き添ってくれた。スタッフの1人が私の妻に連絡してくれたので、妻と娘(次女)がすぐに病院に駆けつけてくれた。
耳鼻咽喉科外来に行くと、まず若い先生が視診を行った後に、すぐにレントゲン撮影を受けるようにと耳鼻咽喉科の看護師に指示した。医学生のときに勉強したCaldwell法、Waters法などの撮影をした。レントゲン写真をみたその先生は「鼻骨が骨折していますね。整復しないといけないでしょうね。整復術は痛いですけど我慢して下さい。私は今から手術場に入って、奥園先生と代わります。後は奥園先生が診察されて、整復術を行うと思います。」と言われた。私は「はい、わかりました。」と返事するだけであったが、「やっぱり手術か...痛いんだろうなぁ...はぁ...」と落胆していたところに、奥園先生が手術場から出てこられた。奥園先生とはワイン会で毎月1~2回、ご一緒させていただいており、お互い夫婦同志の付き合いをしている。「植田先生どうしたの?」「バレーボールをしていて、顔面から地面に激突してしまいました。」「ちょっと診てみましょう。鼻骨は大丈夫ですよ、折れていません!」「え~、本当ですか?」「ただ顔面裂傷の部位は縫合した方がいいでしょうね。」鼻骨が折れていないと聞いて安心した。しかし、それにしても先程、レントゲン写真を見ながら言われた鼻骨の骨折は...?でも、整復術をせずに済んでよかったという想いで、急に元気が出た。デジカメが私のカバンの中に入っているのを思い出したので、スタッフの1人(私の秘書)を呼んで、縫合前の写真を撮ることにした(後で自分の顔を見て、やっぱりひどいなぁと思ったが、スタッフの話では受傷直後はもっとひどかったそうで、流血が治まった消毒後のこの写真はまだ見れるということである)。どうして写真を撮ることにしたかというと「植田先生、この件のことも会報に書いて下さい。」という後長先生と守田先生のお顔が浮かんできたからである。この3月末でお2人は山口県眼科医会の広報担当からお役ごめんになるのであるが、普段、いかにこのお2人から私に原稿依頼があるかがわかっていただけると思う。秘書に「今日の件のことも会報に書くからね。タイトルは"飛んだ! とんだバレーボール"にしよう。」と言うと、スタッフはかなりウケたようで、「先生は会報に貢献しすぎですよ。」と笑いながら答えた。
話は戻って、顔面裂傷の縫合が終わって会計を済ませようとしたが、両手の痛みが全く軽減しない。スタッフが心配して「手のほうも診てもらった方がいいんじゃないですか?」というので整形外科の伊藤先生にも診てもらうことにした。私は伊藤先生とは面識がなかったが、伊藤先生の娘さんは私の次女と同学年だそうで、私の妻は伊藤先生を見知っていた。再度、頸部と前腕のレントゲン撮影をした後に伊藤先生の診察を受けた。「植田先生、これは中心性頸髄損傷ですね。1~2週間は入院していただきましょう。」「え~~!」鼻骨は大丈夫だったので安心していたところだっただけにそのショックは大きかった。「明日からの診療はどうしよう?患者さんに迷惑をかけてしまう。1週間後の25日(木曜日)は自院で白内障手術を予定している。もうすぐ春休みが始まって患者さんの数も増えるこの時期になんてことだ。それから、出版社から依頼された原稿の〆切が4月の初めだったし、4月15日に開催される第108回日本眼科学会でのイブニングセミナーの準備もどうしよう。それから、今日は下関眼科医会の会合があって、明後日(20日)はハーフマラソンの大会があって、22日は定例のワイン会がある。税理士も確か23日に来られる。もうすぐ月末で、今月は年度末だからいろいろと雑用があって忙しい。それからそれから...」と考えているうちに事の重大さをひしひしと感じるようになった。
以前、西田教授が、「勤務医は病気になったり、怪我をしても、代わりの医師が対応するが、一人で診療を行っている開業医はこうした場合は大変だろう。私の父も開業医だから良く分かる。」と言われていたのを思い出した。自分では健康には十分注意していた。毎日のジョギングも健康を維持することが一番の目的である。でも、こうした突然の外傷は予期するものではなかった。明日からの外来については妻が山口大学医局長の森重先生に電話でご相談した。途中で西田教授が電話をとられ、医局員を代診に派遣していただけるという格別のご配慮を賜った。それを聞いた私は、西田教授には本当に頭が下がる想いであったし、森重先生をはじめご支援をいただく医局の先生方を心強く感じた。
ところで、両手が痛いという症状はどういう状況かというと、長時間正座をすると足が痺れるが、その痺れが両方の肘から指先まで持続している感じといえばわかっていただけると思う。そして、この領域に少しでも何かが触れると走るような痛みが生じるのである。したがって、触れられたくないあるいは物に触れたくないという状況で、まったく両手が使えなかった。主治医の伊藤先生からはC5とC6の間が狭小化しており、その部の脊髄損傷による症状で、損傷部の拡大と出血を防ぐために頸椎の安静(頸椎をカラーで固定し、ベッド上で安静にする)と、明らかなEBMがあるわけではないが、ステロイドの大量投与(24時間で1250mg)を行いたいという説明があった。ステロイド大量投与は急性期であれば行った方が効果的だろうと私も判断して行っていただくことにした。入院当日は混合病棟の6人部屋であった。同室の他の患者さんのいびきと顔面および両手の痛みで、それに精神的なショックでほとんど眠れなかった。伊藤先生から当初は絶対安静を指示されたが、お願いしてトイレと食事の時だけは座位で行うことを許可していただいた。まったく両手が使えないので妻に食物を口に入れてもらい、尿も取ってもらった。ベッドのマットが固いうえに、体位が制限されている(寝返りも打てない)ために、翌日の朝は腰が痛くなった。普段使用している無圧布団と無圧枕を持ち込むことを許していただき、それを使用してからは腰痛は軽減した。網膜硝子体手術後の患者さんに絶対安静と体位の制限を指示する場合があるが、患者さんの苦しみを少しは味わうことができた。ステロイドの大量投与が効果的であったのか、あるいは私にまだ十分な回復力があったのか、日ごとに症状は改善した。21日には両腕の痛みは軽減し、両手の親指と人差し指で物を掴むことができるようになった。スプーンを持てるようになり、食事を一人でできるようになった。そして、用も一人でたせるようになった。その後の回復も順調で、1週間後(3月26日)にはリハビリを開始した。両方の手指は少しこわばっており、可動域はまだ十分とはいえないが、字も書けるようになった。握力検査では両方とも20kg程度であった。それでも症状がかなり回復したことで、早く現場に復帰できるのではないかと期待を膨らませることができた。
ところで、今回の入院のことを周囲には隠さないことにした。私はこれまでに1度だけ入院したことがあるが、この時はあまり公にしなかった。後日になって、その内容を本会報に書いたが、1995年のある月曜日の朝、ある理由で感情的になり、自宅で壁を蹴ったところ、その後右足が腫れてきた。午前中の診療が終わって昼休みに親しい整形外科の先生に診ていただいたところ、中足骨が骨折していた。整復をお願いしたが、疼痛のため整復ができなかったので手術をしていただくことになった。急に自院を休診にするわけにもいかないため、夜間に手術をしていただくようお願いした。その整形外科の先生と私の都合により、金曜日の夜にすることになった。それまではギブスで固定してもらい、その日は自院に戻って午後の診療を続けた。火曜日から金曜日まではいつもと同じように診療を行い、金曜日の午後の診療を終えた後にその整形外科を再受診して腰椎麻酔下で整復術を受けた。本来、術後は少なくとも1週間は入院しなければいけなかったが、無理を言ってなるべく早く退院させていただくようお願いした。結局、麻酔の回復のため翌日の昼まで入院したが、土曜日の午後は自院に戻って診療を行った。開業して12年が経過するが、体調不良で自院を休診したのはこの半日だけで、これまでに入院したのもこの半日だけであった。しかし、今回は長期間入院せざるをえなかった。足の痛みは何とか我慢してでも診療を行うことができるが、両手が使えないと診療にならない。さすがの私も諦めた。
山口大学医局から代診の先生が来ていただけるようになったが、患者さんへの説明はどうしようかと思った。当初、「都合によりしばらく代わりの先生が診察を致します」という案内を院内に掲示しようと思ったが、このところ過度なジョギングやカロリー制限によって、私がかなり痩せてきたことを心配する患者さんも多くおられたので、何の説明もしないと変な噂が流れる可能性がある。「植田先生はガンかもしれない!?」などという誤った情報が広がるとまずいなぁと思い、「院長は外傷によりしばらく診療ができません」という説明文を掲示することにした。これを見た患者さんの中には「先生は交通事故か何かに遭われたのですか?」と聞かれる方がいたそうである。スタッフが「いいえ、単にこけただけです。」と答えるとその患者さんは「先生よく走っているみたいだけど、走っていてこけたんですか?」と質問されたそうで、スタッフが「いいえ、バレーボールをしていてこけたんです。」と答えると、患者さんは怪訝な顔をしたとのことである。また、院内に私が入院したことを掲示すると、それを見た患者さんやメーカーの人から、そのうち私のことが先生方の耳に入るでしょうから、それなら私の方から先生方に早めにご連絡しようと思って、メール、FAX等で事の成り行きをお知らせした。大したことはないので、お気を遣われないようにとお願いしたつもりであったが、浅山会長をはじめ、山口県眼科医会の先生方ならびに賛助会員のメーカーの方々が面会に来てくださった。また、西田教授をはじめ、多くの方から立派なお花等をいただいた。たくさんのお見舞いのメールもいただいた。(この場をお借りして心より御礼申し上げます。)おかげさまで病室はお花でいっぱいになり、とても幸福な気分であった。整形外科病棟の看護師達も入室するなり「ここは花屋みたいだね」「とても綺麗だね」「花の香りがいいですね」と好評であった。私の診療所のスタッフも皆でたくさんの小さな鶴を折って持ってきてくれた。日頃、診療中はスタッフを怒ってばかりいるので、皆から疎まれていると思っていたので、スタッフの行為は涙が出るくらい嬉しく感じた。以前のスタッフだと、忘年会や食事会などを企画しても盛り上がらず、というよりも何となくしらけた雰囲気であった。それはスタッフと私の関係だけでなく、スタッフ同志にも問題があったようだが、現在のスタッフは皆仲良くしているみたいである。ただ、私に対するスタッフの感情はなかなか推し量ることはできなかったが、今回のことで私が嫌いでしょうがないという感情ではないようだと分かった。そういう意味においては、バレーボールでコミュニケーションを図る目的は、少し成果があったのかもしれない。しかしながら、私にとってはとんだ代償であった。
ところで、入院中といっても雑用は山のようにある。毎日何10通と届くメールやFAX、郵便の返信や書類等の作成は大変な作業である。私のところには現在、優秀な秘書が2名いるが、毎日遅くまで残って業務をしてくれている。私が入院中は電話で大まかなやりとりをして、代筆して対応してもらったが、どうしても重要な内容や急を要する内容の場合には病室にパソコンを持ち込んで、私の隣で文書を作成してもらった。そして、当然のことであるが、私がいないといつもとは同じような状況で診療ができなかったようで、受付や検査のスタッフ、看護師にも迷惑をかけてしまった。また、実はこの日は妻の誕生日であっただけでなく、次女(小学校6年生)の卒業式の日でもあった。何も祝ってあげられなかったばかりか、心配をかけてしまった。妻と次女にとってもとんだ一日であった。結局、今回のことで患者さんだけでなく、医局の先生方、県眼科医会の先生方に加えて、メーカー、スタッフ、家族にまで、私に関わる多くの人に多大な迷惑をかけたことになり、深く反省している。私は毎日、10km以上走っていたので体力的には自信があり、いろいろな運動もそこそこできるだろうという過信があった。しかしながら、走るのに必要な筋肉と、バレーボールをする筋肉は異なり、普段使用していない筋肉を瞬時に動かすことには無理があったようだ。若い時のようなイメージでは体は動かなかった。もう年なんだということを痛感した。
主治医によると、運動は受傷後少なくとも8週間は無理だということで、3月20日以降に参加を予定していたレースは全てキャンセルすることにした。とくに5月3日に参加するつもりだった「第16回山口100萩往還マラニック大会」(24時間で140kmを走る)は個人的に楽しみにしていたので、とても残念である。
普段の生活では、ゆっくり食事も取れないほど、空腹を感じる余裕もないほどの慌ただしい生活をしているが、入院中は朝、昼、夕の3食が決まった時間に食べられた。それだけでなく、その間に空腹を感じ、お菓子を食べたいと望む自分自身に驚かされた。毎日ジョギングをしているときは、その間にストレスを解消できていたが、体の自由が利かず、仕事のことが心配な私はついついお菓子を口に運んでいた。退院した後の体重と体脂肪率がどう変化しているか心配である。また、元の体調に戻るまでにどれぐらいかかるのだろうか...?
上述したように入院当初は両手がほとんど使えなかったので本を読むこともできず、ただ寝ているだけだったが、やっと両手が使えるようになって、リハビリを兼ねてこの原稿を書くことにした。今回の会報には私の原稿が多く掲載されることになるが、ご容赦願いたい。
最後に、当日のバレーボールの事件後のことであるが、公園のそばに停めていた私の車を診療所の駐車場に移動するにあたり、代行会社に来てもらうようにスタッフに指示した。そして、たまたま私の車のそばで代行会社が来るのを待つことになった彼女(視能訓練士)は、少し運動が苦手でバレーボールをしているときは「こっちにパスしないで、私ボールが嫌い」などとはしゃぎながらしていた。そう言われるとパスしたくなるのは私だけでなく、他のスタッフも同じで、彼女のところにもお構いなくパスを送り続けた(しかしながら、彼女のところでパスが途切れることが多かった)。だからというわけではないと思うが、彼女が代行会社を待っている時、突然空から何かが頭に落ちてきた。バレーボールのパスは終わったからバレーボールではないのは確かだ。何だろうとよく見ると、鳥のフンだった。私だけでなく、彼女にとってもとんだバレーボールになったようだ。【3月28日 国立下関病院 整形外科病棟405号室にて記す】

後記:入院して13日目の3月30日(月)の主治医の診察の際に退院の話が出た。できればもう1週間入院して安静にした方がよいと促されたが、やはり自院のことが気になる。また、平成4年4月1日に開院したので、ちょうど満12年になる。できればこの4月1日は自院で新たな気分で望みたい。幸い両手の痛みはかなり軽減し、細かな作業もできるようになった。ただ、何かに触れると、とくに冷たいもの、例えば水に触れた瞬間に少し痺れが走ったが、以前のようではなかったので、何とか診療ができる状態だと自己判断した。なるべく無理はしないことを約束して、3月31日に退院することになった。しかしながら、あと1週間は頚椎カラーが必要で、普通の生活ができるのは4週間後、運動ができるまでには約2ヵ月後だろう。そして、両手の痺れがとれるのは個人差があるが、数ヶ月かかる場合があると言われた。また、顔面裂傷の縫合した所は比較的きれいになったが、縫合しなかった所で、鼻の下と鼻の右側の傷跡が赤く盛り上がっていたので、親しい形成外科の先生に診ていただいた。術後3ヶ月経過した状態で、形成術を行うかどうか判断するということであった。それにしても結果的には大したことにならなくてよかった。皆さんもくれぐれもお身体には気をつけて下さい。